後篇 異界の迷い人(※三人称)

 仮想現実。現実の中に在って、現実を模した空間。空間の模造品。そんな感覚をふと覚えた少年がまず思ったのは、「何かおかしい」と言う不信感だった。自分は自分である筈なのに、その自信がどうしても持てない。何をするにしても、心の何処かで疑問を覚えてしまう。味も、食感も全て変わらない朝食を食べても、それが「いつもと同じ」とはどうしても思えなかった。

 

 少年は、その感覚に肩を落とした。肩を落として、「またか」と思った。彼は幼少期からの心理的外傷が働いて、今日の朝食を食べ終えた後は勿論、それから母親らしき人に「ちょっと出かけて来る」と言った後も、憂鬱な顔で今の違和感に苛立ち続けた。「ふざけんなよ! 折角の休みなのに」

 

 また、此が起こるなんて。ムカつくにも、程がある。こっちは、ようやくの休みにホッとしていたのに。それをこんな風に邪魔するなんて。「最悪だよ。ったく!」

 

 少年は不機嫌な顔で、町の中を歩き始めた。本当は霊能者の幼馴染に助けを求めたかったが、それが此の世界には居ないらしく、スマホの電波も圏外、電話帳に入れている残りの友達を探しても、それと同じ様な人が居るだけで、肝心の本人達は何処にも見当たらなかった。

 

 少年は、その事実に崩れ落ちた。「怪異」や「超常現象」に巻き込まれる才能(と言うか、不幸)はあっても、そこから抜け出す才能は無い。彼がそこから抜け出すには、誰かしらの力が必要だったからである。


 だからこそ、その事実に泣いてしまった。周りの人達がそれに「何だ? 何だ?」と驚く中で、子供の様に「くそぉ」と泣き崩れてしまった。彼は、「十五才の少年」とは思えないくらいに「う、くっ」と泣き続けた。「どうしてだよ、どうして?」

 

 自分ばかり、こんな目に遭わなきゃ成らないのだ? 自分では、どうしようもない現象に巻き込まれて。それが、今も……。彼は前々から溜めて来た不満がついに抑えられなくなって、道路の上に転がっている物を次々と踏み潰し始めた。


「『力がある』って言う奴は、皆」


 石を蹴飛ばした。


「ペテン野郎!」


 葉っぱを踏み潰した。


「本当に力がある奴も、『金を寄越せ』と言う」


 民家の塀を殴った。


「幼馴染は、いつも一緒に居られない」


 右手に持った酒瓶を振り下ろしたが、それが地面に当たる寸前の所で止めた。


「彼奴には、彼奴の生活がある。俺の所為で、彼奴の生活は潰せない」


 道の真ん中で、叫んだ。


「くそっ!」


 少年は自分の頭を掻いて、町の中をまた歩き始めた。町の中は、静かだった。彼の周りに居た人達は別だが、それが見えなくなれば、またいつもの状態に戻る。彼が泣きながら通り過ぎた銀行も、苛立ちながら横切った郵便局も、俯きながら通り過ぎた家電量販店も皆、いつもの平常運転に戻っていた。


 彼は周りの風景に悪態を付きながらも、不機嫌な顔で町の中を歩き続けた。が、やはり辛い事に変わりはない。自動販売機で飲み物も買えない事が分かった以上、その悔しさに「う、うっ」と唸るしかなかった。


 彼は町の公園に行って、「少し休もう」としたが……。それを破る者が二人、しかもかなり美しい二人が現われた。二人は彼の様子に驚いたのか、彼に「大丈夫? 何か困っているの?」と訊いて、その身体を案じ始めた。「もし、良かったら」

 

 。その言葉を待つ必要はない。少年は、彼等の厚意に縋った。此の好機を逃せば、もう二度と助からない。彼等が善人である証拠は無かったが、それでも頼らざるを得なかった。少年は藁をも掴む思いで、目の前の二人に「助けて下さい!」と頼んだ。「俺、ずっと、まよ」

 

 最後の部分は、言葉に成らなかった。それだけ焦って、辛かったからである。彼は少年の方に倒れて、それから意識を失った。彼の意識が戻ったのは、それから二時間ほど経った時だった。彼は町の病院らしき場所に運ばれて、その病室に入れられていたが、腕の方に点滴らしき物が付けられていただけで、緊急の処置らしき物は全く施されていなかった。「俺……」

 

 助かったのか、取り敢えず? 自分の命がまだ、奪われていない事を考えれば。不安の中にも、安心を覚える事が出来た。彼は自分の上半身を起こして、病室の中を見渡した。病室の中には、誰も居なかった。「病人の面会者が使う為に置かれた」と思われる丸椅子はあったが、それ以外に目立った物は見られない。一人用の家具類が、一通り揃っているだけだ。机の上に置かれた液晶テレビも、病人が一人で観る様な大きさである。

 

 少年は、その光景を暫く見続けた。のだが、それを破るのが二人。あの二人組がまた、自分の前に現われたのである。少年は彼等の登場に驚いたが、二人から自分の状況(二人が此の場所に自分を運んだらしい)を聞くと、今度は目の前の二人に頭を下げて、自分の手元に目を落とした。「そう、だったんだ。ありがとう」


 二人は、その言葉に首を振った。特に光は彼の回復が嬉しかったらしく、彼に自分や千早さんの名前を教えた後も、穏やかな顔で相手の顔を見続けていた。「君の名前は?」


 少年は、その質問に眉を寄せた。それが不快だったからではなく、その質問に緊張を覚えただけだったらしい。


瀬川せがわ智人のりと


「瀬川君か。瀬川君は、此の世界に」


「多分、迷い込んだ……って言うか! 此処は、一体?」


よ」


「異界? 異界って?」


「現世とあの世の狭間にある世界。君は何かのキッカケで、此の世界に来てしまったんだ」


 少年こと、瀬川智人は、その言葉に押し黙った。そんな世界があるなんて、夢にも思っていなかったからである。だから、その反応にも困ってしまった。


「此の世とあの世の狭間。つー事は、俺」


「死んでいないよ」


「え?」


「仮死状態の人が、来る事はあるけどね? 君の場合は、本当に事故だ。『ボク達』とは違って、自分の肉体をちゃんと持っているし。死人や仮死状態の人は、魂だけに成っているから」


「な、成程。それじゃ」


 死んだ訳ではない。それは多分、喜んで良いのだろうが。それでも、一番の問題が消えた訳ではない。「元の世界に戻る」と言う、一番の問題が。智人は不安な顔で、光の顔を見詰めた。


「俺は、帰れるの?」


「帰れるよ、勿論。ボク達について来てくれれば、元の世界にちゃんと戻れる。ボク達の仕事は、そう言う人達を帰す事。元の世界に迷い人を帰す事なんだ」


「そ、そうなんだ! それじゃ、此の地獄も」


「うん、『終る』と思う。一度此処に来た人間は……相手の側に問題が無ければ、異界の遭難者名簿に載る。遭難者名簿に載った人間は、『そう言う特性あり』と見做されるからね。優先的に帰して貰えるんだ」


「へ、へぇ、凄い。それなら」


「うん、そんなに不安がる事はない。君がもし、此の世界にまた迷い込んだら」


 智人は、その言葉に「ホッ」とした。傍から見れば、御都合主義に見られるかも知れないけれど。当の本人からすれば、此以上に嬉しい事はない。理不尽な事からは、早々に逃げ出すべきである。智人はそう思って、ベッドの上から起き上がった。


「帰ろう」


「え?」


「今すぐに帰ろう。もし、帰れるのなら! 今日は……あっちは、休日だし」


 光は、その言葉に驚いた。千早さんも、彼と同じ表情を浮かべた。二人は少年の顔を暫く見たが、やがて彼の足をそっと促した。


「分かった。それじゃ、まずは病院の手続きを。帰る場所は、何処が良い? 君が住んでいた世界の中で」


「それは勿論、自分の部屋だよ。今日は一日中、ゴロゴロする積もりだったんだ」

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