3-1 九番街の陛下、巡察あそばされる

 ベルさんがいなくなったことに意気消沈してようとも、容赦なく月日は流れるし、毎日の仕事はこなさなければならない。

 俺はいつも通りに地域の見回りをし、足がだるくなってきたので茶屋で一服することにした。


「いらっしゃいませだワン……って、ニャンんだ、サボり魔か。真面目に仕事するワンよ」


 あーあー聞えない聞えない。


「おっす。団子とそば茶くれ」

「もっと店の儲けになるものを頼むニャンよ」


 俺の頼んだ内容に店員のミーニャが余計な文句をつける。

 これでも客なんだけどな。

 もう少し丁重に対応してくれてもよかろうに。


「ベルさんが出て言った建物、空き家のままなのかなあ。なにか面白い店でもできてくれればいいんだけど」

「アタシは服屋が欲しいワンね。中心街まで行かニャいとろくな服が売ってニャいから不便なんだワン」

「服かー。俺もそう言えば最近買ってねえな。最近はどんな格好が流行ってるのかな」


 向かいの空き家を見ながらそんなことを話す。

 すぐに出てきた団子を食い、お茶を飲んでいたら、もう一人の来客が来た。

 豊かな口髭と立派なつば付き帽子をかぶった、でも服はなんだか古臭くて小汚い、杖を持った初老の男だった。


「あニャ。陛下、お久しぶりだワン」

「へ、陛下!?」


 俺は飲んでいた茶を吹き出し、慌てて起立する。

 

「ご、ご無礼をお許しくださいませ、陛下!」


 相手がどこの陛下か知らないけど、とりあえず謝っておく。

 ん?

 この国で一番偉い人って、今は公爵閣下だよな。

 国王陛下がいたのはずいぶん昔の話だって、村の物知り爺さんに習った気がするけど……。

 戸惑っている俺の様子を見て、陛下と呼ばれたじいさんはゆったりとした動作で自分の口髭を撫でて。


「よい。楽にせよ」


 とおっしゃられたのであった。

 う、うーん、わからん。

 何者なんだろう、いったいぜんたい。


「ほらほら、陛下のためにお前は端っこに座るニャン。陛下、ただ今お席をご用意いたしますので、少々お待ちくださいだワン」

「よきにはからえ」


 かいがいしく働くミーニャを見て、陛下は満足げにそうおっしゃられた。

 なんか、俺も端っこなら座っていいらしい。

 いいのかよ、まあいいや、座ろう。

 まったく意味が分からず、俺はミーニャに小声で訊く。


「おい、いったいなんなんだ、あのじいさん」

「陛下は陛下だニャンよ。それ以上でもそれ以下でもないワン」


 まったく情報量の増えない会話であった。


「だから、それは一体どういう立場とか、どういう生まれや家柄の方だとか、お名前とか……」

「そんなの知らニャいワン。みんなが陛下って呼んでるからアタシもそう呼んでるだけニャ」


 謎は、余計に深まった……!

 特別な生まれの、やんごとなき高貴な血筋の方がこの辺に住んでいるなんてことは、赴任してからこっち、聞いたためしがない。

 なら、どこか別のところに住んでいる貴族さまが、わざわざこんな特徴もない商店街、住宅街である九番通りに足を運んで……。

 いや、ないな。

 供の者も連れず、馬や輿にも乗らずに、偉い人が一人でフラフラ、こんなところを出歩かないだろう。

 

「余の顔に、なにかついておるか」

「い、いえっ! なんでもありません!」


 じっと見てたら陛下に訝しがられてしまった。

 俺は横目で陛下の様子をちらちら窺いながら、緊張の中、無言でお茶をすする。

 陛下は俺と同じく、一番安い団子とそば茶をご堪能あそばされた。

 そして飲食を終えると、満足そうに眼を細めて、ミーニャに言った。


「実に良き品であった。店主には、日を改めて爵位を与える。そのように申し伝えよ」

「ははーっ、ありがたき幸せでございますニャ」


 茶屋の店主のおばさん、奥から出て来ないままだけど、いいの?

 陛下が店に来ているというのに、いつも通りせっせとまんじゅうとか団子とかパイとか作っていて、平常運行だ。

 どうやらそれでも問題ないらしく、ゆったりとした動作で陛下は席を立ち、去って行った。

 あれ?


「おいミーニャ、あのじいさん、金払ってないぞ!?」


 ミーニャの勤める茶屋「まるはなばち」は、絶対にツケ払いを許してくれない。

 どんなになだめすかして頼んでも、その場での現金払いを要求してくるし、滅多におまけもしてくれない。

 もっとも、これは赴任して来たばかりの俺を信用していないから、と言うことなのかもしれないけど……。


「陛下はお金ニャんて持ってニャいから払えニャいワンよ」


 信頼とかそれ以前の問題だった。


「ええー……? どういうことー……? この店、慈善事業でもしてるのか?」

「お前もそのうちわかるニャン。それよりいい加減に仕事に戻らニャいと、レーグのおっちゃんにドヤされるワンよ」

「あ、やべっ」


 ついつい時間を潰し過ぎてしまった。

 俺は会計を済ませて見回りの仕事に戻る。

 しかし、気になるのはあの謎の陛下のことだ。

 やってることはただの無銭飲食なんだけど、ミーニャも茶屋のおばさんもそれを問題視していない。

 

「これも街の治安活動の一環だよな……」


 俺は自分をそう納得させて、陛下の様子を窺いながら見回りをすることにした。

 

「やあ、陛下ではありませんか。ごきげん麗しゅう」


 八百屋の店主であるエルフのムスクロさんは、自分から積極的に陛下に声をかけていた。


「うむ。そちも健勝な様子。なによりである」


 陛下はムスクロさん相手にも、いわゆる陛下の態度を貫いていた。

 ミーニャが相手だからと特別に遊んでいたわけではなかったらしい。


「これ、どうせ売れ残ると思うんで、よければお持ち下さい」


 ムスクロさんは人の好い笑顔で、いい感じに熟した枇杷を二つ、陛下に献上した。

 見てるこっちが涎を出しそうな、美味そうな枇杷だ。

 どう見ても、時間が経ってくすんだ売れ残り品などではない。 

 そもそも、陛下に売れ残りになりそうな品を渡すのもどうなのよ、って話ではある。


「大義である。ゆめゆめ、その心がけを忘れるでないぞ」

「身に余る光栄にございます」


 恭しく頭を下げて、ムスクロさんは去っていく陛下をしばらく見送っていた。


「あ、あの、ちょっといいですか」


 俺は手の空いたムスクロさんを捕まえて話しかける。


「やあ、カニングさん。いらっしゃい。今日はイチゴがいいの入ってるよ」

「いや、客として来たんじゃなくて、仕事なんですけど……あのじいさん、なんなんですか?」


 単刀直入に聞いてみる。

 そもそも謎だらけで、なにをどう聞けばいいのかわからん。


「ん? 陛下のことかな?」

「はい。なんでみんな、タダで商品をあげちゃうのかなって……けちんぼのミーニャですら文句を言わずに対応してるんですよ?」 


 俺の問いに、ムスクロさんはウーンと頭をかきながら答えた。


「僕の口から色々言っちゃうのも、畏れ多いことなんだけどなあ」


 少なくとも、ムスクロさんは陛下のことを、多少は詳しく知っているようだ。

 言いにくいことというのはまさか、犯罪がらみ……。

 ではないだろうと、俺もなんとなくはわかってるけどな。


「言える範囲だけでいいんで、お願いしますよ」


 街を見回って、違和感を持ったことに出くわしたとして。

 疑問をそのままにして、詰所に帰っての先輩がたに聞く、と言うのではガキの使いと同じだ。

 そりゃ、詰所の資料をあされば、あの陛下のこともなにかしらわかるのかもしれないけどな。

 それはそれとして、住民の生の声を聞くことも大事だと思う。


「少なくとも、衛士さんたちが警戒するようなことはないよ。商店街のみんな、陛下のことを尊敬しているだけ、と言えばいいのかな」

「尊敬ですか」


 今はくたびれた容貌をしているけど、過去になにか大したことをやった人なのかもしれない。

 それにしても、国の主である公爵閣下を差し置いて、陛下とまで呼ばれるというのはいささか、異常と言うか、公爵家に対する不敬に当たるのでは……。

 俺がそんなことを考えていると、向こうから一人の女性が、小走りで店まで走って来て、言った。


「す、すみません! 今さっき、父がこちらに来ませんでしたか?」


 俺と同じ人間族、ノーマの女性だった。

 飾り気のない質素な木綿の衣服に身を包んでいる。

 年のころは、どれくらいだろう。

 俺とそう変わらないくらいには若く見えるけど。


「こんにちは、イノさん。お父上なら先ほど、うちにも寄っていただいたよ。今日は商店街を視察あそばされているようだね」


 ムスクロさんがイノと呼んだ女の人は、どうやら陛下の娘さんらしかった。

 それを聞いたイノさんは顔を真っ赤にして反駁する。

 

「や、やめてください、そんな大げさなこと。ただの散歩に……」


 やっぱりただの散歩だったのか。


「最近見ないから心配してたけど、お元気そうでなによりだね。商店街のみんな、安心してたって後で伝えておいてくれるかな」

「いつもいつも、ありがとうございます……あの、また父がなにか、お店のものを持って行ったりは……」

「ははは、いいんだよ。どうせ売れ残ったら捨てるだけなんだし、気にしなくても」


 そんな和やかな会話を交わしているイノさんとムスクロさん。

 二人を見て俺は、怪しい話は出て来なさそうだととりあえず安心した。

 人を見てくれで判断するのは危険だけど、イノさんはどう見ても素朴で善良そうな娘さんでしかない。

 俺にはよくわからないような本を何冊も抱えているけど、学生さんかなにかなのだろうか。


「ちょっといいですかね。俺、この区画に新しく配属された衛士の、カニングってものなんですけど」

「あ、はじめまして。私、西北中等学舎で講師をやっている、イノと申します」

「え、学舎の先生!?」


 俺とイノさんはお互いに自己紹介を交わす。

 西北中等学舎と言うのは、九番通りと八番通りの中間あたりにある、子どもたちが集まって勉強する施設のうちの一つだ。

 若いのに立派なことだと俺は大いに驚いた。

 しかも中等学舎なんて、初等学舎と違ってきっと勉強も難しいんだろう。

 生徒たちも大きくなってきて、生意気盛りで大変なんじゃねえかな。

 ちなみに近所に住むハルとテルの双子が通っているのが、初等学舎である。


「い、いえ、非常勤の講師なので、正式な先生たちの補佐みたいなものと言うか……先生なんて呼ばれるほど、大したことはしてません」


 俺の言葉にも顔を赤くして、前髪で自分の目を隠すようにうつむいて謙遜するイノさん。

 ああ、こういう、奥ゆかしい女性も、良いな……。

 九番街に配属されてから、はじめて出会う傾向の女性だ。

 この街、なんだか押しの強い女がやたらと多いんだよ。


「それで俺、来たばかりでまだこの街のことに、全然詳しくないんですよ。イノさんのお父さまがこんなに慕われてることも含めて、少しお話を伺いたいなー、なんて」


 イノさんとお近づきになりたいからこう言ってるんじゃないぞ。

 あくまでも仕事のためだ。

 その結果として、なにかしらの絆が俺とイノさんの間に生まれるのであれば、それは不可抗力で仕方のないことである。


「立ち話もなんだし、店の椅子を使っていいよ」


 気の良いムスクロさんのお言葉に甘える。

 欲を言えば、河原のベンチで花なんかを見ながら、二人きりで話したかったんだけどな……。

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