二人だけの聖地巡礼へ。

 ――僕は、真美がこの場所にどうやって現れたのか聞くことが出来なかった。

 それを問いただしたら炭酸の泡沫の如く、目の前から姿を消してしまいそうで本当に怖かった。

 村一番の柿の木。その前にある空き地に急いでトレーシーを停めて真美に駆け寄ったが、しばらく言葉が出ず、彼女の顔を穴があくほど見つめてしまった。

 いや正確には一分も経っていなかっただろうが、まるで時間が止まったかのように長く感じられた。そのまま無言で彼女に二人乗り用のヘルメットを手渡す。

 皮肉なことにジェット型のヘルメットの色は群青のような青色ブルーだった……。


「あれっ、陽一お兄ちゃん、これってどうやるの?」


 どうやら真美は、ヘルメットのあご紐の締め方が分からないらしい。


「どれ、貸してみろよ」


 ヘルメットのあご紐を締めてあげようと顔を近づける。

 その仕草に真美が固く目を閉じる。細いあごをこちらに突き出してきた。彼女の白い首筋に僕の指先がそっと触れた。


 ドクン!?


 その瞬間、指先に電流が走った気がした。何だ、この感覚は!? 

 身体が強張る。お祖母ちゃんの背中で暗闇が怖いと思っていた子供の頃に逆戻りしたみたいだ。

 彼女に恐怖を感じるなんて僕はどうかしてしまったのか? 目の前にいる真美を幽霊みたいに思った自分に驚きと強い憤りを感じた。

 もし彼女が幽霊ならこんな温もりを持っているはずがないだろ!! 

 しっかりしろ陽一。


「……陽一お兄ちゃん、どうしたの?」


「あ、ああ、何でもない。お前にぴったりなヘルメットで良かったよ。僕の見立ても褒めてくれよ。結構バイク用品店で高かったんだぜ、このヘルメット」

 

 あご紐を締めこんでから、ポンポンと彼女のヘルメットの頭頂部分を軽く叩く。


「なっ、大丈夫だろ」


「うん、ありがとう!!」


 にっこりと彼女が僕に微笑みかける。

 小首を傾げて笑う姿に思わず見惚れてしまった。僕はこの笑顔をどれほど夢に見たことか。

 真美とバイクに二人乗りタンデムが出来るなんて!! 

 人間の感情とは本当に身勝手な物だ。さっきまで恐怖を感じていた彼女がとても愛おしい存在に変化するのが感じられた。

 トレーシーの分厚い後部シートに彼女を跨らせる。水色のワンピースの裾から真っ白なふくらはぎがあらわになり僕は思わず目を逸してしまった。

 あの日の河原で見た真美の小さな白い布地がフラッシュバックする。

 僕はいい歳をした大人だ。思春期の小学生みたいな性衝動を思い浮かべるのはやめろ。 彼女を大切に思っていないのか? 

 自分で自分が情けなくなる。本当に僕は馬鹿じゃないのか!! 

 ヘルメットを被った頭を左右に振りながら慌てて煩悩を振り払う。


「陽一お兄ちゃん、この後ろの大きな荷物は何なの?」


「背中に当たって邪魔だったか、それでもかなりコンパクトに後部の荷台にまとめたつもりだけど……」


「ううん、大丈夫だよ!! 逆に荷物が背もたれみたいで安心だけど、中身が何かを私に教えてくれないの、陽一お兄ちゃんは?」


「まあ、後でのお楽しみにしておいて」


 真美とに向かうには、おあつらえ向きの月夜の晩だ。

 僕はちょっとした保険を掛けた、それには準備が必要だ。

 いや保険でなく、ちょっとした願掛けに近いかな……。

 そんなことを考えながらインカムマイクの電源を入れ、トレーシーのエンジンをスタートさせる。 


「……僕の腰にしっかり腕をまわして」


 バイクに初めて二人乗りをする人は、なぜか後ろのキャリアやシート後方にある太いバーを掴もうとするが、バイクの加速は結構鋭いので前の人間にしっかりと掴まらないと発進時、後方に振り落とされることもあるのでとても危険だ。


「こ、こうかな?」


 真美が遠慮がちに僕の腰に両手をまわしてくる。


「もっと、しっかりと腕をまわして!!」


「わっ、わかりました!!」


 ギュッと、僕のジーンズの腰あたりに絡めた腕の力が強くなるのが感じられた。

 なぜか敬語になる真美をとても可愛いなと思いつつ、バックミラーで後方確認をしながらトレーシーをゆっくりと発進させた。僕の大事な真美に怪我をさせてはいけないからだ。


 夜と言えども真夏の気温だ。次第にライディングジャケットの身体が汗ばんでくるのを感じながら僕はトレーシーを走らせていた。

 最初の目的地には思ったより早く到着する予定だ。いつもならバイクに乗るときは一人の場合が多いが今回は違う。タンデムシートに心地よい重さを感じながらバックミラー越しに映る彼女に視線を送る。

 ヘルメットのスモークシールドで表情は伺えないが僕の腰にまわした両腕から、彼女の気持ちの高ぶりも伝わってきた。


「どう? 疲れてない……」


「大丈夫!! とっても楽しいよ。バイクで風を感じるのってこんなに気持いいんだね、陽一お兄ちゃん」


 ヘルメットに装着したインカムマイク経由で真美に声を掛ける。

 バイクの二人乗りで以前は出来なかったお互いの会話が、機器の進歩で無線でやり取り出来るようになった。

 便利な物で携帯電話の通話や音楽までもヘルメットに装着した小型の機器一つで可能になるんだ。


 黒い車体に反射する満月の明かりと追いかけっこをしながら、南の方角にトレーシーを走らせた。

 前を先行する車のブレーキランプが急に点灯する。僕は冷静にブレーキレバーを握り込む。

 強めのブレーキングに後部座席に座る彼女のジェットヘルメット。その風防シールドの先端が僕の背中に当たってきた。同時に彼女の上半身の重さが僕の背中全体に押し当てられる。

 青いワンピース越しに感じる真美の胸の膨らみに驚きを隠せない。

 ここでもスポーツ刈りの小学生時代に逆戻りしたみたいだ。ヘルメットの風防バイザーと顔の間にある僅かな空間に向かって思わず苦笑いを浮かべてしまった……。


「陽一お兄ちゃん、ごめんなさい……」


「こっちこそ、急にブレーキを掛けて驚いただろ」


 こちらの問いかけに無言のまま、彼女が僕の背中に身体を預けてくるのが感じられた。


「しばらく、このままでいたいな……」


 ほとんどインカムマイクに乗らない程の、真美のつぶやきが聞き取れてしまった……。

 マイクの性能が良いのも考え物だな。僕もあえて答えず前方の道路を真っすぐに凝視した。


 お互いの胸の高鳴りが収まった頃、後部座席タンデムシートの真美にゆっくりと話し掛ける。


「今日は付き合わせて悪かったな……」


「ううん、付き合わせたなんて逆だよ。本当に嬉しかった!! 陽一お兄ちゃんと二人っきりで、それもバイクで出掛けられるなんて……」


 真美の柔らかな二次性徴の胸の膨らみから、僕の背中に弾む鼓動が伝わってくるようだ。

 バイクの二人乗りタンデムは車の助手席と違い、身体の密着度だけでなくお互いの呼吸が合わないとカーブでの重心移動が上手く出来ず、思わぬ事故に繋がる場合もある。

 この国道は直線が多めなので問題はないが、この後の山道では急カーブが続く。ヘルメットで表情は見えないが真美はかなり疲れている様子だ。

 それも仕方がない、バイクは風に当たっているだけでも身体の疲労度が増すんだ。早めの休憩が必要だろう。この先にある場所で休憩しよう。


「……真美、この先で停まるよ。 君も見覚えのある場所だから」


「陽一お兄ちゃん、私も知っている場所って!?」


 この先に待っているのが奈落でもいい。

 僕は真美と、つかの間の逢瀬を楽しんでいるんだ。たとえローレライに導かれた船頭でも構わない。


 僕たちの聖地巡礼は、まだ始まったばかりだ……。

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