ほころび

 風呂場ではシャワーの水音が爽快に響き渡っていた。


 タカシは風呂のイスに、ぐったりと黒く変色したそいつを座らせ、水を一心に浴びせてやる。するとみるみるうちに生気を取り戻したので、水を得たなんとやらということわざが浮かんだ。


 水かきいっぱいに受けた水を気持ちよさそうに顔にかけながら、そいつは顔をほころばせた。

 その様子に、タカシもほっとして同じように顔をほころばせる。


「黒いのは、なかなか薄くなんないなぁ」

「皿が汚れてしまうと、不思議と身体もおんなじように汚れてしまうんです……」


 そいつは皿を指先でキュッキュと擦った。


 どうですか、ちょっとは皿の汚れが取れましたか? と訊かれたが、皿の染みはこびりついてしまっていて取れそうな気配はあまりない。


「こんだけこびりついてたら、ハイターとかで漂白でもしないと無理かもな」


 そう呟くと、「ハイター……。ヒョウハク?」と聞き返される。


「いや、やっぱ漂白なんて駄目だ。大事な皿がただれたらえらいことだし」


 そいつは〈爛れる〉という言葉に怖気づいたのか、首をすくめて押し黙ってしまった。


「どうしたん? なんか声するんだけどっ」


 途端、風呂場のドアが開き、隙間からぬっとタカシの彼女が顔を覗かせた。シャイニングのワンシーンかよ! と内心突っ込むタカシに、彼女は「それ、なに?」とずぶ濡れの二人を交互に見つめた。


「ごめん、起こしちゃったよね」と、誤魔化すみたいにへらへら笑ってから「散歩してたら、こいつが死にかけてたんだ……」とバツが悪そうに彼女の表情を伺った。


 こいつと出会った経緯をタカシが説明すると、彼女は思いのほか〈妖怪を連れて帰ってきたという事実〉をすんなりと受け入れた。

 彼女の順応加減はタカシが拍子抜けするほどで、向こうから「頭のお皿の汚れを取りたいんだったら、重曹使ってみたら?」と提案してくるありさまだった。


「ちょっと苦いかもしれないけど、ハイターなんかより全然お皿にはやさしいと思うんだ」


 彼女はじっとそいつの目を覗き込む。そいつは、〈苦い〉という言葉に一気に表情を強張らせていた。


「最初にかけた黒いもの、死ぬかと思うくらい苦かったんですが……。ほんとうに大丈夫なんでしょうか」

「苦いだろうけど、ちゃあんとあとのことも考えてあるから大丈夫だよ」


 彼女はそいつの手をやさしく取って握り、にっこりと目を細めた。

 

 その後、皿を重曹で洗ってもらったそいつは、また苦さに悶え、転げまわる羽目になった。でも散々苦しんだ甲斐あって、身体はすっかりもとの緑色に戻っていた。


「これ、お口直しにどうぞ」


 彼女は、きなこがたっぷりかかった餅を手渡した。


「お心遣いありがとうございます」


 そいつは嬉々としながら見る間に餅をたいらげると、倒れこむように眠り始めた。


「こいつ、相当疲れてたんだな」


 タカシがつぶやくと、彼女の肩が小刻みに震えだす。


「ふっ……。――あははっ。案外てきめんじゃない」


 嘲るような声に、タカシは思わず目を剝いた。


「あんたの睡眠薬、お餅に混ぜてやったのよ」


 飛び切りのウィンクを決めて、彼女が親指を突き立てていた。


「こんな化け物家にいてもらっても困るから、取り敢えず保健所にでも連絡したいところだけど夜中だしなぁ。警察にでも連絡しようかな」


 あまりの唐突さにタカシは呆然としていた。

 そんなことなど気にも留めず、彼女はスマホをタップして、一一〇をダイヤルする。


「すみません。信じられないかもしれないんですが、家に河童がいるんですけど……」


 神妙な声色をつくってスマホを耳に当てた彼女は、平然と、淡々と話しをはじめた。

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君こそがバケモノ ウワノソラ。 @uwa_

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