タチバナシ②

 その後、まだ立ち話したそうな橘をなんとか蛯名たちから引き離し、案内を再開する。


「そういえば、日下部君はどうして私の案内役に? 隣の席だからでしょうか」


 俺の方をちらちら見ながら、橘が話題を振る。

 俺の案内を聞かず、立ち話に参加したことへの罪悪感があるらしく、ご機嫌伺いをしているらしい。

 感情がよく分からないと思っていたが、案外分かりやすいところもある。


 俺は橘に意地悪をしたいわけではないので、素直に答えた。

「いや、俺が昨日、日番だったから。隣の席なのはたまたま」


 橘は、きょとんと首を傾げ、

「日番? ……ああ、日直のことですか」

「そうそう。俺が通ってた学校だと、そう言ってたんだよ。多分、日直当番を誰かが略し出したんだろうな」

「昨日、日下部君が日直だったんですね」

「一応、昨日のホームルームで前に立って話してたんだけど、覚えてない? 朝のホームルームで風船の話、しつこくしてたんだけど」


 風船の話というのは、文化祭の出し物で使う風船のことだ。

 燈崎高校では、九月末に文化祭を開催する。夏休み前から飾りつけ用の材料の注文をしていたのだが、それがおとといの二日に届き、布やら安全ピンやらが数学準備室に運び込まれた。


 その中には風船も入っていたのだが、飾りつけに必要な分ぴったりしか注文していないらしく、一つでも割ってしまうとアウトなのだとか。だから、ホームルームの時に「まだ膨らませている風船はないが、数学準備室に入る時は注意しろ」と言ってくれ、と文化祭実行委員から頼まれていたのだ。事故で割った場合は学校に追加で注文を頼めるが、遊んで割った場合は自腹で弁償、ということも繰り返し話した。


「話は聞いてたんですけど、誰が話してるかは覚えてませんでした」

「そう……」

 これは俺の印象が薄いということか。


 まあ、気を取り直して。

「ここ、地学室。もし地学取ってるなら、一週間おきにここで授業してるから」

「はい」

「で、隣が生物室。センザンコウの剥製が置いてある。暗くなってから見ると、結構怖い」

「はい」

「で、さらにその隣が音楽室。二年生から芸術科目なくなるけど、音楽系の部活入りたいなら、場所覚えといた方がいいかも」


 返事がない。まさか。


 ばっと後ろを振り返る。すると、男子三人の立ち話の輪に参加しようとしている橘が見えた。

 ……またかよ。


「橘ー?」

「……すみません、我慢できず」


 男子全員、目を白黒させている。やはり知り合いではないようだ。


 男子三人は以前見たことがある顔だった。確か、右から須田すだ涌井わくい香保かほだ。


「悪いな、すぐ回収していくから」


 軽く謝ると、涌井が、

「いや、全然問題ないし! 何なら今話の途中だから、最後まで聞いてったら?」

 と言い出した。須田と香保もうんうんとうなずく。

 美少女が自ら話しかけに来てくれたこのチャンスを手放したくないようだ。


 橘がほんの少し目を輝かせる。

「いいんですか?」

「もちろん! それで、煤原の話なんだけど」

「はい」

 流れるように話が始まってしまった。もう聞くしかない。


「絶対裏で良からぬことしてると思うんだよな」

「わっかる。去年も、無断バイトで反省文書かされてたもんな」

「そのせいで、金欠だって言ってたし」

 多分だが、これはモテる男子への私怨だ。少しでも煤原の株を下げたいのだ。


「あいつ、去年から放課後に数学準備室を根城にし出したんだけど、絶対にそこで良からぬことしてる」

「だよなー、女子何人も連れ込んでんじゃね」

「うわ、プレイボーイだ、不誠実ぅ」


 私怨がすごい。

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