第34話 新しい名前(※三人称)

 愛する少女との再会は、嬉しい。だが、同時に恥ずかしかった。彼女の顔が微かに火照っている事も、そして、それが自分の顔から離れた事も。全ての感触に「うっ」と俯いてしまったのである。


 天理と人柱が自分の隣に歩み寄った時も、彼等が学校の同級生達と同じ様に「お熱いね」と冷やかさなければ、そのお遊びに負けて、思わず「違う!」と叫ぶ所だった。秀一は、二人が自分の幸せを心から喜んでくれた事に「ありがとう」と呟いた。「本当に」


 二人は、その言葉に微笑んだ。特に人柱は秀一がまた睦子と会えた事に「良かったね」と微笑んで、二人に幸せに「本当に良かった」と喜んでいた。「君達がそんな風に笑ってくれて。ボクは」

 

 そう言い掛けた人柱が押し黙ったのは、夏の風に胸を打たれたからか? 人柱は二人の顔を暫く眺めて、それから天理の顔に視線を移した。天理の顔は、自分の目をじっと見返している。「天理君」

 

 天理は、その言葉に眉を寄せた。言葉としては短くても、その意図を何となく察したからである。天理は(穏やかだが)真剣な顔で、相手の目をじっと見続けた。「分かっている。君は、解き放たれた。過去から続く因縁に、これから続く未来に。君は、本来の自由を取り戻した。でも」

 

 それで全てが終り、ではない。過去の呪縛から解き放たれただけでは、彼の心は癒されない筈だ。人間の闇をずっと抱えて、その傷が直ぐに癒される筈はない。それ相応の時間、心の休息時間が必要である。彼自身の幸せを取り戻す為にも、その時間はどうしても必要だった。天理はそう考えて、人柱の目を見詰め続けた。


「戸籍の方は、怪しいけど。役所の方に行けば多分、『必要な手続きは出来る』と思う。君の音を知らない人はもう、『殆ど居ない』とは思うけど。役所は、そう言う所に五月蠅いからね。特別扱いは、しない。いや、出来ない。君がもう、此の世の人間でないのなら。それ相応の」


「天理君?」


「最も楽なのは、君が此の場で」


、だね? そうすれば、余計な手間が掛からなくて済む?」


「ああうん、君が『それ』を望むなら。僕は、それを」


 手伝うだけ。そう言おうとした天理だったが、睦子の「ダメ!」に阻まれてしまった。天理は「それ」に驚いて、睦子の顔に視線を移した。睦子の顔には、「怒り」と「悲しみ」が浮かんでいる。「浜崎、さん?」


 睦子はまた、彼の言葉を遮った。彼の言葉をまるで、「聞きたくない」と言わんばかりに。


「そんな事をしちゃ、ダメだよ! ヒィ君は!」


「ヒィ君?」


 それは多分、人柱の事だろう。人柱の「ひ」を使って、それに「ヒィ君」と名付けたのだ。「浜崎さんの気持ちも、分かる。でもね? このままじゃ、彼は」


 睦子はまたも、彼の言葉を遮った。今度は、その言葉自体を否める様に。「独りぼっちだよ! あの中に入っていた時と同じ、また寂しい所に戻っちゃう。あそこは、本当に寂しい所なんだ! それなのに?」


 ? そう言いたげな睦子の目は、どんな言葉よりも鋭かった。天理がそれに「違う」と言い返しても、その眼光を全く消そうとしない。天理の目を只、じっと睨み続けるだけだった。睦子は天理の前に立って、その手をぎゅっと握った。「ヒィ君が可愛そうだよ!」

 

 天理は、その言葉に胸を痛めた。それは、天理も分かる。分かるが、それに「そうだね」と頷く訳には行かない。彼がこのまま成仏もせず、町の中をふわふわと彷徨い続ければ、いつかは文字通りの亡霊、此の土地に住む地縛霊と成ってしまう。


 地縛霊は、普通の人が考える以上に苦しい。自分では「あの世に逝きたい」と思っても、自分が作った鎖の所為で、それがとても苦しくなってしまうのだ。だから、絶対に頷けない。睦子の気持ちがどんなに分かっても、それに「このままで良い」とは言えなかった。


 でも、それでも、揺らいでしまう。彼女の「お願い!」を聞いて、その気持ちがぐらついてしまう。胸の憧憬に打たれて、その打開策をどうしても考えてしまった。「それ、なら」


 天理は真面目な顔で、人柱の顔に目をやった。人柱の顔は、その表情に「クスッ」と微笑んでいる。まるでそう、彼の気持ちを察しているかの様に。穏やかながらも、悲しげな笑みを浮かべていた。「異界に行って見る?」


 人柱は、その質問に答えなかった。質問の意味は分かっても、「異界」の部分は分からなかったらしい。「そこは、『此処』とは違うの? ボクの居る世界とは?」


 天理は、その答えに言い淀んだ。それに「違う」と答えるのは簡単だが、それでは「睦子の反感を買う」と思ったからである。


「全くではないけど、それなりに違うね。時間の流れも結構、違うし」


「そっか。なら」


「でも」


「うん?」


「此の世に未練がある人は大体、その異界に行く事を選ぶ。異界に行けば……役所の手続きが必要だけど、こっちの人達とも会えるからね。必要な手続きさえ済ませば、自分の好きな時に」


「成仏、出来る?」


「うん、それに猶予期間もあるしね。今すぐに『行け』って訳じゃない。猶予期間の間は」


 それを遮ったのは、睦子だった。彼女は天理の考えが余りに嬉しかったらしく、天理と人柱の手を握って、その二つをぶんぶん振り始めた。「ほんとう! それじゃ、その間はヒィ君と遊べるんだね? 此処に居る皆も、一緒に?」


 天理は、その言葉に頷いた。そうする事で、彼女の不安を和らげる様に。「うん、遊べるよ。少なくとも、此の夏が終るまでは」


 睦子は、その言葉に飛び上がった。その言葉が余程に嬉しかったらしい。「やたぁ!」


 人柱は、その言葉に微笑んだ。彼もまた、天理の言葉が嬉しかった様である。彼は天理の顔に目をやって、彼に「手続きに行こう」と言った。「町の皆もきっと、心配している」


 天理は、その言葉に頷いた。頷いた上に「うん」と歩き始めた。彼は仲間達の足を促して、町の役所に向かった。役場の中では、その職員達が働いていた。職員達は例の事件が原因で色々と大変な状態だったが、天理達が窓口の前に現われると、仕事の手を止めて、彼等の方に視線を移した。天理達も、彼等の視線に応えた。彼等はそれぞれの視点で、今回の事件が「本当に終ったんだ」と思い始めた。「外村君!」


 秀一は、その声に恥ずかしくなった。声の調子から伝わる、自分への賞賛が照れ臭かったからである。秀一は職員達に事の経緯を話して、人柱の手続きを「お願いします」と頼んだ。のだが、そこである問題が起きた。


 天理も考えていた、例の問題。人柱の戸籍がやはり、無かったのである。戸籍が無ければ、異界への手続きも難しい。手続きへの時間が、普通よりもずっと掛かってしまう。それは此の夏を楽しみたい秀一達にとって、どうしても避けたい事だった。


「そ、それなら!」


「はい?」


「人柱の戸籍を作れば、良いんですよね?」


「え? ま、まあ、そう言う事に成りますが。そうなると」


「そうなると?」


「名前を考えて頂く事に成ります。実際の生年月日や住所等は難しいでしょうが、お名前の方はどうしても必要で。生年月日や住所は、任意の内容にする事は可能です」


 職員は、秀一の顔を見た。秀一は、人柱の顔を見た。人柱は、自分の名前を考えた。彼等は三者三様に質問の答えを待ったが、人柱が秀一の耳に何やら囁くと、穏やかな顔でその空気を破った。「それじゃ」


 秀一は、目の前の職員に微笑んだ。何処か嬉しそうな顔で。「甲野こうのひかりでお願いします。皆の光に成れる様に」

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