第27話 イノセント・ティアーズ



「ディアドラです。長久始、並びに長久詩遠の戸籍は入手しました。

 偽装の痕跡などは見受けられません。彼らがこの地で生を受けた事は偽りではないかと」

『そうか、分かった。だが今日はこれぐらいで良いんだぞ。先の襲撃で、お前も意力を使い果たしている筈だ。

 今日は休め。……と言ってお前が聞くような奴じゃないっていうのは分かってんだがな』

「その通りですわミスター・レイヴン。まだ余裕はありますので、もう少しだけ調査を進めてみます」


 夜の街を、ディアドラ・オルムステッドは疾駆する。彼女が受けているもう1つの指示、長久始の潔白証明のためだ。

 長久始について、「一般人を装い醒遺物フラグメントを狙う者」という疑いを晴らすために、ディアドラは彼の過去を調査しているのだ。


 とは言っても、彼女が始を疑っているかと問われれば、答えは否となる。最初は半信半疑であった彼女も、今は長久始をすっかり信頼しているからだ。

 やはり、窮地を2度も彼に助けられたというのが大きい。それはレイヴンも同じである。彼も又、部下を助けてくれた少年について、性根は善であると信じていた。


 だが、たとえ彼が善良であったとしても、それは彼が醒遺物フラグメントを狙う人間ではないという証拠にはならない。そうでなくとも、始は世界を滅ぼしかねない醒遺物フラグメントの力を持っているのだ。

 ロゴス能力は持つ者の精神に左右される。ならば彼の過去を知っておいて損はない。それがレイヴンの本音であった。故に彼は、R.S.E.L.機関としての指令ではなく、彼独自の判断で始の調査をディアドラに依頼したのである。

 手始めに彼女は役場に侵入し、長久始の周辺人物の戸籍を洗い出した。結果は白。始とその親類は全員、この街で生まれ育った人間であると証明された。


「再度確認しますが、確認すべき事象は"長久始、並びにその周囲の人間が非能力者である事"。並びに"長久始がロゴス能力の行使へと至った意志の源流の調査"、でよろしかったですね?」

『そうだ。何故奴は醒遺物フラグメントを使いこなせたのか? 暴走しないようになったのは御の字だが、それはそれで不安が残る。どうして今までロゴスに関わらなかった奴が、醒遺物フラグメントを使いこなせるほどの強い意志を持てたのか? それが気がかりだ。奴は何か、能力を使っていた時に何か言っていたか?』

「"助けたい、だから助ける"と……、そう彼は言っていました」

『……助ける、か。人を助けるという行為が、奴の"意志"と捉えて良い、のか?

 なら、なぜそう思うに至ったのかだな。それについて過去を洗って欲しい』

「了解しました」


 レイヴンの声には、ほんの少しの焦りが見えていた。

 "誰かを助けたい"。これだけ聞けば、他人の為に自らの力を振るうという、優しい意志の形と思えるだろう。必然、その意志を源流とするロゴス能力も、誰かの為の力となるが──────事はそう簡単には運ばない。

 人間の感情と言う物は複雑怪奇、かつ千変万化なものである。"助けたい"とは言うが、その助けるという行為や結果には、十人十色の解釈がある。その過程と結末によって、ロゴス能力は万華鏡の如き変化を見せる。

 故に、表面上の言葉だけでロゴス能力を捉えてはならない。これはロゴス能力者にとっての鉄則だった。その発言者の性格や過去、人間性、歩んだ人生や受けた影響。それらを包括的に調査・対応し、推理しなくてはならない。

 だからこそ彼らは長久始を"知る"べく夜の街を奔るのだ。それが人の過去を暴く不躾な行為だと分かっていても、調べなくてはならない。何故なら彼が手にした力は、世界を滅ぼす力なのだから。

 それらの事実を強く胸に刻み、ディアドラは始についての情報を集め続けた。


「……ふむ、問題はなさそうですね。戸籍、学校の名簿、各種記録。どれを覗いても彼がこの街で生まれ育った人間だという事が分かります。

 これ以上彼の過去を叩いたところで、埃1つ出てこないと思われますが、いかがいたしますか?」

『そうか、分かった。こっちでも調べられるところは調べておくが、懸念点はひとまず去ったという認識で良いか。

 ご苦労だったディアドラ。ゆっくり休んでくれ。今日はもうボロボロだろお前』

「了解しました。ああ、そうですわ。一応新聞などの記事に彼の名前が出ていないかも端末で調べておきます。エビデンスは多ければ多いほど、越した事はありませんからね」

『お前も仕事熱心だなぁ……無理すんなよマジで』


 通話を切り、ディアドラは風に乗るような速さで街を駆け、ホテルへと戻った。

 学生ほどの年齢と思しき少女が深夜に出歩き、悠々とホテルのロビーを歩むその姿は異様にも映るだろう。

 だが、ディアドラを始めとするロゴス能力者たちは、ロゴスを知らない一般人たちからの認識をズラす事が出来る。これにより、ディアドラを目にする人々が抱く違和感を薄め、風景の一部へと溶け込ませるのだ。


 この術はロゴス能力を扱う人間ならば、多かれ少なかれ無意識下で行使している術である。元々人間が持つ「ロゴス能力の否定」という普遍的な意志を利用した、一種のバグじみた挙動。本来ならば大勢の目につきかねない大規模な戦闘なども、これにより事故などとして片づける事が出来るのだ。

 だがこの状態を維持するだけでも意力を消費する為、ディアドラの疲労は頂点に達していた。


「はぁ~~~~~~。疲れましたわ……。ただ、当面の懸念点は無くなりましたので、安心も出来ますわね~。強盗達も主犯を捉えられましたし、始さんは疑界結社オムニス・ドゥビトーの関係者などではありませんでしたし……。

 ぁう……このまま……寝ぅ…………」


「……っと、いけません! だらけきっている場合ではありませんわ!

 アーカイブにアクセスして、検索ワードは……"長久始"、っと」


 枕に顔をうずめたまま意識を失いそうになるも、ディアドラは気丈に耐えて上半身を起こす。そのまま機関の持つ端末にアクセスし、長久始について何か情報が無いか調査するべくR.S.E.L.機関のアーカイブへとアクセスした。

 機関発足以来、数百年分のメディア・情報機関・SNSなどの情報が24時間365日集積され続けるこのアーカイブは、まさしく情報の渦と言える。

 ただ彼女も、ここから長久始についての情報で何かヒットするとは思っていない。何らかの新聞やメディアに彼の情報が出ていれば別であるが。

 そもそも今まで平凡的だった学生である長久始がそのような表沙汰になるようなメディアに名前が載るような事はない。その為ディアドラにとって、この行為はあくまで保険のようなもの。何かがヒットすればラッキー程度の認識であった。


「ん~、情報は0ですか……。何か彼の過去を劇的に変えた事件などあればよかったんですけど。

 ひとまずは詩遠さんの名前……も出ませんか。じゃあ彼のご両親の名前を」


 何も情報が出なければ寝よう、などと考えていた彼女だったが、気付いたら検索に熱中していた。

 彼女は負けず嫌いである。1人で何でもやろうとする性格が、とにかく結果を出さなくては安心できないという形に拗れてしまっているのだ。

 そのため引き際を自分で定めておきながら、自分でそれを忘れるなどはしょっちゅうである。わかりやすく言えば頭に血が上りやすい。良く言えば集中力の高さがあるとも言えるのだが、疲労状態でもそれを遺憾なく発揮出来るのはお世辞にも褒められる点とは言えない。

 ──────のであったが、今日に限ってはたまたまその執念深さとも言える集中力が功を奏した。


「ッ!! ………………これは?」


 1件の新聞記事がヒットし、端末の画面に映し出される。それは、とある事故の記事であった。ある家庭の一軒家が焼失したという、痛ましい事故を伝える記事。

 普通であればどこにでもある悲惨なる事故として片づけられ、そして忘れ去られていくような話。だが、ディアドラはその記事の文面にくまなく目を通し、一文字一文字を咀嚼して理解する。


「2012年6月23日、絹山町2丁目にて住宅一棟が全焼する火災が発生……。

 原因は電気機器のショートによる火花が燃え移ったものと見られている。この火災により、ジャーナリストの長久友和さんと小学校教諭の長久幸恵さんが死去……?

 これは、長久さんの──────ッ!」


 知っている名前だった。先ほど調査して手に入れた戸籍の写しにディアドラは目を通す。

 その記事にて死亡が伝えられている2人は間違いなく、長久始の両親として戸籍にも記されている者たちであった。

 考えるまでもなく、ディアドラは1つの事実に辿り着く。長久始は、事故で両親を失っているのだ。姉と二人暮らしであるという事は聞いていたが、このような痛ましい過去があったと知り、ディアドラは強く始に同情の念を抱いた。


「っ、いいえ。何をセンチメンタルになっているのですか私。安い同情など、機関のエージェントには無用ですっ!」


 そう自分を鼓舞するかのように言い聞かせ、彼女は冷静に記事を読み進める。関連するニュースの映像や、当時の消防機関の通信なども検索して咀嚼した。

 それらを総合的に判断し、この事件が始に対してどのような影響をもたらしたのかを推理する。その過程の中で、始の行動や言葉がディアドラに脳裏に泡沫のように浮かんでは消えていった。


『どうも俺は、ディアドラの言うようにお人好し過ぎたみたいだ。

 俺はどうしても、この手に入れた力で皆を守りたい』


『俺の手が届く場所があるのに、何もできずに誰かが苦しむんじゃないかって、可能性があるだけで俺は嫌だった……!!』


「まさか、始さんは……」


 推理の結果、1つの可能性にディアドラは行き当たった。

 だが、今此処でそれを確かめるすべはない。故に彼女は、ひとまずここで推理を打ち切った。多くの情報を格納しているアーカイブであっても、その当人の持つ感情までは記されていない。それを知りたくば、周囲の人間か──────あるいは本人に問うしかない。


「……今は、これ以上調べても仕方がありませんわね」


 時刻は既に深夜の1時を回っている。限界をとうに超えていた事もあり、ディアドラは今日の活動はこれで終わりにすると端末の電源を切った。

 シャワーを浴びながら、体中にたまった疲労を落とす。だが、疲労は落とせても懸念は消えなかった。

 彼女が至った1つの可能性。それがもし現実だとしたら──────そんな考えが、彼女の中に渦を巻く。


「始さん……。

 もし、私の予想が正しかったならば」


「貴方の行う"人助け"は、

 今はまだ、正しく行えているかもしれませんが…………」



「このままだと貴方は、きっと取り返しがつかない過ちを犯しますよ」



 誰に言うでもなく、ディアドラはその懸念を言ノ葉に溶かし宙へと舞わせる。

 その表情はまるで、その懸念を胸の内に抱え続ける事に耐えられないというかのような、悲しい表情だった。


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