【最終話】つないだ僕の左手と彼女の右手の約束。

 ――時刻は午後五時を過ぎていた。自宅の玄関ドアの鍵を出来るだけ音を立てずに開ける。ドアを後ろ手で押さえながら玄関内に身体を滑り込ませる ふうっ、何とか気付かれなく帰宅出来た……。


「うわっ!!」


 一歩玄関に足を踏み入れた瞬間、飛び出してきた黒い影に驚いて手に持っていたヘルメットをあやうく床に落としそうになってしまう……。


「陽一お兄ちゃん!! 急にドアを開けないで欲しいんだけど……」


「ひ、日葵ひまり、お前、なんで玄関マットにダイブして寝そべっているの!? そんなにも僕の帰りが待ち遠しかったのか!!」


 自宅の玄関先で妹の日葵がうずくまった姿勢のまま僕を出迎えてくれた。


「もうっ!! 日葵はそこまで熱烈なブラコンじゃないから。猫のムギが玄関から脱走しようとするの阻止したんだよ……。チャイムを鳴らしてからドアを開けてってちゃんとメールにも書いたのに。もしかして陽一お兄ちゃん読んでないとか?」


「フギャア!!」


 日葵に手を差し伸べると同時に、愛猫のムギが妹の胸に抱かれながら不服そうな鳴き声を上げる。しばらく見ない間にまた体重が増えたみたいだ。くりくりとした目は子猫のころの面影が残っているがすっかり貫禄が出て来たな……。


「えっ、日葵からのメール!? うん、読んでるよ。……多分」


「……その顔は絶対に読んでない!! じゃあ私が頼んだお使いも当然買ってきてないよね」


 日葵がじとりとした目で僕を射ぬいた。


「なんてね日葵。忘れるわけないだろ。僕が今日、帰ってきた意味がなくなる」


 そして僕は後ろ手に隠していた包みを妹に渡した。日葵の表情に安堵の色が浮かぶ。


「……陽一お兄ちゃん、ありがとう」


「日葵、礼を言わなければならないのは僕のほうだ、ありがとうな。お前との約束、今まで待たせてごめんな」


「ううん、私とだけの約束じゃないよ、陽一お兄ちゃん。はい!! ちゃんと届けてあげて……」


 妹の日葵が大事そうに手渡してくれたもの。


「腕を振るった自信作だからね!!」


「……専門学校で鍛えた料理の腕前、堪能させてもらうよ日葵。お前も地元で頑張ってるみたいだな」


「うん、日葵ね。都会じゃなきゃ夢を実現出来ないとか、もう場所のせいだけにするのはやめにしたから。陽一お兄ちゃんもカメラマンのお仕事を頑張ってるし、私も料理人への道、負けないように努力するの……」


津久井つくいのおじさんから聞いたよ。奥さんの選挙事務所で日葵はボランティアとしてもがんばってくれているってさ。よく振る舞ってくれる手作りスイーツも絶品だって」


「そんなことまでお兄ちゃんに話したの!? 恥ずかしいな。今度、事務所で会ったら津久井のおじさんのこと、おしゃべりおじさんって呼ばなきゃいけないね」


 照れ笑いを浮かべる日葵の姿に僕は不思議な感覚にとらわれた。人は一生のうちで何度、岐路ターニングポイントに立たされるのだろうか……。


 それは津久井夫妻の事例だけじゃない。人と人の出会いはその瞬間の心の持ちようで大きく変化する。友好的に接するのと敵愾心てきがいしんを持って接するのでは、その後の関係性もまるで正反対みたいに違ってくるはずだ。


 大袈裟な人生の岐路でなくとも選んだ選択肢によって人の運命は大きく変化する。そうだ、まるで違う時間軸に移動するみたいに……。これまで経験してきたあの不可思議な現象によく似ている。僕は身体に感じるあの跳躍ジャンプの浮遊感を懐かしく思いだした。


「私のお弁当だけじゃ駄目なの。彼女の大好物である太平堂のたい焼きがなきゃ始まらないよ!!」


「ああ日葵、チョコプッキーもな。しっぽを振って喜ぶよ、きっと」


「陽一お兄ちゃん、ちゃんによろしくね。今度こそお願いをかなえてあげて……」



 *******



 夏祭りの喧噪けんそうを抜け、ヤマハトレーシーを村一番高い柿の木のある広場に滑り込ませる。夏祭りのメイン会場である稲荷神社から少し離れたこの場所はお祭りの臨時駐車場になっていた。もともと街灯の少ない広場は真っ暗で僕以外に誰もいなかった。


 混雑した駐車車両を避け、柿の木の近くにトレーシーを停める。サイドスタンドが土の地面にめり込んで車体が不安定にならないように辺りに落ちていそうな小石を探す。


「……ちょうどいいサイズの小石が見当たらないな」


 祭りばやしの威勢の良い掛け声が遠くから聞こえてきた。通称油揚げまつり。この辺りでは有名な奇祭でお狐さまを敬うために、お神輿みこしれんが連なって村の道を練り歩くんだ。津久井のおじさんもえあるお神輿の担ぎ手の一人だから、あんなに日中からテンションが上がっていたんだよな。僕はおじさんの人懐っこい笑顔を思いだした、強面こわもてだけど優しい側面を持ったあの笑顔を……。


 あの夏の日、真美と二人で逃避行から戻った僕を本気で心配して叱ってくれた。あとで父親から聞いたが津久井夫妻は地域のみんなを束ねて僕と真美の捜索隊を早期から結成してくれていたそうだ。津久井のおじさんには感謝してもしきれないほどの恩義がある。


 そして逃避行から無事、戻ることに成功した時間の世界線で、その後の僕と真美の関係性はどう変化したかに想いを巡らせる……。


「うわっ、何だ!?」


 僕が過去への追想にふけっていると背中にトレーシーの車体が急にのし掛かってきた。サイドスタンドと地面の間に置く石を探しているうちにバランスを崩したのか!!


「ヤバっ!! 痛ててっ!!」


 身構えていない状態で僕はあまりの重さに地面にひざをつき、つぶれたカエルさながらになりかけて地面に這いつくばってしまう。


「……ギブ、ギブ、頼むよトレーシー!! こんな大事な日に勘弁してくれ」


 僕の背中に食い込むトレーシーのハンドルバーの先端。その固い突起とっきの痛みに思わず情けない声が口から漏れる。


「陽一お兄ちゃん、相変わらずトレーシーちゃんと仲良しだね!! 何だか妬けちゃうかも……」


 この声は……!?


「真美っ!!」


 無様な僕とトレーシーのダンスを見て笑う成長した真美の姿があった。少し困ったような眉の動きは昔のままだ……。


「陽一お兄ちゃん、ごめんなさい、これまで心配をかけて」


 懐かしい白色のワンピースはあの日と似たデザインだ。彼女の姿を捉えた瞬間、背中に感じる痛みが嘘のように消えた。火事場の何とかで背中全体を使ってトレーシーの車体を引き起こす。


 慌てて真美のもとに駆け寄った。まじまじと彼女の顔を見つめてしまう。


「大人の真美……。違う、精神って意味だけじゃなく、ちゃんと身体も成長した真美なんだよな!?」


「うん、陽一お兄ちゃんと同じだよ。あの事件からずっと離ればなれで寂しかったけど、日葵ちゃんがこまめにお手紙してくれたからお兄ちゃんの近況もよく知ってる。カメラマンのお仕事お疲れ様!! あとね、その手紙のおかげで真美は今日の約束に迷いなく来れたんだよ」


「……何だよ、おしゃべりなのは日葵、お前のほうじゃないのか。津久井のおじさんのことを全然責められないから」


「日葵ちゃんって、陽一お兄ちゃん、いったい何の話なの?」


「ああ、別に何でもないよ。それより今日はよくこの場所に出て来れたな。僕はあんな事件を起こして君を逃避行に連れ出した張本人だから。てっきり真美のご両親に今でも嫌われているのかと思っていた……」


「この柿の木のある広場に来たら陽一お兄ちゃんが地面にひざをついて土下座の格好をしているから、びっくりしちゃったんだよ。小学生のころ、あの白い橋で私に謝った出来事を思い出したくらい。でも安心して、お父さんとお母さんはひとあし先にお祭りの会場に来てるの、なんでも地元のみなさんに挨拶があるんだって。その途中で私をこの場所まで車で送ってくれたから大丈夫」


 僕のひざについた汚れを手ではたきながら真美が満面の笑顔で微笑んだ。


「えっ!? 真美のご両親がお祭り会場に!! じゃあ僕たちが逢うことも認めてくれたのか……」


「うん、それだけじゃなくもっといいお知らせもあるの。陽一お兄ちゃんと遠距離恋愛じゃなくなるんだよ!! もう少し先の予定だけど真美の住んでいた県営住宅の跡地が分譲になってその区画に一戸建て……」


「駄目だ、それ以上は言わないでくれ!! 僕は嬉しさのあまり夢でも見ているのかとまた勘違いしそうだから」


 僕は地面をしっかりと両足で踏みしめる。これが本当に現実かどうか確かめる意味で。もう跳躍ジャンプは起こらなかった。


「ねえ、陽一お兄ちゃん、お願いがあるの。あの日に出来なかったお芝居の続きをこの場所でしてもいい?」


「ああ、もちろんだ。これからも僕の主演女優ヒロインは真美、君しかいないよ……」


「陽一お兄ちゃん、じゃあその映画のタイトルは!?」


 しばし無言で彼女とお互いの顔を見合わせる。


『『君に捧げる小さな恋の旋律!!』』


 真美とあの日観た恋愛映画のタイトルを同時に口ずさむ……。


「私ね、離ればなれのあいだ、ずっと夢を見ていたの。陽一お兄ちゃんに言ったら絶対に笑われる内容なんだけど、夏の日に海の見える白い洋館で一緒に暮らしている夢なんだ」


 ……真美、君とならきっと叶えられるさ。


 そのまま、ぎゅっと抱き合う僕と彼女。そして腕の中の幸せが消えてしまわぬうちに、あの夏の日どうしても言えなかった想いを告げた。


「……おかえり、僕の大好きな真美!!」


「ただいま、私の大好きな陽一お兄ちゃん……」


 夏に咲いた可憐な向日葵ひまわりのように彼女は明るく微笑みかけてくれた。


 少年時代にあの白い橋で交わした、つないだ僕の左手と彼女の右手の約束。もう絶対にこの手を離さない……。


 そして水色のワンピースを着た永遠の少女に語りかける。ありがとうな幼い真美よ。でもさよならじゃない、だって君の心は成長した彼女まみの中でこれからも生き続けているから。明るくて天真爛漫な側面を持つのも君の一部なんだよ。ほら、あのときの声が聞こえてくるみたいだ。


【約束だよ、陽一お兄ちゃん。真美が大人になったら必ず迎えに来てね】


 ……約束を果たしたよ、幼い真美。だから無邪気な笑顔でまた僕を笑わせてくれ。



 群青。あの夏の日に消えた私を見つけてと君は言った、そして離れないように僕の手を握りしめる……。


 【完】



 ─────────────────────── 




 ☆★★作者からの御礼とお願い☆★☆


 皆様の応援のおかげで完結まで到達することが出来ました。


 何度か中断して完結は無理かと思いましたが、これもひとえに応援に背中を押された結果です。


 最後まで【群青】を応援して頂き本当にありがとうございました!!


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 作者の今後の励みとして大変嬉しく受け取らせて頂きます。


 作品への感想コメントも大歓迎です。あと本編では描かれなかったショートエピソード等も今後、追加する予定ですので【作品フォロー】はそのままにして頂けると通知が届きます。


 もちろん作者フォローも大歓迎です。


 では今後ともkazuchiを何卒よろしくお願い致しますm(__)m

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群青。 あの夏の日に消えた私を見つけてと君は言った、そして離れないように僕の手を握りしめる……。 kazuchi @kazuchi

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