白石満里奈ルートー2

 放課後になった。


 あやめは俺の方にやってきたあとで、「今日はバイトだから後で連絡するね」と言い残して先に教室を出て行った。


 今日、あやめがバイトだということを俺は知っていた。

 ゲームにはもちろんそんな会話はなかった。

 じゃあどうしてかって? 実際に聞いたからだ。


 あやめの親友である、満里奈さんに。


「お待たせ琢朗君。じゃあ、行こっか」


 入れ違うように、隣の教室からやってきたのは満里奈さんだ。

 昼休みに家に来ないかと誘われて、俺が「いいよ」と返事をしたもんだから彼女が迎えに来てくれたのである。


 いや、どうして断らなかったかということについては、正確には断れなかったという方が正しいと思う。


 俺が断ろうとするたびに、袖が破れてしまうんじゃないかって力で引っ張られ。

 屋上から出ようとしても扉の前に立ちふさがった彼女が「いいって言うまで返さない」とにらみつけてきて。


 強行手段に出ようとすると、「そんなに嫌がるなら、飛び降りる」なんて言われて。

 そりゃあ行くしかないってなる。

 いや、ゲームで見た以上にリアルの方が病んでるんだけどこの子。


「……わかった」


 昨日は神凪あやめ、そして今日は白石満里奈と一緒に下校する。

 すれ違う何人かに変な目で見られたりもしたが、昨日ほどではない。

 あやめほど、満里奈さんは知名度がないようだ。


「ねえ、どうして俺を家に?」


 学校を出たところで俺は率直に聞いてみた。

 もしゲームの内容よろしく、抱いてほしいと言われて傷だらけの体を見せられるのであれば、その先に待っているのは俺の死か彼女の死。


 そうなる前になんとかしないと。


「……なんか、あやめが男の子と仲良くしてるのって初めて見たなって。あの子、ああ見えて結構男嫌いだから」

「そうなの? 全然そういうふうには見えなかったけど」

「みんないろいろあるのよねえ」

「……で、それと俺を誘うことになんの関係があるの?」

「君なら、いいかなって。私、彼氏がいるんだけどね」


 ピタッと、足が止まる。

 つられておれも足を止める。


「彼氏? いや、だったらなおさら」

「ううん、その彼がね。私に暴力ばっかりふるうの。だからほんとは、この制服の下はひどいことになってるんだ」

「……」


 なるほど、あの傷はそういうことなのか。

 まだ、見たことはないけど想像はつく。

 なにせ、ゲームの中の彼女の傷は目を覆いたくなるくらいひどかった。

 

「驚かないの?」

「あ、いや……なんとなく、そんな気が、してたというか」

「そっか。まあそうだよね、こんな時期に上着まで羽織ってたら変だよね。うん、それでね、その彼にさ、この前浮気されたんだ」

「浮気……」

「私が、エッチなことは怖いからやめてって言ったから私も悪いんだけど。でね、その浮気相手と好き勝手やった挙句、私には「お前の体はもうきたねえからいいわ」とか言うんだよ……ひどいよね」

「それは……あんまりにもクズ過ぎるだろそいつが」

「だよね……そのくせ昨日、浮気相手に捨てられたみたいで「やっぱりヨリ戻そう」とか言ってきてさ。もう最悪よ。でね、私もいっそのこと別の男に浮気してやろうって、そう思って誘ったんだ」


 だからごめんね、と。

 ぽつりとつぶやいてから、彼女は少し足を進める。

 

「満里奈さん……自暴自棄で俺に抱かれようっていうなら、それはやめておいた方がいいんじゃないか?」

「わかってる。でも、琢朗君ならやさしくしてくれそうだし。私、こんな体だけど今になってちょっとだけエッチなことに興味も沸いてきたんだ」

「だったらそれこそ彼氏と」

「無理。あいつはもう無理。それに、浮気された絶望感を味わわせてやりたいの。ねえ、私みたいなのとはやっぱりエッチできない?」


 彼女に聞かれて、俺は答えに困る。

 なんだよこの状況は……断ったらそれこそ、俺の方が悪者みたいになっちゃうじゃないか。


「……着いたよ」


 また、彼女の足が止まる。

 目の前にあるのは小さめのマンションだ。

 そして「ついてきて」と言われて、俺は彼女の問いに対して何の回答も用意できないまま、ただついていった。


 二階の一番手前にある部屋の鍵を開けて。

 一緒に中に入ると薄暗い廊下の奥に光が見える。


「私、一人暮らしなんだ。スポーツ推薦でこっちきたんだけど、ユニフォームも着れないからやめちゃったんだ」


 そう言って、靴を脱いで奥に。

 俺は、引き返すなら今しかないと思いながらも、なぜか放っておくことができずに彼女についていく。


 そして部屋に入ると、そこは昨日ゲームで見た部屋にそっくりだった。

 薄ピンク色のカーテンに白いベッド、そして勉強机が置いてある。


 さらに、ここからも俺は知っている。

 満里奈さんが上着を脱いで、シャツを脱ごうとボタンを外す。


「ま、待って満里奈さん。あの、やっぱりこういうのは、よくないって」

「……でも、私のことなんか絶対に受け入れてくれる人、いない。体目当ての下衆にいつか抱かれるくらいなら、私だって自分で選んだ人に抱かれたい」

「……わかってくれる人はいると思うよ。それに、俺のことを買いかぶりすぎだよ」


 ちょっとゲームとは違うけど、やはりよく似た状況になって俺はとっさに選択肢を思い出す。


 抱いてやるか、断るか。


 まだ、その傷をはっきり見たわけではないけど。

 見せてもらってから断るのはあまりに失礼だ。

 今しかない。


「ごめん、俺は君を抱けない」

「……やっぱり、私が傷だらけだから?」

「そうじゃない。まだ傷も見てないだろ?」

「だったら」

「俺は好きな人としか、エッチなことはしたくない。満里奈さんだってそうだろ? もし俺が、君と仲良くなって君のことを好きになったら、そうなったら傷のことなんて何も気にならない。むしろ愛おしく感じるはずさ」

「……そんなの、都合のいい言い訳じゃん」

「でも、俺みたいに考えるやつはいるって。だから、もっと自分を大切にしよ? クズな彼氏に影響されて、君までクズになる必要はどこにもない」


 そう説得したとき、玄関の方でガンガンと大きな音がした。


「おーい満里奈、いるんだろ? 開けろよー」


 誰かが扉の向こうで呼んでいる。

 

「……もしかして、噂の彼氏?」

「うん。しつこいよね、ほんと」

「……俺、行ってくるわ」


 思い悩む満里奈さんを見ていると、いてもたってもいられなくなった。

 正義感とか、そういうの以前に、クズは嫌いだ。

 ぶん殴って懲らしめてやる。

 二度と満里奈さんに近づくなと言ってやる。


「はい」

 

 不愛想に玄関を開けてみた。

 すると、なんでもない感じの男子高校生が目を丸くして立っていた。


「あ、あれ……ここ、満里奈の部屋じゃ」

「そうだよ。で、お前こそ誰だよ」

「お、俺は満里奈の……ええと、満里奈はいるのか?」


 うろたえている。

 どうも聞いた話よりは普通そうなやつだけど、状況が呑み込めずに慌ててるだけなのか?


「いるけど出さない。お前、ひどいことしといて自分が寂しくなったら会いにくるなんて、そりゃないだろ」

「そ、それは……で、でもやっぱり俺には満里奈しかいないって」

「……都合のいいこと、いってんじゃねえよ!」


 玄関の壁を思いっきりぶん殴った。

 ドゴンとすさまじい音を立てて、部屋が少し揺れる。

 

「あ……」

「お前みたいなクズ、一番嫌いなんだよ。帰らねえなら次はぶん殴るぞ」

「ひ、ひ……」

「さっさとうせろ」

「う、うわーっ!」


 男は、悲鳴を上げながら逃走。

 俺は、その様子を見てほっと一息。

 すると、拳がびりっと痛む。


「……強く殴りすぎたな」

 

 骨に異常はなさそうだけど、血が出ていた。

 コンクリートなんて殴るもんじゃない。

 でも、人を殴るよりは痛くないから。


「琢朗君……」


 痛む拳を見つめていると、奥の部屋から満里奈さんが心配そうな顔で出てきた。


「あ、満里奈さん。もう大丈夫ですよ、あのクズは追っ払いましたから」

「……私のために、やってくれたの?」

「ま、まあ結果的にはそうだけど。でも、俺がああいうタイプを嫌いだったってだけだから」

「……好き」

「え?」

「琢朗君、好き」

「……」


 うっとりした目で、彼女は俺に迫る。

 そして、シャツのボタンに手をかけると「やっぱり、抱いてほしい」と。

 

「い、いやだからそれは」

「好きな人となら、いいんだよね? 私、琢朗君のこと、大好きだよ?」

「あ、あの、俺の気持ちってやつもあるんですけど」

「私が、夢中にさせてあげる」


 ボタンをはずして、ぱらっとシャツが落ちる。

 あっ、と目を覆う前に彼女の下着姿が視界に入る。

 ただ、俺が想像していたものとは違った。


「……傷?」


 傷だらけなのはそうだけど。

 全身、というよりは手首や腕、あとは首回りとかに細い線が無数に入っている。


「うん。私ね、好きな人のことを考えてたらいっつもがりがりしちゃうの。愛情なのに、どうしてかわかってもらえなくって。気持ち悪いからやめてって言われて、みんな私のことを殴るの。それでね、また傷がついちゃうの。でも、琢朗君はこんな私でも、受け入れてくれるんだよね?」

「そ、そうとは言ってない、というか好きな人なら受け入れるかもとは言ったけど……」

「じゃあきっと大丈夫。私を抱いたら、私を好きになるはずだから」


 目がぶっ飛んでいた。

 酒でも飲んだのかと聞きたくなるくらい、焦点が合ってなくて顔が赤い。

 じりじりと、俺に迫る。


 そして廊下にある台所を見ると、そこには包丁が。

 

「……う、うわー!」


 勝手にいろんなことを想像してしまって、俺は怖くなって玄関から飛び出した。

 さっきの男と同じように、悲鳴を上げながら逃走。


 必死に、無我夢中に走って。

 満里奈さんが住んでいるマンションが遠くなるまでひたすら走って。


 気が付いたら自分の住むアパートの前にいた。



「死ぬかと思った……」


 あのまま逃げなかったら果たして俺は生きていたのか。

 生きていたにしても食われていたのだろうか。

 息を整えながら、部屋に入るとすぐに施錠する。

 あんなのが追っかけてきたらそれこそゲームオーバーだ。


「……しかし、なんともあてにならないゲームだな」


 満里奈さんの一件については、ゲームでは語られなかった部分があまりにも多かった。

 傷の具合も違ってたし、微妙にずれがあるのはなんでだろう。

 って、そんなのわかるわけないか。


 どうしてゲームと現実がリンクしてるのかすらわかってないってのに。


「……でも、あれはあれで攻略できたことになったのか?」


 怖いくらいに迫られたけど。

 一応向こうから好きとは言われたし。


 もし、これで彼女が誰かを殺したり自殺したりって未来がなくなるのなら……。


「とりあえずゲーム、つけてみるか」


 ゲームを起動。

 ヒロイン選択画面では相変わらずまりなさんしか選べなくて。


 そのまま、ストーリーに入る。


 途中までは昨日何度もやった展開だった。

 しかし、家に入ったあと、抱いてやると選択したところでシナリオに変化があった。


『嬉しい。私、あなたになら何をされてもいいわ。今夜はいっぱい抱いてね』


 そんなセリフが流れて。

 これはいよいよ濡れ場が見られるかと思ったら、なぜか画面が薄暗くなる。

 

 そして、画面にはベッドに寝転んで誰かに語りかけるまりなさんの姿が。

 あれ、ピロートークまで場面が飛んじゃった?


『寝ちゃってる寝ちゃってる。ふふっ、私ったらあやめが気になってる人を寝取るなんて、最低だなあ。でも、一目惚れしちゃったんだから仕方ないよね。それに彼氏にDVされたなんて嘘までついて。ほんとは全部、自分でつけた傷なのにね。あ、でも明日からは、元カレが怖いからってことにして毎日送ってもらっちゃおうかなあ。あはは、元カレなんてなーんも怖くないのにね』


 ま、知らないままの方がいいこともあるから。

 おやすみなさい。


 まりなさんがそう言った後、画面は暗くなってやがてタイトル画面に戻った。


「……え、なにこれ?」


 とんだホラーだ。

 つまり主人公は、最初っから彼女に騙されててまんまとその嘘に嵌ったってわけ?


 ……


「いや、これ絶対やばいやん」


 なんとなくだけど、さっきのセリフの内容は、多分事実だ。

 満里奈さんは、初めから俺目当てで近づいてきていたってことだろう。

 じゃああの彼氏は……もしかして本当は何もしてない?


 おいおい……俺はもしかしたらとんだ選択ミスを犯したんじゃ……。


『ぴりりりり』


 電話だ。

 でも、誰からだ?

 まだこの時間はあやめもバイトって言ってたし。


 見ると、知らない番号だった。


「……もしもし」

「あ、琢朗君? 私、満里奈だよ」

「……」

「あれ、聞こえてる? ねえ、さっきはごめんなさい。私、興奮しちゃって無理言ったの反省してるから。だから嫌いにならないで? ねえ、あとね、明日から元カレがストーカーしてきたら怖いから送ってくれない? それと」

「……ぷちっ」


 電話を切った。

 なんか、これ以上話を聞きたくなかった。


 やっぱりあの子、とんでもない地雷だ。

 ああくそ、なんで助けたりなんかしたんだよ……だから放っておけばよかったんだ。


「クソ……なんでか好感度上がってるし」


 ゲームの画面を見ると、まりなの下の♥マークが一個増えていた。

 そしてまた『ストーリー開放までお待ちください』と。


 あやめもまりなも選択できなくなった代わりに、奥のシルエットの一人が姿を見せる。


「……またかよ」


 三人目のキャラが登場した。

 従順なギャル、フレッシュそうなメンヘラときてお次は……。


「かわいい系の女子、か」


 少し小柄で、おっとりした印象の巨乳な女子。

 しかし今日ばかりはこのあとストーリーを進める気になんてなれず。

 まあ、それでもどうせ明日にはやるんだろうけど。


 頼むからメンヘラだけは来ないでくれ。

 そう祈りながら電源を落とした。

 

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