タチバナシ①

 二人で並んでパンをかじりながら、廊下を歩く。俺はメロンパン、橘さんはママレードパンだ。傍から見たら、異様な光景だろう。


「えっとー、じゃあ、今日はとりあえず数学準備室まで、案内し、ます。

 うちの高校は今月の末に文化祭をやるんです、けど。一クラスに一つ、物置として使っていい教室が割り振られてて。我が四組には数学準備室が割り振られてるので、数学準備室までにしてみまし、た」

「敬語じゃなくて大丈夫ですよ。私のことも呼び捨てで構いません」


 いや、あなたのことがよく分からないから、とりあえず敬語を使っているのですが。

 常に丁寧に喋る割に、人の意見は聞かずに押し切ってくる。橘伶菜という人間がよく分からない。それに、昨日の休み時間全てで姿を消した謎も残る。


 とは言え、敬語はいらないと言われた手前、敬語を使うのも気まずい。

「……じゃあ、橘」

「はい」

「一個下の階は一年の教室が入って、る」

「はい」


 最初はぎこちなかったが、話しているうちに少し慣れてきた。毎回返事してくれるのも、話しやすい。

 回りやすくなった口で案内を続ける。

「一年の教室の横には多目的教室があるんだけど、時々英語表現の授業で使うから、覚えといたほうがいいかも」


 今回だけ返事がなかった。横を見ると、橘がいない。

 慌てて周囲を見回すと、見つかった。窓際、他クラスの女子二人の立ち話の輪に加わっている。


「あのー、橘?」

 おずおずと声を掛けに行くと、橘が我に返ったようにこちらを見た。

「はっ、すみません」

「別にいいんだけど、一声掛けてほしかったというかなんというか」


 とはいえ、このおかげで昨日橘が休み時間に消えた理由が分かった。他クラスに既に友達を作っていて、会いに行っていたのだ。


 しかし。

「あ、あなた、橘さんって言うんだね」

 立ち話をしていた女子の一人、昨年同じクラスだった蛯名えびなが言った。


「え? 蛯名たち、橘と友達じゃないの?」

 すると、もう一人の女子(上靴の名前を見ると、『日向ひゅうが』とある)が、うなずく。

「うん。蛯名ちゃんと話してたら、急に『何のお話をしてるんですか』って」


 橘を見やる。橘はほんの少しだけ照れを含ませた表情で言った。

「すみません、私、人の立ち話に加わるのが大好きで……」

「……」

 どんな趣味だ。


「……じゃあ、もしかして昨日の休み時間、教室にいなかったのも」

「立ち話してる人を探しに行ってました。……その、日下部君を案内に急かしたのも、早めに終わらせて、立ち話してる人を探そうと」

 ……そういうことだったのか。


 何はともあれ、蛯名と日向は橘の存在に困惑している。さっさと橘を回収して、案内に戻ろうと考えていると。


「そういえば、日下部君って、四組だよね? れんちゃん、まだ怒ってた?」

 蛯名が言った。


 橘が首を傾げる。

「蓮ちゃん?」

「うちのクラスの柴野しばののこと。ショートカットの」


 軽く補足を入れつつ、蛯名に聞き返す。

「柴野と喧嘩でもした?」

「ううん、そうじゃないんだけど」


 蛯名は控えめに首を横に振ると、

「実は昨日ね、蓮ちゃんのお弁当についてたオレンジが盗まれたの」

「オレンジ?」


 今度は日向が答える。

「そう。おばあちゃん家から送られてくるとかで、この時期の蓮のお弁当、絶対にオレンジが入ってるんだ。皮付きの大ぶりなオレンジ。昨日、それが盗まれちゃったんだ」


 そういえば、おとといクラスの女子に弁当のオレンジを分けているところを見た気がする。


「蓮ちゃん、昨日の朝のホームルームの後、憧れの煤原すすはら君から『数学準備室で一緒お昼食べよう』って誘われたんだって。すっごく嬉しそうに私たちに教えてくれたんだけど、数学準備室に行く直前に、オレンジがなくなってることに気づいてね。私たちも一緒に探したんだけど、結局見つからなくて、煤原君のお誘いを反故にしちゃったの。だから、犯人に対してすっごく怒ってて」


「煤原君?」

 またしても、橘が首を傾げる。

「うちのクラスの男子」

 説明はそれだけにとどめておいた。本当は、派手な見た目でモテる、とか他にも情報はあったけれど。理由は、なんか癪だからだ。


 それから、蛯名に対して、

「うーん、柴野とは席離れてるから、ちょっと覚えてないな」

 俺は短くそう答えた。

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