【一旦完結】破滅掌者の救誓譚〜神の力を手にしたから、日常の傍で世界を救う〜

第32話 Why are you？

『接近戦は不利だ我が破滅掌者（ピーステラー）！

　膂力も重量も、何もかもが御身（おまえ）は奴に劣るのだからな』

「分かっている！　けど、速さなら！」

「甘いわぁっ！」

　クリスの言葉に従い、俺は一旦背後に下がろうとする。

　だが直後、目にも留まらぬ速さで室岡が眼前に出現した。無防備のままに俺は横薙ぎの攻撃を直接喰らい、廃屋の壁に叩き付けられた。

「カハ────ッ！？　糞！　図体がでかいなら、鈍間なのがセオリーだろうが！」

「ロゴスの前に常識を語るなどナンセンス！　法則（じょうしき）を創り上げるがロゴス故にィ！」

　室岡が捲し立てる中、俺は呼吸を整える。壁に叩き付けられた衝撃のせいで、肺から酸素が吐き出され頭が回らずにいた。

「馬鹿力が……っ！」

『毒づいている場合はない。このままだと御身（おまえ）は──────』

「その程度か！　それでは英雄とは呼べぬなぁ！」

「……ッ！？」

　何とか呼吸を整え眼前へと視線を移すと、凄まじい威圧に息をのむ。室岡が目にも留まらぬ速度で、俺に向かい突進してきたのだ。

　その背には龍の特徴ともいえる翼が生えている。その様相はまさしく、飛翔と言っても良いのかもしれない。速度はさながら、等身大の弾丸だ。

　さっきの拳は、辛うじて防ぐことが出来た。だが恐らくあの攻撃は、こいつにとってジャブにも満たない片手間の攻撃だったのだろう。対してこの突進は、先ほどまでの攻撃とは比べものにならない。凄まじいまでの明確なる敵意を纏った、本気の攻撃だ。

「クリス。これは──────ッ！！」

『ああ。防ぐ手立てがない』

「…………ッ！」

『避ける手立てはある。だが、避ければ背後に或る町は奴の手により破壊される』

「そんなこと、許容できるわけねぇだろ！！」

「だろうな。御身（おまえ）がその選択を良しとしないのは、信条から容易に想像できた。

　となれば御身（おまえ）が、あの攻撃の盾になるほかない。だが、そうなれば』

「俺は死ぬ、ってか……」

　震えるような声で、俺はそう呟いた。半人半竜の異形が、刻一刻と俺に迫る。

　俺の背後には、今でこそ人通りは無いが大勢の人が暮らす街がある。俺が避ければ、この街が室岡とぶつかり合う事となる。もしかしたら、背後の建物の中に人がいるかもしれない。もしそうだとしたら、この室岡の攻撃で少なくない人が死ぬ。

　ならば避けるわけにはいかない。俺が止めなくては。そんな使命感が、俺の中に沸騰する。

　──────だが、止めたら俺はどうなる？

　力が、クリスが守ってくれるのか？

　確かに肉体の強度は、ロゴスによって上がっている。だが俺は、先ほどの本気でない拳すら痛みを防げなかった。なら俺があの突進を、まともに受け止められる保証はない。それどころか、取り返しのつかない事態になる可能性すらあった。

　腕がもげるのか？　脚が千切れるのか？　あるいはその全てが、四散する羽目になるのか？

　そんな悍ましい痛みへの恐怖と、死への明確なる恐怖が、俺の全身を駆け巡った。

「(死ぬのか……？　俺が？　こんな、ところで？

　そんなの、嫌だ！　俺はまだ、やりたい事があるのに……っ！

　でも、避けて大勢の人が死ぬのは、もっと──────！！)」

　流れる時間が、非常に緩やかに思えた。目の前に猛速で迫る異形の姿が、死神と重なって見える。

　瞬間、俺の脳裏に、様々な記憶と感情が駆け巡っていった。これは走馬灯か。あるいは生き残るための足掻きなのか。

　とにかく俺は思考をフル回転させ、生きるために足掻き藻掻く。どうすれば生き残れるかを考えつつも、奴を止める覚悟を決める。

　なのに。

「──────死にたくねぇ……ッ！」

　不意に、そんな言葉が口から漏れた。瞬間、土石流のように俺の脳裏を恐怖が埋め尽くす。格好付かない話だが、この時俺は足が震えていた。逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

　吐き気がこみ上げ、咥内が乾いてゆく。全身に鳥肌が立ち、痛いぐらいに神経がざわつく。

　この時俺は、本気で死を覚悟していた。こんなところでまだ死にたくないと、全霊で叫びたかった。

　まさに、その時。救いの架け橋とでもいうべき声が、天高く轟いた。

『始さんっ！　伏せてください！』

　響くは詠唱の声。祝祷を紡ぐ歌声の如く、それは透明な声だった。

　声の主の放った詠唱と共に、地面から岩石が捲れ上がるようにせりあがり、室岡の突進を遮る。ぶち当たった岩石は粉微塵に砕け散り、室岡を生き埋めにした。

「ぬおぉぉおぉおお！？」

「久しぶりだな、人間災害。悪ぃが、再会を喜ぶ時間はねぇンダわ」

「ディアドラ……！」

　絞り出すような声で、俺は彼女の名前を呼ぶ。

　彼女に感謝の声を掛けようとするが、彼女の言う通りそんな時間は微塵もない。恐怖に膝をつく時間も、痛みに悶える時間もだ。

　今はただ立つだけだ。そう信じて俺は拳を握り締めて立ち上がり、彼女の隣へと立った。

「一緒に、戦ってくれるのか？」

「当然だろ？　俺とお前は、バディなンダからよ」

「ク──────ハハハ！　二人目の英雄が来たか。これは良い。実にいい！　魔王たるこの俺に立ち向かわんとする英雄を、二人も同時に相手取るとは！

　賛美（はれるや）！　雄々（オォ）、大賛美（はれぇるや）ァ！　素晴らしき哉、人間賛歌！　仲間の危機に駆け付ける仲間ッ！　これぞ人間の進化の可能性に他ならないィ！」

　室岡が立ち上がりながら、諸手を拡げて天を仰いだ。讃美歌を奏でるかのような美しい声色だったが、その姿には神々しさとは真逆な、醜悪なる竜が混ざり合っている。宗教や道徳の否定を謳った劣悪なパロディを見せられているような、不快な気分を覚えさせられた。

「相も変わらず良く回る口だなァオイ。バルブでも閉め忘れたか？　そろそろ寿命かァ？」

「生涯現役、ゆりかごから墓場まで魔の王として立つッ！　それこそが俺の誓いよォ！」

「ンなら墓場まで速達便だ！　送料無料で葬送（おく）ってやるよォ！」

「やって見ろォ！　｛ “さぁ勇敢なる勇士よ！　我が眼前に立て！　汝、天下に並ぶ事無き英雄へと昇華される事を冀う！　英雄としての矜持、運命、その全て！　三千世界の彼方まで届かせんッッッ！ ”｝

『邪龍変成（ファァアアアヴニィィィィィル）ッッッ！』

　室岡が詠唱を紡ぐと、その姿はより一層竜に近いものへと変成した。

　背中からは翼が拡げられ、両脚は強靭な筋肉に編み包まれ、そして咢（アギト）には凶悪なる牙が生え揃う。

　見るだけで威圧され正気を失いそうになる、強大なる災厄の化身がその全容を露わとした。

「ディアドラ、周囲の人は？」

「人払いの暗示は済ませてある。なんかありゃ、天災があったとする準備も整え済みだ」

「なら、全力で行けるな。クリスはどうだ？」

『問題はない。いつでも行ける』

　覚悟を決めるように俺は拳を握る。正直に言うと、怖い。つい先ほど死を間近に感じただけに、今も震えは消えていない。

　だがここで俺が立たなくちゃ、きっと大勢の人が死ぬ。そして今この街に、こいつに立ち向かえるのは俺たちしかいない。だから──────。

「なんとしてでも、コイツは止める！」

『面白い！　立ち上がるその姿！　まさしくお前も“英雄”だァァァアアアア！』

　街から外れた通りで、戦闘の火蓋が落とされた。見ると室岡のサイズは、人間と比べ一回り大きい程度で、公園で見た時ほど大きくはない。これは奴を倒す好機と捉えて良いだろう。

「始、陽動頼めるか？　奴の動きを封じる策があるンダが」

「オッケー、美術館の時と同じってわけだ！　任せてくれよ！」

「ンなら、限界まで奴を引きつけろッ！」

　ディアドラが地に手を衝いて詠唱を唱え始める。そのロゴスの行使を完成させるために、時間を稼ぐのが俺の役割だ。この災害野郎を時間まで引きつける、随分と荷が重い大役だ。

　だが、俺以外に誰にも出来ない事だから、俺が行くしかない。そう覚悟を決めて足を踏み出す。それに応えるかのように、室岡もまた全身に滾る力を脚へと集中させて駆けだしてきた。

「実力差があろうと、俺はお前を倒す。求める進化が正しくても、やり方が気に入らねぇ！」

『ハッ！　ならばどう倒すという！？　竜は人の手で討たれる事無し！　竜を屠るは、古今東西英雄と決まっている！　貴様は一体、どのような英雄となる気だ！？』

「お前のそのでかい図体を、利用させてもらうっ！」

　言うと同時に、俺はクリスに脳内で命令を出し力と成す。

　命令はたった１つ、加速して死角に入るという、ただそれだけのシンプルな"意志"だ。

「ここだッ！！」

　俺がクリスの力を借りて移動した先は、巨躯なるドラゴンの懐に当たる部分。でかい図体を持つ室岡から見て、ちょうど死角に当たる場所だ。

　そう。でかいからこそ、奴の死角に入り込むのは容易だった。これならきっと、奴から反撃される前に致命傷を──────。

『甘いわぁッッ！』

「な──────ッ！？」

　暴風雨が如き風が吹き荒れ、一瞬のうちに室岡の鋭い爪がこちらに向かう。

　間一髪で避ける事が出来た。が、俺の心臓は五月蠅いぐらいに緊張で高鳴っていた。

　助かったという安堵より、瞬間的に死角に飛び込むという策に対応されたという驚きが勝ったからだ。

「嘘だろ、対応できるのかよ！？」

『戯けが！　柔よく剛を制すなど絵空事！　柔極めたとて剛は剛！　力に潰されるが道理！』

『気をつけよ我が破滅掌者（ピーステラー）。ロゴス能力者との戦闘においては、物理法則よりも意志が勝る。

　御身（おまえ）の言う通り、常識なら図体の大きさは死角の広さと等価交換となるが、奴は違う。その意力の高さによって、その“当たり前”という道理を奴は捻じ曲げているのだ』

「物理法則すら捻じ曲げる！？　ロゴス能力、自由過ぎるだろ！？」

「空理空論をゴリ押して参る！　論理は無くとも道理を通す！　それがロゴスの常識だァ！」

　連続で繰り出される、鋭利なる爪牙の連撃。少しでも掠れば皮膚は破れ、肉が抉れかねない。そんな殺意の塊たる攻撃が、機関銃の如く連打される。

　なるほど、確かに速い。この巨躯でこれだけの速さを繰り出せるという時点で、奴が常識の埒外にいると念頭に置くべきだった！

　だが、となればどうすれば良い？

　常識は通じず、フィジカルでは勝てず、速さでは追い付けず。まさしくお手上げと言っても良いだろう。だが、諦めるという選択肢は当然ない。

　残された手と言えば搦め手か。竜などの怪物を倒す手段といえば、奇策と神話の時代から決まっている。のだが、生憎俺は自分の手札すら分かっていないため、奇策は望めそうにない。

　俺は無我夢中で奴の攻撃を紙一重で避けながら、打開策を生むべく考えを巡らせていた。

「糞！　出来る事が分からねぇのがきついなこれ！」

『カハハハハァ！　己の全霊を投げ打ち、敵を討つ姿こそ英雄に相応しい！

　だが貴様は、己が何を出来るかすら、理解していないと来たか！　そのようなモノは英雄とは言えぬなァ！』

「英雄英雄うるせぇんだよ！　そんなに英雄が見てぇなら、ヒーローショーでも眺めてろ！」

『贋作ではならぬ！　贋作の光では、闇を照らせども有限なり！　真なる英雄とは、無限に天地の狭間まで照らす者！　個にて完成し、永劫に己を燃やし続ける太陽こそ英雄だァ！』

「燃やし続ける？　そんなことしたら、人はいずれは燃え尽きる。死んじまうじゃねぇか！」

『左様（ざっつらい）ッ！　英雄とは、その死を以て人々に光と進化をもたらす者のことを言う！　個（こ）のままに完成し、孤独に生き、そして去（こ）を以てしてその価値を昇華させる！　これぞ英雄也ッ！』

「──────ッ！　っざけんな……ッ！！

　死ぬことが、誰かのためだって言いてぇのかァッ！？」

　それは俺にとって、我慢ならない言葉だった。どんな理由があったって、人の死を肯定して良いわけがない。

　どんな人間でも、死ねばそれを悲しむ人がいるはずだ。そんな人の死を、英雄だなんだと美化して、賛美するなんて馬鹿げている。

　ふざけるなと叫びたかった。否定の意志を真っ向からぶつけたいほどに、俺はこいつの言葉に怒りを抱いていた。ああ、やはりこいつとは、根本からして相容れない。

『どうしたァ？　目に見えて動揺しているが？』

「お前の戯言があまりにも馬鹿らしいからだよ！」

『馬鹿らしい？　はて。貴様ならば理解してくれると思ったのだがなぁ』

「？　なにを──────」

『今朝の繁華街、あの捨て身の救済、まさに英雄の鏡であったなぁ！　いまだ我が目に焼き付いて離れぬよ！

　あれは自己犠牲の精神から、選んだ行為ではなかったのかぁ？』

「──────ッ！」

その一言と共に、奴の肉体の速度が一段と早くなったように感じた。