第37話 殺生石 其之四

 必要なお札と呪具が有重から届き、ついに殺生石を破壊するための旅へと出発する日を迎えた。


 案穩寺の境内には輿と籠を運ぶ荷車が置かれ、食糧と衣服の入った籠がずらっと並んでいる。

 宝物庫の結界を外し、輿をここまで運んだだけでも相当の神経を使った。これからその輿を運んでくれる人夫の方々の心労は計り知れない。その人夫たちも約束の時間の前に全員が集まった。

 ここ北関東は、時間にぞろっぺい町人が多いのだが、小三郎の揃えてくれた人材は流石にしっかりしていた。数えてみると確かに十六人いる。輿を四人で四交代、籠の入った荷車を輿を運んでいない者が交代で運び、八〜十人が代わる代わる休むという感じだろう。

 源翁は、小三郎に感謝しつつ、たった半月ばかりでここまでの準備ができたのはやはり奇跡に近いなと思った。

「大和尚様。お清めの準備が整いました」

「あい分かった。ありがとう」

 清めの準備をした弟子の案内で、皆が寺の西側へと移動する。そこには、大きな桶に並々と水が入れられていた。

 これは出発の儀式の為、三日前から弟子が汲み続けた山の清流の水だ。よもやここまで多くの水を汲んでくるとは思いもしなかったが、寺に残る弟子たちが、何かの役に立ちたいと思ってやってくれたのだ。

 この清流の水で、源翁と四人の弟子、十六人の人夫達と馬借が身を清めた。清流の水は最後の一人で丁度なくなった。全員がつつがなく身を清められたのは、弟子たちが頑張ってくれたおかげだ。弟子達に感謝だ。

 すぐに、僧衣に着替え、今回の要である輿と荷車に祈りを捧げた。魔はどこから入り込むか分からない。できる事は全てやる事が悪魔祓いの鉄則だ。

 最後に、金槌に魂を込める祈りの為、祭壇に寺の者を全員集めた。

 祈りは多ければ多いほど成就しやすいのは自明の理だ。お釈迦様の見つめる祭壇に、九尾の狐を祓う金槌を置き、皆で祈りを捧げた。祈り終わると、一番弟子の焉斎以外を祭壇部屋の外に出した。

 焉斎と向かい合い、私はゆっくりと彼に話しかけた。

「焉斎。この金槌は九尾の狐を祓う大切な物です。これを随時身から離さず管理してください」

 私は紫の布に乗せられた金槌を、焉斎の前に出した。焉斎はそれをじっと見ながら「はい。大和尚様。承知致しました」と若干声を震わせて緊張気味に頷いた。

 彼は次代を背負って立つ人材だ。今回の旅でその自覚を深めてくれると信じている。


 焉斎は、師匠である源翁がこの金槌を自分に預けてくれた意味を深く心に刻み込んだ。大きく息をして、金槌を受け取ると、掌の上のそれをじっと見た。

 金槌は、美術品のように立派な物で、これまで見たことのない形状をしていた。祭壇の蝋燭の光を受けて明滅を繰り返し、赤黒く見える。

 焉斎は、その金槌から何か音がするのを感じた。耳を傾けると、金鎚が焉斎に何かを語りかけてきたように感じる。会話はできないが、金槌の意気込みのようなものを感じた。そして、使ってもいないのに、強度も霊圧も凡百の金槌の遥か上を行っているのが分かった。

 悪魔を封じるという道具は、このように特別な何かを持っているのかもしれないが、それにしてもこれは凄いとしか言いようのない金槌だと焉斎は思った。


 すでに焉斎の顔からは、驚きと緊張の表情が消えていた。

 この重要な役目を自分に託してくれた事を誇りに思ってくれたのだろう。金槌も何かを伝えたのかもしれない。この金槌を託した甲斐があったというものだ。

「では、外に出ましょうか」

「はい」

 私と焉斎が寺の外に出ると、三人の弟子と人夫達が準備万端で待っていた。

 弟子たち以外にも、どこで聞いたのか、例の如く多くの檀家達も私たちの出発を見ようと境内に集まり、殺生石について有る事無い事、荒唐無稽な話を噂しあっていた。これは仕方のない部分もある。彼らのほとんどは、生まれ育ったこの地を出る事なく一生をこの結城の地で過ごす。彼らにとって街道の先は、現実世界というよりも異界なのだ。我々一行はそんな異界に行くのだ。異界の話は、時に必要以上に大きくなる。

 いずれ、檀家の皆様にも今回の真実を話そうと決め、私は、檀家たちに礼をしながら通り過ぎ、輿の前に立った。騒ついていた境内が一気に静まる。

 この先は決して油断してはいけない戦いが待っている。

 私は、全ての弟子、人夫をゆっくりと見回した。皆、いい顔をしている。

 では、一席ぶって出発だ。

「私たちは、これから九尾の狐を封印した殺生石と呼ばれる岩を、とある山の山頂から那須へと運びます。那須の地は二百年前、九尾の狐が退治された場所。その時、その戦いの余波でその場は毒の気を吐く地になったと言いいます。集落から離れたその地は、人もほとんど寄り付きません。殺生石も強烈な毒を吐く事から、私はその地で殺生石を祓うことに決めました。道中、何度も岩の封印を確認するため、遅々として進まないかもしれません。それでも道は必ず那須へと繋がっています。そこまで気を張ってお願いしたく思います」

 全員の視線が源翁に集まり、場が一層静まった。

「うっす」

 その静寂を破るように小三郎が大きな声で返事をすると、他の人夫達も小三郎に続いて「うっす!!」と気合いの入った声を張ってくれた。小三郎の気合のおかげで、人夫達の顔もいい緊張感で引き締まった。

「では、出発しましょう」と私は厳かに言った。

 無駄な動き一つなく皆が持ち場につき、それぞれの荷物を持った。私は最後にと、寺に残る事になった小僧らを集めた。

「必ずや善い話を持ち帰るので、私たちがが留守の間、寺を頼みますよ」

「はい。お任せください」

 寺を守ろうと小僧達もいい返事をしてくれた。顔つきも以前にまして逞しくなっている。日々、皆成長しているのだ。

 では、九尾の狐を祓いに出るとしよう。

「拙僧達は必ずや帰ってきます!!それまで皆様お待ちください!!」

 境内が熱気に包まれた。

 檀家も寺の小僧達も、頑張れーだとか頼むぞーなどと言って励ましの言葉をかけてくれた。それに応えるように皆で一礼すると、拍手が沸き起こった。こうして多くの人が応援してくれるというのは嬉しいことだ。

 ついに、私たちは隊列を組んで、ゆっくりと寺を出た。

 私の後に四人の弟子が続き、そのすぐ後ろを十六人の人夫達が続く。重そうな輿を肩にかけ、食糧などの入った籠を乗せた荷車を運んだ。最後尾は馬借が担う。何かあった時の連絡役もかねて馬も雇ったのだ。

 街中でもこの隊列は目立った。

 すでに殺生石の事は皆の知るところとなっていたので、所々で話しかけられ、激励された。その都度、私は最大限やれることをやりますと言い続けた。町人も本気では自分達の脅威として感じてはいないが、九尾の狐にはそこはかとない不安があるのはよく分かる。

 小さな町なので、すぐに人の住んでいる地域は過ぎ去った。周りは静かになり、風の音と馬借の馬の鳴く声を聞きながら東へと伸びる街道を進んだ。見慣れた風景がどんどん後ろへと去っていく。

 風景は、山に囲まれた平地にどこまでも田畑が広がるのみとなった。

 私はここで隊列を変えた。

 輿を運ぶ人夫の早さに合わせる為だ。街中では私が隊列の先頭で旗振り役だが、一旦街道に出てしまえば、主役は人夫で、彼らの早さに合わせて隊列を組むのが常識的だろう。

 前方でテキパキと輿を運んでくれている人夫たちが、非常に頼もしく見える。

 こうした安心感があるのは仲間が多いからだ。一人で賀毗禮山に向かった時とは気持ちの持ちようが全く違い、不安よりも安心感が上回っている。


 ついに田畑もなくなり、見えてくるのは山へと向かう草に囲まれた道だけとなった。


 ここから先はもう完全に民家のない人のいない世界だ。町に住む人間にとっては異界となる世界で、幅の狭い道が遠くへと畝っている。脇の林からは、濃厚な草いきれが強く鼻に入ってくる。こうした手付かずの緑は、我々人間に自然の大きさを感じさせ、畏怖を覚えさせる。人の世界と人のいない世界。そこには明確に境界線が存在し、私たちが人のいない場所に来ると、我々とは異なる何らかの存在を感じるようになる。

 そのような存在は、怪異であったり獣であったりするのだが、一括りにすると人間には理解の及ばない何かである。

 存在の定義の問題はあるが、大凡人間が理解できる存在の範疇を超えた何かというのは存在する。それを感じる場所は基本人の世界ではないのだ。そこは、人在らざる者の世界だと言っていい。

 だからこそ、私と弟子で、人夫たちからそのような存在を遠ざけなければならない。

 しばらく進むと足場が悪くなってきた。平地から山へと入ってきたのだ。すると、俺たちの仕事はここからだと言わんばかりに、人夫達が掛け声を上げた。

「よいせ!よいせ!」

 一定の拍子で四人の人夫の足が左、右、左、右と動く。山は道が悪い場所が多い。だからこうして呼吸を合わせて進む事が怪我の防止になるし、無駄な体力も使わないと、彼らは経験で分かっているのだ。

 下総国を東に進むこの街道は、誰でも知っている東海道や中山道、大山街道などと違って利用する人間はそれほど多くはない。主に商人か兵隊が使う道で、草に覆われて足場が悪かったり、高い崖に挟まれた異様に狭い場所も多い。街道というよりは少し手の入った山道と言うべきかもしれない。このような場所を多人数で通るのは当然時間がかかる。

 人夫達はそんな事は百も承知なので、様々な対策を練ってきているようだ。

 崖がちの狭い場所では、輿をうまく回転させながら岩と岩の間を通し、それでも駄目なら背の高い四人を選抜して、輿を高く掲げて移動をした。

「よいせ!よいせ!」

 人夫達の威勢のいい掛け声と共に少しずつ山道を進む。

 基本的に山は暗い。

 そのせいで怪異が集まる事もままある。私と弟子達は、人夫たちの後ろで魔を祓う真言を唱えながら、人在らざる者が集まらないように気を張る。もちろん獣も寄せ付けないように心がける。

 助かった事に、このあたりには賀毗禮山にいたような中位以上の怪異は勿論、途轍もなく大きな怪異も見当たらない。弟子たちも何度か怪異を追い払っているうちに対怪異の呪文に慣れてきたようだ。時折、中位に近い怪異が寄ってくるが、それを弟子たちなりの工夫で弾き返している。


 それにしても、小三郎たちの手際の良さは思った以上だった。


 思った以上に輿が通れない場所が出てくるが、草に覆われた場所では人夫たち総出で草を刈り、どうしても通せない場所は、崖まで削って通してくれた。

 こうして、輿を慎重に、手際よく運んでくれたため、私たちは最初の山を越えて下り道へとに入ることができた。

 下り道に入ると、少しだけ道が広くなった。

 この景色は見覚えがある。

 私もこの道は二度目なので、特徴的な景色は覚えている。その記憶によると、ここを通過すれば平地まであと少しの距離なはずだ。難所の連続を無事乗り越えてくれた人夫達は、夕食の後、新たに朝廷から取り寄せた、あの軟膏を肩に塗って少しでも楽になってほしい。

 そんな事を思っていると、「大和尚さま。そろそろ日が落ちます」と焉斎が私の横に来て進言してくれた。

 もうそんな時間かと上を見ると、確かに、緑の葉の隙間から微かに見える空は薄く赤みがかっていた。

「ふむ。では今日の野営地を探すとしましょう」

 夜の山道を進むのは危険すぎるため、早目に野営地を決めなければならない。

 すると焉斎がもう一人の弟子を呼んだ。

「円来!!」

 焉斎の呼びかけにすぐさま「はい!」と返事をして円来が走ってきた。

「先に行って今日の野営場所を見つけてきてくれ」

「分かりました」

 そう言うが早いか、円来は街道の先へと走って行った。

 彼は変わり種で、数年間修験として日本の各地を転々とし、最終的に思うところがあり、我が寺に入った弟子だ。だから年齢で言えば焉斎よりも上だが、偉ぶる事なく曹洞宗の教えを学んでいる。修験の修行で常に山入っていたので、山の中で野営地に適した場所を見つけるのを得意にしている。彼にしてみれば山は庭みたいなもので、そういう意味でも、彼は今回の一員にするのに適した人物だといえた。

 

 そう言えば、私ももう少し先の木の上で一夜を明かしたなあと、つい二週間ほど前の事を思い出す。まだ、ほとんど日数が経っていないのが不思議に思える。それだけ有重が頑張ってくれたということだ。


 そんな前回と違い、今回は人数が多い。さて、どんな場所になるのだろうか?と円来の後ろ姿を見ながら想像する。この辺りにそんな場所が都合よくあるのか私には分からないが、ああして行くからには何か目処があるのだろう。川沿いの平地は良い場所だが、野盗の襲撃や雨風に弱い。本来なら宿場町を目指したいが、我々は二十人近くいるので宿場に入りきれない事が予想される。結局は野営地を見つけるしかない。

「よいせ!よいせ!」

 小三郎を中心に、人夫たちは荷物を運んでくれている。また若干の上り道になったので、ここいらで一回休もうかと思っていると、「おーい」と叫ぶ声が聞こえた。

 見れば、いよいよ山道を抜け平地に出ようかという所で、円来が手を振っていた。

 少し遠かったが、皆で円来のいる場所へと向かった。私たちが到着すると、円来は鬱蒼と茂った藪を指差した。

「大和尚さま。ここの藪の向こうにいい場所がありました。ご覧になってください」

「そうですか。見させてもらいます」

 円来は、竹藪をかき分けて源翁をその先へ案内した。竹藪が唐突に終わり、そこには木が生えていない場所があった。大半が土の地面で、二十人近い人間がいても問題のない広さだった。少し先には川もあるとの事なので、野営地に申し分ない場所と言えた。ただ、周りは竹藪なので蚊は多い。

「では、ここで夜の休憩をとることにしましょう。続いてで申し訳ありませんが、食事の用意をお願いします」

「はい。承知しました」

 人夫たちは、竹を切り倒しながら、輿を一切傷つける事なく広場に入れてくれた。

 そして、広々とした広場を見て、「へえ。こんなところにねえ…よく見つけられるもんだ」などと感心していた。

 その間に、四人の弟子たちは簡易の釜戸を作り、米と野菜で料理を作っていた。今回の肝である輿は、茣蓙を敷き、布を被せて傷や汚れが付かないようにして置かれ、魔除けのお札を貼った。その横に我々の荷物が入った荷車も置かれた。

 その上でこの一角に軽い結界を創った。これで野営地に魔が入り込むこともないだろう。


 人夫たちは、この日の仕事が終わったので、満足げな顔を浮かべて過ごし易い場所を各自で作り始めた。


 音速で寝場所を造り終えた人夫達は、料理が出来るまでの間にと厠も兼ねて川の水で体を拭きに行った。どうやら服も軽く水で濡らして洗い、虫と匂いを落としたようだ。

 結界の漏れがないかの見回りが終えると、どうやら料理が完成したようだ。そこで、私は手の空いた円来を呼んだ。

「円来。どうやってこの場所を見つけたのですか?」

「この場所ですか…まず竹です。竹にも色々ありまして、この種類の竹は一部に密集しますがその先には生えない事が多いのです。ですから、私は竹藪の先を見に行きました。予想通りに竹藪の向こう側は土の平地でした。そして、竹の近くには水がある事が多いので、耳を澄ますと川の音が聞こえました。これ以上歩くのは疲労を考えると余り得策とは言えませんので、ここに決めました」

 なるほど。理にかなっている。円来は言わなかったが、飯炊きの煙も見え辛いので野盗にも見つかりにくいと考えての選定だろう。

「良い場所だと思います。いい仕事をしてくれました」

「ありがとうございます」

 円来は一礼すると、料理の差配へと走って行った。

 向こうでは、人夫達がうまそうだなどと言いながら食事を受け取っている。毎日の事なので料理も上手くこなしてもらえればと思う。ただ、食事作りに負担をかけすぎてもいけないので、昼飯はなるべく宿場町で取ることにしようとも思った。


 広場に張った結界の効果もあり、その日は何事もなく朝を迎えた。


 源翁は何かが動く気配で目が覚めた。

 見れば、まだ夜も明けきらない暗がりの中、当番の円来と照海が忙しそうに動いている。どうやら彼らが、今日の朝ごはんの当番のようだ。

 急造の竈の上では鉄鍋がぐつぐつと音をたて、山の幸が煮込まれた味噌の香りと米が炊かれる匂いが周りに広がる。匂いだけでお腹が空いてきそうだと思っていると、人夫たちも横になった場所から竈をじっと見ていた。

 その竈の横に置いてあるまな板の上が、山のようにこんもりとしている。さすがに朝飯だけにしては多すぎるので、お昼ご飯の分も作る事にしたようだ。


 これは非常にいい判断だと言えた。


 何事もなく順調に街道を進めるとは限らないからだ。ここで昼ごはんも作っていてくれれば、休憩の時間も計算できる。しかも、次の宿場町は結構離れていたように思う。それにしても二十人からなる集団なので、その量も凄まじい。あのまな板に盛られた食材を見ると、買える場所があれば保存食を買い、食事の足しにしていかなければならない。

 食事や宿泊用のお金を、かなり余裕をもって用意したのは英断だったと思う。


 こうして、私たちは自分達の役割をそれぞれが果たしながら、街道を東に向かって淡々と進んで行った。

 

 行く先々の道は、相変わらず平地はほとんどなく山と山に挟まれた狭い地形が多い。

 一人で旅をしていた時はそれほど感じなかったが、やはりこの街道は大勢が移動するのには適していない。人夫も交代が早くなってきている。それだけこの土地の起伏と形状が厳しいのだ。

 そんな中、懸念していた事態が起こった。

 このような視界の悪い狭い地形は、野党が身を潜めるのにもってこいなのだ。

 どれほど多くの商隊を襲ったのか、彼らは何も言わずに襲いかかって来た。こうやって脅すこともなく襲えば、あっという間に商隊は壊滅するのだろう。

 何の予兆もなく、崖の上から鎌を持った数人が飛び降りて来て、人夫たちに切り掛かってきた。最初の一撃は、先頭にいた小三郎に振り下ろされたが、小三郎は輿を持ったまま避けることなく、その手を蹴り上げ、鎌を吹っ飛ばした。

 それでも後続の野党が間髪入れずに襲いかかってくる。

 彼らの凶刃が小三郎へと振り下ろされる寸前、輿を持っていない人夫たちが大きな盾と長槍を持って野党へと突進した。釜の一撃は盾で防がれた上、鎌が木製の盾に突き刺さって抜けなくなっている。必死に釜を抜こうとする野盗の腹へ、人夫は、重い蹴りをぶち込んだ。

 蹴られた野盗は木に頭をぶつけ昏倒した。

 ここは道が狭く、動き辛い。野盗をものともしない人夫たちの動きは、訓練された軍人のそれだった。こうなると、釜を振り回すしかできない野盗たちには、この地形が災いする。

 大きな盾で鎌が封じられた上、槍で攻撃されると間合いにも入れず鎌を弾かれてしまう。あっという間に丸腰になった野盗らは、人夫たちが繰り出す盾の打撃や蹴り、掌底で意識を失い、バタバタと倒れていった。

 あっという間に仲間がのされ、残党は青ざめた。

「ひ、引き上げろ!!」

 真っ青になった野盗の頭領と見られる髭面の男が叫ぶと、残った二人の仲間を率いて山を登って逃げて行った。この狭い場所には、気絶した盗賊が五人転がった。

 一息ついたので、私は人夫達に頭を下げた。

「いやはや、皆様の格闘技術には驚かされました。危ないところをありがとうございました」

 戦闘に参加した人夫たちは、涼しい顔で「あんなのにはやられませんよ」と言って倒れた野盗たちを手早く縄で縛って木にくくりつけた。

 何とか意識を取り戻した野盗の一人が叫んだ。

「おい!これを解いてくれ!!こんなところで括られたら死んじまう!!」

「あなたたちは多くの商人をここで殺したのではありませんか?自業自得です」

「いや、悪かった。もう改心する!!野盗なんて二度とやらない!!だから助けてくれ!!」

 私は、この男の目をじっと見た。

 野党の目は落ち着きなく揺れている。彼の中では、今まで殺した人間の姿が何人も浮かんでいる。そして、その被害者に呪われるのを恐れていた。自分勝手なことだが、人間というのはまさにそういう生き物で、そうならない為に、神道や仏教といった宗教で心を鍛えるのだ。生きるためとは言え、人を殺すという選択をしてしまった以上、やはり償いは必要だ。

「縄を解けば、あなた方はまた私たちを襲うでしょう。ですので、縄は解けません」

 男は項垂れた。もう罵詈雑言を吐く余裕もない。

「そして、私たちはこれから殺生石を祓いに行くのです。あなたも殺生石の噂くらいは耳にした事があるでしょう?ここであなた達が私たちを殺していたら、日本は九尾の狐に支配され、結局あなた方は死んでいました」

「へ…?」

 何という人を殺そうと思ったのかと思ったのか、男は涙を流した。

「本当に…すみませんでした…」

 これは本心だろう。彼の中にようやく罪の意識が芽生えたのだ。人を見てようやく謝るのはどうかと思うが、罪を償い、何かをしようという方向に思考が転換されたのは、この男にとっては良いことのように思う。

「良いですか。私はあなたを救いません。それだけの事をあなたはして来ました。しかし、今後の人生があるとすれば、その中で罪と向き合い、自分で解決していくのです。良いですか?」

「はい…」

「私たちは、この先にある関所であなた方の事を通報します。あなた方はお縄になり、裁かれます。それでも生きていられたのなら、今度はあなたのような境遇の人間を救っておやりなさい。あなたの人生はそこからです」

 男は私をじっと見て頷いた。もう目は濁っていなかった。

「では、皆さん行きましょう。この先も同じことがあるかもしれません。気を引き締めて行きましょう」

「うっす」

 小三郎はそう返事をすると、何事もなかったかのように輿を持ち上げた。

 私たちは気を取り直して街道を進んだ。山は勾配がきつく思うように進まないが、今のところ盗賊の残党が襲ってくる気配はなかった。

 しばらく経って休憩の時、小三郎に、何故あれだけの戦闘ができたのかと聞いてみた。

 小三郎が言うには、この人夫達のうち数人が武士と共に集団戦闘したことがあるとのことだった。その人夫達が、旅の安全の為、独自に作った大きな盾で攻撃を防ぎ、長槍で攻撃するという戦法を編み出したのだと言う。本当に様々な人間がいるものだと感心してしまう。

 しかも、この戦法には陣形もあるようで、本当に武士の戦闘さながらである。

 そして、小三郎は最後にこんなことも教えてくれた。

「私は、あの小山義政公に合戦のやり方を教わりました」

「小山義政公に…それはそれは」

 これが本当だとすると凄いことだ。小山義政は室町幕府が成立するにあたっての大功労者だ。戦争には滅法強い。小三郎の普段からの指揮ぶりを見てもそれは本当だと思えた。人夫の人数を多くしたのは、野盗対策の為でもあったという事だ。


 山の道の幅は一向に広くならず、ひたすら上へと続いている。

 しかし、我々の中にそれにへこたれるような人間はいない。誰一人文句を言わず、少しずつ確実に登っていく。


 私たち僧も、自分のできる事を最大限果たそうと、四人で真言を唱え続けた。

 弟子達は常に声を出し、周りに目を光らせ、自分で祓える怪異を見定めた。そして、弟子達は怪異が害なす存在であっても。完全に祓う事なく追い払うようになっていた。傍目から見てもかなり手際は良くなってきている。


 悪魔祓いは言葉で説明できない事が多い。


 私自身もそうだったが、実地で覚えないと技術が身につかないのだ。幸いと言ってはいけないが、山では我々の霊力に惹きつけられた怪異が頻繁に襲ってくる。初めのうち、弟子たちは、私の怪異を祓う姿を模倣して祓っていたが、今はある程度自分にあったやり方になっている。もちろん、祓わなくても良い怪異の境界線は弟子に教えている。何でもかんでも撃退すれば良いというものではないからだ。

 そこに霊や妖がいるのには、必ず理由があるのだ。

 世の中には必要とされないものはない。何かに必要とされているものしか存在しない。何かに必要とされている以上、それを完全に無くしてしまうのは得策ではないのは明らかだ。今立っているこの場所にも我々が確知できない世界が必ずある。例えれば、私たちに地中の世界など分かりようがない。そんな世界が無数にあるのだ。

 虫にしか分からないごく小さな世界が、彼らの世界よりもずっと大きな世界に影響を与え、すべての世界が関係しあって存続している。怪異もこの世界に関わりがある以上、我々の世界に何らかの影響を与えている。だから、怪異だからといって、彼らを完全に破壊してはいけないのだ。

 弟子達にはこの旅で、様々な世界が混ざり合っている事も学んでほしい。

 一般に怪異は大きくなりすぎると害の方が大きくなると言われている。その境界線は体験しないと分からないし、自分で勝手に解釈してもいけないものだ。弟子達も少しずつだが怪異を祓う事の意義とやり方を理解しつつある。この旅が終わる頃には一人前の僧へと変わっていることだろう。この経験は必ずや、怪異に困っている人々を救う一助になるはずだ。


 そして、今回の旅は、自分達にできることの限界も学ぶ機会にもなる。


 あと数日もすれば、私たちは殺生石へと辿り着く。弟子達はそこで九尾の狐の力を間近で感じるだろう。その時、彼らは自分達の非力さを思い知るはずだ。それでも、悪魔を祓える仲間が数人いれば、何かしらできる事もあると思えれば、それは成長だ。

 

 私にとって、この旅は、幾多の経験を後進に伝える旅でもあるのだ。

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