第9幕 数学はかくも美しい


「奥入瀬だ!!」


 なるほど。賑やかで明るくうるさ……おしゃべりさんだ。染めてるし着崩してるし陽キャって感じ。でも嫌な感じではなく、誰彼構わず話しかける人のようで、塩対応な俺にも構わず話しかけてきたりする。あとはまあ、あまり言いたくないが特筆するならば、小玉スイカを常に上半身に身に着けている。デカい説明不要というやつである。


 三人でしらーっとした目でスケベ大魔王を見る。途端に大魔王は狼狽え始める。


「おっ、ち、違うぞ!俺は彼女の胸のうちに魅力を感じたんだ!胸を張って言い切れる!いつも朝に挨拶をしてくれるんだ。そういうところに俺は胸がときめいたんだ!疑われるなんて無念だ!せっかく胸襟を開いて話したというのに!おっぱい!」


「誰も何も言ってないのに答えを言うな」


 言葉に胸が溢れてるしなんなら最後に欲望も溢れている。所詮男子高校生なんてこんなものだ。


「……毎日俺の頭撫でに来るんだよ」


「言い訳かスケベ大魔神」


「坊主頭が本当は好きじゃないって言ったらさ、そういうときのためのオシャレじゃん!ってさ。放課後一緒に帽子買いに行ってくれたんだよ。いちいちすげぇ褒めてくれるし」


「おいやめろその素敵エピソード」


 思わずストップをかけてしまう。エピソードに青春の匂いがして、胸が苦しくなってきまった。頭に乗せているハンチング帽を大切そうに撫でて語る九重。夏服のポロシャツにもよく似合っている。


「そんなの好きになっちゃうじゃん」


「それで最近帽子被ってるのか」


 残り二人も俺と同じ苦しさにかられたのか苦しげに九重を見ている。モテない男は、誰かのほんの少しの女子への接触でも羨む性質を持っている。俺は自分を棚に上げる。


「それに私は好きだよって、俺の頭撫でてきてさ。それからは毎朝俺の頭触って、今日も可愛いじゃんって声かけてくれんだ」


「これがトキメキ……?」


「これガチ恋では?」


 俺と小南はあまりの青春濃度にダンボールを強く抱えて耐え忍んでいる。だがそこに、怒りを通り越して冷静になった兼田が一言で刺した。


「なのに一番最初におっぱいなの最低だな」


「ぐわあああああああああ!!!!」


 致命傷のやつだ。

 ざまあみろという顔を兼田はしている。性格がねじ曲がっていてとても良いと思います。サムズアップしておいた。


「……俺の未熟は置いておこう、兼田はどうなんだ」


 意趣返しに水を向けられる兼田。しかしてんで動揺した様子がなく、


「ボク?ボクは横溝さんかな。やっぱ顔が良いよね」


 一同黙ってため息だけ吐く。


「何」


 代表して俺が答える。


「つまんね」


「推しにつまるもつまらんもない」


「置きに行ったというか無難というかノーアウト一塁でバントというかかかしの方がまだデコイしてるというか白々しさも通り越して真っ赤だ」


 小南が容赦なく罵倒する。

 なんとなくクラスで一番可愛いよね的な暗黙の了解がある奴を選ぶのは許されない。本気が感じられない。当人や本気の人にとってこれほど失礼な話もないが。兼田に限っては嘘臭さがもくもくと漂っている。


「推しってそういうもんじゃ?」


「面食いとはよく言ってるけど、もう一つ性癖あるよな兼田」


「腋?」


「それは知らんが、お前とは美味い酒が呑めそうだ。そうじゃなくて、前にソシャゲで課金したキャラの話聞いただろ」


「教えて教えて」


「こいつ正真正銘のロリコンだ」


「チクショウ光花ちゃんだよ悪いか!!!!」


「犯罪じゃん」


「合法ロリだよ!!!!」


 光花理路さん。幼い。以上。

 こいつロリコンか。

 本当にいるんだなロリコンって。あまりにもネットで叩かれすぎて絶滅したと思っていた。


「違うんだって。ボクはただ純粋に見守っていたいだけで」


「犯罪者は皆そう言う」


 九重の容赦ない一言。


「ただ公園で遊び回る理路ちゃんを眺めていられればそれでいいの」


「相手は高校生だよ?」


 小南の圧倒的正論。


「小学生でしょうが!!!!」


「いやクラスメイトだろ……」


 俺の困惑。


 こいつもう手遅れだ。いつも公園に来るキッズたちに注意喚起しておこうと固く心に誓った。


「横溝さんは何だったんだよ」


「ロリを抜きにしたら一番ロリ時代を見てみたいと思った」


「なんにも抜けてないじゃん」


 ちなみにマヤノトップガンの花嫁衣装で天井したらしい。


 こうして業を曝け出した二人は、当然のように全員を道連れにするべく、小南が指名された。


「やっぱり言わない」


 しかし小南はここでグズり出した。学校も見えてきたというのに頑なに口を閉ざしている。しかし却って良い展開だ。ここで話が止まると俺にお鉢が回って来なくて済むので援護する。


「無理に言わせなくてもいいじゃん。クラスのレディはみんな可愛いじゃん」


「そんなわけないでしょ?美人もいればブスもいる。ファッキン日和ってんじゃねえよ」


「はい……」


 兼田の豪速球に撤退する。言っちゃいけないラインというものを知らないのか。


「あのさ、そうやって言い渋ると余計にガチ感出るから」


 さっきまで誤魔化していた人間がどの口でか諭している。今や兼田が誰よりもこの謎企画に本気だ。


「だってさぁ、気まずいじゃん。あ、小南がアイツと喋ってるぞみたいになるじゃん」


「ならんて」


「じゃあ言うけどさ……ガチじゃないからね」


「はよ」


「…………為近さん」


三人絶句。


「いや別に好きとかじゃないんだけど、あんなに明るくてハチャメチャなのに、クラスで一番頭良いのズルいと思うんだ……」


 ガチじゃん……。漏れ出そうになった言葉を何とか飲み込んだ。


「いやめっちゃ気まずいんだけど。え、班にヘルプに来てくれるときどういう顔すればいいんだ?」


 しかし九重は容赦なく追及する。もうやめましょうよ。


「だから別にガチじゃないってば!変な真似絶対やめてよ。だから言いたくなかったんだ!」


 なんかチョイスがガチっぽいんだよな……。トーンも焦り方も全てがガチ臭い。


「黒板に相合い傘書いといてあげる」


 兼田の茶化しに対して、持ってた段ボールの一枚を上段からフルスイングで振り下ろして制裁を加えた。兼田の頭が段ボールから生えている。

 そして小南がこちらに振り返る。その目には狂気の炎が燃えたぎっている。こいつら蜘蛛の糸登ってる奴は死んでも引きずり落とすタイプだ。


「……俺?」


 三人とも頷く。


「いやいやいやいや。というかほら、もう学校じゃん。暑いし喉渇いたな」


デコレーションされている真っ只中の校門に迎えられる。門をくぐり下駄箱まで辿り着いた。魅惑のクーラーまで後もう少しだ。


「逃げるのか?」


 兼田が靴を履き替えながら煽ってくる。こいつ性格めちゃくちゃ悪いって。


「いや早く涼みたいだけだからとりあえず急ごうぜ。な?」


 内履きに履き替え一年の教室まで向かう。年功序列が敷かれているので、一年の教室は下駄箱から一番遠い校舎の最上階にある。社会の嫌な縮図が過ぎる。

 俺が先導するも、すぐに追いつき抜かして来て、これでもかとバカたちはアピールしてくる。


「ほら見てよ。裏切られたのが悲しくてジジョーが泣いちゃったじゃん」


「よよよ」


「さっきから泣くの下手くそなんだよ。というかジジョーってなに」


 九重と小南の猿芝居を流して別の話題を放り込む。先程から気になってはいたが、内々のあだ名を当然の如く出されて困る。何故こうも学校というのはあだ名の文化が強いのだろう。本名忘れたままお別れしたクラスメイトも沢山いる。なお、俺のことをあだ名で呼ぼうとする人間の命は全て刈り取ってきた。


「ああ。二乗とか二次関数ってあるじゃん」


「ある」


「ノートや教科書の二次関数のグラフ全部に乳首描いてたんだよ」


「かっけぇ」


「しかも蛍光ペンと赤ペン使って色つけてたし」


「いやなに、たまたますごくエロい方程式を見つけてしまっただけのこと」


「超かっけぇ」


「他にも下着のVラインに見立てて割れ目書き込んでたこともあったよね」


「数学というのはかくも美しいものなのだよ」


 彼はキメ顔でそう言った。今までその発言をした世界中の数学者が全力で首を横に振るレベル。

 兼田の方を見ると、馬鹿だよなぁという顔をしていた。多分俺と全く同じ顔のはずだ。


「それで付いたあだ名が二乗、つまりジジョーだよ」


「みんな俺のところにあらゆる二次方程式を持ち込んだものだ」


「バカじゃん」


「クラスの数学の平均点高かったんだぞ」


「バカってすげぇ」


 教室に向かって階段を登るジジョーに後光が差している。バカってすげえ。もう先までの話題をすっかり忘れているのだから。


「ちなみに俺は既に三次関数を習得している」


「もう天才でいいよ」


「三次関数はな、エロいお姉さんの腰から尻のラインなんだ」


「嘘だろ?」


「いや本当だ。しかも場合によってはちょっと上向きなどすけべ横乳にもなると言われている」


 ジジョーは目をキラキラさせてそう主張している。お前以外にそんなこと言うやついねーよ。


「もうそんなの吸う学になっちゃうよ」


「三次でそれなら四次だとどうなるんだ……」

 

 だかしかし、小南も兼田もむしろノリノリで追従している。男子高校生というのはこんなにも馬鹿なのか。悲しくなってくる。


「花籠はどう思う?」


 こちらに振るな。

 心底くだらない。なんなんだこの話題は。苦し紛れに自分が始めたとはいえ。もう十分に話題は逸れた。適当に答えてしまおう。


「俺は女子がπって言うと嬉しい」


「分かるマン……」


「πにかけるとか淫猥の極みだよね」


 悲しいことに俺も男子高校生であった。

 そんなふうに、猥猥ガヤガヤしていたら、気付けば四階は我らが1年3組に到着。


 扉を開くと神の息吹、待望のクーラーが出迎えてくれる。全身に冷気を感じ感動に崩れ落ちそうになりながらも、身体の内側から知らせてくる渇望に従い水分向かって駆け出す。段ボールを教室の隅に放り投げると、自分のカバンから水筒を取り出し、中身を一気に飲み干した。その勢いのままクーラーの吹き出し口の真下を陣取り、男子四人は恵みを享受する。タオルで汗を拭く者、下敷きで更に浴びる冷風を強める者、ただただ感謝する者、そして俺は制汗スプレーを全身に吹きかけまくる。

 それに気付いた三人は制服を捲り上げ、俺達にも寄越せと肌を剥き出しにしてアピールをする。仕方なく振りかけてやると、ぶどう風味の男四人が完成した。


 そうこうして、ようやっと人心地ついたところで、ジジョーが村雨君に成果を報告しに行く。

 残された俺たちは手持ち無沙汰を慰めるように、さっきまでの雑談を兼田が続ける。


「数学だけじゃなくて他の教科だと何がある?」


「俺、今まで結構転校してきたから英語の教科書コンプリートしたんだよ」


 全国で統一しろよと思う。そのせいで転校の度に無駄に金がかかってしまっている。


「どうだった?」


「やっぱりnew horizonは別格だったな。男と女の関係性が濃密に描かれていた」


 俺の意見に分かり味が深いとばかりに頷くのは小南。


「一人の男を取り合ってたよね。しかもソイインク知ってる?あれ消しゴムで消せるからさぁ、剥ぎコラ作ってNTR作者やってた」


 俺は分かり味が浅い。数学のジジョー、英語の小南で双璧を成している。こいつらの中学の教えはどうなっているのだ。


「俺の学校のCROWNは結構可愛い子いたな。ストファーコラボのスト子ちゃんがヤバくてさ」


と、兼田も負けじと中学英語の教科書の話を披露していたところに乱入者が現れる。


「何の話してるの?」


 休憩中らしき深山がひょこひょこと近寄って来ては話しかけてきた。男が隅でコソコソ話してるときは女子は話しかけてはいけない法律を知らないのか。どうせ九割下ネタだ。


 案の定女子に耐性のない二人が絵に描いたようにテンパってくれる。


「いや、別に英語の話だよ、な?」


 とりあえず自分一人で死にたくないため、即興の誤魔化しを二人に振る。


「う、うん。そう、中学違うと知ってる英単語も違うよねって話をね」


「花籠が英語出来るって言うからコツ聞いてたんだ」


 嘘が下手なのか童貞力が高いのか分からない不自然さでしどろもどろに回答している。


「へー、じゃあ私にも今度教えてね、健全に。はい、これ。今日の分」


「ありがとう。英語でもロシア語でもスワヒリ語でもなんでも聞きに来い、今度な」


 なんかとても嬉しそうにしながら戻っていった。聞いてやがったなあんにゃろう。ストーカーの名に恥じない観察スキルだ。おかげで、俺まで破廉恥な人間みたいじゃないか。心外だな。

 そんな破廉恥の勲章で握らされた手のひらの中にはカルピスキャンディー。

 口に放り込むと爽やかな味が弾けた。


「……付き合ってんじゃん」


「付き合ってないって」


 二人は全く納得しておらず、殴るや蹴るやしてくるが、そんなの俺だって最近まではその可能性も検討していたんだい。でも違ったんだ恥ずかしい。あのお姫様はただのファンなのだから。俺はそれこそ、推しメンというやつなのだから。


 そうして俺が二人に反撃を仕掛けて制圧を終えた頃、ジジョーが苦々しい顔で戻ってきた。


「じゃあまた段ボール取りに行くぞ」


 そんな死刑宣告のような命令のお土産に、えー、やだー、めんど、と三人口々愚痴愚痴に口答える。


「おいおい恋バナは全然これからがいいとこだろ続きするぞ!」


 どうやらまだ続くみたいだ。バカも案外侮れない。


「逃げられると思うなよ?」


 バカたちに肩を組まれて、いや、拘束されて、炎天下の中へ戻っていくのだった。

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