第41話 絆-つながる-という意味



 夜闇が包む公園を、竜と少女が舞い踊る。

 月光を反射する邪竜・室岡霧久の鱗と爪牙が、堅牢なる要塞の如く立ち塞がる。

 対してその周囲を翻弄する少女の姿は、星空と重なり合うかのように華麗に輝き、蝶の羽ばたきのように空を舞った。


 ディアドラ・オルムステッド。彼女はその全てを賭し、災害を倒さんと全霊を尽くす。


「始への所業で分かったよ。テメェは、生きていちゃあいけない存在だ!

 テメェが歪な英雄像を謡ったせいで、始は自死を選ぶほどに追い詰められた! 生かしちゃおけねぇ!」

「何が間違っているッ!? 英雄とは己の全てを燃やし、最後は孤高にて死ぬものだァ!」

「それが間違っているっつってンダよ! 英雄の最後は孤独だぁ?

 テメェみてぇな狂人は、誰かに看取られて死ぬなんざ想像も出来ねぇだけだろうがァ!!」

「我が頭脳を愚弄するかァッッ!」


 巨躯なる邪竜の一撃を、ディアドラは華麗に避ける。だがその着地時、微かに彼女はよろめき、その表情を苦痛に歪めた。

 彼女の身体は、もう既に限界だった。だがロゴス能力者同士の戦いは、弱みを見せたほうが負ける。故に彼女は気丈に振る舞い続けたが、そのメッキは風前の灯火であった。

 それが剥がれた一瞬の隙間を、室岡は見逃さない。


「もう限界か、麗しくも強き英雄よ!」


 闇が包む空に、邪悪なる紅の逆三月が灯る。それはまさに悪魔が如き、邪竜の笑みだった。


「アァ? 余裕だが? 始が来るまでもねぇぐらいにはな」

「ならば何故トドメをさせない。何故、先ほどよろめいた?」

「チッ。気取られたか」

「……やはり限界なのか。せっかく立ち上がった英雄を下す瞬間ほど、悲しい事はない」


 ディアドラの舌打ちを聞き、室岡は心底悲しそうな顔をした。

 玩具を取り上げられた子供のような、心の底から悲しんでいる顔だった。だがその瞳の奥は、明らかに笑っていた。


 非常に奇妙ではあるが、室岡は今この瞬間、全く矛盾せずに喜びと悲しみを両立させているのだ。

 英雄の命を刈り取るという喜びと、進化の可能性を摘み取らねばならない悲しみ。その2つの相克する意力を燃やし、室岡は一撃を放とうと構える。英雄の命を喰らう、最後の一撃を。


「礼を言う! お前たちが相手だったからこそ、俺は今までを超える事が出来た!

 これは俺の、全霊全開たる本気を超えた本気ッ! 進化せし竜王直々の、終末の一撃だァ!」

「避け……無理だ! 受け止め……いや、全力を賭したとしても、あれは─────ッ!」

「やはり英雄とは、死ぬ時こそ孤独! お前は俺の正しさを証明して死ぬのだァッ!」


 悲哀に包まれし呵々大笑が闇に木霊する。

 それは室岡なりの鎮魂歌であった。風を切り、音を置き去りにした室岡の爪がディアドラへと向かう。ただ存在するだけで周囲一帯を殲滅せし得る、生きた戦術兵器の如き暴威が、たった一人の少女へと向けられる。

 だがしかし、そんな状況の只中にあってもなお、ディアドラの心に恐怖は無かった。


「ハッッ!!

 おめぇ、やっぱ馬鹿だよ室岡。

 人間の可能性だなンダ言いながら、微塵も可能性を信じていねぇンダからよ」


「俺? 勿論信じているぜ。なんたって、あいつは俺が見出した男だからな」


 その微笑みは嘲笑にも、あるいは自慢のようにも響く。

 ディアドラは強がりでもなんでもなく、心の底から微笑んで口端を吊り上げていた。

 それは彼女の、信頼の証だった。


「昔から言うだろ? 信じる者は救われるって。

 信じなかったアンタの負けだ。人間災害」


 そうディアドラが告げる刹那、凄まじい暴風と共に、鋭利なる爪の切っ先が彼女の胸へ触れかける。

 生命の鼓動を刻む心の臓腑は抉られ、ディアドラが見るも無残な肉片へと成り果てようとする、その寸前────。



 断罪のギロチンが、光と共に室岡の腕を両断した。



「──────ッ!! な、にぃ……ッ!?」

「ほらな? 来ただろ? 

「……待たせ、ちゃったな。遅刻しちゃって、ごめん」

「来てくれたから許すよ、始」


 そう告げると、ディアドラはへたり込むように地に座した。

 彼女の身体は、とうに限界だったからだ。それでもなお、気丈に振る舞い続けた。だがこの瞬間、安堵と共に力が尽きたのだ。

 何故ならもう、戦う必要はないから。信頼できる仲間が、駆け付けてくれたのだから。


 そんな彼女の姿を見て、始は悟る。自分はまた、彼女に支えられていたのだと。


「ディアドラ」

「なンダよ。もう俺ァ、戦えねぇぞ?」

「ありがとう。俺が来るまで戦ってくれて。今まで、ずっと守っていてくれて」

「へッ、こっちこそ」


 照れくさそうに笑いながら、ディアドラは地面に倒れ込んだ。

 意識はある。だがもう指一本動かせない、極度の疲労が彼女の全身を包み込んだ。

 始はそんな彼女へ振り向かずに、ただ前だけを見据えて歩み続ける。その眼前に立つ、災害を滅ぼすために。


「待たせたな人間災害。お楽しみの第2ラウンドだ」

「馬鹿な! 何故貴様が、それを扱えている!?

 それにその意力……っ! もはや貴様は、戦えぬ身だったはず!! それを、何故ェ!?」


 室岡の困惑が木霊する。始はそれに応えない。ただ無言で一歩、また一歩と近付いて往く。

 その片手に握られているのは、1本の刀剣。かつて多くの魑魅魍魎を滅ぼし、そしてその全ての意志を背負った、罪と罰の刃。

 世界を滅ぼす力を秘めた、一連の事件の全ての始まり。


 銘を、童子切安綱。此度の全ての事件の発端となった、一振りの醒遺物フラグメントである。


「扱えている? 違うよ。俺はこいつを御したわけじゃない。ただ少し借りているだけだ」

「馬鹿な! 理屈はどうあれ、扱えている事には変わりない! 一体どういうからくりで!」

「理解させてもらっただけだよ。知は力、らしいからな」

「ッ! 来るなぁ!」

 室岡は怯えた子供のように、残っている片腕を横薙ぎに振るった。

 人一人程度なら瞬く間に微塵と化す、極小の暴風が生まれて始へと向かう。だが。


「無駄だ」


 始は童子切を一文字に振るい、吹き荒ぶ嵐を両断する。その斬撃はそのまま宙を飛び、室岡の強靭なる鱗に刀傷を刻み込んだ。


「ガァァァッ!? まさか、馬鹿な!

 この俺が、っ!? 魔王たる俺が、あの醒遺物フラグメントの力に、怯えているというのかァ!

 何故だ! 何故それを、貴様は手に出来たァ!?」

「別に。ただ理解しただけだよ。誰かと繋がり合う事──────同情する事が、俺のロゴスの本質だからな」


 どこか他人事のように、しかし実感を持ちつつ始は語る。

 彼がこうして自らの能力を話すのは、慢心によるものではない。こうしなければ、己の溢れ出る意志に呑まれかねないからだ。

 今の彼は、初めて輪郭を掴んだ己の力を、必死に手綱を握って制御と制御しようとしている。何かを理解するには、それを誰かに教えるのが一番早いとは、誰の言葉だったか。


「俺さ、昔っから知りたがりで、色んな人と関わったり、本とか読んでいたんだよ。

 あと、すぐに他人に同情するし、他人の気持ちを、自分のことみたいに思って過ごしていた。俺は誰かの立場に立ったりして、誰かと友達になったりする事を、望んでいた。

 それは"誰かと繋がりたい"っていう、俺の意志の発露だった。これが俺の抱いていた、本当の意志の形だったんだ」

「まさか……他者と繋がり合うという意志を! 絆という言葉を! ロゴスの根幹に据えたのか!?

 その理解力を以てして! かつて童子切を握った破滅掌者ピーステラーと、自分を重ねたというのか!

 なんたる裏技ッ! なんたる下法!! 他者の意志を、己の意志に取り込むとはァ!!」

「仕方ねぇだろ。これが俺の"意志"なんだからなぁ!!」


 横薙ぎに一閃。始はその握り締めた刀剣を以て、室岡に攻撃を放つ。

 斬撃は空を舞い、滑空し、そしてそのまま水平に、室岡の全てを支える脚へと直撃する。鋼鉄の要塞が如き堅牢さを誇っていた輝く鱗は、紙細工よりも脆く切り裂かれた。


「グゥゥゥウッ! バカな! この俺が……英雄の敵対者たる龍が! 圧されるなど!」

「数多の妖怪を切り殺した童子切! お前という化け物を殺すのに、これ以上の得物は無い!」

「なるほど人外殺し! 俺という大怪獣を滅ぼすには相応しかろうなぁ……!

 久方ぶりだなぁ! 相手にとって不足なしと、心より思えるのはァ!」


 咆哮する室岡に対し、静かなる殺気を以て刃を震わせながら、始は刃を高く掲げた。

 その刃に宿るのは、ただ一つのシンプルな意志。無辜なる民に仇なす神秘を滅するという、正義の意志のみであった。


 ◆


 室岡の穢れた邪竜の力と、清い童子切の力がぶつかり合う。

 頼光の意志を俺のものにしたとは言っても、やはり醒遺物フラグメントの力は並大抵の物じゃない。

 ぶつかり合うたびに、凄まじい奔流が俺の中に流れ込む。少しでも気を抜けば呑まれそうだ。だが──────。


「クリス、調子はどうだ」

『問題はない、順調だ。御身おまえが他人を知る事に長けているからだろうな。

 怨嗟などの意志ノイズさえ取り除かれれば、あとは単純なる力の塊。同じ醒遺物フラグメントたる吾輩わたしにとって、処理は容易い』

「なら、こっちは戦いに集中できるぜ!!」


 童子切を握り締め、俺は精一杯の意力を室岡へとぶつける。

 奴への否定の意志は刃と重なり合い、邪竜と化した巨躯を次々に切り刻んでいく。

 今まではどう戦えばいいか分からなかったが、今は何処を攻撃すれば良いのかが分かる。それだけじゃない、体の動かし方も、目配せ方も、戦いに関するあらゆる要素が理解できる。これが、かつて頼光が見ていた景色なのか。


「この太刀筋! 天下無双の童子切……ッ! その使い手と、完全に同調したかッ!

 実に素晴らしい! 俺という災害を屠る英雄が、遂に現れた!」


 室岡の声が、賛美歌のように響く。だが同時に、何処か怯えているようにも聞こえた。

 コイツは多分、純粋に嬉しいんだろう。俺が室岡を倒せる英雄りょういきに至った事が。

 だが同時に、英雄という在り方を恐怖もしていた。何故ならドラゴンとは、英雄に討たれるべき象徴だからだ。


「怖いか災害。けど、お前に今まで殺された人たちは、その何倍も怖かったはずだ!」

「だろうなァ! 俺の恐怖は進化を促す! その果てに、正しき英雄が出現した事を誇りに思うよ!!」

「もう、満足したんだろ? だったらもう試す事なんかないはずだ! 大人しく俺に──────ッ!」

「否ァ! お前は英雄としては新参者! ならば試練を課し導く事こそ、年長者の役目だァァァアア!!」


 室岡は邪悪に口端を吊り上げ、天高く飛翔した。

 天駆ける竜は、夜空より周囲を睥睨する。奴は爛々と輝くその両眼で、俺が生まれ育った鳶原市を笑いながら見渡していた。


 その眼の色と奴の性格から、何をする気か明白だった。

 奴は、この街の全域を焼き払う気だ。


「ふざけんじゃねぇ! ここまで来て────やらせてたまるかァァァアアア!」

「止めたければ来るが良い! 最後の試練だ! お前の本気を見せてくれェェェエエ!」


 俺はがむしゃらに童子切を振るい、室岡の喉元を狙う。斬撃は衝撃波となって滑空し、室岡を止めるべく飛翔する。

 だが、ほんの数mだけ届かない。俺の意志が足りないのか、そもそも童子切が遠距離攻撃に不向きなのか、斬撃は空で霧散し室岡に傷をつける事は出来なかった。

 届け、届けとどれだけ念じても、俺の意志は奴に届かない。このままじゃ──────!!


「ふざけんじゃねぇ! もうやめろこんな事! こんな事をしても、お前が望む進化なんて───ッ!」

「望む形が来るまで何度でもやり直す! それが嫌ならば乗り越えろぉぉぉぉおお!」

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 室岡の口元に紅蓮の火球が燃え盛る。一か八かで跳躍を試みようにも、もう遅い。

 ダメなのか。俺はまた何もできず、目の前で失うのか!? ──────そう思った、その時だった。



『公園全域、隔離閉鎖シークエンス移行ッ!』



 突如として、規律の整った声が揃って響いた。同時に公園全体を覆う、オーロラのように揺らぐ光の壁。それらからは、今まで何度も感じ取れた感覚を覚えた。

 これは、意力か? 海東やディアドラと闘った時に感じた圧と同じものだ。ただ違うのは、その量だ。何百もの意志が折り重なって、まるで層となっているように感じる。と言うよりは、障壁やバリアに近いものだろうか。


「な……ッ!! 馬鹿なァ! ここで……邪魔だてが入るとはッ!

 おのれぇ無粋な! 我らが神聖なる闘争の場を侵すとはァッ!」

「そりゃあこっちの台詞だ"人間災害"! こっちも任務で忙しいんだよォ!」

「待たせたわね少年! ディアドラちゃんも、今までよく頑張ってくれたわっ!

 レイヴンせんせーの指示により、日本滞在R.S.E.L.機関員ライブラリアン全9名、推参したわよ!」


 狼狽える室岡を余所に、俺は声がした方向を見る。するとそこには、複数人の男女が立っていた。

 その外見は様々だったが、総じて誰も彼もが、凄まじい意力を放っていると一目でわかった。そしてそれらが折り重なるように、この公園を取り囲んでいる。それはさながら、結界か何かのようだった。


「まさか、これ……貴方たちが!?」

「ああ。機関謹製の空間切除技術だ。今まで散々待たせちまったからな。これぐらいはさせてくれよ」

「ディアドラちゃんもこの街の防御も、全部あーしらに任せてバケモン倒してきなぁ」

「っ……! ありがとうございます!!」


 俺は彼らに心の底からの感謝を告げる。そして思う。これが、誰かと協力し合うという事なんだ。

 俺はついさっきまで、街を守る事も、室岡を倒す事も、全部自分でやらなくちゃと思っていた。けど、彼らが駆け付けてきてくれた事で余裕が出来た。

 そうだ。これが俺の求めた、繋がり合うっていうことだ。1人1人じゃ、出来る事には限界がある。だからこうして、それぞれが出来る事を一所懸命にやるんだ。


 ならば俺のやるべきことは? そんな事、決まっている。


 俺は天を見据えて、渾身の意志を童子切へと篭める。

 街を心配しなくていいとなったなら、もう迷わない。全霊を以てして、室岡という災害を両断するだけだ。

 そう意志を固めた途端、俺の中に満ちているロゴスが、今まで以上に活性化したかのように思えた。


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