第24話 ハッピー・リ・バース・ディ



 長久始とディアドラが、ホテルに滞在していた頃と同時刻。

 白神工芸資料館から少し離れた、路地裏にて。



「──────ほう。それで、ノコノコと戻ってきたと?」

「あ、ああ! 多分、海東さんももうやられてる! 俺もあと少しでし、死ぬかと!」


 暗闇の中、1人の男が極端に怯えながら、体験した恐怖を語っていた。

 対峙するもう1人の男は、苛立ちを露わにするように側頭部を中指で小突き、それを聞いていた。


「で、貴様はこの俺に、何をしろと?」

「助けてくれ! アンタ海東さんへの依頼主だろ!? 俺はもう降りるから、俺を守」

たわけがぁッッッ!」


 男の苛立ちがピークに達した瞬間、大声が張り上げられた。

 それと同時に、怯えていた男の身体は真っ二つに両断される。吹き出した鮮血が、路地裏を紅に染め上げた。


「何たる情けなさ! 己が可愛さに敵前逃亡とは、微塵の覚悟すら存在しない愚行ッ!!

 その魂、地獄の業火に焼かれ、輪廻へ戻ることなく永劫苦しむが良い! 貴様の魂、ヴァルハラは愚か、天ツ国にすら至る資格無しッ!」


 吹き出す血潮を浴びながら、切り裂いた男は憤怒の形相で叫ぶ。そのまま子供の八つ当たりが如く攻撃を続け、両断された男の死骸を蹂躙する。

 が、突如としてその攻撃の手をやめると、口端を三日月のように鋭く歪ませつつ男を褒め称え始めた。


「────だが。長久始、か。この俺に英雄の資格ある者の存在を知らせた事、褒めて遣わす。

 醒遺物フラグメントの力を偶然から宿した者! 面白い! 実に賛美はれるやたる展開よ! 貴様に大怪獣まおうたるこの俺と、相対する資格があるか! 俺自らの手を以てして、存分に計ってくれようかァ!」



「この室岡霧久を、お前は満足させられるか? 楽しみだなァ! 実にッ! 楽しみだァ……!」



 男は恍惚とした笑みで、空を見上げながら諸手を上げ喝采した。

 その見上げる視線の先では、ぼんやりとした夕焼けを、とっぷりと暗い夜が飲み込み始めていた。

 俗にいう、逢魔が時。『魔に逢う』時の名にふさわしく、男の笑みはまさしく悪魔が如き悍ましさであった。


 『混沌邪帝』、『特級指定狂罪者』、そして『人間災害』。様々な呼び名を背負うその男だが、何よりも男に似合う忌み名は、『魔王』を除いて他にない。

 彼こそ、数十の都市を蹂躙し、数百のロゴス能力者をその手で屠り、数千の無辜の民を苦しめ殺した、最悪のロゴス能力者。

 名を、室岡霧久。指定危険 疑界結社オムニス・ドゥビトー狂酷体系ルナ=テクニ=クルエル』大幹部。

 疑界結社オムニス・ドゥビトーとは、ロゴスを悪用する者たちが徒党を組んだ組織の総称であるが、彼ら『狂酷体系ルナ=テクニ=クルエル』はその中でも世界中で災厄を齎す存在としてひそかに恐れられていた。


 そんな悪魔の集団を束ねる1人が、遂に動き出したのだ。

 隠れ潜んでいた災害が鳴動を開始する。己の欲を満たす『餌』を嗅ぎ付けた故に。


 一度動き始めた災害は止められない。その軌跡に残るのは、ただ屍と、破壊のみである。


 ◆


『今の契約主は長久始で相違なさそうだな。醒遺物フラグメントは本来、使い手の命令しか聞けない。そして今、彼女は始の定義ことばに基づき人の形をとっている。

 導き出される結論として、彼女が人の形を取れているのは、始の言葉を命令のように捉えたからなんじゃないか?』

「そう、なのか? 俺が、お前を神だって定義したから、それに合わせてそうなったのか?」

「左様。吾輩わたしなりに神の形を象った結果、何かが合致し人の姿を取れた。女性としての肉体なのは、地母神などの要素を多く取り込んだゆえと思うが、詳しくは吾輩わたしも知らん」


 じたばたと暴れるのをやめ、醒遺物フラグメントの奴はベッドから起き上がり俺の質問に対して答えた。


『今の姿が始の命令によるものなら、その姿の維持には始が不可欠だと思うがどうだろうか?

 長久始、お前から“正直に答えてくれ”と、その醒遺物フラグメントに対し命令してくれ』

「えーっと、頼む。

「あ! 御身おまえずるいぞ!

 ……くっ、そうだ。吾輩わたしはこの少年無しに、この姿を維持できない。

 忌々しい話だが、故に此奴こやつからは離れられない。離れた瞬間、下手すれば消滅するやもしれん。そうなってしまえば、吾輩わたし此奴こやつの中へと戻れる保証はない。次に形を得れるのは、100年後か1000年後か……」

「貴方ほどに強力な醒遺物フラグメントを失うのは、機関としてはかなりの損失ですわね」

『やはりそうか。というわけだ。こいつの世話は任せたぞ。始少年』


 まぁ、そう来るよな。まさかとは思っていたが、本当にこの子を連れて帰るしかないのか? いや確かに、俺から離れたら消えるなんて言われたら、一緒に居続けるしかないのは分かるのだが。

 しかし、こんな少女を連れて家に帰るわけにもいかない。年頃の俺が女の子を家に連れて帰るなんて、姉がどんな顔をするか。想像するだけで頭が痛くなる案件だ。


「何とかなりませんか? なんか、こう、警備員を付けるとかそういう」

『逆に目立つだろそれ』

「いやでも、年頃の学生が女の子を連れるってのは……!」

「事情は知らんが、我が身を隠したいのであろう? なら、それに適した姿へ変えればいい。

 御身おまえが望むなら、吾輩わたしは如何様にでも姿を変えられるぞ? 好きなだけ望め」

「おお! そりゃ助かる! じゃあ、また連れて帰る時に相談するわ」

「だがな、吾輩わたし破滅掌者ピーステラーに従うだけで、御身おまえらに従う気はないぞ! 覚悟しとけ!」


 醒遺物フラグメントの奴は、ディアドラ達に指を差しながら捨て台詞を叫ぶと、拗ねたようにベッドで横になった。

 子供かこいつは。よほど良いように使われるのが嫌らしい。気持ちはわかるが。


『嫌われちまったな。まぁ、始が上手くやってくれるだろう。頼むぜ』

「今からすでに心配ですよこっちは」

「警備と言えば、今後の醒遺物フラグメントの警護などについて、どのような流れになるのですか?」


 ディアドラが切り出す事で、俺たちの話題は次へと移った。

 そうだ。強盗たちを撃退しても、まだ脅威が去ったわけではない。美術館の展示物の何が醒遺物フラグメントなのかを知り、それを安全に機関へ運ぶまでは、安心できない。そう考えていると、レイヴンは良いニュースを告げた。


『ついさっき、情報と実物のすり合わせが行われ、覚醒した醒遺物フラグメントの正体が判明した。

 お前たちが強盗共を返り討ちにし、調査に専念できるようになったおかげだ。ありがとう』

「エージェント曰く、始さんの情報も、いくらか調査に役立ったそうですわよ?」

「本当か!? 良かった……。それで、その覚醒した醒遺物フラグメントっていうのは一体?」

『ああ。童子切安綱と呼ばれる、一振りの日本刀だ』


 かなりの大物の名が、レイヴンの口から飛び出した。

 童子切安綱。今現在、白神工芸資料館で開催している刀剣フェスにおける、目玉展示の1つだ。俺でも、名前ぐらいは知っている。


『この刀剣について、詳細は知っているか?』

「一応調べはしたんですが、さわりだけで……」

「私はまず名前自体あまり聞いたことありません。日本の歴史は正直……。文化は嗜んでおりますが」

『この刀は平安時代中期、大原五郎大夫安綱と呼ばれる刀匠が打った刀とされている。だが今回、実物を調査した結果、醒遺物フラグメントとしての特性を持つ事が分かった』

「どうして人間の作った剣が、醒遺物フラグメントに? 醒遺物フラグメントって確か、神の力の残滓なんじゃ?」


 調べる限りじゃ、この童子切安綱は人間が作り出した刀剣だ。逸話によっては、源頼光の夢の中に神様が現れてこれを授けたとも言われているけど、それでもこれは人間が作り、製作者の名前も残っている国宝なのに変わりはない。レイヴンが口にした情報も、それと差異はなかった。


『これが醒遺物フラグメント理由は、この刀剣の為した逸話にある。これは過去、幾多もの妖怪を切り捨てているんだ』

「妖怪って、本当にいるんですか? まぁ、神々がいたっていうから今更驚きませんが」

『一般的に、そういった妖怪などと呼ばれる存在は、ロゴス能力で変質した人間と言われている。

 特に、固有名を持つ強大な存在は、醒遺物フラグメントを操る存在だったとも類推されているな』


 神々が存在したとなれば、妖怪も実在する。館長と話した際の俺の予想は、どうやら当たっていたようだ。

 童子切安綱が切り捨てていった数多くの妖怪たち。彼らの正体は、醒遺物フラグメントを操る人間だったのか。あるいは、醒遺物フラグメントを扱い切れずに暴走した人間の可能性もある。そう考えると、俺は少し嫌な記憶が蘇った。


「でも、それが何か問題なんですか?」

醒遺物フラグメントに限りませんが、ロゴス能力は持ち主の意志で動くというのは知っていますわね? そしてロゴス能力者が死亡した場合、どのような感情が強く残ると思いますか?」

「それって、殺された事に対する恨み、とか?」

『その通りだ。つまり童子切安綱は、複数の醒遺物フラグメントを操った存在の怨嗟を、一身に背負っている。

 募った恨みは、やがて強大な遺志となり、ロゴス能力を生む。それらはケースによって、その積もった遺志を原動力に醒遺物フラグメントの残滓が再現されると確認されているんだ。

 最悪の場合、複数の醒遺物フラグメントの持つ性質が、複合されている可能性すら有り得る』

「────────ッ!」


 そうか。ロゴスとは意志を形にするもの。だったら恨みなどは強いロゴスの原動力になる。殺された恨みともなれば、どれほどかは計り知れない。数多の醒遺物フラグメントの使い手を切り殺したとなれば、その恨みが積み重なり、切り伏せた醒遺物フラグメントの力も蓄積してしまったという訳か!


「それって!1つでも世界がやばいっていうのに!」

「対応を速める必要が出てきましたね。最悪、単独での暴走の危険性がありますので」

『名前と実物の情報を得られたから、急ピッチで複製遺物フラグメント・レプリカ作成に取り掛かる。明日には完成するだろう。他のロゴス能力者と共に、明日の夜には到着予定だ』

「つまり明日の夜までは、私たちだけで絶対死守、というわけですね」


 ディアドラが決意を固めるように告げた。

 ちなみに複製遺物フラグメント・レプリカとは、R.S.E.L.機関こういった事態用に作り出す、覚醒した醒遺物フラグメントと取り換えるための精巧なレプリカだそうだ。対象の醒遺物フラグメントの質量やサイズ、材質や経過年代すらも複製された、ロゴス能力の結晶なんだとか。

 俺達の使命は、その複製品が届くまでに、なんとしてでも童子切安綱を死守する事だ。


「強盗共は退しりぞけたけど、あいつら依頼人がいるとか言ってたな。そいつが直接来る、とか?」

「目星はついています。人間災害と呼ばれる、世界中を股にかける最悪のロゴス使いです。残忍かつ神出鬼没。この街で見かけ、一度交戦しました。それ以降の動きはありません」

「ひょっとして、ドラゴンになる奴? 無駄に芝居がかった口調で喋るとか?」

「はい。貴方と私が初対面したあの日にいた、あれです」

「ああー……」


 数日前の夜を思い出し、俺は気分が暗くなった。今後はあんな奴と戦わなくちゃいけない可能性があるって思うとゾッとする。思い悩みつつ頭を抱えていると、急に隣のディアドラに肩を叩かれた。


「そんな心配性な顔をしないでくださいまし。貴方も醒遺物フラグメントも、この街も私が守りますから」

「ありがとう。でもディアドラだけじゃない。俺も力になるよ。力も手に入れたんだしな」

御身おまえの力ではなく、吾輩わたしの力である事を忘れるでないぞ」


 いきなり俺とディアドラの間に、醒遺物フラグメントの奴が首を挟んできた。目を細めながらこちらを睨みつけている。確かに、勝手に力を『俺のもの』というのは失礼に当たるか。


「わ、分かってるよ。ってか起きたのかお前。…………いや、お前じゃ呼びにくいか」

「そういえば、彼女の過去や名前について、結局何も分かっていませんでしたね。呼び名くらい、決めておいた方がいいかもですね」


 会話の中で、今更ながらこいつに名前が無いという事に気付いた。力を借りる立場だというのに、お前だとかコイツとか呼ぶのは確かに失礼だった。それに、単純に呼びにくいのもある。そこで俺たちは、ひとまずこいつの仮の名前を決める事にした。


『名前とかあるのか? あと、何の神の持っていた力の残滓なのか。そういうの記憶はあるか?』

「名前? メルキデゼグ、クリスティアン、ティーベターン、アンナ。今まで契約してきた破滅掌者ピーステラーには、そのように呼ばれた。呼ばれすぎて覚えていないが、好きに呼ぶが良い」

「多すぎんだろ」


 どうやら、随分と年季の入った醒遺物フラグメントらしい。多数の人の間を行き交って、その度に俺がやったように定義づけられたのだろう。名付けもある意味、定義づけの1つだからな。みんな俺と同じように、正体不明のこいつを定義づけたわけか

 しかし、名前の全てが英語圏の名前なのが意外だった。俺はてっきり、ずっと日本にいたのかとばかり思っていた。まぁとにかく、俺も同じように名前を付けてあげるとしよう。


「うーん、とりあえず”クリス・アンナ”で良いか?」

御身おまえ! 今さっき挙げた名前から適当に決めただろ!」

「だっていい名前浮かばねぇからしょうがねぇだろ! 俺ネーミングセンス無いんだよ!」

「それでもなぁ! 名付ける際には誠意をもって考えるのが人間ではないのかーっ!」


 ドタバタと暴れまわる少女を、俺はディアドラと協力して制止する。厳正なる話し合いの末、最終的に「呼びやすい」という事でクリス・アンナに正式決定した。


 名付けられたクリス当人はというと、不服そうな反応を終始していたが、名前を付けられるという事自体には反対しなかった。むしろ何処か嬉しそうな顔をしているようにも思う。その内心は分からないが、今後は分かるようにしないといけないかもしれない。

 どれぐらいかは分からないが、今後もクリスとは長い付き合いになるだろう。なら知っておいて損はない。

 なのでひとまずは、コイツの事をなるべく知るべく努力しよう思った。



「ふふ。とりあえずは、始さんが力を使いこなせたようで安心ですわ」

『ディアドラ、ちょっと』

「? はい、何でしょうか……」

『任務の依頼だ。始についてだが、奴の過去と意志に関する極秘調査を頼みたい』



 ドタバタとクリスと乱痴気騒ぎを繰り広げた横で、ディアドラとレイヴンが何かを会話していた気がするが、聞き取れなかったので俺は流した。


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