第42話 都市国家クオティアの建国記念日。

「待たせたな」


 使者として訪れたラキアが再び呼ばれるまで、さほど時間はかからなかった。

 厳しい表情をした狼王メイリスカラクと、その脇に侍する元帥ゲネルメノア。

 ここが正念場であると知れた。


「我がコツァトルの最奥にある王都ブルーアに、山越えを果たしてゼライア軍が攻め入ったと報告が入った。山の上に陣を張り、数万を数える旗印を誇っている。

 その数が実数であり、かつその気になればブルーアの王城も蹂躙が可能であろう。

 ――やってくれたな」


 そう言って厳しい目を向けるメイリスカラク。


「これには更に笑い話がついておってな。

 国内の治安維持と緊急の軍事的対応のために国に残してきた千の予備兵。

 これを、こともあろうにアフア領主エルバキアの部下が独断で演習をけしかけて負傷してしまい、動けないというのだよ。

 どう考えても冗談みたいな話だろう?」


 全く笑っていない目で語り続ける。


「条件を聞こうか」


 睨み殺そうとしているかのような鋭い視線に晒され、流石のラキアも口渇を感じ乾いた唇を舌で湿らせた。

 自分は外交官ではない。技巧は要らない。ただ、本心を語れば良い。

 ラキアは自分に言い聞かせる。

 自分の言葉に命を懸けて語る。これなら今までも実践してきた。だから普段通り喋れば良い、心を乱すな。

 ――もし何か間違ったとしても、きっとココロが何とかしてくれる――とまで考えて、軽く頭を振り想いを散らす。何を考えているのだ、あたしは。


「兵を退いて頂きたく存じます。

 そして、向こう三年間は互いに侵攻をしない。

 このお約束を頂きたいと考えております」


 相手に約束を守らせるには、まず守れる約束でないとならない。

 非常識な約束は守るという意欲を失わせる。それは約束を提案する側の問題。

 ココロはそう言って、この内容を考えたと言う。


「兵を退くのは良い。だが、休戦協定は約束できない。

 我々も意味なくして侵攻したわけではないのだから」


 狼王メイリスカラクの、腹の底まで響き渡るような重い声。

 だめだ、呑まれてはだめだ。


「侵攻した意味、とはデブラルーマの魔丘のことでしょうか。

 より具体的に言えば、『管理者』アルディナの存在を人間側に渡すわけにはいかない、そういうことでしょうか」


 そのラキアの追求に対しては、メイリスカラクもゲネルメノアも、何も答えない。しかし、その表情でラキアの質問の通りと察することはできた。


「しかしそれは人族側も同じでございます。

 ユーハイツィア王国も、彼の存在は知っていた。

 ゲネルメノア元帥はご存じでしょう、デブラルーマの魔丘で遭遇した際に、我々以外に人族の兵士が在りましたことを。あれはユーハイツィア王国の王子が率いる兵でございました。

 人族は存在を知っており、今回の戦争でその力を改めて知った事でしょう。狼人の国がそれを手に入れるのを座視するとは到底思えませぬ」


 ぴくり、と反応をするも、依然沈黙を守っている狼王と元帥。結局、狼人族と人族、どちらかが先に魔丘デブラルーマとその管理者を取り合うゲーム、コツァトルが退く理由にはならない、ということだろう。

 ならば。


「デブラルーマの魔丘は、狼人族、人族のいずれかの手に渡ってはなりません。

 それをやれば、この大地イザティアに大きな戦を誘うことになりましょう。ユーハイツィア王国だけではございません、連合王国に所属する五大国全てが敵となります。ユーハイツィア王国を含む五大大国とコツァトル国、イザティアに存在する六国を舞台に、血で血を洗うような凄惨な戦争が起こるでしょう。


 陛下、提案がございます。

 連合王国人族の国々でも、コツァトル狼人族の国でもない、第三の国の存在を許していただきたくお願い申し上げます」

「第三の国だと?

 狼人でも、人族でもないというのならば、誰が住む国だというのか?」


 初めて狼王メイリスカラクのいらえがあった。

 少しは興味を惹けたか? 正念場だ、とラキアは呼吸を整える。


「誰でも。種族に関係なく住める街に。

 その国民は、人族も居て、狼人族も居て、なんであれば意思あるアゼルピーナすらも国民となり得ます。

 どの種族に偏ることもない、全ての種族のためにある国。

 その名を『都市国家クオティア』と名付ける予定でございます」


 何を言っているんだこいつは、という二人の視線。

 少し馬鹿にしたように、狼王が指摘をする。


「そうは言っても、結局は誰かが王にならざるを得まい。

 その王が人族なのか。狼人族なのか。結局はそこで偏りが生じる。

 夢物語だ」

「その国の王は、異世界から来た青年です。

 狼人族のヤキンツィア導師の手でこの世界に連れてこられました。

 人族ですが、この世界にしがらみを持たず、狼人を友とし、アゼルピーナやその管理者とも友誼を持っております。

 この世界イザティアで唯一、第三勢力の王たり得る存在です」

「その国の設立を認めよ、というのか?」

「はい。外交能力を持たないデブラルーマに代わり、人族、狼人族、アゼルピーナの三勢力の均衡を保つための存在を置く、とお考え下さい」

「そんな夢の国。

 人族の王が認める訳はないだろう」

「既にユーハイツィア王国からは内々に認める旨の内示を頂いております。ザハーラ国王のお言葉と聞き及んでおります」


 ここまで話した狼王は少し考えるように話を区切る。

 隣に侍す元帥は何も言わないが、その目は興味の光を湛えているように見えた。


「は、信じられるか。

 そのような絵空事でコツァトルを止められるとでも思うてか。

 別に俺は全ての人族を相手取って戦ったって構わないのだから」

「――なにを仰るのですか?

 この世界イザティアを戦の坩堝に突き落とす真似をなさると?」

「ふん、戦の坩堝だと? 上等だ、弱肉強食万歳だ!

 俺から戦を奪うつもりか!」

「なに言ってるの!? あなた国王でしょう、もっと民のことを思い遣りなさいよ!」

「なんだと! 大きなお世話だ小娘が!

 我が民は平民に至るまで強者である、誰に負けるというのか!

 どんな状況でも生き延び勝ち抜くのが狼人というものだ!」

「いくら狼人が強いと言っても、少しずつ削っていった先にあるのは種族の終わりよ!? あんた馬鹿じゃないの!? 狼人を殺す気!?」

「はん、そんなつまらん事で終わるくらいなら、それも運命だろう!」

「その運命に翻弄されるから民であり、その民を護り導くのが王でしょう!?

 うちの元首おうさまは他種族の、なんならアゼルピーナにまで心を砕いているのよ、みんなが笑い合える国を作ろうって!!

 あんたより余程立派だわ!」

「なんだとこの小娘が、捻り殺すぞ!」

「なによ、この馬鹿王が! あんた、あたしに切り裂かれたのを忘れたの!?

 なんならこの場で思い知らせてや――」

『二人とも落ち着けぇ!!』


 完全に上気ヒートアップしてしまった二人を元帥の一喝が遮った。


 思わず我を忘れてしまって繰り返した暴言の数々。

 ラキアは端から見て分かるほどに真っ青になり、平身低頭、半泣きで首を差し出すと言い出して今度はそれを止めるのにゲネルメノアが苦労したほどだった。

 その焦りまくり取り乱す様は年相応の少女の可愛らしさがあり、思わずほっこりしてしまったことは内緒である。


 返答は別途連絡をすると伝えられて尻尾を垂らしながらとぼとぼと帰途についた使者ラキアの後ろ姿を遠く見ながら、狼王メイリスカラクと元帥ゲネルメノアは二人で言い合った。


 ――あれは無理ダメだ。我々の国では暮らしていけないわ。


 折角の美しい銀白色の髪、伝説の建国の王の妃と同じ色をした狼人国では尊重される美しい髪を持つ少女は、その伝説の妃もかくやというほどにお転婆だった。もったいない。


 しかし、あれだけ暴言を言い合ったのに、何故か清涼な気持ちが胸に残る。

 彼女は自分の想いは口にしたが、それは彼女自身は得をすることではなかった。

 彼女は、狼人が、人族が、意志あるアゼルピーナが笑い合える国を作る、と言っていたか。確かにそれくらいの国でないと、あの狼娘に居場所はないだろう。

 あの狼娘が生きて行く世界くにを認めてやりたくなる、そんな思いが二人の思いに去来するのであった。


***


「よくぞご無事で――」


 アフア門に到着した際に、領主エルバキアが首を垂れて出迎えた、その夜の事。

 人払いをして、狼王メイリスカラク、元帥ゲネルメノア、領主エルバキアの三名で話し合いの場が持たれる。


「状況はどうなっているか?」


 元帥ゲメルメノアが問う。状況とはもちろん、常道ではなく山越えをして一気に王都ブルーアを臨む山上に陣取ったユーハイツィア王国軍のことである。ここから王都まではまだ早駆けで一日の距離があるが、常にエルバキアに最新の状況が届くようになっているのだ。


「は、昨日まで陣を張っておりましたが、今朝になって全ての軍が引き払われてございます」


 既に撤収した。

 やはり、目的はゼライアから兵を退かせることだったか。

 兵数も報告通りではなく、擬装してできるだけ大きく見せていたということだろう。


「問題は、どのようにしてあの難関である山脈を踏破できたのか、だな」


 山には狼が多数生息し、狼人はそれらと意思を通じ、協力関係を持っている。

 縄張りを荒らすことになるため狼人だってあの山を越えるのは簡単ではない。

 まして人族がそれを為し得るとは思い難いのだが。


「それにつきましては、心当たりがございます。

 以前、あのココロと申す一行がこの地に来た際も、同じように山を迂回して参ったのですが、その際に導師ヤキンツァが狼と意を通じ、従えて越えてきたと聞きました。

 今回、ヤキンツァ導師が王国軍に力を貸し、また王国軍の新兵器である、生き物の心を惑わせる『白い煙』を駆使して踏破したのではないかと想像致します」


 ちっ。

 メイリスカラクは思わず舌打ちをする。

 あの妖怪ジジイの名がこんなところに出てくるとは。


 それならば得心は行く。あれならば、それを成し遂げても不思議はない。

 しかしそうなると、あの妖怪は現在、クオティアの勢力に与するということか。

 厄介さが増した思いだ。


「領主エルバキアよ。守備兵を混乱に導いたという麾下の兵はどうなった」


 元帥ゲネルメノアが鋭く問う。

 びく、とあからさまに震えるエルバキア。


「は、申し訳ございませぬ……

 私の麾下の古参の将たるビジオアと申す者が勝手に兵を動かして成したこと。

 彼の者は一族郎党と共に既に逃走しており、国外追放の処遇と致しました」


 えらく手際が良い。

 出来レースの香りがするな。

 嗅覚鋭い狼王と元帥をこのような茶番で誤魔化すことはできないが、しかしいずれからも追及はなく、代わって最もエルバキアの弱いところを攻められる。


「そう言えばエルバキア、貴様の娘のラキアとかいう娘にあったぞ?

 ゼライアの街の攻防戦で最後に使者として訪れたのだ」


 無骨な武人面であるエルバキアの顔色が見る間に青色に変色して行く様は、見ていてちょっと面白かった。


「あ、あ、あの、娘が何か、ご無礼、ご無礼をば、致しましましたたでしょうかかか?」


 見ていて気の毒になるほど噛みまくっている。あれが娘では気苦労が絶えまい。

 しかし、本人は『私には親も故国もございません』と言っていたが、親の方は充分以上に娘に対して愛情を持っているらしい。

 狼王メイリスカラクは面白くなってその面会の様子を事細かに伝えてやり、エルバキアは期待通りに顔色を白黒させながらおたおたする。それは見かねたゲネルメノアが制止するまで続いたのだった。


「――ところで、メイリスカラク陛下。

 大変申し訳ないのですが、お願いがございます」


 エルバキアが居住まいを正し、思い切ったように口火を切る。

 これだけ責めらあそばれてもなお、何かを王に言上するとは、余程のことであろうか。

 そんなメイリスカラクとゲネルメノアの不審をよそに、エルバキアは断りを入れて別室に退き、黒い文箱を持参した。


「そのココロと申す者よりこちらを預かりました。

 中には晶石が一個と、文が収められております」

「――ほう? 貴殿が何故このような物を持っているのだ?

 領主エルバキアよ、貴殿は敵とよしみを通じていたということか?」


 元帥ゲネルメノアの目がすぃと細くなる。


「いえ、こちらはまだ彼の者が我が軍と敵対する前に預かった物。

 次に狼王の軍がこの門を通る時にお納めして欲しいとことづかりました。

 危険がないことを確認するために改めましたが、私は内容は存じ上げませぬ」


 そう言って頭を下げることで目線を切るエルバキア。

 苦しい言い訳ではある。

 それは分かっている、だから当初は拒否したのだ。

 しかし愛娘ラキアの居場所を作るために必要な勝負所である。

 自身を、ひいては一族を賭けた勝負、しかし負けられない勝負。


 メイリスカラクは、固い意思を持って亀のように丸くなるエルバキアのその様をじっと見て、おもむろにあの娘ラキアを思い出す。

 痛々しいまでに真っすぐな、強さと、身の保全を顧みないという弱さを持つ娘。


 目の前の男が身の危険リスクを省みずにここまで必死に振る舞うのはどうせあの娘が絡んでいるのだろう、と思うとすとんと腑に落ちる。


 狼王メイリスカラクは黙って書を手に取る。


 内容を読む。

 中には、エルバキアの娘ラキアが語っていたクオティアのことが書かれていた。

 より具体的に。より秩序立てて。理屈立てて。

 人間と、狼人とが手を取り合い、笑い合いながら共生できる世界。

 そんな御伽の国のような夢が書かれていた。


 そしてデブラルーマの魔丘についても。

 あれは特定の人が手にしてはならない。誰の物にもしてはならない。

 だから管理者が居るのだ。

 そしてクオティアはデブラルーマと繋がりコミュニケーションを持つ窓口インターフェースの役割を負う。言わば門番。

 特定の国家、特定の種族に肩入れしない、平等な、公正な国。

 碌な武力を持たず、攻められれば一夜にして滅ぶであろう弱小都市国家だからこそ担える役割だ、と主張する。

 この都市国家が存在している限り、デブラルーマは誰の所属にもならないという証そのものになる。だからこの証を特定の勢力が攻めるなら、別の勢力と共に守り抜く、他の全てを敵に回すことになるのだ。


 詳しくは直接話させて欲しい。

 この計画を立てた本人ココロと直接話ができる通心の晶石を置くので、是非、一度お話しをさせて下さい、と締められていた。


 到底、王に対するような表現ではない平易な文章。

 だからこそ逆に信じられる、という気もする。

 この男に、あの狼娘はついていくことにしたのか。

 性格タイプは全く違うけれど、本音で語り合える者同士で案外良い組み合わせなのかもな、とも思った。


 メイリスカラクは、ほれ、と書をゲネルメノアに手渡しながら、今夜にもこの通心の晶石を使ってみようかな、と考え始めていた。


***


「そんな話は聞いていませんよ!」


 ユーハイツィア王宮で、ハディ王子はいささか取り乱しながら王の間へ急いでいる。

 自分の知らない間に勝手に話が進んでいる。それだけでも許しがたいのに、それがあのクオティアの案件。

 いや、そこまでならまだ良いのだが……


「父上!」


 礼法を叩きこまれている王族にしてはいささか不調法な音を響かせ、音を立てて扉を開くハディ王子。側仕えが慌てて後を追う。


「聞きましたよ! クオティアの都市国家としての独立ですが、ご承認なされたとか! なぜ僕に黙ってそんなことをなさったのですか!」


 豪華なベッドに横になり、上半身だけ起こしていた痩身の男。

 ユーハイツィア国王ザハーラは、扉が開く大きな音にビクリと反応すると、そこに頼もしい息子の姿を見出し相好を崩す。


「おお、ハディ王子か。

 まだ遠征から戻ったばかりだろうに、そんなに慌てて」

「そんなことはどうでも良いのです!

 なぜ僕に相談なく、こんな、こんな、こんな案を承認なされたか!」


 王子の剣幕に少し顔をしかめながらも答える王。


「聞いておらんかったのか? アラフア嬢からは、既にお前にも説明してあると言われておったのだが」

「概要は……概要は聞いておりました!

 でも! あのアラフアまでクオティア国に所属するなど、初耳です!

 そんなことしたら、アラフアが、アラフアが僕の手から逃げられてしまう――!」


 必死の形相で言い募る王子を前にして、国王ザハーラは申し訳なさそうに続ける。


「それは――残念だったな。

 しかし、先ほど、コツァトル国からメイリスカラク王名義で、コツァトルも都市国家クオティアを支持するとの正式発表が届いた。しかも、都市国家クオティアが魔丘デブラルーマを抑えている限り、今のところ再侵攻をしない意向であると表明した。

 これを受けて、我がユーハイツィアもその決定を支持する旨を返答した。

 もはや後戻りはできぬぞ」


 その言葉を頭が受け取るのを拒否している。

 数拍の間、硬直していたハディ王子は、やがて震えだし、そして絶叫した。


「アラファアーーー!!!

 君は、君は、君はぁあ!!

 わざとだ、わざとだなぁ!! やられたぁあぁ!!!」


 その後、国王が王子を慰めるが、ハディ王子が立ち直るまでにはなお数日を必要とした。


 その一か月後、クオティアは都市国家として建国宣言をした。

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