第27話 過去編 源翁心昭 可毗禮山 其六

 私は、おばあについて正確な説明をする為、おじいの家へと向かった。


 おじいは集落の側近と玄関先で話し合いをしていた。皆が渋い顔をしているので、今後どうしていくのかを話し合っているのかもしれない。

「夜分にすみません。先程の出来事を説明したく思います。よろしいでしょうか?」

「ふむ。お願いする。わしらじゃどうも理解が追いつかんのじゃ」

「では、———」

 私の説明を、おじいとその側近が聞いた。

「なるほどのう…九尾の狐とやらを退治せんと、ここはもう安全な場所とは言えなくなるのか」

「はい。私は明日、九尾の狐と対決するために山の上へと登ります。その際、五平どのに案内して頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」

「五平は狩に出るので、この山に詳しい。そのお堂までは五平に案内してもらうが良いだろうな」

「ありがとうございます。では、出発までしばし身体を休めたいと思います」

「あい分かった。では九尾の狐の事をお願いしもうす」

 おじいが頭を下げたので、私も頭を下げる。

 私が五平の家へと戻ると、今日のうちはおばあをここに寝かせる事になっていて、五平の家族が行ったり来たりしながら用意を整えていた。

 おじいは集落の人々を集め、何があったのかを説明すると言っていたので、集落はいつになく騒ついていた。

 そして、間も無く夜が明けようとしている。


 私は最後の瞑想に入った。泣いても喚いてもこれが最後の模擬戦だ。これまで頭の中で散々戦ってきたが、今だに違う戦略がある事に驚く。それでも本番は今までのどの戦いにも当てはまらない可能性もある。そうなったとしても、ここまで準備したのだ。私はそれでも対処できると自分を信じ、瞑想を解いた。

 目が冴えてしまっているので眠くはないが、余り寝た気はしない。疲れも取れているかと言われれば余り取れていない。何というか中途半端な感じの体調だが、時間は待ってはくれない。私は傷口に軟膏を塗った後、素早く身支度を整え、九尾の狐の待つ高台を目指す事にした。

 五平も準備はできているようで、しきりに家族から激励を受けていた。


 朝の鳥が鳴いた。


 布に巻かれた青龍刀を持ち、私は自分の荷物を抱えた。最後に、九尾の狐の存在を慎重に確認したが、この集落には黒い気配はすでにない。五平も準備ができたようだ。

「では、いきましょう」

「はい」

 緊張気味に返事をした五平は、家族に向かってゆっくりと頷いた。五平の家族もそれに頷いた。

 私は五平と共に家を出て、最後におじいに挨拶をしようと彼の家へ向かった。

 その途中の広場には、集落の人間のほとんどが集まって話し合いをしていて、私を見ると、全員がゾロゾロと私に向かって歩いてきた。

「源翁さま。き、九尾の狐とかいう妖怪は本当に倒せるのですか?」

 集団の中心にいた壮年の男が、私の前に出てきて聞いてきた。随分と直接的な質問だが、彼らの興味はそこに尽きるのだから、私はそれに真摯に応える義務がある。

「はい。もちろんです。確実に勝てるとは言えませんが、そのための準備はずっとしてきました。過去にも朝廷の人間が九尾の狐を倒しています」

 少しだけ安心した顔をした男性は「そうですか。ここの子供たちのためにもお願いします」と言って頭を下げた。

「分かりました。全力で祓いますので、どうか、ここで吉報をお待ちください」

「はい。お願いします」

 男性が集団に戻ると、全員の目がすぐさま私に注いだ。男性の質問に九尾の狐を倒せると答えたが、ほとんどの住人はそう簡単にいくとは思っていないようだ。彼らの目は怯えが満ちている。当然、彼らは怪異が恐いのだ。人間は自分の理解できない物を恐れる。それが人間に直接害をなす怪異となれば尚更だ。しかも、人間の集まる所に怪異が出たという事実は、かなりの凶兆と言える。

 全員が顔を曇らせていると、集落の奥からおじいが姿を現した。どうやら、今の今まで集落の今後について話し合いをしていたようだ。おじいは取り巻きを後ろに待たせ、ゆっくりと一人で私の前にやってきた。額に深い皺を刻んで、壮年の男性と同じ質問をした。

「源翁さま。これは人間でどうにかなることなのですか?」

「はい。もちろんです。事実、二百年前も九尾の狐は祓われています。要はやり方です」

「ふむ…そうですか」

 と、返事をしたもののおじいの表情も、住民と同じように冴えない。まあ、九尾の狐に勝てると言ったところで、本当に勝てると思う人は僅かだろう。九尾の狐には、それだけの知名度と力がある。

 おじいが言葉を継げないので、私はもう少し話すことにした。

「私はこの時のために毎日何度も瞑想し、あらゆる問答を繰り返してきました。その中で対策を幾つか持つに至ってます。それらを用い、何があろうとも九尾の狐を祓ってみせます」

 大きく息をして、「分かりました」と呟いたおじいは、腰をポンと打って皆と合流した。

 おじいはその場で取り巻きと年配の男女を数人呼ぶと、更に話し合いを始めた。それを遠巻きに集落の人々が見ている。私も遠巻きにそれを見守った。

 おじいと村の有力者の話し合いは、侃侃諤諤の議論に発展した。渋い顔をする男性、唾を飛ばしながら何かを訴える女性。その都度おじいが何かを話す。それを何度も繰り返した。しばらくすると、段々と話し合いが落ち着いてきた。そして、おじいはその話の輪を離れ、こちらへとやってきた。

「はあ」とため息をつきながら、おじいは結論を話してくれた。

「皆と話をしたが、当然、皆が全員納得するような結論にはならなかった。しかし、九尾の狐がここにいれば、やがて朝廷の者がここに入るかもしれないし、そうなる前に、九尾の狐にこの集落など潰されてしまうかもしれない。どちらにしても我々の安寧は続かないだろう事は、皆が理解するところだ。

 それにな、源翁さまもご存じの通り、ここ常陸国は、千年ほど前にも朝廷に酷い仕打ちを受けた。元々住んでいた住民の多くが、朝廷の軍に惨たらしく殺されてしまった。その時、余りに多くの人間が常世の国へ行ってしまった事で、常陸国などと腹の立つ漢字をあてがわれてもいる。

 強大な妖がいれば、また同じように多くの人々が常世の国に行ってしまう。それだけは避けねばならない。だから私たちは源翁さまに賭けようと思う。お願いですから、あの九尾の狐を退治してくだされ」

 源翁は薄く微笑みながら

「分かりました。その気持ちしかと受け取りました。私も、この集落の方々は元より常陸国の人々を常世の国へと送り込みたくはありません。なんとしてもここで九尾の狐を食い止めたいと思います」

 そう話すと、おじいはしょぼくれた目を大きく開けて、じっと私の目を見た。

「ふむ。たまにこの集落に来る修験も中々の者だったが、源翁さまも相当な人物ですな」

「この山に入った修験をご存じなのですか?」

「あの方は、修行の度、ここに塩や海産物を届けてくれた。海燕と名乗っておった。本名かはわからないがな」

「ありがとうございます。修験は海燕さまというお名前なのですね。私が無事ここに戻れた暁には、海燕さまについても調べたいと思います」

「ぜひそうしてくだされ」

 その海燕は山に登ったきり帰ってきてはいない。だから、この集落の人間も海燕がどうなったのかは薄々気づいているだろう。海燕の為にも、私は九尾の狐を確実に祓わなければならない。

「では、山頂に向かいたいと思います」

 私がそう言うと、「少しだけ待ってくれ」とおじいが言い、「おい、五平!!」と叫んだ。

 すぐに広場から五平が走ってきて「はい。ここに」と、息を切らしながら言う。

「おまいさん、源翁さまを、何があってもあのお堂に必ず案内しろ。いいか、絶対だぞ」

「もちろんです」

 五平は口を真一文字に結んで目力を強くした。

「源翁さま。こう見えて五平はこの山を知り尽くしている。役に立つのは間違いない。是非使ってやってください」

「この山は普通の山と明らかに違います。彼が案内してくれるなら安心して登れます」

 感謝の意を述べ、私はおじいに深々と頭を下げた。

「諸々の礼は、全てが終わってから受け取らせてもらいます」

 おじいの話が終わったのを見計らって、五平は「では、頂上には昼には着くと思います。すぐに出発しましょう」とニコッと笑って言ってきた。この山の案内には絶対の自信があるのだろう。頼もしい限りだ。 


 時間が惜しい。私は五平の言に乗るような形で、出発する事にした。


「では、よろしくお願いいたします。もう明るくなってしまいました。すぐに山に入りましょう」

「承知しました!!」

 という元気な返事が返ってきた。

 五平は、自宅の裏から山へと入りますと指差して、大まかな山の道順を説明してくれた。


 ようやく出発というところで、五平がおじいに呼び止められた。


「お急ぎのところすまないが、源翁さま。少しだけ時間をくだされ。五平こちらに」

 五平はおじいに連れられて、おじいの家に入った。白髪を束ね、杖をついたおじいは、土間の竹で作った椅子に座ると、皺を深くして五平に語りかけた。

「五平。分かっていると思うが、この山は元より人が動くのを嫌う。くれぐれも安全に気を配れ」

「はい。安全な道は全て頭に入っています」

「そうか…そして、無事帰るのだぞ。おりんの事もある。お前までいなくなると皆が悲しむだけでなく、この集落の将来に関わる」

「ありがとうございます。私もおりんを見つけるまで鬼籍に入るつもりはありません」

 それを聞いた長は、うんうんと頷いた。

「わしには想像もつかないが、閻魔のような妖が待ち受けているのかもしれん。本当に記帳されないよう、身の危険を感じたら無理はするなよ」

「肝に銘じておきます」

 おじいは、深く頷いて椅子から立ち上がると、五平の肩を平手で叩いた。気合を入れてくれたのだろう。

「では行ってこい」

「行ってきます!!」

 おじいとの話も終わったので、五平は急いで私のところへと戻ってきた。

 私の周りには集落の人間が全員揃っていた。そして、皆が心配そうに五平を見た。それでも五平は笑顔で皆に言った。

「みんな。必ず無事に戻るから心配はしないで欲しい。そして、源翁さま。この地の妖を退治してくれる人は、あなたをおいて他におりません。心から御礼申し上げます。道案内は任せてください。よろしくお願いします」

「御礼を言うのは拙僧の方です。では出発しましょう」

 こうして、集落の人間全員に見送られる形で、五平と源翁は山へと入った。


 人間の里を出た瞬間から、怪異と獣の気配が一気に濃くなった。ここから先は一筋縄ではいかないと、私は静かに気合を入れ、丹田で気を練り続けた。ひっきりなしにちょっかいを出してくる精霊の類を追い払いながら慎重に進む。五平には怪異は見えないので、警戒範囲をいつもよりも広くしている。

 しばらく経つと、前を歩く五平が言い辛そうに話し始めた。

「あの、源翁さま」

「何でしょうか?」

「いや、この山では神隠しにあった子供が何人かいるのです。その…私の妹もつい先日…おばあは、妖の仕業だと言いましたが、本当にそうなのでしょうか?」

「そういう場合もありますし、そうでない場合もあります。つい最近、あの集落でいなくなったとすれば、その可能性は高いと言えますね。どのような状況でいなくなったのですか?」

 源翁がこの話を聞いてくれたので、五平は安堵した声で話し始めた。

「十日ほど前なのですが、かわいい妹が消えました。場所は集落に入る階段の途中です。あと数段で集落に入るという場所でした。そこには薪が固まって落ちていたので、妹のおりんがそこでいなくなったのは間違いありまえん。私も行けるところは調べ尽くしましたが、どうしても見つからなかったのです」

「ん?五平殿の妹はおりんという名前なのですか?」

「はい。そうです」

 あの九尾の狐に操られていた娘は、おりんと呼ばれていた。

 となれば、彼女は間違いなくこの五平の妹だ。

 さて、なんと説明したのもかと考える。そして、やはり真実を伝えるべきだろうと思った。

「世の中には神隠しと言われる失踪がいくつかあります。大抵は人間による誘拐か、思うところがあっての失踪ですが、この山の場合それが当てはまりません。この山に海燕という修験以外が入るとは考え難いですし、十日前と言えば、すでに九尾の狐の支配下に入ってしまっています。そうなると、おばあの言う通り怪異に連れ去られた可能性が高いと言えます。そして、私は、先日おりんという子供に会っています」

「お…おりんに会ったのですか?」五平は興奮気味に聞いてきた。声はうわずっている。

「はい。彼女は九尾の狐に操られていました。しかし、命はあります。死んだわけではないので、またあの集落で生活できる可能性はあります。九尾の狐は未だ魂の存在です。恐らく人間の依代が欲しいのです。おりんには他の人にはない何かがあるのだと、私は思います」

「おりん…」

 あまりの事に五平からはそれ以上の言葉が出なかった。九尾の狐の依代になるにしても世話人になるにしても、おりんにとっていい事など一つもないからだ。

 私は落ち込む五平を見ながら、多くの命を犠牲にする九尾の狐は、やはり早急に祓わなければならないと思った。

 

 私と五平はそれぞれの思いを胸に、更に山を上がった。

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