第35話 戦争の始まり
満天に星が煌めく夜空。
昼間は凄惨な殺し合いを繰り広げていた地上の者達も、静謐な夜の世界を受け入れ、翌日に備えて今は深く眠る。
そんな暗黙の合意を無視するかのように、群を成すアゼルピーナ達の前に現れた影。見張り役のアゼルピーナは威嚇の声を上げるが、相手が何者かを知り困惑する。
「この者達は私の連れです。
夜分遅くに失礼かと思いますが、リオイナが面会を希望していると、ベルツィアに伝えて頂けないでしょうか?」
さほど知恵のあるアゼルピーナではなかったが、それでも格上の存在に対する配慮はあるようで、伝令としてだろう見張りのうちの一体が駈け去って行く。
しばらく待つと、夜の闇に溶け込んだようなベルツィアさんと、その上にまたがるアルディナ君が現れた。
「……アルディナ、まだ起きておられたのですか。
ご足労いただき、有難うございます」
見るとアルディナ君は目の下にうっすらと隈をつくり、疲れた様子。それでも姿勢を正し、弱みを見せないよう気丈に振る舞う様は彼の気位の高さを示していた。
「……こいつらが頼りないから、なかなか安心もできないのだ。
それで、オリアはどこだ。迎えに来てやったぞ」
「申し訳ございません、オリアはここには居りません」
リオイナさんの答えを聞き、星々の光の下でもそれと分かるほどに顔色を青ざめさせ、糾弾するように叫ぶ。
「ふざけるな! わざわざこんな場所にまで迎えに来てやったのだぞ、いつまで待たせる気だ!」
「すみません、ですがオリアはまだデブラルーマに戻れるような状態ではないのです」
憤慨して、ばんばんとベルツィアさんの背を叩く。痛いだろうに、無言で耐えるベルツィアさん。
「あの、失礼します、ココロと申します。
少しお話しをさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「……お前、あれか。前に、狼人どもと一緒にいた人間だな。
こんな所まで、いったい何の用だ」
「はい、ご相談があって参りました。
狼王の軍勢の強さは、アルディナ君も昼に体感された通りです。
アゼルピーナ達では狼王の軍には勝てません。
今なら間に合います、僕達と一緒に戦いましょう」
それと分かるほどに顔を歪めるアルディナ君。
今までは、言えば畏まる相手にばかり囲まれて来たのだろう。そんな彼が、断定的に彼の群れを否定する僕の言葉に傷ついたのかも知れない。
「ふざけるな! ボクとお前達が対等のつもりか!? そんな訳がない、ボクの方が上だ!
ボクの言うことを聞くなら下につけてやるぐらいはするが、付け上がっているなら帰れ!」
「アルディナ君、悪いのだけど、君では彼らに勝つことはできないですよ?
いや、言ってしまえば、君達の戦いでは狼王の軍と戦いにすらならないですよ」
ひゅっ、と息を飲む音が聞こえる。
目の前のアルディナ君の顔色が、それと分かるほどに白い。
ここまでの屈辱は初めて受けた、と言ったところだろうか。
「貴様、何を言い出すのだ!
アルディナに向かって、何と言う口を利くのだ!」
ベルツィアさんまで憤慨し、僕を糾弾する。
「ベルツィアさん……とお呼びして良いでしょうか?
貴方は知識と知恵を具えて生まれたと聞きますが、それを正しく活かせているのですか?
アルディナ君の言うことを聞き、彼を褒めそやしているばかり。それはアルディナ君を駄目にするやり方だということ、貴方を気づいているのではないですか?」
僕はそう言って、ベルツィアさんの目を見据える。
本来は強力無比の個体、黒豹のアゼルピーナであるベルツィアさんに眼力で勝てる訳もないが、今は妙にその目力が弱い。自身で、自分のアルディナへの接し方が良くないと分かっている証左だろう。
よかった、ちゃんと理解してもらえて。
「ふざけるなぁ、お前なんか、死んでしまえよぉ!! お前ら、かかれっ!!
死ね、死ね、死んでしまえぇ!!」
癇癪を起こして、ベルツィアさんが止める間もなく左右に控えるアゼルピーナ達に指示を出すアルディナ君。
その場にいた狼型のアゼルピーナ達は、その命令に従い弾けるように僕に向かって跳びかかり――
「きゃんっ! きゃんっ!! きゃぅん!!」
ヒィズさんの狼鎖剣。
イリカさんの爆縮弾。
そして僕自身の武器、トンファーの形状をして銃のような魔術的発砲機能を具える、僕が命名したガンファーという武器。
それぞれの攻撃に、アゼルピーナ達は退く。
更にグネァレンさんが僕の前に立ち、続く攻撃を弾き返す。
「悪いのだけど、思い付きの攻撃なんて、正しく意思を通わせた動きの前では意味を持たない。
これが狼王の軍が相手だったら、こんなものでは済みませんよ?」
襲い掛かり撃退されたアゼルピーナ達は弱弱しく立ち上がる。
つまり、殺すまでもない。手加減されてなお、目的を達することができない。
愕然とした顔をしているアルディナ君は、おそらくこの意味を理解している。
「それに、オリアさんのことだってある」
オリアさんの名前を聞き、アルディナ君の肩がピクリと反応する。
「リオイナさんの言う通り、オリアさんの心は未だ安定していない。
でも、デブラルーマから離れている今は、自分は取り戻せていないものの安定はしている。
心の問題は、急いでは駄目だ。ゆっくりと一歩ずつ整えて行くしかない」
ちらとアルディナ君の様子を窺うと、俯いて悔しそうに拳を握る様が見える。
彼も何とかしたくてもできない状況に苛立っているのだ。
「アルディナ君。
僕は決して、君達を弱いと思わないし、見下したりはしない。
共に戦い、共にこの窮地から抜け出そう。
狼王は途方もなく強大だけど、僕には何とかする考えがある」
そこで言葉を切り、僕はアルディナ君に対して手を差し伸べた。
「どうだろう、僕と友達になってくれないかな?
友人として、対等な立場で共に戦おう。
その後のことは、また改めて考えたいのだけど、どうだろうか?」
俯いたまま、固まっているアルディナ君。
悩んでいる。手を取ることが屈することと同じではないか、とか思っているのではないだろうか。
なら、もう一押し。
「オリアさんはデブラルーマにはまだ戻れない。
ですが、彼女の心を快方に向かわせ、いずれ自分を取り戻せるように僕達も協力致します。
それに、アルディナ君も、いつでも会いに来られるように取り計らいます。たまにはデブラルーマを出て、オリアさんと共に人間の街で遊ぶのも悪くないと思いますよ?
僕たちは、友人としていつでも君を歓迎します」
差し出された手を睨みつけながら、押し黙っているアルディナ君。
やがて、何かを諦めたように、はああああぁぁぁ、と息を吐いてから、僕に応えてくれた。
「そのアルディナ『君』というのはやめろ。
馬鹿にされている気がする。
アルディナでいい、対等なのだから。ボクもお前をココロと呼んでやる。
有難く思えよ!」
そう言って胸を反らしながら、尊大に僕の手を取った。
そんな彼の微笑ましい様子を見ながら、有難う、アルディナ、と返した。
***
「王よ、日が昇ります。
目立った動きは有りませんでしたな」
遠路を踏破して来た狼王が率いる一万の軍勢。
普通に考えて、アゼルピーナの烏合の衆にも、脆弱な人間の軍隊にも、勝ち目など欠片も存在しない。
であればこそ、敵は到着し疲労が残るその夜を狙って夜襲を仕掛けてくる。
そう考え、敵勢力を一気に覆滅するべく迎撃の準備をしていたのだが、何事もなく夜が明けてしまった。奴らは一体、この後どうするつもりなのか。
まさか、あのゼライアの人間共は、狼王の兵がアゼルピーナを狩るためだけに来ていて、自分達は攻撃されないなどと考えているのではあるまいな?
「如何致しましょうか。
まずはアゼルピーナ共を狩り、あの子供を奪ってから、ゼライアを落としますか?」
「今日の日が落ちるまでには終わらせろよ」
メイリスカラク王は、ゲネルメノア元帥に今日中に終わらせるよう指示する。
その厳しい内容にも何も言い返さずに、元帥はただ頭を深く下げるのみ。
つまり、問題なく遂行可能であると信じている。
王の贅沢な大天幕から出て来たゲネルメノア元帥は、自身が指揮する親衛隊に指示を出し、王を護る隊を残して攻撃部隊を引き連れる。
「一気にアゼルピーナを狩るぞ!
まずは先発隊が迂回して退路を塞げ! 神速部隊を後方に回せよ!
タイミングを合わせて、残りの全軍で一気に潰す!」
狼人の戦法は、単純明快を良しとする。
細かい指示はしない。自分で考え、判断することができる頭があるのだから。
先発部隊が出るのを待ってから、おもむろに進軍を開始する元帥。
「行くぞ!」
うおおおおぉぉぉぉぉん!!!!
各自が騎乗する大狼の咆哮、そして狼人兵士の雄叫び。
戦場を揺るがし、敵兵の意気を挫き、場合によってはそれだけで戦意を喪失し壊走させると言われる凄まじい大音声が、アゼルピーナの大群とゼライアの守備兵を襲う。
ゼライアの街の前を挑発するかの如く横切りながら、アゼルピーナ達が群れる場所へ向かい突撃する。
ばふっ
その時、ゼライアの街の城壁から、少し気が抜けるような音が鳴り響く。
正面から顔を外さずに視線でその音の正体を探る狼王兵達。
ひゅるるるるぅっ
殺伐とした戦場にそぐわない、少しのんびりとしたような音が続く。
城壁から放たれた何かは、まるでそれを発射した本人を表現するかの如く、ゆったりとした軌跡を描きながら狼王兵の進行する直前に落ちた。
があああぁぁぁんんん!!!
その飛翔体は、地面にぶつかると同時にそれまでの緩い雰囲気をかなぐり捨て、凄まじい音を轟かせる。
音だけではない。着弾すると同時にもうもうと黒煙を撒き散らし、その煙の合間からは炎が垣間見えた。
がぁん! がぁん! がぁん!
最初の一発を合図にしたかのように、城壁から凄まじい勢いで球が降り注いだ。
その球は、あるものは隊のど真ん中に落ちたが、その殆どは隊から外れた場所に着弾する。
これは、狙いをつける能力がしょぼいのか、折角の威力も活かせないとは何たる無能――そう考えた狼王兵達は、暫くして自分の思い違いに愕然とする。
「元帥! 戦場が見渡せません!」
ゲネルメノアも、それはとうに気づいている。
戦場に立ち込める黒煙が視界を覆い、その煙を吐き出してい立ち昇る炎柱が進路を阻む。
戦場に風が渡り、まるで黒煙が敵に使役され意図的に進行の邪魔をしているかのようだ。
一兵も害されていないにも関わらず、恐ろしい程に戦力が低下していた。
このままおめおめと敵軍の思惑に乗るぐらいなら己は死んだ方が良い。
ゲネルメノアは平面的な戦場を頭の中で立体的に再構築し、上から俯瞰する。遮られた視界は記憶と予測で補う。
――これは?
「アルテア!」
ゲネルメノアは信頼する千人長のアルテアを呼び、指示を伝える。
「お前は、全軍を率いて右廻り――ゼライアから離れる方向に迂回し、黒煙の影響範囲からひとたび離脱しろ!
その後、大きく回り込みながら、この黒煙と城壁に押し込む形でアゼルピーナの群を押し込め!
多少、時間がかかっても構わん!確実に圧力をかけるんだ!」
「承知!
元帥は如何される?」
「私は親衛隊を率いてゼライアの攻撃拠点を潰す! 奴ら、アゼルピーナを利用して我々に出来るだけ消耗を強いる肚と見た。そのようなつまらない策に乗る我々ではない。
早急に不安要素を断つ!」
本来は百を数える親衛隊、しかし半ばを王の警護に残しているため、ゲネルメノアの手勢は残りの五十となる。
たった五十の兵でゼライアに挑むとは、いかに狼人兵と言えども余りに無勢、と普通なら思うだろう。
しかし、これは只の兵ではなく、狼王親衛隊の兵士。条件を整えれば、一騎で千の兵と互すると言われる伝説級の戦士。
それを率いるのは名将ゲネルメノア元帥。何の不足があろうか。
ゲメルメノアは眼前に
アフア門には及ばないまでも、敵を阻む守護の象徴として
壁の上方を見上げれば、胸壁の隙間からちらちらと何かが動き回るのが見え隠れする。壁の
――くだらん。
狼人の身上は、その身の軽さ。
このような壁で阻まれるようなものであってはならない。
そう言えば、あのアフア門を駆け登ったという愛すべき命知らずが居たと、最近聞いた覚えがある。しかも年端も行かぬ少女だったとか。
領主エルバキアは必死で隠そうとしていたが、口の戸は塞ぐことなどそうはできないものだ。
面白い、ではないか?
「元帥?」
門を前に沈思しているゲネルメノアに指示を仰ぐべく声をかける副官。
その声の元を見て、口吻を軽く持ち上げるように悪戯っぽく笑いながらゲネルメノアは持ち掛ける。
「なあ、あの壁を誰が最初に駆け上がれるか、競争でもしてみようではないか?
エルバキアの娘に負けるような者は、まさか親衛隊におるまいな」
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