第30話 R・Evolution



「ごめんね。せっかくの観光だっていうのに、私のお話なんかにつき合わせちゃって」

「いえ! ケーキも美味しいですし、お話も興味深いですので、お気遣いなく!」

「ホント? そう言ってもらえると嬉しいなぁ」


 喫茶店で、ディアドラと長久詩遠が向かい合い会話する。詩遠はこの街の歴史や成り立ちを簡単に説明し、ディアドラはそれを興味深そうに聞いていた。

 だが、ディアドラの本当の目的は他にあった。詩遠を通じて、始について知る事である。


「(しかし、この話題から始さんの過去を知るように繋げるには、一体どうすれば)」

「そういえばだけど、始とどういう経緯で知り合ったの?」

「えっと、私が駅で迷っている時に声を掛けてくれまして。その数日後に再開したら、彼が怪我をしていたので、ホテルで手当てをした。という流れになりますね」

「あはは。始らしいや」

「……あの、差し支えなければ、でよろしいのですが。なんで始さんが、あんなに人助けに拘るのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 ここぞとばかりに、ディアドラは切り込むように質問を投げかけた。少々話題の切込みが強引だったかと彼女が迷っていると、詩遠は少し考えるような仕草の後に口を開いた。


「そんなに始の人助けする様子、ディアドラちゃん見てた?」

「へ? あー、その、手当している間、何かとそういう事に拘っている様子でしたので」

「あー、そだね。始はそういうところあるもんなぁ。そんなんじゃ、看病苦労したでしょ?」

「えーっと。そのあたりはノーコメントで」

「それじゃ、姉としてお詫びしなくちゃね。話してあげる。なんで始が、人助けに拘るのか」


 詩遠は懐かしそうな、何処か遠くを見るような目で過去を語り始めた。かつて彼女と始は両親と共に暮らしていたが、ある日不慮の事故から火事が起こり、両親を失ったのだという。家も両親も失われたが、親戚や近所の支えで何とか彼らは生活が出来たそうだ。


「あの時の始は、小学一年生ぐらいだったかなぁ。やっぱりちっちゃい頃に両親がいなくなるのって、凄く酷だったみたいで。毎日毎日、すっごい辛そうな顔してた」

「そう、でしょうね。私も、自分の周囲から親しい人が消える感覚はわかります。いえ、私なんかが同情するなど、烏滸がましいとは思われるかもしれませんが」

「良いのよ。むしろ私たちの事考えてくれて、凄く嬉しいと思う。でね、始なんだけど、ある日を境に誰かを助ける事に、躍起になり始めたのよね」

「……ある日?」


 詩遠が語るには、ある日川に落ちていた子犬を助けたのが経緯だったという。それ以来、始は他人の悲しみや苦しみを自分の事のように同情するようになり、そして他人を助ける事を優先するようになったそうだ。

 理由はわからない。本人自身もなぜ他人へ同情するのか、分からないそうだ。だが何か、衝動ともいえる感情が彼を突き動かしている。それは詩遠の眼から見ても明らかだった。


「何故、急に彼はそんな?」

「あの子自身も分かってないみたいだけど、私は分かる気がするなぁ。あの子が頑張る理由」

「それは、一体?」

「あの子ね。多分、また失うのが怖いんだと思う。近しい人が死ぬのが、怖いんだろうな」


 詩遠は、長久始の胸の内を語り始めた。

 それは真実ではなく、ただ始と共に過ごしてきた女性の予測でしかない。しかしその言葉は、ディアドラが考えていた予測とぴったり合致した。


「(やはり、始さんの人助けは後悔から来るもの。そして、彼は命が失われる事を異常なまでに恐れている。私を助けた時も、そう言っていた。やっぱり、だとしたら……)」


 欠けている思考のピースが、徐々に嵌っていくかのような感覚をディアドラは覚える。そし彼女は、始に対して危惧していた可能性が、現実味を帯びていく危機感を抱いていた。


「多分、始なりに二人の死に向き合おうとしてたんだろうなぁ。けど向き合った結果、助けられなかった自分は、無力だったって思ったみたい。実際ずっと悩んでいたからねぇ。父さんと母さんを助けられなかった自分は、本当に生きていても良いのかなって」

「そんな悩みの中でも、誰かに対して同情し、始さんは誰かを助けようとしたんですか?」

「うん。始は優しいから、悩む事より誰かを助ける事を選んだんだと思う。多分、助ける事で悩む事を忘れようとしているのかな? 私の想像でしかないから、間違っているかもだけど」


 いや、間違いじゃない。恐らく詩遠の想像は真実だと、ディアドラの直感が告げていた。

 始は失う事を極端に恐れている。彼はディアドラが目の前で傷つく事を、拒絶するかのように手を差し伸べた。その行動の根幹にある意志こそ、今もなお彼の心に残るトラウマという傷であると、ディアドラは裏付けを以て理解できた。


「ですが、そのせいで始さんは、自分を投げ出してでも誰かを守ろうとすらしていました。

 それはもしや、その悩みから目を背けているという行為に、何か関係があるのですか?」

「多分、さっき言ってた“生きていて良いのか”っていう悩みにかかってるかもね。

 始ってさぁ、自分のこと棚に上げる人間でしょ。自分が無事でいるより、他人が助かる方法を考えずに選ぶ。もしかしたらそれは、あの頃に悩んだまま、立ち止まってるからなのかも。

 何度も言ってるんだけどねー、自分を大切にしなさいってね」

「人を助けるけれど、自分の悩みを払拭したわけではない、という事ですよね。

 それはもしや……、自分よりも他人を優先している、と言えるではないのでしょうか」


 ディアドラは、振り絞るようなか細い声でそう告げた。


 トラウマや痛みというのは、本来危険信号である。だが始はそれらから目を背け、ただ他人のために行動し続けた。

 それは、優しさからくる厚意ではある。だが裏を返せば、他人のために自分の命すら、ごく自然に捨てかねない危うさを秘めていた。

 ディアドラが危惧していた始への疑惑は、まさにこの瞬間確信へと変わった。今の始という人間は、利己主義と利他主義が揺らいでいる状態であったのだ。


「(始さん、やはり貴方は、優しすぎる。誰かを助けたいという思いまでは否定しませんが、それで自分を捨てるような事があれば、本末転倒です! このままでは貴方は、致命的に間違えてしまう。自分の命を、誰かのために投げ捨てるような────っ)」

「ディアドラちゃん、大丈夫? 涙、出ているけれど」

「え──────?」


 ディアドラは自分の頬を撫で、一筋の雫が垂れている事に気付いた。詩遠の差し出したハンカチを受け取り、急いで彼女はその涙をぬぐう。同時に昨日、始に対して過度な同情を諫めた自分を思い出し、心の中で自嘲した。


「(なぜ私は、彼の事になると、こんなにも……っ!)」

「ごめんね。悲しい話しちゃって。でも、始の事分かってくれたかな?」

「ええ。良く、分かりました。ごめんなさい。少し、やるべき急用が入りまして……。本日は本当に、お時間をいただきありがとうございました」

「良いのよ。こっちも話せて楽しかったし。何より、誰かに話せて、ほっとした」


 ディアドラはケーキと紅茶の代金を机に置き、最後に深い会釈を残して店を後にした。人と人の間を風のように走り去る彼女の背を見ながら、詩遠は優しそうな瞳で見送る。そんなディアドラの姿に、詩遠はどこか幼い弟を重ねるように見ていた。


「似てるなぁ、始とあの子。また二人が会えたら、きっと仲良くなれるんだろうな。互いに諫め合って、助け合って。本当は私が、そういう立場にならないとなんだけどね」



「頑張ってディアドラちゃん。もし始に会えたら、ちゃんと止めてよね。アイツの無茶」



 ◆



「はっきり言って、俺はこの街を巻き込む気はない。

 貴様の持つ醒遺物フラグメントと、美術館に収蔵されている醒遺物フラグメント。それらを手中に収められれば、それだけで良いのだ。協力をしてくれんか?」

「あんたの目的にもよるな。そもそも、俺はアンタを信用できていない」


 俺は室岡と横並びに、繁華街の通りを真っ直ぐに歩いていた。主に飲み屋や飲食店が連なる通り。夜になればもっと活気が溢れる場所だが、昼過ぎだからか人通りもまばらだ。そこにある店の一つ一つを、室岡と名乗った男は興味深げに吟味している。あらかた眺め終わると、俺を挟んで並び歩いているクリスに目をやり言葉を続けた。


「目的か。俺は力を求めている。大いなる挑戦のためのな。だがそのために戦って、この街の美味なる食を失うのは惜しい。俺と同じ舌を持つでお前ならば、分かるだろう?」

「誰も傷つけたくないってのは俺も同じだ。だが、そもそも何で力を求めている?

 それに、この街に来たばっかのお前が何でこの街の飯屋を好きになるんだよ」

「食を愛するに理由がいるのか? 例えばあそこのカラブキ食堂のかつ丼、溶き卵の半熟具合とだし:醤油の割合が実に好みだった。

 あちらの飯島屋のそばはツユが濃い目ではあるがマイタケの天婦羅の揚がり具合が実に賛美はれるやであったなぁ! 次は海老天を喰らうとしようか。

 あの王来飯店はまだ行ったことが無いが、店前を漂う油の香りが食欲をそそる。きっと良い油を使い仕込みを丁寧にやっているのだろう。

 炒飯は好きか? 俺は好きだ。特にねぎの香りがぎっとりと油に移った炒飯は至高であろう? 鶏油を使い炒める炒飯も良い。

 思うに、中華料理とは仕込みこそ調理の本番だと思うのだが、貴様はどう思う?」


 正直言って、一字一句同意しかない。

 こんな怪しさ満点の男の言葉に頷きたくないのに、食い物の好みに関しては全くズレなく一致するから溜まったものじゃない。

 というか何なんだこいつ。醒遺物フラグメントを狙ってきたという割に食への興味が尋常ではない。随分と美食家なロゴス能力者だ。

 だが油断してはいけない。こいつはR.S.E.L.機関の言によれば、世界中を股にかける大罪人だ。人間災害という言葉もディアドラから聞き覚えがある。

 コイツの目的は何なのか……と、探りを入れようとした瞬間覗き込むようにこちらと向き合って室岡は声を張り上げた。


「思うに!! 料理とは人類の叡智!

 否、進化の極致だと考える! 俺は、そういった進化を愛しているのだよ。人間のな」

「それが、アンタの力を求める理由なのか?」

「端的に言えばそうなるな。俺は、進化を促すために力が欲しいのだ」


 ぎょろり──────と、両生類のような不気味な両眼がこちらに見開かれる。

 全身から漂う不気味なオーラは、ヘドロのように俺たちに纏わりついて不快感を催させる。

 これ以上一緒にいたくない。願わくば、一瞬でも早くここから逃げ出したい。そう本能が告げる恐怖が満ちる。だが、そんな望みが叶わないほど、この男は強いという確信があった。

 逃げ出そうとしたその瞬間に、首を刎ねられそうな予感がする。故に逃げる事も出来ない。生殺与奪の権を完全に握られている状態の中で、俺はただ室岡の放つ言葉を聞かされ続けた。


「まずは簡単な問いかけからしようか。人はどのような時に、進化すると思う?」

「……。何か、困難が発生し、それに立ち向かう時か?」

「惜しいなぁ~! 答えは“大いなる敵現れし時”だよ!

 特撮は好きか? 強大なる怪獣を前にして、人類が一致団結する姿は、まさに進化の可能性だ。そうは思わんか?」

「まさかとは思うが、怪獣を現実に呼び寄せて、人類に進化を促すとか言う気なのか?」

明察いぐざくとりぃ。なんだ話が出来るではないか、少年。

 まさしく俺は、大怪獣に進化の可能性を感じた! こいつらなれば、俺の望んだ進化を生み出せると!

 だが悲しい事に、現実世界には怪獣などおらんのだ。ならばどうすれば良い?

 なればいいのだよ、俺自らが大怪獣に。人類に敵対する、魔の王となる。その第一の手段として、俺には醒遺物フラグメントが必須なのだ」

「──────。」


 文字通り絶句した。二の句が継げぬとはこの事か。

 コイツの思考回路は、根幹からイカれている。相互理解が出来るクリスと違い、こいつはそもそも常識からして異なる気がした。


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