第34話 アルディナとオリアとクオティアの街

「オリアとアルディナのこと、そして十年前に起こった出来事。

 と言っても、正直なところ、私もほんの部分的にしか知らないのですが。

 そんな内容でよろしければ、お話をさせていただきます」


 そう言って座り直す豹。


「オリアとアルディナ、そして私リオイナとアルディナの守護たる黒豹ベルツィアは、同じ日に生を享けました。年齢を数える習慣がないのではっきりとは申せませんが、およそ十三年ほど前のことだと思います。

 私とベルツィアは、生まれつき守護としての特別な知識と能力を身につけておりました。それ故、生まれてすぐ、私はオリアを、ベルツィアはアルディナの身の回りをお世話させていただいて来たのです」


 このように前置きして、豹のアゼルピーナ、リオイナは当時のことを語り始めた。


***


 デブラルーマ内部は、外観の岩山から想像される岩窟の様相とは異なり、極めて快適な作りになっている。

 豊富な採光、循環し淀みない空気、夏は涼しく冬は暖かい温度、年間を通して適切な湿度。

 岩山の内部は複雑に入り組んでいるが、全体に澄んだ水が豊富に供給され、生活区域は埃すらも舞わない。

 そんな理想的な環境下で、アルディナとオリアは知恵あるアゼルピーナ達により大切に育てられていた。


 アルディナ、オリアともに三歳。たどたどしくも走り回りながら、好奇心の赴くままに悪戯盛りの毎日。

 そんな中で、その事件は起こった。


「ベルツィア、どうかしましたか?」


 最初に異変に遭遇したのは、アルディナの守護である黒豹のベルツィア。難しい顔をして、珍しく心ここに在らずという様子で歩いていたため、気になって聞いてみた。


「む、リオイナか。オリアの守護である君にも知っておいて貰った方が良いだろう、少し時間をくれ」


 そう言って、ベルツィアはオリア付きの守護である豹、リオイナを連れて現場へ赴く。行った先には、頭部を破壊されたアライグマのアゼルピーナの遺体が部屋の片隅にあった。


「これは……?」


 リオイナは顔をしかめながら、その無惨な遺体を眺める。


「頭部が何らかの強い力で破壊されている。傍に岩塊があり、血もついていた」


 そう言って見上げると、天井にはちょうど岩塊と同じくらいの窪み。つまり、不運にも天井から岩塊が落ちてきて、たまたま通りかかった彼女に当たった?


「この者は勘も鋭く、目端も利く。

 それが天井から偶然落ちてきた岩に当たる? そしてそれだけで頭部をここまで傷つける?

 私にはどうも、信じ難いのだ」


 天井を睨みながら唸り声を上げるベルツィア。リオイナとしても、全く同感である。だが。


「とは言え、このデブラルーマの中、それもこのような中枢に忍び込み、わざわざアゼルピーナ一体を殺害して逃走……そちらの方が信じられません」


 リオイナの意見にはベルツィアも反論のしようもない。それに、潜入し、殺害し、逃走することも途方もなく不可能事だが、潜伏するのはもっと考えづらい。何しろデブラルーマ自身が監視しているのだから。

 万が一、なにがしかの隠蔽能力でここまで潜入できたとして、更に居続けるなど有り得ない。


「だよな……だがなあ……」


 独り言を残し、首を振りながら、ベルツィアは去っていった。リオイナも、そうは言っても万万が一あってはならない、オリアの様子をいつも以上に注意しようと考える。

 それで終わり。のはずだった。


 それから二日が経過した。


「これで三体目か……」


 目の前に倒れる大猿のアゼルピーナの遺体を見ながら、ベルツィアが唸る。

 これはもう作為的な物と考えるしかなかった。

 どんな手段を使ったか知らないが、敵はデブラルーマの目を欺いて行動できる。そう考えるより他ない。


「何故この者たちが、どのように殺害されたのか? いずれも分からない。

 だが、殺さねばならぬ理由があるのだろう。

 例えば、姿を見られた、行動を阻まれた、とかな。

 即ち、敵にも隙がある。そして殺害されたのはいずれも日が落ちてから。

 日中は活動できない、あるいはし辛いのだろう。

 ならば、敵は日中は姿を隠し、夜に行動する。今は潜伏中のはずだ。

 彼の者が殺害されたのは早朝未明と思われる。ならば今は活動を停止しどこぞで休息している可能性が高い。

 見つけるならば今しかない!」


 ベルツィアの号令により、一斉に捜索が開始された。

 デブラルーマの中枢と、何よりも大切な主人であるアルディナとオリアは確実に守り、その他は全て動員して探し出す。

 三体一組で行動し、決して単独になってはならない、そう決め事をして、デブラルーマの記憶にある限り最大の捕り物が始まった。


 アルディナとオリアを護るのは、守護であるリオイナが引き受けた。

 防御に適した部屋に二人を入れて、ベルツィアよりも防衛に適した能力のリオイナが守りを固める。

 これが最善の策であるはずだ。


 捜索が開始されてからかなりの時間が経過し、しかし成果は何もない。

 焦ったアゼルピーナ達は、捜索範囲を広げて捜索を続ける。

 アルディナとオリアは、最初こそ興奮しながらも大人しくしていたが、すぐに飽きて部屋で悪戯を始める。困るリオイナ。暴れる二人。


 ――!?


 リオイナの鋭い聴覚が、入り口の扉の向こうに異音を聞きつける。

 何かが倒れる音? 見張りに何かあったのか?


 直後、乱暴に扉が開け放たれる。

 普通ならば気づくこともないはずの僅かな音を先んじて拾っていたリオイナは、扉が弾けた音に反応して即座に蒼球を放つ!


 ――蒼球。

 リオイナの特殊能力で、極度に凝縮された、極低温の球状空間。

 原理は不明ながら、口から噴き出されたこの球が対象に触れた瞬間に直径一メドルメートル程度の空間に極低温の冷気が吹き荒れ、空間内部の全てを凍結する。

 連発は効かないが、敵を無力化することに適した能力。


 蒼球は狙い過たずに入り口の中央に着弾、入口周辺に冷気が吹き荒れる。

 これで犯行者は簡単に入れず、うまくすれば無力化できたはずだ。

 リオイナは当然のようにそう信じた――が、入口には何も居ない。

 警戒心を入口周辺に集中し、身を低く構えて低く唸り声を出しながら、敵の姿を正面に求め――


 何か視界の端を銀色の光がよぎったような記憶と最後に、そのまま意識を失った。


 意識を取り戻した時に最初に目に入ったのは、ベルツィアの姿。

 蔑むかのような目をして自分リオイナを見下ろしている。


 ぼぅっとする頭を軽く振り、意識を取り戻す――オリアは!?


 慌てて立ち上がり、ベルツィアに問いただす。


「オリアは!? アルディナはどうしました!?」


 変わらず蔑むような目で見るベルツィアは、衝撃的な言葉を告げる。


「アルディナは、意識を失われてはいたものの、無事だ。

 だが、オリアの行方が知れぬ。

 現在、全力で捜索中だ」


 その言葉を聞いた瞬間、体の芯から凍ったような感覚に襲われる。

 飛び出したい衝動にかられ、しかし目的が定まらずに行き場を失ったエネルギーを持て余す。

 まさにオロオロしているリオイナの様子を冷ややかにベルツィアは眺め、何があったのかを問い質された。

 ありのままを語った。しかし、そこには何の手掛かりもないことに、話しながら気づく。自分の報告する内容に意味などない。


 そんなリオイナに見切りをつけて、ベルツィアはリオイナへの言葉を言い捨てながら部屋から出て行った。


「守護としての意識が甘いのではないか?

 捜索は私が指揮するから、お前はここで休んでいろ」


***


「そんなことがあったのですね……」


 どこから突っ込んで良いか分からない情報。

 デブラルーマって、タダの岩山ではなかった!?

 しかも侵入者が居た?

 当時はオリアはまだああではなかった?


「すごぉいですね! デブラルーマの中ってぇ、私も行って見れますか!?」

「それはご遠慮願います」


 目を輝かせて喰いつくイリカさんに、即座に否定する豹のリオイナさん。


「なるほど、興味深い話だ。

 だが、その内容は、デブラルーマの内部の話。

 クオティアの街とは、どのように関連してくるのだ?」


 アラフアさんも、その抑制された言葉とは裏腹に、目が輝いている。

 この二人の好奇心と来たら……

 パルテさんの目が沈んでますよ、アラフアさん?


「はい、この話には、後日譚があるのです。

 行方不明であったオリアが見つかった時のこと。

 そしてそれが、クオティア陥落と繋がるのです」


***


 その事件から、数日が過ぎた。

 リオイナは、オリアの居ないデブラルーマに居ることに耐えられず、麓の森、人間達がアゼルピーナの森と呼ぶ場所まで降りてきていた。

 オリアの臭いを求めて彷徨う日々。

 当然と言うべきか、何も見つからなかった。

 周囲には、知恵を持たず、力にだけ秀でた低級のアゼルピーナ達が徘徊しているだけ。そしてそれらのうち、力の弱いものを見つけて狩る人間達。

 こんな者達に、オリアを攫うことなどできよう筈がないのに。


 そう考え、無力感に苛まれて、木の上で脱力していた。

 だから、その言葉が聞こえたのはほんの偶然。


(つい最近、この辺で保護した赤い服を着た女の子。

 何も覚えていないし、何も喋らないのに、どうやってここまで来られたのかしらね)

(多分、旅商人なんかがアゼルピーナに襲われて、偶然生き延びたとかかな?

 きっと悲しい出来事があって心を閉ざしてしまったのだろうね、酷い話だよ)


 ――赤い服? 女の子?

 まさか……ね。


 そうは思ったものの、その話を聞いて以来、気になって仕方がなかった。

 このため、夜になってから、人間に気づかれないように街に忍び込み、オリアを探す日々になった。

 そして。遂に。見つけた。

 オリアを。

 彼女が、建物の中に居るのを見つけた。

 もう、何も考えられなかった。


「がぁぁぁぁぁ!!!」


 窓から侵入する。

 リオイナを見た人間達は、一様に叫び声を上げながら逃げて行く。

 残されたオリアを前に傅き、首を垂れるリオイナ。


「……ご無事で、したでしょうか、オリア」


 声もうまく出ない。

 だが。そもそもオリアは言葉を返すどころか、反応すらしなかった。

 あの元気だったオリア、今は虚ろになり、喋ることもままならなくなったオリア。

 しかし、彼女を守護するのが自分の存在意義。

 連れて帰らなくては。


 バーン!!!


 音を立てて、扉が開く。

 外には、武装をした人間達。

 このリオイナに槍の穂先を、矢の先端を向け、威嚇する。

 邪魔立てはさせない。

 唸り声をあげ、低く構え、いつでも飛び掛かれる態勢を取る。


 その瞬間。


 オリアの叫び声が夜空に響き渡った。

 オリアが涙を流している。

 その体は暗闇の中で薄紅色に輝き、靄のように揺らめいていた。


 何かに怯えている。

 しかし、彼女の目は焦点を結んでいない。

 この場に居ない何かに怯えているのだろうか?


 とにかく、この場にいるのは良くない、と判断した。

 リオイナはオリアの服を加え、夜空に向け跳び上がる。

 オリアはリオイナに抱きつき、その小さな体に似合わない力で締め付ける。

 そこまでの恐怖。どれだけの目にあったのか。彼女をそのような目に会わせてしまった自分を呪いたくなる。


 オリアが居るためか、人間達も矢を射てこない。

 これなら、このまま逃げられる――

 そう思った次の瞬間、街の方角から何かが飛んできた。

 自分を掠めるように線を曳く銀色の光。誰かが矢を射たのか!?


 その狙いは過たず、リオイナが加えていた襟を引きちぎり、オリアは地上に向け落ちて行く。

 オリア!

 再びの自分の失態、本当に自分が嫌になる。

 しかし、今は自己嫌悪に沈んでいる時ではない。オリアを助けなくては!


 地上で、何物かがオリアを受け止めた。

 逃がさぬ!! リオイナは、全霊を込めて追跡する。


 匂いを辿る。

 覚えた、もはや二度と忘れぬ。

 この匂いはデブラルーマでも僅かに嗅いだ記憶があった。つまり、彼の賊である可能性が高い。

 必ずや捕らえ、八つ裂きにしてくれる!!


 オリアの悲鳴が轟く。

 と、その賊の挙動が少しおかしくなる。

 焦っているのか。好都合だ!


 神経を集中し、全力で、しかし繊細に、蒼球を放つ。

 賊の着地地点に先んじて当たった蒼球、周囲を凍らせて賊の足を取る。

 堪らず態勢を崩す賊。


 った!

 確信を込めた一撃は、しかし決定的にはならなかった。

 あれを避けた!?それでも!!


 ぱたぱたぱたっ


 賊の血で周囲が染まる。

 慌てた賊は、強行手段に出る。

 即ち、逆手に短剣を持ち、オリアに突き立てようと構える。


 やめてっ!!


 恐怖からか、オリアが絶叫する。

 薄紅色の靄は光を増し、強い赤光しゃつこうがオリアから迸る!


 次の瞬間、町の外の森がざわめいた。

 森が蠢く。

 礫が森から放たれたように、賊に向かい飛翔する何か。

 鳥のアゼルピーナ?

 凄まじい速度で舞い踊るように賊の周囲を飛び交った。


 たまらずオリアを放り捨て、反対に逃げ去る賊。

 オリアを背で受け止め、賊に向かって吼えた。


「お前が何者か知らぬが、匂いは間違いなく覚えたぞ! 次に会ったら確実に引き裂く!」


 その姿も、匂いも消えた後も、オリアは収まらない。

 そうしている間にも、続々とアゼルピーナが森から向かい来る。

 今ならリオイナにも分かる。

 オリアが恐怖を撒き散らしているのだ。助けを求めて叫んでいるのだ。


 全てのアゼルピーナはその想いに共鳴し、興奮して、目に映るもの全てを破壊する。

 人間も建造物もなく、ただ撒き散らされた興奮に反応し、破壊衝動に身を委ねている。


「リオイナ、何があった!」


 傍らに降り立つベルツィア。

 リオイナは、ここまでにあった出来事を全てベルツィアに話す。

 その内容、特にオリアが赤く光り森のアゼルピーナ達と共鳴した下りには顔を顰める。

 だが、否定はできない。何故なら、ベルツィアも、そしてリオイナ自身も、共鳴を自分自身で感じているのだから。


「とにかく、デブラルーマへ戻ろう。

 この破壊衝動も、自分達には向けられまい。

 それに、家に戻ればオリアも落ち着くのではないか」


 そのベルツィアの意見に異論はなかった。

 リオイナはオリアを背に乗せ、狂ったアゼルピーナが跋扈するクオティアの街から離れ、デブラルーマに戻ろうとして――


「いやあああああぁぁぁぁぁ!!!」


 オリアは、デブラルーマに戻ることを拒絶した。

 物を話さなくなったオリアからは、その理由を問うことはできない。

 だが、このままデブラルーマに戻れば、彼女は変調を来たすであろう。やむ無く、オリアを麓の森に退避させて、リオイナと共に留まることになった。


 ――そして数日が経過した。


 クオティアの街は、狂奔したアゼルピーナにより完全に破壊。

 もはや人は誰も居なくなった。


 オリアは、デブラルーマへの帰還を決して受け入れようとしなかった。

 それどころか、森でも落ち着かない様子を見せた。

 つまり、アゼルピーナ達から距離を取ろうとしているように思える。

 守護たるリオイナやベルツィアには、忌避感は示していないが……。


「ベルツィア、私はこの廃墟となったクオティアに留まる。

 ここで、オリアを育てたいと思う。

 アルディナには悪いが……許してくれ」


 そう言って、リオイナは首を垂れた。

 当初はリオイナに軽蔑の眼差しを向けていたベルツィアも、続いた不可思議な現象を前に、リオイナの手落ちではなく自分達の不明が原因であると理解できたようで、再び信頼する同僚と接する態度に戻っている。このためか、リオイナの提案を受け入れた。


「止むを得まい。問題は、アルディナにこのことをどう伝えるか、だが……」

「包み隠さず伝えるしかないでしょう。

 時折、このクオティアでアルディナと会う機会を作りましょう。

 いずれ、オリアが自分を取り戻して、デブラルーマに戻るその日のために」


***


「それ以来、デブラルーマに襲撃はございません。

 かの賊の臭いを微かなりと嗅いだこともありません。

 そして結局、今でも、オリアは自分を取り戻せていません。

 何も変わらないまま、十年が経ってしまったのです」


 そう言うと、ほう、とリオイナは溜息をつく。


「変わったことがあるならば、アルディナでしょうか。

 ずうっと変わらない、デブラルーマに戻ろうとしないオリアに我慢できなくなって来ていました。

 ですが、オリアはまだ帰れる状態ではない。

 私も、正直どうすれば良いのか分からないでいたのです」


 アゼルピーナ達の世界にもいろいろあるようだ。

 途方に暮れている様子の豹のアゼルピーナ、リオイナさん。

 彼女……でいいのかな……も、自身の大切な者を護るために全力を尽くしている。そしてその限界を見て、項垂れているのだ。

 何というか、急に親近感を感じる。


「リオイナさん」


 急に名を呼ばれたためか、少し驚きながら僕の方を見るリオイナさん。

 アゼルピーナとか、狼人とか。そういうのに関係なく、己の信じるがままに善良に生きて行く。その想いがあるのならば、共に生きることは可能。僕はそう信じたい。


「貴女のオリアさんを大切に想う気持ちを信じます。

 だから、共に戦いましょう。

 オリアさんと、貴女を居場所を作るために。アルディナ君も生きて戻れるように。

 もちろん僕達も生き抜いて、自らの想いを大切にして世を過ごせるように。


 僕は、そんな世界を作りたいのです。

 だからリオイナさん、共に戦い、僕達と、僕達の国をつくりませんか?


 貴女の力を貸してください。

 お願いします」


 そう言って僕は、目を丸くするリオイナさんに向かい、頭を下げた。

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