第19話 過去編 源翁心昭 其伍

 この源翁の答えが、日本の運命を決める。

 有重は本気でそう思った。そう思うからこそ源翁の目をじっと見て逸らすことはしなかった。


 源翁も、有重の目をじっと見た。真っ直ぐな目をしている。どうやら彼も成長して、怪異に対する戦いの本質に気づいたようだ。

 これで、完全に腹が据わった。

 源翁は、それがどれほど辛く遠い道のりであったとしても、必ずや最後に辿り着いてみせると菩薩に誓った。


 横の机の上には、写本用の経本と筆記用具が整然と並んでいる。その下に収まっている木製の座椅子の背には、見事な菩薩が彫られている。それらを指差して源翁は言った。

「これらは全て見知らぬ誰かが作ってくれた物です。このような品々に限らず私たちのお腹を満たす食物も、どこかにいる誰かに作っていただいた物で、私たちは見知らぬ誰かに助けられて生きています。

 そんな助け合いの中で、この私が、その人たちに危機が及ぶのを予見して尚行動しないのは、仏僧として、いや、人間として問題だと、本心からそう思います。先の瞑想で、私はあらゆる状況を想定して問答を繰り返しました。すると、確実ではありませんが私にも勝機があると、そういう答えになりました」


「という事は…」

 その先は声が詰まって出なかった。

 有重は、心の底から喜びが湧き上がるのを感じていたが、源翁の答えを聞くまではまだ安心できない。

 ここまで多くの僧侶、神職、術師に会ってきたが、力が本物だと思えたのはこの源翁だけだった。その源翁が九尾の狐を祓う決心をしてくれれば、まさにそれは奇跡と言っていい。


 ゆっくりと、そしてはっきり「この祓い私が引き受けましょう」と源翁は言った。


 それを聞いた有重は、涙を堪えながら「ありがとうございます」と感謝の声を絞り出した。


 それを受けて源翁は、しみじみと語った。

「それに、これほどまでに引き受け手がいないのは、我々仏僧界の責任も多々あります。

 大きな怪異が出ない事でいつの間にか全てが他人任せになり、そうした事のできる人間がいなくなり、個人でも組織でも責任を持って大きな事に対処できなくなってしまいました。凡ゆる組織が大きくなりすぎて、個の突出した人物が出にくくなっているのも問題です。そうなったのは、私たちの意識の低さにあります。今後、そういう事のなきよう、戒めも込めて今回は私が責任を持ちます」

「ありがとうございます。この安倍有重、陰陽寮を代表し、全力を持って必要な物を用意致します。何なりとお申し付けください」

 有重は深々と頭を下げた。

「有重どの。頭を上げて下さい」

 そう言われたので、有重は頭を上げた。その目には薄らと涙が溜まっていた。

「では、先ほども言いましたが、改めてお願いを一つしたいと思います」

「はい。何でしょう」

「『獣狩り』の事についてです。九尾の狐は何度でも蘇ります。今回上手くいったとしても、いずれは違う誰かが戦う事になります。ですので、将来のために、その秘術と『獣狩り』が何ができるのかを引き継いでいかねばなりません。私たちにはその責務があります。どうか、未来のためにできるところまで『獣狩り』について解明して下さい。そして、その術を共有させてください」 

「勿論です。これを機に怪異について様々な事をまとめ、それを継承していくのであれば日本の為にもなります。決して外には漏らさないという前提はありますが、やらなければならない事だと思います」

「そうしてもらえると非常に助かります。では、もう一度お互いに情報の共有をしましょう」

「はい」


 源翁は、怪異について噛み砕いて有重に説明する。


「まずは、怪異との戦いについてです。知っての通り、悪霊祓いは経験がものをいいます。私が天台宗から曹洞宗に移ってからかなりの月日が経ち、その間、数多くの宗派の事を学び、悪魔祓いも受け持ってきました。怨霊、鬼、妖は勿論、祟り神も祓っています。その経験は血肉となり、それぞれの祓い方が私に染みついています。今回は、怪異ではありますが、状態としては魂…という事で怨霊に近い祓い方になります」

「なるほど。そうなのですね」

「とは言え、九尾の狐はそこまで甘い物ではない」

「はい」


 源翁は、一回咳払いをした。さらに情報を整理していく。


「こういう場合、何はなくともきちんとした分析と情報を持つ事が肝心です。

 ですから、私の知っている情報がどの程度正しいのかを知りたいのです。これから、知っている話を簡潔に話しますので、間違いがあれば指摘してください」

「分かりました。拝聴いたします」

 と、有重は答えた。陰陽寮の書庫でこの話を調べたので、記憶は新しい。


 源翁は、自分の知る二百年前の話をした。

「二百年ほど前、朝廷に仕えていた女官の玉藻前。その正体は、元の国から来た九尾の狐という妖でした。玉藻前は妖特有の術を使い、鳥羽上皇を病に伏せさせましたが、有重どのの祖先でもある陰陽師の安倍泰成に見破られ、京から逃走しました。その逃走先の那須野の地で、九尾の狐は『獣狩り』率いる朝廷の討伐軍に退治されました。ここまでは良いですか?」

「はい。間違いありません」

 有重は頷きながら言った。では、と源翁は、続きを話す。

「その時の『獣狩り』は、九尾の狐の生身の身体は退治したものの、魂は祓えず、今になってその魂が復活しました。そして、九尾の狐は、朝廷に対する強い恨みから、鎌倉公方の足利氏満公の夢に現れました。夢の中で、九尾の狐は鬼の形相でこのような事を言いました。

 近々鎌倉を滅ぼし、関東を破壊し尽くすと。

 氏満公は、初めは単なる悪夢だと片付けていましたが、あまりに頻繁に同じ夢を見るので、最終的には震え上がってしまった。背に腹は代えられず、氏満公は、鎌倉から早馬を飛ばし、陰陽寮を通じて折り合いの悪い京の義満公に相談しました。本来なら氏満公の話なぞ無視する所ですが、事もあろう九尾の狐の復活という事で、義満公も事態を重くみました。そこで、関東の守護延いては京の守護の為、陰陽寮に事態打開を命じました。ここまで良いですか?」

「所々毒がありますが、まあ、その通りです」苦笑しながら有重は話しを続ける。「ただ、私にこれを解決するよう命じたのは、第三位安倍有世です。この事を陰陽寮の成果とし、益々義満公と懇意になり、安倍有世さまは陰陽寮を自由に動かせる権力を手にしたいと思っているはずです」

「なるほど。まあ、その辺りの権力争いに興味はないので、有重どのは上手く立ち回ってください」

「承知しました」


 大体の情報は頭に入ったので、源翁は、最近の情報を聞くことにした。


「では、最後に。

 慌てて九尾の狐の所在調査を開始した陰陽寮は、同時にその討伐者の選定も始めました。討伐者の選定の命を受けた有重どのは、方々回った末に、那古野で出会った曹洞宗の僧の話を聞き、私を訪ねる事にしました。それは、私が天台、曹洞、神道の術を使え、北陸、北関東の祓いを相当数経験していると、その僧が話していたからです」

「はい。その通りですが、その僧には、そこまで具体的に詳しくは教えてもらっていません」

「ああ、そうでした。時に、その九尾の狐がどこにいるのかはどういう経緯で入ってきたのでしょう?」

 有重は、源翁の質問を受けて、窓が開く西の方を指差した。

「陰陽寮も情報を求めて、各地に怪異の情報はないかと発信したのです。すると、常陸国から修験の方の話しが入ってきたのです。その修験は、とある修行場のお堂に悪霊が住み着いていると言ったそうです。

 彼はその悪霊と対面して戦いはしましたが、全く敵わず、命辛辛逃げるのが精一杯だったそうです。その後、修験は山の麓に倒れていた所を村人に発見され、近くの寺に運ばれました」

「なるほど。そんな事が。場所は賀毗禮山だそうですね…結構な霊山と聞きます。彼の容体は?」

「はい。かなり危険な状態だと聞いています。

 伏せっておられる修験の方の半身は、何でやられたのか、焼け爛れ、一部は溶けているかのような状態だったと聞いています…彼がどうやって下山したのかは分かっていませんが、山の麓に倒れているところを、村人が見つけました。その際、今のような話をしてくれたと聞いています」

「それが、九尾の狐だと?」

 はい。と有重はゆっくり頷いた。

「その修験は、戦いの事を話し終わった後、『九尾の狐が』と何度も言っていたそうです。そして、彼を預かる寺の住職によりますと、修験の身体の引っ掻き傷と噛み跡は、まさに狐のものだったそうです」


「とすれば…」しばし考えた後、「やはり九尾の狐は魂の状態のままのようですね」と源翁は言った。


「どういうことでしょうか?」

 首を傾げた有重に、私は詳細を説明した。

「九尾の狐は、その修験をわざと生かした上で麓に放置し、賀毗禮山に自分がいる事を公にしました。若し、九尾の狐が完全な状態であれば、わざわざそんな事をせずに一気に関東を滅ぼすでしょう。九尾の狐は魂の状態だからこそ、遊びで自分の居場所を我々に教えたのです。『獣狩り』が存在していない事を知った九尾の狐は、今のままでも日本を滅ぼせると確信しています。あまりに簡単に日本を滅ぼしてもつまらないので、あえて自らの存在を教えることで、人間がどこまで反抗できるのかを楽しんでいるのです」

「そ、そんな…我々は九尾の狐に弄ばれているのですか?」

 驚愕の事実に、有重の顔が青ざめた。

「それに近いと思います。九尾の狐は、『獣狩り』のいない人間など相手にならないと分かっているのです」

「そ、そんな相手にどのように戦うのですか?」

 戸惑う有重を落ち着かせるために、源翁はわざとゆっくりと答えた。

「戦い方はごく単純です。魂との戦いは精神世界の戦いです。そこで私が九尾の狐を上回るのです」

「よ、よく分かりませんが、そのようなことができるのですか?」

「そのために、私は先ほど時間をかけて問答しました。

 やってみなければ分かりませんが、世の中、圧倒的に強いからといってそれが必ず勝つとはなりません。やり方次第で山が動くのです。油断と慢心は必ず綻びを生みます。そこを突くのです。精神世界の戦いとは、我々がみている世界とは違い、個の強さも必要ですが、それ以上に発想の多彩さが必要なのです」


 結局のところ、源翁が九尾の狐に何をどうしようとしているのか、有重には良く分からなかった。怪異との戦い方も完全に分かった訳ではないので、源翁には、そこのところを今後より分かりやすく説明してもらおうと思う。

「最早、私には完全に理解はできませんが、可能性はあるという事ですね?」

「そう受け取ってもらって構いません。私はできない事はできないとはっきりと言います」

「では、この件は源翁さまにお任せしたいと思います。必要なことがあれば何なりと命じてください」

「早急に対応してくださると助かります」


 これで舞台は整ったと、源翁はようやく思えた。

 そして、陰陽寮がこの短期間にここまで調べ上げてくれた事に素直に感謝した。朝廷と幕府に力を削がれたとはいえ、国の重要機関の威信はまだ健在なのだと少し安心した。そうでなければ、準備に支障をきたしかねないところだ。


「では、これから私は九尾の狐を祓うことに集中します。まずは、必要な物を揃えていただきたい」

「勿論です。お金は朝廷がいくらでも出します」

 ならばと、源翁はは今思いつく限りの物を有重に言った。有重は、素早くそれを書き留め、しばし上を見ながら思案している。どうすれば最短でそれを用意できるのかを考えているのだろう。

「時間は待ってくれません。これを数日でお願いします」

 無理を承知でそう言ったが、流石に数日は無理だろう。それでもなるべく早く揃えてくれればと思う。

「はい。命に代えてもやり遂げます」

 源翁の指定した必要物資を書いた紙を懐にしまい、「直ぐに始めますので、ここで失礼します」と言うと、有重は風のように寺を出て行った。


 自室は静寂に包まれた。


 もう一度落ち着いて考えを巡らせた方がいいと思う。

 小窓からは畑と集落が見える。この人間の営みを感じられる風景を黒に染める訳にはいかないと、瞑想の座禅を組みに部屋を出た。

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