第3話 オミコ(※三人称)

 人間が社会を生きる上で、最も面倒な事は何か? それはやはり、だろう。本人が「それ」をどう思うかは別にして、殆どの問題が「それ」に繋がっている。会社での人間関係も、学校での人間関係も、それが基本になっているのだ。秀一の通っている学校にもまた、その問題が潜んでいる。表面上では仲良くしている児童達も、その裏では醜い争いが起こっているのだ。ある時は、大人達の見ていない所で。またある時は、大人達の見ている前で。彼等は子供特有の純粋さと、人間特有の残酷さを持って、大人よりも未熟な世界を作っていたが……そこに秀一が入るかどうかは、イマイチハッキリしなかった。

 

 秀一は、子供達の輪に入っていた。輪に入っていたが、その色には染まっていなかった。彼等が「楽しい」と思える話題にも何故かついて行けず、一応の作り笑いを浮かべるだけで、心の底から「楽しい」と思えない。只、上辺だけの「楽しい」を見せていた。周りの友達が「楽しい」と言うのなら、「それはきっと楽しい」と思う。反対に「詰まらない」と言うのなら、「それはきっと詰まらない」と思う。実際はそのどちらでもなかったが、彼等がそう考える以上は、自分も「それ」に付き合うしかなかった。


 秀一は主体性の無い世界、独立性の無い世界を生きて、テストの前にはテスト勉強を、運動会の前には走る練習を、友達と携帯ゲーム機(秀一が車の中でやっていた奴だ)で遊ぶ前にはゲームの練習に勤しんで、何処か虚ろな毎日を過ごしていたが、それも夏休みの期間だけは無意味、それも無効になってしまった。彼がどんなに拒んでも、それに自立性を持たせる者が居る。彼本来の意見を呼び起こして、それに「動け」と命じる相手が居る。彼よりも少し年下で、その名前に「睦子」と付いた従妹が。


 彼女は思春期の少年が抱くだろう反抗心と、それと対になる性への目覚め、つまりはへの芽を促す存在だったが、秀一には「それ」が苦痛で仕方なかった。恋の意識を持った自分は、いつもの自分ではない。いつもの自分とは違った、もう一人の自分である。姿形は自分とそっくりな癖に、その内面は自分とちっとも似ていない者。その存在は正直、「『自分』とは正反対の人間」にしか思えなかった。

 

 其奴が、自分の内面を掻き乱す。それが、とても気持ち悪い。其奴が自分の中で、自分に囁く時も。「自分の気持ちに従え」と、微笑む時も。秀一には、「大人の世界に『自分を引き込もう』とする悪魔」としか思えなかった。自分はまだ、子供でいたいのに。子供のままで、子供の世界に居たいのに。


 其奴は彼の気持ち等全く無視して、ある時には思春期のときめきを、またある時には戸惑いを促して、彼に少年よりも上の世界を見せていた。彼が今、睦子の笑顔にドギマギしているのも、その未成熟な恋心に動かされていたからである。秀一は彼女の話に耳を傾ける一方で、彼女に自分の赤面を何とか隠し続けていた。


「ああもう、五月蠅い。いつまで喋るんだ! こっちは、もう」


?」


「寝たい」


 睦子は、その言葉にしゅんとなった。その言葉が「本当にショック」と言わんばかりに。「あたしは、寝たくない。まだ!」


 そう愚図る睦子の顔は、(一瞬だけだが)色っぽく見えた。秀一の手を握って、彼に「シューちゃん」とせがむような顔も、少年の情動を煽るには充分。その顔を見た秀一が、ドギマギするには充分な威力だった。


 睦子はそんな秀一の気持ちを察したのか、寂しげな顔で彼の目をじっと見返した。彼の目は、その瞳にずっと引き込まれている。「ねぇ、シューちゃん?」

 

 秀一は、その言葉に折れた。本当は嫌だったが、その言葉に「分かった」と頷いた。彼は自分の優柔不断さに呆れながらも、一方では睦子の笑顔に喜んでいた。


「ちょ、ちょっとだけだよ?」


「うん!」


 ありがとう! その笑顔もまた、眩しい。これは、同学年の男子には見せられない笑顔だ。男子達がこんな笑顔を見せられれば、その犠牲者が何十人も出てしまう。それこそ、「勘違い」と「初恋」のオマケ付きで。その笑顔には、それだけの力があった。睦子はその笑顔を浮かべたまま、嬉しそうな顔で秀一の手を握り始めた。「ありがとう!」


 秀一はまた、彼女の言葉に赤くなった。言葉の意味にも赤くなって、胸の鼓動も速くなった。秀一は恥ずかしい癖に恥ずかしくない、嬉しい癖に嬉しくないていで、彼女の言葉にも「あ、そう」と応えた。「と、兎に角眠いから。早くして!」

 

 睦子は、その言葉に微笑んだ。それが示す、彼の厚意を感じて。彼女は従兄の彼に「あのね?」と話し始めたが、やがて「シューちゃん」と俯いてしまった。「あたし、に選ばれた」

 

 秀一は、その言葉に押し黙った。言葉の意味はわかなくても、それが何か嫌な事なのは分かったらしい。今までは彼女に握られたままであった自分の手も、今度は自分から彼女の手を握り返した。


 秀一は真剣な顔で、従妹の顔を見詰めた。従妹の顔は、彼の想像以上に強ばっている。「『オミコ』って、何?」

 

 その答えは単純、つまりは「」だった。町の神様へ祈りをささげる巫女、祈りの後に自身を捧げる生贄いけにえ。彼女は子供会の関係で、今年の巫女役に選ばれたのだ。彼女が「いやだ、いやだ」とわめく横で、子供会の会長が「今年は、睦子ちゃんね」と決めてしまったのである。


 彼女は周りの子供達がホッとする中、その決定に不満を漏らしたが、昨年は自分も彼等と同じ立場だった事、家の両親達にも「頑張りなさい」と言われた所為で、本当はやりたくない祭事さいじの巫女役を引き受けてしまった。「こわいよぉ、いやだよぉ」

 

 秀一は、その言葉に胸を痛めた。言葉の響きには勿論、その内容にも苛立ったからである。秀一は今までは「町の祭りだ」としか思っていなかった事、「祭りのもよおしだ」としか思っていなかった事に初めて怒ったが、それと同時にある疑問を抱いてしまった。


 巫女のお役目は確かに大変だが、それでも困難な訳ではない。あの不可思議な舞いを覚えるのは大変でも、それを「嫌だ」と喚く程ではないのだ。小さい子供が「自分は目立ちたくないから」と、そう自分の親に訴える程度である。こんなに泣き叫ぶ程の事ではない。


 秀一は「それ」に違和感を覚えて、彼女の顔をじっと見返した。彼女の顔はやはり、「この世の終わり」とばかりに泣いている。


「何がそんなに怖いの?」



「え?」


 神さまに? まさか? 生贄は只の、儀式ぎしきの一つでしかないのに。祝詞のりとの中にある、「天上の君へ我が身を捧げます」の一文。それを只、儀式の最後に述べるだけなのに。


「どうして?」


「え?」


「あ、いや、だって! 『神様に持って行かれる』って言うのは、多分」


 その命を奪われる事。。この現代社会で、そんな事を出来る筈がない。もしも出来たら、国の司法が動いてしまう。あらゆる調査機関に情報が行き渡って、その現象が徹底的に調べられる筈だ。秀一が(あくまで小学生の範囲で、だが)現代社会の知識を振り返る限り、その現象は殆ど有り得ない筈である。


 だが……現実は、彼の想像を超えているらしい。現実の「科学」と「道理」を持っても、それが通じない事もあるのだ。ましてや、それが町の慣習に成っていたら尚更。町の警察も、その殆どが黙認状態だったのである。


 秀一は、その事実に愕然とした。自分が何げなく観て来た町の祭り、その裏側にとんでもない闇があった事にも。彼は自分の性格を除いて、この町を何となく好きに成れなかった理由が、今の話でふと分かった気がした。


「『仮に持って行かれた』として。その人は、どうなるの?」

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