うらうらの恋

鈴ノ木 鈴ノ子

うらうらのこい

休日、ふと、ドライブに行こうと思い立った。

 平日に指定有休で連休を頂いたので、朝からスマホゲームに熱中しようとガチャを回したところ、全てゴミのような結果となり、早々に逃げ出した私は、気晴らしにスマホの地図アプリを何気なく立ち上げて周囲のマップを見ていた。

 普段ならインドア派を派手に打ち鳴らしている私だが、その時だけは妙に外へと出かけてようと言う、普段からは想像できないような、一種の気が狂った気持ちになったのだ。

 小さな旅行スーツケースに着替えなどの必要最低限の荷物を詰め込み、四六時中、私が背中を預けている無くせば社会的制裁と倫理観的制裁によってダブルノッグアウトされてしまうであろう、秘密と機密が満載の愛用のリュックを背負い、部屋のありとあらゆる切ってよい電気を消し、最後にエアコンの風を水族館のペンギンよろしく全身で浴びてから名残を惜しみながらスイッチを切って外へと出た。

5階マンションの廊下は先程まで文明の力の素晴らしい冷えた風を浴びていた私に、まるで洗礼を与えるかのように容赦がない。夏の熱風が吹き荒れるように流れて私の肌を熱して汗ばませていく。

 青空は絵画のように素晴らしい空色をして、遠くには白い入道雲が昇り立ち、近くの児童公園から聞こえてくるけたたましい蝉の声が五感に嫌でも夏の堪らない暑さを感じさせた。

普段ならエレベーターで降りるが、暑さに全身をやられたせいだろう、外の景色をものめずらしく眺めたりしながら、階段を使って降りてゆく。

 一階に降りたところで私をここのところ日中は管理人室に立て篭もりがちと噂されている管理人の遠藤老人が物珍しいものを見るかのような視線を窓越しに向けてきた。

 それに愛想笑いを浮かべながら手を振って挨拶をして不審者ではないことをアピールすると、大理石でできた掃除され磨かれた事によって、最近派手に転んだロビーを気をつけながら進みエントランスから灼熱の熱波の襲う駐車場へと出た。

 出た途端に、激しい後悔が襲ってきたことは言うまでもない。できれば、数分前の私に言ってやりたいと思う。


 馬鹿も休みにはやるな…と。


 アスファルトから立ち上るうっすらとした陽炎が地面から地獄の火炎のような熱を見せ、駐車場に植えられた木々は上からと下からの暑さに耐えるように健気に葉を茂らせ、耐え難きを耐えながら、強く時より吹き抜けてゆくどろりとした熱風に葉を揺らしていた。

 愛車も駐車場のあるべき場所でじっと暑さに耐える動物のようにその身を晒していた。

 これもまた行きもしないのに数年前のキャンプブームの際に、購入した新古車の海外製のキャンピングカーである。普段は電車通勤であるので乗ることはなく、通勤に使ったとしても年に数回の連勤泊まり込み業務の自室代わりに使うだけで、たまに整備のために友人の経営している自動車整備工場に持ち込んでは充電と、お前には勿体無い、というお小言を頂きながらも、自分なりには大切にしている愛車であった。

キーを差し込んで運転席を開けると、中に潜んでいた暑さが私へと襲いかかってくるのをどうにか換気して撃退する。エンジンをかけて各窓と室内扉を全開にしてから、エアコンを入れてしばらくアイドリングをしたままでそれを追い出す事にした。

 こんな時はけたたましい蝉の声はありがたい、エンジン音を散らしてくれて、エンジン音が煩いというクレームも、アイドリングをしていると管理人室でテレビを見るのに邪魔になると、注意をしに飛んでくる引きこもり管理人の遠藤老人も来ることはない。

 このマンションは一階は全て駐車スペースとなっているが、管理人室は駐車場を見張るため監視小屋よろしく一階に設置されていた。

しばらくアイドリングにして、タオルで汗を拭いていると愛用のスマホがメッセージの着信を告げた。


『ハルマはなにしてますか?』


ハルマ=春馬となるがそれは私のことである。本名を根木春馬ねぎはるま、と言って、学生時代や古くからの友人はあだ名の ねぎま と呼ぶことが多い。余談だがあだ名のお陰で大のねぎま好きである。ちなみに今年で34歳、良い歳に差し掛かった大人でもあるし、現実を見ない若者のふりをした良い歳でもいたいと願うそんなお年頃である。

 容姿はどうだろうか、下の上と言った感じだろう。友人の奥さんから言わせれば、もう少し外見に気を遣えば合格点なのに、などと言われる。つまり、オブラートに包んでいるが要するにアウトだ。余計なお世話だと思いながらも、通勤電車で同世代や少し下の男性を見て、ガラスに映る自分を見ると、ああ、言われた通りかもしれないと反省と、だが違う!と反発もしている。


要するに中年になり切れない若者だ。


『いまから、クルマででかけようと、おもっているところ』


かんじがつかえないわけではないので、心配しないでほしい。このRainの相手が日本語が喋れても漢字を使った読み書きが苦手なため、こんな打つのに手間のかかる書き方をせざるを得ない。前に漢字を入れて返事を返したところ、受信相手から、思いやりの気持ちで…英語か平仮名でとのたまってきたので、仕方なく平仮名を使っている。

 そもそも思いやりと言うものは、思いやりを抱くべき相手に向けるものである。留学して日本語も勉強している者に思いやりで英語にて連絡をするのは甘やかしだろう。

 思いやりで全てを愛し許す宗派に所属している相手の理論を理解することはできないが、配慮はしているつもりであった。


『めずらしいですね、わたしもいきたいです、いいですか?』


 この相手から、予定 と言う誰にでもありそうな単語を聞いたことがない。二つ返事で いきたいです がくる。


『いいよ、ちゅうしゃじょうにいるよ』


 ため息と苦笑いをしながらも、私はそう返事をした。断れば時計の針が何周するのかわからぬほどに過酷な長電話がかかってくる。どれくらい過酷か例を挙げるなら、正月あたりにある箱根駅伝の片道が始まりから終わりまで見終わってしまったほどだ。例え話が具体的なのは経験済みだからである。


『はい、よういしますから、ちょとまてください』


 この用意は癖ものであって、ちょっとが計りにくい。まだ来ないだろうと高を括るとすぐに現れ、かと言って、準備万端でいつでもと覚悟していれば、平気で1時間は遅れてくる。ちなみに言い訳は シャワー、 化粧、 による遅延が大半を占めるが、美の女神が嫉妬はしないが、その下僕たちが羨むくらいの容姿で現れるので、ついつい許してしまっている。


『はいはい』


 ちなみに相手は 近くのアパートに住んでいるイギリスからの留学生で名前をリスクルス・スカーレットという、歳は20後半の大学生であり、2年ほど前のとある日に出会ったのがスタートであるが、その出会いもまた、碌でもないものだった。


 大学でのサークル帰りにしこたま飲んだらしく、駅のベンチで寝そべる謎の外国人であった彼女と目があったのが始まりだ。なぜだかその瞳に魅入られた私はしばらく見つめ合っていると、彼女が盛大に嘔吐した。そして一部が気管にでも入ったのか激しく咽せる彼女を放って置けるはずもなく、水やらなんやらを買って持って行ってやり、駅員と共に介抱している最中に今度はあろうことか、介抱している私に向かって嘔吐した。

 本人曰く、かけるつもりはなかったと言っていたが、じっと私を見たまま吐かれたのである。審議は定かではないが、かけられたと言っても過言ではない気がする。

吐瀉物をかけられて頭にもきたが、だが、ワイシャツが真っ赤に染まったのを見てこれは只事ではないと悟ると駅員に頼んで救急車を呼んでもらい、ベンチ酩酊外国人は名実ともに立派な傷病者となって病院へと搬送されることが決まったのであった。


 思えばこの時に袖擦り合うのも多少の縁では済まされなくなったのだろうと思う。


「この人が付き添いの人です」


救急隊員によってストレッチャーに乗せられた彼女を心配そうに見守っていた私を指差した駅員が、あろうことか眼前でそう言い放った。いや、たまたま出会って介抱していただけの仲だと、先ほど説明したはずなのにである。ジャパニーズスマイルを浮かべた駅員はさも当たり前かのように野次馬の集まる中で聴こえるように言い放ち、この面倒ごとを全て私に押し付けたと言う訳だ。


「では、病院まで行きますので同乗してください」


隊長らしきガタイの良い救急隊員が電話をとても素晴らしいタイミングで終えてから、明らかにお前何やってんだよ、と言わんばかりの迷惑千万といったような笑みを浮かべながら野次馬と言う公衆の面前でそんな風に言われてしまえば、余程の強者以外は、護送車にのる犯罪者よろしく、道連れとなることは明白であった。

 結局、車内で赤の他人である事を理解はして貰えたが、搬送先の病院の夜間事務員は、誰かいてもらわないと困る。との一点ばりであり、元来の自分で言うのもなんだが人の良さが仇となって、そのままベット脇で付き添うこととなった。


「あなた、だれですか?」


彼女が目を覚まして隣に佇む赤の他人の私を見て開口一番に言った言葉である。そっくりそのまま鸚鵡返しでこちらが問いたい気分であったが、外国人と揉めると後が怖い、と麻薬で捕まった大学の先輩が昔言っていたので、事細かく状況を説明した。


「日本語わかりません」


説明と言う名のプレゼンを搬送される過程まで進めたところで、聞き手から帰ってきた言葉である。ワールドワイドグローバルシティー感覚で居てもらっては困る。ここは島国、日本国である。日本語が言語なのだが、それすらご理解を頂けてないのでは仕方ない、腹が立ったが仕方なしにガチガチのキングスイングリッシュで説明をすると彼女は納得した。嫌味で使ったイギリス英語が通じたのはなんとも皮肉な話であった。

 一応、私も無駄に数カ国語を喋ることはできる。だが、母国語を使うのが1番楽であった。


「助けて頂いてありがとうございました」


「まぁ、入院にならないみたいだし、大学から迎えも来るみたいだから、お大事にね」


そう言って立ち去ろうとした時だった。白い手が伸びてきて私の服の裾を掴んだ。


「行かないで」


ドラマのようなセリフを言う彼女に心底同情したが、私はその場を後にした。日を跨いだが今日もまた仕事があるからである。

 立ち去る私の背中に恨み節のような英語が聞こえてきたがあえて無視した。結局、嘔吐した服のままではタクシーに乗ることもできず、結果、自宅まで歩いて帰るという苦行にて帰宅した頃には朝日が登っている始末であった。この苦行により得れたものはシャワーという文明の力に初めて感謝をしたことだろう。

 シャワーで汚れと気持ちを洗い流し、少しばかりの仮眠をとってから、私は仕事へと向かった。私の仕事は歯科医師である。いや、歯医者というほうが良いだろう。どちらかと言うと私は歯科医師より、歯医者の言い方の方が好きだ。お堅いのは嫌いである。

 勤め先の歯科医院に眠たい顔で出勤し、優しいけれど顔と声が極めて怖い元レディース総長の肩書きを持つ歯科衛生士の前橋さんと診療を始めてしばらくした頃だった。長年受付を務めて、いや、受付を鎮護している百戦錬磨で滅多に動じることのない松林さんが顔を真っ青にして診療中の私の元へとやってくると一枚のメモをさし出してきた。


 『超美人の外国人の方が先生を呼んできてと言ってます。院長が対応したんですが…拗れてしまいました。』


 外国人と聞いて真っ先に浮かんだのは今朝方まで付き添った彼女だ。いや、それ以外にアポイントを取らない外国人との接点が思い浮かばないが、しかし、彼女はどうやってここを知ったのだろうと疑問も湧いた。

 それに院長が対応して拗れることもよくあることだ、美人と見れば見境なく声をかける癖がある。これはもはややまいとしか言いようがないので止めることも皆が諦めていた。いや、最近では止めるのではなく玉砕まで見届けるのが流行りとなり、毎日書かれる日報の院長先生玉砕数は総数が既に3桁に達していた。


「診療が終わるまで待ってもらってください…。あ、一筆書きますね」


 メモに英語で走り書きをして松林さんに返して、私は再び診療に戻ったが、だいたいこう言う時の患者さんほど治療が伸びてしまい、予約の患者さんを待たせるわけにはいかないので、結局、松林さんに改めて昼過ぎに来るようにメモを回したのだった。

 ちょうど昼を過ぎだ頃に彼女は再びやってきた。どうやらかなりの美人さんであり、院長が羨むほどであったらしいと院内スタッフの噂になっていた為か、呼ばれて受付に顔を出した頃には、院長以外スタッフ総出で彼方此方から覗き見てのお出迎えのようなあり様であった。


「こんにちは、先生」


 微妙な日本語のニュアンスで和かな笑みを浮かべた彼女がそう言った。出会ったときは嘔吐のインパクトが強すぎて、容姿なんぞあまり気にしていなかったが、今の彼女はあの酒酔いベンチレディーなどではなく、医療用制服カタログに出てくるようなモデルがそのまま姿を現したと錯覚するほどの美しさだった。

 だが、残念なことに嘔吐の方がインパクトは優っているので、絶望的なほど魅力的には感じなかった。


「ああ、どうも。よくここが分かりましたね」


「病院の事務さんが、先生の名刺を見せてくれたので分かりました。」


 どうやって歯科医院を突き止めらたかの疑問は解決した。病院でどちらさんなのか身元を教えてほしいと夜間事務員から聞かれたので、めんどくさくなって名刺を渡したのだった。だが、彼女に見せるのは個人情報的にどうなのかと思う、赤の他人であると説明もしたはずだ。


「なるほどね。でも、見た感じ体調がよくなったみたいで安心したよ。」

 

「はい。朝までありがとうございました。一緒にいてくださって嬉しかったです。でも、途中で置いていかれたのはショックでしたけど…」


 受付のあたりに忍び寄っていたギャラリー供が騒つくのが後ろから聞こえてくる音でよく分かる。いや、あらぬ誤解を招くような意味深な言い方は慎んでほしい。


「ゲロかけられたからね」


 意味深な言葉を打ち消すべく、敢えて汚い言葉で彼女にそれを言い放つ、刹那なにかの逆鱗に触れたらしく、あとは周りが聞くに絶えない英語での罵り合いと言い合いとなった。

 午後診療のために罵詈雑言を打ち切ると、診療後にリベンジマッチよろしく再び訪ねてきた彼女と言い合いをして、ある程度のところで両者手打ちとして、今に至っている。

 彼女曰く、最大の原因は私にデリカシーが無いことだそうだ。だが、デリカシーが彼女自身にあるならば酔っ払いベンチレディーなどしないだろうに…。とは口が裂けても言えない。


 思い出の回想に思いのほか浸っていたせいだろうか、近づいてくる人影に気が付かず、私より背の高い彼女が背後から両手で私の目を覆った。


「お待たせしました。春馬」


 大分流暢になった日本語が聞こえてきた。声色も優しく春の風のようである。


「早かったね」


「そうですか?」


 両手が離されて振り返るとスカーレットがこれまた素敵な容姿で厚い日差しの中に立っていた。

無地の白い半袖Tシャツに黒スキニーのシンプルなスタイルに薄い白のカーディガン、そこから伸びる四肢はきめ細やかで程よい筋肉がついていて健康そのものだ。細面の顔つきに肩あたりまで伸ばした赤毛のロングヘア、ヘーゼル色の瞳に薄い口紅の塗られた唇、そして主張し過ぎない胸に引き締まったウエストからヒップにかけてのラインはこれまた惚れ惚れするほどの素晴らしさと言ってよい。日傘を掛けた彼女から向けられた笑顔に並の男なら堕ちるかもしれないが、なんども言って恐縮だが、生憎と私の意識にはやはり嘔吐が刷り込まれているためか、魅力は8割方目減りされていた。


いくら綺麗な人間であろうとも、整った口元から吐くのである。そして、人にかけるのである。


「暑いです・・・」


「そうだね、まぁ、じゃぁ乗ったら」


日本の夏というのは外国人の方には些か厳しいらしい。

炎天下に立たせるのも気が引けるので、私は車に乗るように促した。素早い身のこなしで助手席へと乗り込んだ彼女に続き、各所の窓とドアを閉めてから私も運転席へと乗り込んで、エアコンの冷風をMAXに上げたところで隣から1枚のパンフレットが差し出された。


「春馬、もし行き先が決まってないなら、ここに行ってみたい」


差し出されたパンフレットには、島田市ふじのくにお茶ミュージアムと書かれている。どうやら観光施設のようだ。


「お茶の博物館?」


「うん」


パンフレットを受け取って開いてみると日本茶等お茶の歴史などを学べたり体験したりすることのできる施設のようだ。私たちが住んでいるこの静岡市から片道1時間程度を高速で飛ばしてゆけばよさそうである。


「いいよ、行ってみようか」


そう言うと嬉しそうに笑った彼女に私は内心ほっとした。元々行きたい場所があったわけではないかったのだから、行き先が決まったのは一安心だ。もし、行き先が決まらないものなら何かしらの文句を彼女が言うだろう。それが私のせいであろうと、彼女のせいであろうとである。まぁ、この理不尽にもだいぶ慣れたのでよしとしよう。最近では悪いことだが素敵なワガママであるとも思えてきている。

 キャンピングカーを走らせてすぐのことだ。飲み物などを買いたいと言った彼女は近所のドラックストアへと車を乗り入れるように指示してきた。この途中で手近なコンビニに寄らないという姿勢には感銘を受けるところがある、私などはコンビニをありがたく使わせて頂いているが、彼女は安いところで買うことが多い。一度、ちょっとぐらい良いのではないか?と聞いてみたことがあったが、彼女は至極真っ当な言葉で返事をしてきた。


「そのちょっとの金額でもっと楽しいことができるとしたら、どう?」


 もっともな意見だ。ただ節約と言うのではなく、こういう夢のある言い方をされてしまうと尚更好感を覚えるのだが、さて、ドラックストアでの買い物の支払いは私であるので、果たして、それが自分のお金に向けられたものなのか、それとも全般的なお金に向けられたものであるのかは、正直、複雑なところである。いや、まぁ、別にお金をケチっているのではないので女性諸君は非難を向けるのはやめて頂きたい。もうすでに、私は職場でこの愚痴を言って、同僚一同と院長から歯石並みに固まった嫌味を言われたのだ。

 車の中での彼女は常に助手席に座って、あまり変わり映えのしない高速道路の景色のはずなのに、数多くのことに気がつく、これは一般道でも言えることだが、外国人の目線と日本人の目線というよりは、興味の視点が違うのだろう。神社仏閣や自然、そして小さな宿場町であっても見つけてきては、近場なら自分で、遠くなら計画を1人で練ってから私を巻き込んで、出かけている。

 彼女は敬虔なイングランド国教徒であるはずだが神社でも寺院でも拝む、だが、それで願うことは自分のことではないので神様は許してくださると、司祭が聞いたら卒倒もんの言い訳をして楽しんでいる。一度だが、彼女が願い事を小声で呟いているのが聞こえてきたことがあるが、それを聞いた時は私が司祭並みに卒倒しそうになった。


「隣の薮歯医者がまともな治療ができるようになりますように」


 こんなことを英語で言っていた。まぁ、立派だとは言えないが、勉強会にも色々な学会にも出席して技術を磨こうと努力はしているので、祈らなくとも大丈夫ではないかと思っている。だが、なにより、日本の神様に英語で祈りごとをするとは何事だろうか、日本語で言ったみたらどうかとアドバイスをしたところ、いけしゃぁしゃあとこう言い返してきた。


「だめよ、願いが叶うでしょ?」


 つまるところ、お前には薮歯科医がお似合いだと言いたいのだろうか、まったく失礼な話である。まあ、確かに米国のように分野別のスペシャリストではないし、ドイツのマイスター制度の方々のレベルまでは追いつけていない。この言葉を聞いて以降、以前にも増して努力をするようにはなっている・・・・はずである。

 平坦とも思える新東名高速道路を走っていく最中の車内では、だいたい不毛な会話が交わされる、それは彼女が楽しみにしているドラマの話から、大学生活、近所の話、自分の話、そして、最後は私にケチをつける話で、大概、一通りのワンセットだ。本日のドラマの話は再放送されているちょっとはぐれちゃう刑事ドラマの話で、大学院の生活ではしつこいナンパに日本人の友人と共にこれまた恐ろしい仕返しをしたこと、アパートの下に住む40代の仲の良い女性に今年7人目となる彼氏ができたこと、イギリスに住む家族が帰国するように煩いこと、そして、今日は休日であるはずの私が彼女へ連絡を入れなかったクレームのこと、へと落ち着いた。最後の話は納得いかなし、何故、彼女が私の休みを知っているのか気になるところだが、そこは曖昧な答えで話をはぐらかされた。

 キャンピングカーは島田金谷インターで高速道路を降りると彼女の指示のまま、すぐ近くにある新しくできたばかりの道の駅の駐車場へと入って誘導員に促されるまま、妙に遠い位置へと誘導されて車を止めた。


「ちょっと休んでて、私、買い物してくる」


「はいはい」


 助手席から降りた彼女は足早に道の駅の産直広場へと消えて行くのを手を振って見送った私は、そのまま座席を倒して寝転んだ。キャブコンと呼ばれる部類のものでリビングスペースの奥にベッドスペースがある。そこまで行くことすらめんどくさかったが、手足を伸ばして一通り体の凝りをほぐすと、何気なく私も車を降りて道の駅へと入った。

 機関車が走っている有名な鉄道の駅と一体化したような作りの道の駅はかなり広くて驚いた。産直市場のようなところでは野菜から加工品、はたまた生鮮食品までと至れり尽せりだ。そんな中に1人外国人が楽しそうに食材を吟味してはカゴへと入れている。そしてふと、イギリスで有名な子供向けの番組のポスターで立ち止まっていた。ああ、そういえばこの鉄道会社はイベントで現実化した車両を走らせている、何故知っているのかといえば、治療できた子供がそれに乗ったことを楽しそうに言っていたからだ。しかし、極東の島国で、イギリス人が、イギリスの番組から日本で現実化された車両を眺めている姿はなんとも感慨深いものがある。と思ったのも束の間である。彼女の唇の発言を私は見落とさなかった。


「今度は2人でこれに乗ろう」


 彼女はそう言ってポスターの前で笑う不気味な外国人を演じたのちに、再び食材の買い物へと姿を消した。

 産直市場の反対側にはお土産コーナーがあったので、私はコーヒーを買いながらそちらを見物することにした。さすが静岡県である。富士山のお土産が多い。おちょこから始まりはたまたお菓子の形までが富士山の形をしてまるで一種の宗教シンボルのようなありさまである。

 余談だが、富士山は静岡県です!などと山梨県人に言うべきではない、ほうとうを出されて富士山は山梨県ですというまで取り調べを受ける恐れがある。実際、大学の先輩は「山梨県の富士山が」と豪語して譲らない人がいた。まぁ、余談であるので、気にしないでほしい。あくまでも個人的見解である。別に学会帰りに山梨県警察に呼び止められて、不審者扱いされたのを根に持っている訳ではない。


 そんな売り場を冷ややかという冷静な目で見回っている時のことだった。地元のワインを一本買って帰ろうとボトルを持って会計へ向かう途中、小さなネックレスが目に止まった。錫でできたそれは地元の作家さんが作った一点ものでシンプルなチェーンに富士山と両脇を太陽と月が囲んだトップスはとても魅力的であった。私はその場でそれを見て固まってしまった。

 たぶん、彼女には似合うだろう。思わず店員さんを呼び止めてそれを取り出してもらった。

 光にかざして彩を見て、そしてそこから私は迷うことなくそれとワインを購入した。アクセサリーは衝動買いであるが、良いものは良いのだし、普段、世話にもなっている彼女へのささやかな御礼ということでもある。

 おまけで実に静岡らしいのだが島田茶のパックを二つほどくれた店員さんは、富士山柄の紙袋へラッピングしたそれを入れてくれた。ふと売り場の横に置かれていた富士山に赤い薔薇が一本書かれたグリーティングカードが目に入った。前にプレゼントにはカードを添えるのが礼儀だなんだと言っていたことを思い出し、それを追加で購入するとラッピングへと添えて意気揚々とお店を引き上げた。だが、駐車場の車へ近づいたと途端、私はそれを危うく地面に落としそうになった。


 炎天下の駐車場で仁王立ちをして、私を不満そうな視線で睨んでくる外国人がいた。ああ、もちろん、彼女である。


「どこいってたの?」


「トイレ」


「へぇ、お土産くれるトイレなんてあったかしら?」


「ごめんね、すぐに開けるからね」


「ええ、食材がダメになる前に入れたいわ」


 なかなか目敏いことだと思いながら、大急ぎでキャンピングカーのエントランスドアを開けて彼女を迎える。出てくる時にエアコンを効かせておいたので、車内の温度は快適だった。


「もう、行くなら連絡ちょうだい、無駄に汗をかいたわ」


 冷蔵庫に食材を入れた彼女がそう愚痴りながら、冷えた炭酸水を出してきてコップへと注いで、狭いながらも立派なリビングに座った。ふとほんのり汗をかいた首筋に思わずどきりとしてしまった私だったが、気を取り直すと、オマケでもらった島田茶を差し出した。


「なに?、お茶?」


「うん、日本茶、これもあげるけど、こっちもあげる」


 先ほどの紙袋を差し出すと彼女が不審がりながら受け取った彼女は、ラッピングされたそれを取り出した途端、表情が打って変わって溢れそうなほどの笑顔になった。

 グリーティングカードを読んでから、一度卓上にそれを大切そうに置くと、バックからデオドラントシートを取り出した彼女が首周りを拭いてから、包みを開いてネックレスを取り出して愛おしそうにそれを見つめると、私へと差し出した。


「お願いできる?」


「いいよ、見てみたいし」


 背後に動いて私はネックレスを彼女の首へと回してチェーンを合わせて留める。手鏡を取り出した彼女は鏡の位置を変えながら睨めっこをした。


「どう?」


「ハルマはどう思う?」


 正面に回って見てみたが、自分で言うにもなんだが、なかなかに似合っている。


「似合ってるよ、いや、素敵かな」


「どうせ、ネックレスでしょ?」


 そう言って笑った彼女に私は非常に真面目腐った顔をしてもう一度しっかりと見つめて言った。


「いや、素敵だよ。とってもよく合ってる。馬子にも衣装だね」


「馬子にも衣装?」


 そう言ってキョトンとする彼女を見ながら私は笑うと、炭酸水を同じようにコップに注いて飲み干した私たちは、道の駅を後にして数分で着く予定のお茶の博物館へと進路を取った。もちろん、助手席にて大人しくスマホで『馬子にも衣装』の意味を調べた彼女から英語の罵声が飛んできたことは言うまでもない。


 お茶の博物館とは古今東西のお茶文化を紹介する博物館であるが大半は日本茶の話でもある。そもそも、紅茶と日本茶の違いもわかっていない私に対して、伝統的なお茶文化で一時期はそこを植民地として支配したことさえある国の生まれの彼女はいわゆるティータイムと言われるものに慣れ親しんでいたので詳しかった。


「日本茶は不発酵なの、紅茶は発酵なのよ」


「腐ってないか、腐ってるかってこと?」


「殺すわよ」


 こんなたわいも無く、お茶業者が聞いたら間違いなく首を茶摘みされるであろう会話をしながら私たちは博物館を巡ってゆく。しかし、博物館にきて知ったのだが、世界にはこんなにもお茶文化があるとは知らなかった。日本ばかりがお茶を飲むと考えがちであるが、世界のお茶文化は広くそして奥深い、そんな一端を垣間見れる素晴らしい施設だ。そんな施設を彼女は楽しそうに、そして、イギリスのティーセットのコーナーでは、それを見て懐かしそうな表情を見せた。


「懐かしいの?」


「ん?ああ、ちょっとね」


故郷の品は哀愁を漂わせると言うから、きっとそんな感じで見ているのだろうか・・・と思ったが、それは19世紀後半のものであった。これを懐かしいと思うところから推察するに彼女は余程の名家のでなのかもしれない。いや、イギリスで貴族文化の残る国であるから、あるいはもしかしたら、貴族様なのかもしれない。


「あ、お抹茶体験をさせてくれるらしいわ」


一通り回って出てきたところで館内に貼られたポスターを目ざとく見つけた彼女はそう言って指差した。和服美人がお茶を立てて、これまた美人なモデルさんがそれを楽しそうに飲んでいる姿のポスターだが、その下には本日の和菓子が置かれて、奥の池上に建つ茶室へと矢印が続いていた。


「正座できたっけ?」


「え?できるわよ、ハルマは私を馬鹿にしているの?」


「ああ、そう言えば君は正座のできる人だったね」


 居酒屋でも蕎麦屋でも座敷に案内されると彼女は正座で座っている。そして、それでこむら返りを起こしたり痺れたりすることもない。ずっとその姿勢で座っていられる強靭な人だったのを思い出した。


「せっかくだし、頂いていきましょ」


「はいはい」


 池上の茶室で年老いてもなお綺麗な年配のお茶の先生に点てて頂いたお抹茶はとても美味しく、また、それをある程度の作法で飲む彼女にも驚いてしまった。最後まで姿勢を崩さず美しい姿で抹茶を頂く彼女に関心していた私と言えば、飲み終えて立ちあがろうとして盛大に足が痺れてしばらく動くことすらできずに先生からも彼女からも笑われる始末であった。

 これ以外にもお茶の博物館には素敵なものが数多くあったが、それについては実際に体験するのが良いと思う、各家庭の台所から急須が姿を消していく昨今だが、できれば、文化としても、趣味としても、なにより健康のためにも、と帰りに私は急須を買って帰ったが、暫くすると私自身がお茶を入れることは無くなった。

 博物館を出たのちは静岡空港で旅客機の離陸を見て、そろそろ帰ろうかと彼女に伝えると、大井川沿いのキャンプ場をマップで示されて、唐突にそこに泊まりたいと言い始めた。


「あの、ベットは一つしかないのだけれど?」


「大丈夫、私が使うし、リビングの机を取ればもう一つベットができるでしょ?、それにたまには外に出ないとダメよ」


 結果的に強引に押し切られる形で小一時間ほど車を走らせて、彼女が車内から当日に予約を取ったキャンプ場へと向かった。てっきりお土産用に食材を買い揃えているのだろうと思ったが、それは最初から夕飯用であったようで、キャンプ場について私が天幕蚊帳などなど諸々を設置している間に、車内で調理を進めた彼女の手料理が車に積みっぱなしであったテーブルセットに並んでゆく。野菜と魚がメインであり、肉はそれほどないが、どれもこれも匂いも味も見栄えもよい素敵な料理ばかりだ。


「いただきます」


「どうぞ、召し上がれ」


「あ、思い出した、ワイン買ってたんだ」


 道の駅で買ったはずのコルクの開けられたワインボトルを見て私はそう言った。そうだ、ワインは買っていた。だが、ここで飲むとは一言も言っていない、しかし、どうやら計画の中には私が出先でワインを買うことは予想済みであったようで、料理の一部にも使われている有様である。


「美味しいわよ、それ」


 卓上のワイングラスにはそれが注がれて、卓上の電気ランプの仄かな光に赤い色彩を輝かせている。


「うん、だろうね」


 たかだか、ワイン一本の話であるので目くじらを立てる必要もないのだが、ふと、今日はいつも以上に我儘が目立つなとも思った。普段ならここまで我儘のようなことはすることはないのだがと不思議に思いながら、私たちは料理を楽しく食べ終え、片付けを済ますと、虫の音色が静かに聞こえる外で2人でワイングラスを傾けながら、何を喋るとでもなく、風の音、近くの川の音、虫の音色、木々のざわめきを聴きながら、ゆったりと過ごしてゆく。


「ねぇ、ハルマ」


「なに?」


 私はそう返事をしてワイングラスを卓上に置きながら彼女の顔を見た。ほんのりと染まった頬が電飾ランプの灯りに揺れて妙に色っぽく見える。そして、首から下にはあのネックレスが淡く光り輝いていた。


「私、今日はいつも以上に我儘に振る舞ったつもりよ」


「そう?変わらないけど?」


「殺すわよ」


 本日2回目の殺害予告を受けてしまった。彼女は仏の顔は3度迄と覚えているはずだから次はないことになる。いや、こうしておかないと私も罰が悪い。


「確かに、普段と違ったね」


「うん、できるだけ、嫌われるように振る舞ったつもり・・・。でも、ダメだった」


 そう言ってワイングラスを揺らした彼女が少し寂しい顔をしてこちらを向いた。


「知ってるよ、そんなこと」


「え?」


「精一杯、応えたつもりだけどね」


 私はそう言って彼女をじっと見た。彼女の顔が真っ赤に染まっていくのが淡い光でもよく分かる。


「お誘いを受けたのも、グリーティングカードの意味も、ネックレスの意味も、みなまで言った方がいい?」


「いい、言わないで、私が馬鹿みたい」


 両手で顔を覆った彼女が声を震わせてそう言った。

 どんなに愚痴を言ったところで、どんなに言い訳を並べたところで、本心は、結局、彼女を気にしているのだ。そしてあの出会いから、短い時間とも長い時間とも判断はつかないけれど、私をそちらへと傾かせてゆき、そして堕とした。


 表面でない、内面を見て、そして、内面のさらに内側を見ていき、結果として、ステキな結末を迎えたのだ。


「新茶から紅茶になるように、私も十分に育んだってことかな」


 あまりにもキザなセリフに顔に血が昇るのが分かる。両手を顔から離した彼女がちょっと残念そうな顔をして私を見た。


「飲まれたら終わりになっちゃうってことかしら?」


 意地悪くそんな風に聞いてきた彼女の横顔は、仄かな灯りに照らされてさながら女神のように美しくそして優しい微笑みを浮かべていた。それは今まで見たどの彼女よりも輝いて見えた。互いに視線に視線を合わせた途端、今まで誰にも言ったことのない言葉が心のそこからまるで湧き上がるように溢れてきて、優しい想いともに私の口からはっきりと告げていた。

 

「 I love you 」


言ってしまうと私はさらに顔に血が昇って蒸気するのが分かった。それを聞いた彼女もまた顔を真っ赤に染める。


「その言葉をずっと待ってました」


 そんなステキな彼女、リスクルス・スカーレットは幸せ一杯の笑みを浮かべて、目元に涙を浮かべると優しい口調で日本語で答えた。


 これが私と彼女の結末だ。つまらない結末かもしれない。いや、不思議に思うかもしれない。


 でも、色んな恋があっても良いと思うし、出会い方は人それぞれだ。


 私たちの関係はこれからずっと続いていくだろう、いや、まぁ、そうして行きたいと思う。それにその不安すらも楽しみの一つだ。


 リスクルスのお茶のことばを借りるなら、こんな発酵された関係ほど深い味わいとなることは間違いないのだから。


 

 

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うらうらの恋 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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