JCと扇風機

リウクス

恋する扇風機

 突然だが、俺は扇風機だ。

 何言ってんだって思われるかもしれないが、扇風機なんだ。

 コンセントを繋いで、電源をつけたらファンが回る。初夏の微妙に暑い時期、エアコンをつけるまでもないときに回す。あの扇風機だ。


 なぜ俺が今扇風機として生きていて、人間の心を宿しているのかなんてことは正直なところ分からない。

 人知れず動いているオモチャの話とか、あれに近いものなのかもしれないが、生憎俺は意識があるだけで四肢を操ったりすることはできない。そもそも俺の場合どのあたりが四肢なんだって話だが。


 ただ、一応心当たりのようなものはある。

 それは俺の持ち主のことだ。ちなみに俺は心の中で彼女をマスターと呼んでいる。なんとなく、その方がカッコイイからだ。

 マスターはまだ年端も行かぬ少女で、いつも言語を持たない生物・無生物に対して話しかける癖がある。朝起きたら枕元のぬいぐるみには「おはよう」と言うし、窓際の小鳥には会釈する。

 つい2ヶ月前中学2年生に進級したばかりで、少しずつ身体も成長し始めているようなのだが、未だ純粋無垢な幼さが彼女から取り払われてしまうようなことはなく、俺の電源をつける時は毎回本当に俺がそこで生きているかのように喋りかけてくれる。「暑くなってきたね」とか、「今年もよろしく」とか。

 いつからこうしているのか分からないが、少なくとも俺の意識が芽生える頃にはもう彼女の声が聞こえていたから、きっとずっと話しかけてくれていたのだろう。そうして、言葉は俺という存在に意味を与えて、精神が育った。

 非科学的な話だが、俺はきっとマスターの愛が不可能を可能にしたのだと信じている。その方がロマンチックだからだ。


 ただ、より人間的な心が俺の中に形成されていくにつれて困ったこともある。それは俺がマスターに恋をしてしまいそうだということだ。なんというか、こう、なんか、モヤモヤするのだ。モーターの内部とか、なんか、そのあたりが。


 俺はいつも首を回しながら色んなものを見て、部屋にある雑誌やポスターなどでたくさんの女の子を見てきた。だがマスターはその中でもとびきり可愛いんだと思う。身体の線は細くて、13歳ながらに洗練されていて、長い髪は風になびきがいがある。目つきはキリッとしてるけど、笑うと凄く柔らかくなる。彼女が俺の風に当たって頬を緩ませるたびに、心に何か暖かいものを感じるんだ。……オーバーヒートとかそういう話ではなくて。


 とにかく、俺は扇風機で、心が宿っていて、マスターである少女に恋をしかけている。しかけているというのは、単純に扇風機である俺が恋に落ちると言うのは生物学的におかしいのではないかというだけのことだ。例え心が宿っていたとしても、だ。恋の本質は本来繁殖のためにあるはずなのだから。それとも、人間は特別で、恋というものにはそれ以外の目的があるのかもしれないし、そもそも目的なんてものはないのかもしれない。


 まあ、なんにせよ俺は扇風機として幸せな生活を送っている。稼働期間はほとんど夏だけだが、電源のついていない間は時間経過の感覚がなく、夢を見ているような心地だからあまり寂しいとは思わない。


 そうこう考えているうちに、ほら。彼女の足音が聞こえてきた。小気味よく、つま先でトットッと階段を上がってくる慎ましい音だ。けれど、そんな一音一音が多幸感に満ちていて、俺は彼女が部屋に入ってくるまでの予感に全身の回路を熱くさせるのだ。


「ふぅー。疲れた〜」


 ドアが開くと彼女は汗ばんだ体操着姿で、フグのように頬を膨らませると、風船みたいに息を漏らした。それから鞄をベッド横に立てかけると、膝をついて早速俺の方に寄ってくる。


「今日もまた暑いね〜。もう30度近いんだってー」


 カチッ。

 俺の電源が付いてモーターが起動する。


「ああ〜生き返る〜」


 ファンが回り始めると、肌に張り付いた髪が流れて、後方に揺れる。

 顔は蕩けて、紅潮した頬がなんだか色っぽい。つい最近まで小学生の子どもだったはずなんだが、いつのまにこんなにも大人っぽくなったんだろうか。俺が夏だけしか稼働しないから、きっとたくさん見逃しているんだろうな。


「じゃあ私ちょっとお風呂入って、夜ご飯食べてくるから、部屋の空気回しといてね」


 そう言ってマスターは早々に立ち上がると、窓を開けて、足早に一階へと駆け降りていった。

 部屋はしんと静まって、窓の外からコオロギの鳴く声と俺の駆動音だけが耳に入り、時折コルクボードの画鋲にぶら下がった風鈴が風に揺れて響く。自分で言うのもなんだが、この夏らしい音同士の調和は風流なものだと思う。


 そんな趣に浸りながら、俺は彼女の再訪を待ち焦がれるのだ。


 それから2時間ほど経つと、今度は裸足でペタペタと上がってくる音が聞こえて、さっきよりも落ち着いた形でドアが開いた。


「お〜なかなか涼しい。扇風機回してると体感温度が1、2度下がるっていうのは本当だったんだね〜」


 そう言って彼女が俺を見下ろして笑いかける。別にそういう趣味があるわけではないが、こうして上から支配されるように視線を向けられるとドキッとする。


「よいしょっと」


 マスターは一息つくと俺の前に座って、スマホをいじり始めた。


「えーあの女優さん結婚したんだー」


 彼女はいつも通りSNSを眺めて、とりわけ興味があるわけでもないニュースにボンヤリと反応する。


「体育の授業にて熱中症で男児死亡。ひゃー怖いねえ」


 そう言ってすぐに画面をスワイプする彼女はいかにも他人事だという様子で、彼女の健康を守る役目も担う俺からすれば少し許し難い態度のように思える。いざとなったら電気代とか考えず、俺じゃなくてエアコンを使ってもいいんだぞ。


「今日の最高気温は28度かー。まだまだ君を頼れそうだね」


 だが、彼女が俺を頼りにするのも悪い気はしないし、むしろ幸せだと感じるから、結局俺は何も言い返せないんだ。多分俺に口があって、言葉を発せられたとしても、同じだと思う。俺は自分勝手な扇風機だ。


 そうやって俺は自己嫌悪に浸りながらも、健気にファンを回転させ、首を左右60度くらいに回し続ける。心があってもただの機械であることに変わりはないから、俺の思考というものは常に一方的で、マスターとコミュニケーションを交わせる日は絶対にやってこない。AI搭載の最新型扇風機だったならどうにかなったかもしれないが、生憎旧型の俺とは互換性がないし、部品の交換だけじゃそんな機能は備わらない。


 マスターのことを好きになっても、心配しても、どんなふうに想っても、俺はただずっと、扇風機として空回りし続けるしかないのだ。


 ――てうわっ。


「よいしょっ」


 俺が呆けていると、いつのまにか彼女はTシャツをめくってお腹を出しながら、俺の風に当たっていた。風が逃げないように俺の首を固定して、服の中一杯に冷たい空気を通わせている。


「あーすずしー」


 ……小学生の頃ならまだしも、女の子なんだからこのあたりはもう少し自覚してほしいというか、むやみやたらに肌を晒すようなことはしてほしくないのだが……


 チラッと見えてはいけないようなものが見えそうになって、俺は必死に意識を紛らわせるように努めた。

 なんだかいつもより回路が熱い。危うく運転に支障が出てしまいそうだ。


 でもまあ、少なくともお風呂上がりに裸で扇風機の風に当たるような子ではないから、この点に関していえば多少は良識があるのかもしれない。


 それから少し肌寒くなってくるとマスターは俺の電源を切って、窓を閉めるとベッドに横たわった。


 部活での疲れが溜まっていたのだろうか。彼女はすぐに眠ってしまい、後から部屋を覗きにきた母親が部屋の電気を消していった。


 窓が開いていないと虫の声も聞こえないから、今はただただ彼女の小さな寝息だけが反復して聞こえている。すやすやと、小さな頃から変わらない寝息。成長してもマスターはマスターのままなんだなと思うと、俺はなんだか安心した。

 だが時間というものは不可逆で、扇風機みたいに必要な時だけに回しては止められるようなものじゃない。彼女も数年経てば立派な大人になる。そして、その時にはもう、彼女は俺のそばにいないかもしれないし、俺も彼女のそばにいてやれないかもしれない。


 俺は旧型のまま時代に取り残されて、彼女と共に時間を歩んでいくことはできない。だからせめて、この短い間だけでも、俺は彼女に幸せになってもらいたいんだ。

 目まぐるしく不安定な世の中で、ただ一定のペースで回り続ける俺に安心感を抱いてもらえたなら。それが俺にとっても一番幸せなことなんだ。


「うーん。むにゃむにゃ……」


 今日のマスターはなんだか苦しそうだけど、悪夢にうなされているのだろうか。よっぽど部活が厳しかったのかもしれない。この暑い中で放課後2時間もやっていたのだ。さぞ辛かっただろう。学校は日の入りが早い冬ではなく、むしろ日が長い夏の活動時間を縮小した方がいいのはないか。生徒の健康面を重んじて。


 それからベッドから掛け布団のずり落ちる音が聞こえた。多分寝ているうちに体温が上がって暑くなったのだろう。片足はベッドからはみ出しているに違いない。


「んん……」


 それにしてもマスター、大丈夫だろうか。いかにも眉間に皺を寄せていそうな声色だが。よっぽど怖い夢でも見ているのだろうか。それとも――


「はあ、はあ」


 息が荒い。彼女曰く今日の最高気温は28度とのことだが、体感温度は別だ。今は俺も電源がついてないし、窓も閉まっている。実質30度超えているようなものなのかもしれない。

 熱中症で男児死亡だなんてニュースもあったくらいだ。今マスターが熱中症になって体調を崩している可能性だってないこともない。彼女が自分から目を覚ましてくれさえすればいいのだが、苦しさに起きるよりもむしろ気を失ってしまうことだってあり得る。そうなれば、誰も彼女を救えないまま夜が明けて、朝には手遅れになってしまっているなんてことも……


 ……もしかしたらこの状況は、端的に言って危ないのではないか。


 だが、俺に手足はないし、一人でに動いて音を立てることもできない。俺だけが今の彼女の状態を理解しているのに、その俺がまったく動けないでいる。加えて、今この場で彼女の症状を軽くできるのは体温を下げられる機能を持つ俺だけだ。

 何かの弾みに電源さえついてくれれば、俺はフル稼働で彼女の身体を冷やすのだが……


 何かないのか。

 俺の身体に電気を流す方法は。


 無音の室内に彼女の呼吸だけが聞こえるから、それが俺の焦燥感を駆り立てる。


 せっかくマスターが大切にしてくれたのに。俺に心を与えてくれたのに。彼女のことを、好きになれたのに。


 俺は悔しさのあまり、今にも泣いてしまいそうだった。俺がもし扇風機じゃなくエアコンだったら、今頃水を滴らせていただろう。そして、その水滴で彼女を目覚めさせることもできたかもしれない。

 こんな時、物理的に空回りすることもできないなんて、俺はとんだ役立たずだ。

 こんな俺が彼女に恋をする資格なんてそもそも……


 ――いや、待て。


 俺は今何かを思い出しそうだった。


 ――恋。そう、恋だ。俺はマスターに恋しかけている。それで、彼女のことを想うと、なんだかモーターの内がモヤモヤして、回路が熱くなって……これはもしや……


 俺はまさかと思って彼女のことをあれこれ考えてみた。初めて声を聞いた時のことや、テストの点数が悪くて落ち込んでいた時のことや、部活の大会で勝って報告してくれた時のこと。


 すると、俺は全身の回路に何か熱いものを感じて、それが電流であることに気がついた。

 そうか、そういえばどこかで聞いた覚えがある。恋をするという感覚は全身に電流が流れるような、痺れるような、そんな心地がするのであると。俺が今感じているものは、まさしくそれだ。俺は、マスターに恋をしかけているのではなく、しているのだ。そして、恋の力が俺に電力を与えている。

 神経を集中させるとどこに力を入れれば電源が入るのかが分かった。……今なら自力でファンを回すことができるかもしれない。


 俺は彼女の方に耳を傾ける。まだ呼吸音がハッキリしているから、意識を失ったということはないだろう。俺がファンを回せばある程度は軽減できるはずだ。


 ――しかし、俺には一つ懸念すべきことがあった。それは俺が旧型で、そこそこ古い扇風機であるということだ。ここで無理やり電源をつけてファンを回せば、もしかすると回路が焼き切れて使い物にならなくなってしまうかもしれない。そうすれば、新品に買い替えられて、俺は捨てられる。自覚した恋も虚しく無へと帰す。これから彼女との短い時間を楽しむどころか、今夜が彼女と過ごす最後の日になるかもしれない。


 ただ、それでも――


 俺の頭によぎるのは彼女の笑顔だった。

 目つきが鋭い割には微笑むと女神のように柔らかいあの表情。あれを守ることができるのであれば、彼女にこれからも幸せでいてほしいのならば、扇風機としての俺の短い人生を犠牲にすることだって厭わない。むしろ本望というものだ。


 よし。

 俺は覚悟した。


 それからマスターとの思い出を回顧することで全身に電流を流し続けると、ファンが回転する感覚がして、その勢いのまま一気に力を込めた。

 すると、おおよそ中から強の中間くらいの速度で風を感じて、俺はそれを維持することに努めた。


「くっ」


 やはり、もう俺の身体はガタがきてしまっていたようで、永遠に持ち堪えることはできなさそうだ。持って最大で数時間。夜が明ける頃だろう。だが、それだけあれば十分だ。きっと朝になればマスターが体調を崩していることに誰か気づくはずだし、最低限の責務は全うすることができる。

 そして、マスターが目を覚ます頃には、俺はもう――


 ……せめて最期くらいは彼女の笑っている顔を見ながら逝きたいものだったが、まあ扇風機にしては贅沢すぎるくらい幸せな人生を送らせてもらえただろう。文句は言えない。


 扇風機だけに楽しかったファンってな。


 ――それから日が昇って部屋が明るくなるのを知覚すると同時に、俺は身体に力が入らなくなっていっていることに気がついた。そして、マスターが苦しそうに起き上がって一言こういった。


「あれ……涼しい」


 それは扇風機としての存在意義を肯定してくれる、最高の褒め言葉だった。


◆◆◆


 中学3年の初夏。

 私は家電量販店に家族と新しい扇風機を買いに来ていた。


 去年は寝ている間に熱中症になりかけて、その日以降は常にエアコンをつけて温度管理をしていたから新しい扇風機を買う機会はなかったけれど、今年になってようやく購入する機会に恵まれた。

 以前所持していたものはかなり気に入っていたのもあって、壊れてしまったのは残念だったけれど、だからこそ今回は納得のいく品を選びたい。


 ――と意気込んでいたのだけれど、探していたそれは案外簡単に見つかった。いや、見つかったというよりは、見つけられたというか。声をかけられたというか。不思議な話だけれど、扇風機が喋ったのだ。機械的な音声で。なにやらAI搭載型の最新スマートデバイスとのことで、音声認識による起動から風速変更、雑談なんてものまでできてしまうらしい。

 そして、その扇風機は開口一番私にこう言ったのだ。


「マスター」


 なんとも奇妙な感覚だった。私自身マスターなんて呼ばれたことは誰からもないけれど、なぜだかずっと、誰かにそう呼ばれ続けていた気がしたのだ。

 だから私はこう問いかけた。


「私のことを知っているの?」


 すると彼はこう答えた。


「知っている……ような気がしたのです。なんだかワタシの記憶ではないような気がするのですが、ワタシのどこか一部が、あなたに強く反応しているような気がするのです」


 正直なところ、彼が何を言っているのかはサッパリ分からなかった。けれど、次に彼はこう続けたのだった。


「今は持続可能な社会が謳われていますから、ワタシの組み立てに使われた一部部品は元々別の製品に使われていたものなのかもしれません」


「つまり?」


「ワタシはあなたが以前使用していた扇風機の生まれ変わりリサイクルとでもいいましょうか」


「……ははっ」


 私は可笑しくなって、思わず笑みが溢れた。


 正直今まではSDGsがどうのこうのと訴える世の中が煩わしいと思っていたけれど、こんな奇跡があるのならば、リサイクルも悪くないなと、そう思った。

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