2-5 虚無の花に寄る虫たち

 手当てを終えた俺は、少しの間、休みを貰うことになった。

 傷が塞がってもしばらく詰所で、資料整理などの内勤だそうだ。

 激しい運動はできないだろうから、仕方がない。


「すみません、俺がヘマしたばっかりに……」


 手と足に包帯をぐるぐる巻かれた状態で、そのことを班長のレーグさんと話し合っていたところだ。


「よっぽどの手練れだったってえ話じゃねえか。くよくよすんな」

「でも……」


 仕事に穴をあけてしまうのは事実だしな。

 俺の変わりは、別の班か隊か、どこかから穴埋めが来るらしいけど。


「悪いと思っとんなら、しっかり食ってしっかり寝て、早く傷を治すんじゃな。そうしたらまた、ビシバシこき使っちゃるわい」


 ガハハハハ、といつものように豪快に笑うレーグさんに追い出されて、俺は詰所を後にした。

 商店街を歩いて、部屋に帰る道。

 ベルさんは店にはいない。

 禁制薬物を違法に売り買いしている集団との関わりを疑われて、北部衛士支処で取り調べを受けているのだ。


「取り調べ、どれくらいかかるんだろう……」


 衛士支処と言うのは衛士本部の文字通り支部のようなものだ。

 市内の東西南北に一か所ずつと、あと港にある。

 北の城壁を守る北門衛士隊も、規模が大きいので支処のような扱いなんだとレーグさんに聞いた。


「また弱いのに無茶をしたニャ? いい加減にしニャいとそのうち死ぬワンよ」


 しょぼくれた顔で居酒屋「恩讐者」の店をぼんやり眺めてたら、暇そうな狐娘のミーニャが絡んできた。


「大丈夫、俺みたいな色男は天に愛されてるから、なかなかくたばったりしねえんだ」

「天に愛されてたら、尚更すぐにお迎えが来るんじゃニャいか?」

「うるせえな。屁理屈言うんじゃねえよ」


 今は傷心なので、ワンニャンうるさいこいつと話してる気分でもないんだけど。

 

「そんなに心配ニャら、支処まで面会に行けばいいワン」

「俺もそう思ったけど、レーグさんにやめとけって言われた。ベルさんに変に入れ込んでると思われたら、俺まで疑われてややこしくなるからって」

「あー、それはありそうな話だニャ。衛士ってのも難儀な仕事だワンね」


 本当にな。


「ミーニャは、ベルさんがそんな悪い薬の商売に手を出してるなんて思ってないよな?」


 いまいち、こいつとベルさんの関係がよくわからないので、聞いてみる。

 店の開いている時間が完全に逆なので、お向かいさんと言ってもそこまで親密でないのかもしれない。


「んニャこと思うわけないワン。あの店からそんニャ匂いなんてしたことニャいし」

「匂い?」


 俺の驚きに、ミーニャは胸を張って言った。

 こいつも、結構立派なものを持ってるんだよな……。

 普段からもっと、背筋を伸ばして、胸を張って歩くといいぞ、と俺は心の中で言った。


「アタシをニャンの獣人だと思ってるワン。変な匂いが店の周りにあればすぐ気付くニャンよ。街で流行ってるのは阿片って言ってたから、あんな臭いのは一発だワン」

「あ……」


 そうか、狐獣人なら、犬系だ。

 鼻の利きも、犬系獣人と同等に鋭いはずだ。

 いや、俺は本当にこいつが狐の獣人なのかどうか、怪しんでるんだけどな……。


「な、ならそのことを支処に行って、証言してくれよ! 周りの証言があれば、きっと疑いが晴れるのだって早いさ!」

「ちょ、ちょっと落ち着くニャ~~~……」


 俺はミーニャの両肩をガクンガクン揺らして懇願する。


「いってて! 腕を怪我してるの、忘れてた……」


 余計なことをしたせいで仕事への戻りが遅くなったら、さすがにレーグさんも笑って済ませてはくれないだろう。


「アホがいるワン……まあ、それくらい構わニャいけど、アタシの言うことニャんかを衛士さんが信じるかどうかは別の話だワン」

「それでも、出来ることはしたいんだ。頼むよ……なにか困ってるようだったら、面会ついでに差し入れとかさ。かかった金は俺が後から払うから」

「わ、わかったから、そんなヘタレた顔するニャよ。調子狂うワン……」


 ミーニャは渋々ながらも俺の願いを聞き入れ、茶屋のおかみさんに一言告げてから、北部衛士詰所へ向かった。 

 俺は礼の意味も兼ねて、茶屋の焼き菓子を多めに買って部屋に戻った。



 大人しく帰宅して、夕暮れ過ぎ。


「風呂に入れないから、体を洗うのが面倒くせえな……」


 俺は自分が住んでいる集合住宅にある共同の水場で、布巾を濡らして体をごしごしと拭いていた。

 包帯を濡らさないように気を付けながらだから、やたらと疲れる作業である。

 湯を沸かすのが面倒だったのでこんなことをしているけど、寒い。

 どうせ男しか住んでいない建物だから、見られることも気にせず素っ裸だ。


「ギニャーーーーーーーッ!!」


 そこに突然、けたたましい悲鳴が響きわたった。


「み、ミーニャ! なんでここにいるんだよ!?」

「お前が様子を見て来いって言ったから、早く知らせてやろうと思ったニャン! いいからさっさと服を着るワン!」

「わ、わかった。わかったから声の大きさを落とせ。夜だぞ」


 まだ寝るには早い時間だけど、迷惑には違いない。

 この住宅にどれだけの数の店子がいるのかは知らないけどな。

 って、そのためにミーニャはわざわざ部屋まで来てくれたのか。

 仕事が終わって、こいつもさっさと帰って寝たいだろうに。


「で、ベルさんの様子はどうだった? 面会できたか?」


 服を着た俺は、中庭の椅子にミーニャを案内して、聞いた。


「会うことは会えたけど、ちょっとしか話してニャいワン。制限時間がどうのこうのって見張りの衛士がうるさかったニャンよ」 

「その人たちも、それが仕事だしな……ベルさんは、なにか困ってたりしなかったか?」


 衛士って、あんまり好かれてる仕事でもねえよな。

 今更自覚することでもねえんだけど。

 俺の問いに、ミーニャは釈然としない表情をしてこう答えた。


「それが、アタシが『なにか差し入れして欲しいものはあるか』って聞いたら、おかしなことを言ってたニャン」

「おかしなことって?」

「ハマベヒナゲシ、って花が河川敷に咲いてたから、ジョーと一緒に探して摘んで来て、っていってたワン。あの女、花嫌いで有名ニャのに」


 ベルさんが花を苦手と言ってたのは、悪者界隈の隠語と言うだけでなく、本当のことだったのか。

 それと、ハマベヒナゲシって言えば……。


「海辺に咲いてる、血みたいに赤い色の花だな。別に珍しいもんでもないぞ」


 俺の田舎でも、春になったら海岸沿いにその花が咲き乱れる。

 厳しい冬の終わりを告げる花なので、漁師にとっては縁起のいい存在だ。


「タダで取って来れるニャら、差し入れのついでに持って行くワン」

「でも、咲いてるのはもっと、本当に海っぺりの砂浜だ。九番通りの西の河川敷には咲いてないと思うけどな……」

「海まで行って取って来いって話ニャ? 面倒臭い話だワンね」


 俺たちがいるのは市内の北西の端。

 ラウツカ市の中では一番、海辺に遠い場所だ。

 馬車に乗って海岸沿いまで行って帰って来るだけで、結構なお出かけである。

 徒歩だったら往復するだけで一日が終わるな。


「そんなに面倒な話を、いきなりベルさんが俺たちに言うかな……?」

「あの女の考えてることはわからんニャァ。それじゃ、アタシはもう帰るワンよ」


 要件を終えて、ミーニャは帰って行った。

 しかしあいつ、俺の裸を見て叫ぶほどウブなのに、男ばっかり一人暮らししてる集合住宅にふらりと来るのは平気なのな。

 どうもズレてるというか、ベルさんのことを言えないくらいにお前もわからん奴だよ、と思った。


「河川敷に、ハマベヒナゲシ……ミーニャと一緒に……」


 俺は寝床に就いてもそのことを考え続けて、結局その夜は一睡もできなかった。



 ガン! ガン!

 次の日、俺は部屋の扉が強めにノックされる音で、目を覚ました。

 安普請なんだから、あんまり激しく叩かないでくれよな。


「はーい、どちらさん? 押し売りならお断りだよ」


 俺は顔半分覗かせる程度に扉を開けて、外の様子を窺う。


「おはよう、カニング。元気そうだな」


 隙間から顔を出したのは、北門衛士一番隊、麗しの鬼隊長ことウォンさんだった。


「隊長さんが、お前に聞きたいことがあるっちゅうてなあ」


 後ろにはレーグ班長もいる。


「も、申し訳ありません! こんな汚い部屋にお越しいただいて! 言っていただければ、すぐに伺いましたのに!」

「ははは、いきなり来て済まなかったな」

 

 俺の下着姿を見ても、ウォンさんは軽く笑うだけでまったく気にしていないようだった。

 慌てて服を着て外に出る。

 部屋は狭いし散らかっているので、昨夜のように中庭に出て話す。


「どのようなご用件でしょうか?」


 俺の問いに、ウォン隊長とレーグさんは次のように話した。


「市内を騒がせている禁制薬物の件でな。いくつかの情報から犯人どものねぐらの目星はついたんだが、肝心の『モノ』が見当たらないんだ」

「連中、自分たちのアジトとは別に、薬物を保管している場所を確保しておるんじゃないかっちゅう話でなあ」


 う、うーん?

 俺には難しい類の話だけど、要するにアジトに踏み込んでも、ブツが現場になければ取り締まれない、ってことか。


「それで、なぜ俺に?」


 純粋な疑問を口に出す。

 俺は捜査の専門家じゃないし、赴任して来たばかりなのでこの街の犯罪には詳しくない。

 そのことに、ウォン隊長はこのように答えた。


「カニングが居酒屋で出くわした犬獣人の男、なかなか口を割らなくてな。もしもあの夜、店の中で店主の女性と、犬男が話していたことを詳しく思い出せるなら、手掛かりになるかと思ったんだ」


 うーん、と記憶の扉を何枚も開けてみる。


「報告した以上のことは、特に……」


 そう言いかけたとき、俺の頭の中でなにかが繋がった音がした。

 ありえない場所に咲く花、ハマベヒナゲシ。

 そして、犬獣人の男。


「ウォン隊長! 協力者を連れて、一緒に来ていただきたいところがあるのですが!」

「よし、どこだ?」

「すぐ近くの、河川敷です!」


 そうして俺たちは、茶屋の開店準備をしていたミーニャをひっ捕まえて、揃って河川敷へ向かうのだった。

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