ソード・ワールド2.5 鋼核戦線

早見一也

第1話


 闇の中で、石の壁を登っていく。


 ほとんど垂直とはいえ、城塞の壁というのは職工がメンテナンスをするため、登れるような箇所が造られているものだ。

 それでも通常は梯子をかけるが、頻繁に上り下りする職工が面倒くさがったのだろう。最近使われている形跡のある、とっかかりとなる突起部が列をなしていた。ひとつひとつの間隔からして、身長の低いドワーフのものだろう。

 そうしたわけで、自然の中にある岸壁を登るよりはずっと簡単な事だった。

 ただひとつ不安なことがあるとすれば、登攀のことではない。


 俺以外の足跡やら道具を使ったような形跡が、壁にべったりと残されているということだった。


 登り切った先に見えた夜景に目を奪われそうになるのを抑え、周囲を見渡す。

 厳めしいバリスタが壁外に向かって突き出され、暇そうな見張りが外を眺めている。

 さすがに、こんな所に部外者が来るなどとは思っていないのだろう。城壁そのものに対する警備はいなかった。


 雨風をしのげれば、という程度の小屋がすぐ傍にあったので、すばやくその陰に身を潜めて周囲をうかがう。

 やはりというか、俺と同じようなが何人かいるようだった。

 くぐもったうめき声がかすかに聞こえる。見れば、薄汚れた恰好をした複数人の男たちが兵士を引きずって物陰に隠しているようだった。


 時間がなさそうだ。


 建材や修繕中で崩れた瓦礫の陰に隠れながら、足音を立てないように素早く移動する。

 ブーツのソールを音の出にくい素材にしているとはいえ、さすがに走ると足音を誤魔化せない。

 焦れながら、姿勢を低く、決して音は立てずに歩いていく。


 相手との距離が狭まる。

 自分が狩人のような心境になるが、しかし相手次第によっては狩られるのはこちらだ。

 前方に全神経を集中させていた俺は、頬に冷たいものを感じ、わずかに驚く。

 なんてことはない。雨が降り出したようだ。

 いや、大したことではあるか。多少の音はかき消される。


 突然の雨に苛立ったようで、舌打ちと共に男たちは壁上を歩いていく。

 もうあまり周囲に気を配っていないのは、首の動きでわかった。


 最後尾を歩く男に急いで近付くと、男の口を抑え込み、膝裏を蹴って姿勢を崩させる。

 男が驚いている隙に空いている左手で首筋に一撃をくれてやると、かすかな悲鳴と共に男は崩れ落ちた。

 雨が降っているとはいえ、すぐ前を歩く男が異変に気づき振り向く。


 もうやるしかない。覚悟を決めてもう一歩を踏み出し、飛び出す。

 それと同時に相手の人数を確かめると、立っているのは4人いる。

 いま倒したのを含めて合計5人。やれるかどうか。

 そうしている間にも、地面を蹴りだした勢いでもう一人の男との相対距離が縮まっていく。

 意識を目の前のことだけに切り替え、拳をこめかみに打ち付ける。

 今度は思い切り悲鳴が響いてしまう。

 周囲を確かめることはせず、すぐに回転しながら姿勢を低くし、そのままの勢いで脛を蹴る。


 気を失わないまでも、しばらく立ち上がれないだろう。

 これでとりあえずは2人やった。あと3人。


「なんだてめぇは」男たちの怒号が聞こえてくる。

 そう言いながらも、大体察しはついているのだろう。全員が腰の刃物を抜き放ち、突進してくる。


 拳を握り、左手を前面に、右手は胸の前に。足は直線になるように開く。

 男たちはなおもこちらに向かって走ってくるが、まだ走らない。まだだ。

 そして、先頭の男が間合いの一歩手前まで来た時に気づいた。

 先頭を走る男は左脚だけ動きがほんの少しだけ鈍い。小競り合いか何かで負傷したのだろう。

 男が間合いに入り、右脚を踏み込み、左脚が浮き上がった瞬間。

 身を低め、一足飛びで瞬時に前進すると、男は間合いを見誤り、左脚が地に着いた時に一瞬だけ硬直する。

 一瞬だけあれば充分だ。

 左手で喉を突き、右拳で顎を揺さぶると男は倒れ伏した。

 数分間でも戦意を喪失してくれればそれでいい。

 あと2人。


 前面に立ちふさがったのは大柄な男だった。分厚い筋肉に覆われている、それこそ壁のような大男だ。

 1、2撃では倒せないだろう。もたついている間に、2人で同時に攻撃されてしまう。

 大男の、岩石のようにごつい顔がわずかに赤く、鼻が妙に丸みを帯びている。酒飲みに特有の症状。となれば。

 胸の下あたりを思い切り殴りつける。

 巨木のような身体がくの字に曲がり、さびだらけの剣を取り落とす。

 見かけ通りの呑み助だった。肝臓が悪い。

 申し訳ないとは思いつつ股間を蹴り上げると、大きな悲鳴とともにくずおれる。

 あとは最後の1人。


 怒号を放つのは、全身を筋肉の鎧で覆ったような見かけの髭面の男だった。手には大きなだんびらを持っている。

 いや、それだけではない。

 頭から小さな突起物が見える。角のような白い物体だ。

 ナイトメアか?いや、なんとなく違う気がする。あの種族にしては動作ががさつすぎる。

 となると、穢れ憑きか。決して油断できる相手ではない。

 勘を信じてそう決めつけると、両腕に力を籠める。

 身体を流れるマナの流れをコントロールし、拳に収束させる。

 マナの制御に気を取られるせいで動きがやや硬直化してしまうが、仕方ない。自身の持てる、最大の力を叩きつけるしかない。


 一瞬の隙にだんびらが振りかざされ、すんでのところで飛びのくが、胸を斬られた。

 血が流れることも返す刃が飛んでくることも委細構わず、ぼんやりと淡い光を放つ拳を顔面目掛けて力いっぱい放つ。


 男はどうと倒れ、大の字で寝転がった。

 息が上がっていることを自覚し、呼吸を整える。

 胸と、頬が痛む。どうやら最後はお互い頭部を狙っていたようだ。

 危ないところだった。だが止血をしている暇はない、俺も急がなければ。

 いずれ壁外を見張っている兵士にもバレる。

 もうバレているかも。結構大きな悲鳴上げさせたしな。

 壁上を走り、くまなく探し回る。はどこかに必ずあるはずだ。

 雨が体温を奪い、余計に血を流させる。


 やがて、積み上げられた瓦礫のようなものを見つけ、そこに四角い物体が半分ほど埋まっているのを見つけた。

 瓦礫には年月を感じさせるが、箱は新しい。

 きっとこれだ。

 駆け寄ろうとすると、轟音が聞こえてくると共に急に強い光に照らされ、闇に慣れていた目が眩む。


 頭上には、白銀のスカイバイクが傲岸と俺を見下ろしていた。タイヤの代わりについた噴射器はマナを絶えず吹き出し、推力と浮力を得ている。

 兵士はバイクの魔動照明で容赦なく俺を照らし、ぼろぼろの俺を認めると、横を向いて頷いた。

 すると、背後にいたらしいもう一人がバイクから飛び出し――壁上に降り立ち、俺の前に躍り出た。


 その男は若く、着ている服は礼服によく似た戦闘服だった。肩と腰に金属の補強が入っている。

 腰の直剣を抜き放ち、しかし手は力を抜いたように下ろされたまま、こちらに向かって歩いてくる。


 ひっきりなしに風が吹く夜の中で、その剣は雨に濡れ、月光に煌めいていた。

 眼光は鋭く、獲物を前にした肉食獣のように油断のない足運びだった。


 どうも、見つかってはまずい男に見つかったらしい。理屈はともかく、そう思った。


 石造りの足場は足音が響かぬほどがっしりしているが、だからといって10mを遥かに超えるであろう高さとあっては警戒しないわけにいかない。


「お前、ここに何をしに来た?」


 声色は驚くほど軽やかだった。ただ、右手にしっかりと剣は握られており、その足は徐々にこちらに向かって来ていた。


「ただの散歩です、なんて言うなよな。そんなつまらない冗談を言ってみろよ。……風穴開けてやる」


 左手が腰のベルト――に吊り下げられていたホルスターから、拳銃を引っ掴み、流れるように銃口をこちらに向けてきた。


「ここには……探し物をしにきた」

「ほう、探し物ね。なにを?」


 相変わらず友人のような口調で、表情も堅さを感じない見事なものだが、銃口は変わらずこちらに向けてきている。


「魔剣だ。頼まれてな。それだけだ」

「奇遇だな。……俺もだよ」


 急激に殺意が膨れ上がるのを感じ、横に転がり込むように飛びのく。

 一瞬後に銃口から容赦なく銃弾が発射され、地面にめり込んだ。


 仕方ない。嫌な予感はするが、ここはやるしかない。


 一瞬で間合いを詰め、肉薄する。拳闘士グラップラーである俺は、銃の間合いでは戦えない。

 眼前の男は全く慌てる様子も素振りも見せず、むしろ微笑を浮かべると――姿を消した。

 背後に気配があると気づいたその時。

 自分のすぐ後ろから破裂音が聞こえ、痺れが一瞬のうちに全身へ回る。

 同時に、意識が遠くなっていくのを感じた。

 薄れゆく意識の中、銃による一撃をもらったなと、自分でもおかしみを感じるほど冷静に考えていた。


 なにもかも手遅れだと気づいた人間など、こんなものらしい。

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