第11話 迷子の招く幸不幸

 グロブ・スカッス伯爵は憤慨していた。大きな音で叩いた机から書類が落ちる。

 

 「ふぅーふぅぅ…あ、あの男調子に乗りおってぇ!!私を豚だと罵り嘲ったのだぞ!?許せん…許せんぞぉおお!!」

 ブヒブヒと、唾を飛ばした分厚い唇からは足りない頭で必死に考えた罵詈が飛び出る。膨張した腹部は二つに段をつくり、二重の顎で荒く息をする。


 「必ず、必ず、かならぁずぅ…っ!」

 大きな独り言、脂汗を光らせて叫ぶスカッス伯爵は手元に広がっていた紙束をクシャクシャに握りしめた。




 「無礼な発言のお詫びを…」

 「よい、お主の考えは大体理解できる。しかし…本当に行くというのか?」

 夜を照らす仄かな明かりが差す謁見の間。呼びされた天は玉座を見詰めたまま背中を向ける国王と言葉を交わす。

 不慣れな敬語で大げさに跪こうとした天を止めて振り返る。影の差した国王の顔は心配の念が強く籠り、元より刻まれた皺が一層深く見える。


 「ま、いい機会だしなぁ。」

 「お主まさか、いや考えすぎか…」

 国王の言葉に軽い笑みを返す天。その顔は何かを含んでいるようで、つい今しがた振り払った考えもあながち間違いではないのかも知れない。

 瞬の言葉をきっかけに敵をつくってしまった彼はこの国を出る、それが全て描いたシナリオ通りなら。なんていつまでも思考の沼に浸ってはいられない。


 「気をつけろ。お主ら十人と同じように、特別な能力を授かった者が数人確認されている。今では天災を支持し崇める、世界の再構成を企む連中もいると聞く。敵か味方か…見極め悩むことだ。」

 全てを疑えと言う国王の顔は、まるで目の前の自分もだと示すかのように蒼く澄んでいた。


 「ああ…また来るよ。」

 天の声に手を上げて答えた国王は独り、謁見の間で小さく呟く。それを聞く者はいない、吐いた息だけが虚空に消えた。






 「荷物は持った?靴紐もほらちゃんと締めて、冬花もいい加減起きる!」

 寝ぼけ眼を擦る彼女は、寝ぐせのついた髪を撫でつけながら紗菜の声に欠伸で返す。まるで我が子を心配するような彼女は、目の前でだらつく冬花に不安が隠せない。

 

 「これは陛下からのお気持ちだ。無事を祈るぞソラ。」

 グランから渡された、ズシリと重い麻袋の中は金銀銅の硬貨が詰まっている。この世界の常識は僅かに聞いた程度だが、これが大金であるということは分かる。十分な路銀を有り難く頂戴し、見送りの五人に別れを告げた。


 「さくら、頼むね!四人とも頼りないから…」

 「うん、私がしっかりするね。」

 ブンブンと音がなるほどに手を振った紗菜に、しかと意気込むさくら。聞き捨てならない言葉が聞こえたが、四人も手を掲げ歩み始める。


 二つに分かれた旅が始まった。運命は枝分かれし、どこかで交差する。選択した道が何に続いているのか、どんな結末を迎えるかなど今は誰にも分からない。



 城を出た五人は兵士の案内で街に繰り出した。ガヤガヤとした喧騒に染まる活気の良い街中は、様々な人種に溢れていた。僅か数分歩いただけで広がった世界には、見たことの無いようなもので溢れている。


 「見て見て、ぜっったいモフモフだよぉ!」

 興奮気味に冬花が指した先には、布袋いっぱいの果物を抱えた明らかに人間とは異なる者。顔立ちは人間のそれだが、フサフサの毛が生えた尻尾を揺らしているあれは獣人という種族であろう、ピンと立った耳が愛らしい。


 「あっちには鱗のある人もいるなぁ。」

 瞬の向く先には人間と大した違いのない、肌に鱗を持った人間が。あれは何という種族だろうか。五人はゆっくりと歩きながら道を行く。まるで田舎から都会に出て来た若者のように、見るもの全てに目を奪われてしまう。


 せっかくこの世界の通常に合わせて服を着替えたというのに、挙動に言動で注目を集めてしまう。視線が集まったことに恥ずかしそうなさくらが皆の手を引いて先を急ぐ。ひとまずの目的はこの街を出る方法を探すことだ。


 「やっぱり馬車が一番だってグランさんは言ってたよ、確か南門の近くに乗り場があるって…」

 「南か、で今は何処?」

 忠成の言葉に流れたしばしの静寂、さくらの案内につられて来たは良いもののどうやら大通りを離れてしまったようだ。


 「迷子…なわけないよね?」

 「うぅぅ…ごめんね皆。」

 申し訳なさそうなさくらを冬花が慰める。しかしどうしたものか、知らない世界の知らない街、旅の始まりは裏路地からになりそうだ。

 どうしようもなく項垂れていた折、反対側から響く軽い足音に耳を傾ける。


 「お、今日もいた。おーいこっちこっち!案内してあげるからおいで!」

 道角から顔を出したのは冬花と似た背格好の少女、両手で招く彼女はやれやれと肩を竦め、五人を見ていた。



 「この辺は道が入り組んでるから迷う人が多いの、特に観光者とか旅人とか。」

 「助かりましたぁ…」

 見知らぬ少女につられて大通りに出た一同は安堵の声を漏らす。肩上で切り揃えられた赤髪に同色の瞳が鮮やかな彼女は、腰に手を当て五人を見回した。


 「で、お兄さんら…何もの?見たとこ着てるものも上等だし、この国の人じゃないみたい。もしかして貴族とか?」

 「旅人だよ、今日からな。」

 「ふーん…ま、いっか。私リッカ、よろしくね!」

 天の言葉に少し訝し気な眼を向けた彼女リッカは、どうやら日頃旅人の案内などを行っているようだ。街のことならなんでも分かるという彼女は得意気な表情を見せる。


 「それで、案内してほしいんでしょ?」

 話が早い、彼女の言葉に頷き行先を伝える。場所は南門馬車乗り場。任せてと言った彼女の後ろを五人は行く。


 「え、じゃあ出て来てすぐ迷子になったってこと?」

 王城から、ということは伏せ迷子の経緯を伝えた彼女は腹を抱えて笑った。

 「そのおかげで案内してもらえるって考えりゃあ…」

 「楽観的だねお兄さん。」

 瞬の能天気な言葉に振り向いたリッカが何かを思いついたような顔をする。


 「じゃあさこの街を少し見て回ろうよ!他に予定があるわけでも無いんでしょ?」

 なかなか魅力的な提案だ。この街というよりこの世界の常識にもまだまだ疎い五人にとって一番必要なのは情報だ。彼女の提案に全員が賛成を示した。



 ユートリア王国王都は中心に王城を構えた円状の大きな街である。城を貴族の住宅街が囲み、それより外側に国民の住宅や商店が集まっている。

 

 「ここは私一押しの食事処、霧花亭きりばなてい!安いし美味しいし中も綺麗の最高の場所だよ!」

 「へー!あ、いい匂い…うわ朝ご飯食べたばかりなのにお腹空いてきちゃった。」

 スンスンと鼻を鳴らした冬花が引き寄せられていくのを、慌ててさくらが引き留める。しかしそうなるのも無理は無いほどに香る美味しそうな匂いが全身をくすぐる。


 「だーめ!我慢する!」

 「ぶー…さくらが紗菜みたいだぁ。」

 紗菜に任されたからだろうか、いつもと違い責任感に溢れたさくらが冬花を軽く叱る。

 「また今度だな。」

 わざとらしく泣きついた彼女の頭を天が優しく叩いた。リッカの案内が再開する。


 「ここが町一番の服屋で、隣は装飾品のお店。」

 服屋に並ぶのはどれも高価なものばかり、五人が身につけた王城仕立ての服を見て店員の目が光ったのが見えた。隣の装飾品の店には耳飾りに首飾り、宝石が嵌められた指輪などが並んでいる。

 

 「これはちょっとお高いねぇ…」

 悩まし気な声を漏らしたリッカは目を輝かせている。どれも綺麗なものであるがしかし、ここにいる五人はそういったものに明るくない。かろうじてさくらが興味を示しているが冬花にいたっては退屈そうに欠伸を噛み殺している。


 「どんどん行こー!」

 食事処に服屋、装飾品と来た一同は次々に店を訪れる。武具店では剣に鎧に忠成と瞬が目を輝かせ、途中寄った店で何の肉か分からない串焼きを食べたりと充実した時間を過ごした。


 

 「何人?」

 「五人だ、舐められてるな。」

 冬花の問いに天が答える。せっかく楽しい時間を過ごしていたというのに、どうやら邪魔が入ったようだ。さくらとリッカは怪訝そうな顔を浮かべている。


 「食後の運動にはなるな。天、俺がやる。」

 「軽くな、殺すなよ。」

 瞬を見送る言葉は冗談ではない。彼が持つ【力】の能力を使ってしまうと常人では耐えられない。くれぐれも加減するようにと言い聞かせ、何事も無かったかのように歩き出した。



 「良い趣味とは言えねぇなあ?」

 後ろからの声に振り向く、先ほどまで何もいなかったはずの路地奥から男が一人悠然と近寄ってくる。


 「貴様、いつの間に…っ!」

 甲冑を身に、剣を抜いた五人の兵士は狭い路地に広がった。目の前には目的とする人物の取り巻きの一人。手足を振りながら近づく男の身体は鎧の如く頑丈そうで、握った拳には尋常じゃないほどの力が籠っているのを感じる。


 「一斉に来いよ、撫でてやるから。」

 悪魔的に笑った男に体が竦む。一瞬の躊躇、気づいた時は既に遅く腹部の痛みに声を出すことも出来ないまま意識が沈んでいった。



 「お帰り。」

 「よっと、待たせたな。」

 場所は中央広場、噴水を背にベンチに座って迎えた一同は休憩をしていた。


 「どこで何してたの?」

 「あー…ちょっと花を摘みにな。」

 リッカの疑問に冗談で返す。へーとあまり興味がなさそうに軽く返事をした彼女は立ち上がり背伸びをした。


 「もうすぐ馬車乗り場だよ、行こ!」

 元気な彼女の背を見詰めながら歩く。

 「で、何処の誰?」

 「さぁ?ただ殺す気だったのは間違いねぇな。目当ては十中八九天だろう。」

 意識を失った追跡者達の身元は分からずじまい、胸当てに施された紋章も見たことの無いもので、勿論顔も見たことが無かった。


 「しかしずいぶん手が早いね。俺の能力かもしれないけど他にもいるみたいだね、嫌な空気を感じるよ。」

 忠成の【審判】は音と光に関する能力であり、それが街に溶け込む不気味な足音を感じ取ったのだ。標的は天、しかし一緒にいれば同じだろう。それはリッカにも言える。


 「着いたよ、あそこが馬車乗り場!」

 そんな心配のなか一同は目的地へと到着する。早いところリッカを遠ざけなければならなかったところ丁度いい。


 「ありがとな、これはお礼だ。」

 「わっとと…ってえぇ!?こんなに貰えないよ!!」

 天が銀の硬貨を指で弾く。両手で捕まえ掌を見た彼女はその額の大きさに目を見開いた。返そうとするかの彼女の手を包んだ冬花が笑顔で分かれを告げる


 「色々ありがと!またね、リッカ!」

 些か強引ではあるが、早いところ離れなければリッカの身に危険が迫るかもしれない。各々お礼を言い、まだ納得がいってないような彼女の前を後にした。

 「今度会った時も案内してあげるからね!」

 背中にかかる声に片手で答える。五人は振り返らず足早に馬車乗り場へと急いだ。

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