第10話 疑惑



 ひとまず俺は、手錠も外されて一種の保護観察処分という状態に収まった。

 代わりに監視の一環として、ロゴス能力に反応する発信機が取り付けられている。これで俺は醒遺物フラグメントの力を、無暗に使えないわけだ。加えて定時連絡もしたいということで、電話番号の交換も行った。

 開放された俺は、自分に宿った力に注意を払いつつ、一夜ぶりに姉と再会を果たした。


「始、大丈夫? 足を挫いたって聞いたんだけど、痛くない?」

「大丈夫だよ姉ちゃん。とりあえずもう治ったからさ」

「手当までしてもらったって聞いたけど、ちゃんとお礼言った? 迷惑かけてない?」


 実は特大の迷惑事案を生んでしまいました、なんて口が裂けても言えない。

 ちなみに醒遺物フラグメントに関しては、今夜から美術館に調査員が入り、警護と調査を行うそうだ。ロゴス能力を扱える人員は現状ディアドラのみだそうだが、それでも警備は多い方がいい。

 ひとまず解放された事に安堵を覚えつつ姉と話していると、ディアドラも混ざって来た。


「幸い、浅い怪我で良かったですわ。私でも出来る手当で、処置が出来ましたから」

「貴方が始を助けてくれた子ね? 本当にありがとうございます。前々からホント、うちの弟はせっかちで! すぐ考えなしに誰かを助けようとするから、怪我しやすいんですよーっ!」


 何も言い返せない。力の正体が分からないまま手を出すところとか、特にせっかちか。ディアドラはそれを分かっているが故か、何と返せばいいのか迷いつつも、同意するような愛想笑いを見せていた。


「あー確かに。……じゃなかった。そんなお礼を言われるほどではありませんわ」

「外国の方? 日本語お上手なんですねぇ。肌も髪もすっごい奇麗。羨ましいわぁ」

「は、はぁ。ありがとうございます」

「肌とか本当に陶器みたいに奇麗だし。羨ましいわー。うっわ、髪も凄いきめ細やか! もう爪とか輝いてるじゃないこれ! これ宝石!? マニキュアとか無しでこれ!? すごーい!」

「あー、こりゃ鑑定モードに入ったな。国立博物館で見た以来だな、あんな姉ちゃん」


 突如として興奮した姉の様子に、俺とディアドラは揃って引き攣った笑みを浮かべる。姉は昔から自分のお洒落には無頓着の癖に、他人の奇麗な部分を見出す審美眼は抜群にある人だった。

 多分、純粋に奇麗な物が好きなんだろう。学芸員になったのも似通った理由だと昔聞いた。古美術品や遺跡などが持つ『美』に魅せられ、より美しく保存したいと思ったから、だとか。そういう意味では、人形みたいな美しさを持つディアドラと姉は、相性がいいかもしれない。


「あ、ごめんなさい。つい我を忘れて……。私、長久詩遠と申します。お見知りおきを」

「ディアドラと申します。始さんとは知り合ったばかりですが、人の好さは理解できますわ」

「そーぅ? ただ無鉄砲なだけじゃない? まぁ、そこが始の良いところなんだけれどね」

「あはは……。そうですね、はい」


 そんな会話をしている最中だった。如何ともしがたい笑みを浮かべるディアドラの胸元のポケットから着信音が鳴り響く。

 彼女は謝罪を挟みつつ、俺たちから少し距離を取って応対した。多分、R.S.E.L.機関からの通信だろう。

 となれば、向こうに気が向かないように姉を引き付けるべきか。そう結論付けて俺は、姉に対して別の話題を振る事で彼女の気をディアドラから逸らす事にした。





『話してみて様子はどうだ?』

「問題はない、と思われます。ただ、まだ心理透過などは行っていないため、なんとも」

『分かっている。ただ能力以前の第一印象でも分かるもんはあるからな。念のため聞いただけだ』



『長久始、あるいはその周囲の人物が、醒遺物フラグメントを狙う能力者である可能性は、まだ捨てきれていないんだからな』



 通話の向こう側の声──────レイヴンは緊張感のある声でディアドラに語った。

 始には明かしていないが、彼らR.S.E.L.機関は現在、始を『自らを学生と偽り街に潜入したロゴス能力者』と疑っている。

 理由としては、2日前の夜にディアドラがこの街に潜入した"人間災害"……此度の醒遺物フラグメント強奪事件の首謀者と交戦した時に遡る。

 その際にディアドラは、偶然から交戦を長久始に目撃され、「今見た物は夢である」と信じ、そして忘れるような暗示を施した。

 にも拘らず始はその夢(と思い込んでいた内容)を鮮明に覚えており、忘却することはなかった。

 これをレイヴンは、「すでにロゴス能力の存在を知っていたからではないか」と判断したのだ。

 しかし──────。


「やはり……私は、彼が能力者ではないと考えます」

『確かにな。通話越しでも分かるぐらい、奴は何も知らなかった。

 明かした情報も、ロゴス能力の存在を知る人間なら確実に知っているであろう初歩段階のものだけだ。

 にも拘らず奴は何も知らないといった顔をしていた。演技だったら大したものだが、ありゃ何も知らないだろう』

「他の幹部やチームの方々への報告などは─────────」

『依然として止めてはいる。現状知られた様子なども無い。

 急進派閥とかに知られたら面倒だしな。こっから先も、俺らだけで判断するぞ。

 その為にもお前の判断が重要になって来るが、大丈夫か?』

「………………わかりました」


 通話越しに承諾の言葉を返しながらも、ディアドラは悩んでいた。彼を──────長久始を信じるべきか、あるいは機関の意向に従うべきか。

 初めは、ディアドラも彼を疑っていた。しかし、ピンチに手を差し伸べられたという経験から、始の持つ『人の好さ』を信じたいとも思うようになった。1人で戦うディアドラに対し、死んでほしくないと言ってのけた始の言葉は、偽りのない本心だったからだ。

 彼女はその言葉を信じたい。だがそれ以上に、属する機関の命令に従うべきという使命感がある。その二律背反が、彼女を不安に掻き立てていた。

 その折衷案として彼女は、始をこの場に留まらせてはならないという結論を提案していたのだが──────。


「ただ、やはり私は、彼を何らかの手段で隔離するべきだと思います。この街の平和に関してもそうですし、何より彼は力の扱い方を知りません。

 もし彼がロゴスを知るものでしたら、隔離で管理できます。彼が一般人だとしたら、尚更私たちから遠ざけるべきです! 醒遺物フラグメント暴走の危険性だってありますし、人間災害を始めとした者たちに狙われるでもしたら!」

『それは、機関のエージェントとしての提案か? それとも長久始への同情か?』

「──────ッ!」


 ディアドラに戦慄が走った。先の提案が、機関に対する叛旗と捉えられたのではないか? そんな疑念と恐怖が渦を巻く。

 嫌だ。そんなつもりじゃない。私に失望しないで──────と、そんな感情が溢れそうになった時、レイヴンの優しい声が響いた。


『別にそう構えなくてもいい。人としての心を捨てないでいるのは結構なことだ。

 それでも最悪の場合、お前があの少年を殺せとなった場合……出来るのか?』

「…………。はい。私は機関に拾っていただいた身ですから、全ては機関の意志のままに」

『建前じゃなくて、本音を話してもいいんだぞ。俺は誰にも言わないから』

「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですから。私は」

『──────。分かった。何かあればまた連絡する』

「了解しました」


通話を切るディアドラのその手は、震えていた。震えを振り払うかのように、彼女は迷っていた自分に喝を入れるべく頬を叩く。

そして自分に言い聞かせる。情に流されてはいけない、"意志"を強く持たなければ、飲まれるだけだと。

何度も何度も心の中で繰り返しながら、彼女は自分の揺らぐ己の心を引き締めた。


「私1人でもやれる、やって見せる。

 そうでなくちゃ、R.S.E.L.機関に申し訳が立たない……!!」


決意を新たにして歩む先では、始を心配する詩遠と、そんな彼女に真摯に謝罪する始の姿があった。

もし彼が本当に何も知らない一般人ならば、自分はとんでもない事をしたのではないか。彼をこちら側に引き込んだのは自分なのではないか? そんな罪悪感が浮かぶ。

だが、彼女はそんな感情を捨て去り、R.S.E.L.機関のエージェントとして仕事を遂行するべく、意志を固めるのだった。





「お待たせしました。急に離れてしまい申し訳ありません。この後用事が出来てしまいまして」

「良いのよー。忙しいだろうに引き止めちゃってごめんねー。もし機会があれば、また会いましょうね」

「ええ。ありがとうございます。もしその時はお茶でも」

「うん。楽しみにしてるわね」


  姉の言葉に微笑みながら頭を下げ、ディアドラは駆けつつ繁華街へと消えていった。用事とは恐らく、街に潜む醒遺物フラグメント強奪犯を探る事だろう。俺の監視は発信機などがあるから、彼女は醒遺物フラグメントの保護と犯人捜しに専念する方針らしい。

 今彼女は、1人で戦わざるを得ない。機関の他の能力者は皆、別の任務で忙しいからだ。たった1人で大勢を相手取るべく去っていく彼女の姿は、どこか寂し気に見えた。


 ──────何か俺にも出来ることが、あるんじゃないか? そんな考えが脳裏をよぎる。


「さて、始はこれからどうする? 土曜日だし、ショッピングにでも行く?」

「あー。そう、だな。うーん。

 ……ごめん姉ちゃん、俺ちょっと、やることが出来た」

「ふぅん? 別にいいけど、お昼は?」

「こっちで食うよ。心配しないで。夕飯までには帰るよ」


 そう姉に告げて、俺は走り出した。今の俺は、正体の知れないの醒遺物フラグメントの力を意図せずして持ってしまっている。ここまで話が拗れたのは、俺がそんな力を得てしまった事にも原因があるだろう。

 その責任感からなのか、俺は彼女たち機関の力になりたいという思いがあった。

戦う力があるのならば、何かするのは当然の義務だ。そう考えて、俺は彼女の後を追う。 この時の俺には、何もせずにいるのは卑怯なんじゃないかという、強迫観念すらあった。



 ────今にして思えば、この感情は余りにも傲慢で、そして自分勝手な同情だった。

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