第32話

「そうか。じゃあ、戸籍がないってことなのか」

「戸籍?そう、そうね。戸籍はないんじゃないかな。聞いたことないけど。わたしの体はこの会社のものだっていう話だし」

 なんの話をしているのか。

「じゃあ、正式な結婚はムリだけど、事実婚というのもあるんじゃないの?」

「はあ?」

「そういうのは嫌なのか?」

「わたしは、セックスできないの。レイの赤ちゃん産めないの」

「アンドロイドだからだろ?わかってるけど」

「じゃあ、なんでそんなこというの。わたしを悲しませたいの?」

 目に涙がたまっているのがわかる。そういえば、アンドロイドでも泣けるというのは、すごい技術だと研究者になってみて気づいた。自分がアンドロイドだって知ってから何度も泣いたのになぜ気づかなかったのか不思議なくらいだ。

「悲しくなっちゃうのか?セックスできないから?赤ちゃん産めないから?わからないな。ずっと前からわかってたことなんだろ?気持ちの整理ができててもいいと思うんだけど」

「レイがいうからだよ。結婚しようとかいうからだよ。自分にこんなことが起こるなんて思ってなかったのに。

 自分が人間だったら、レイのこと好きだったら、結婚できたかもしれないのにって思わせるからだよ。自分がアンドロイドだって知ったとき以来だよ、こんなにわけわからなくなったのは」

 涙が頬をつたって落ちた。

「そうか、すまない。でも、おれはプロポーズを取り下げるつもりはないぞ」

「どうして!」

「関係ないからだよ。アンドロイドだって結婚生活はできるだろ。実は、おれはアンドロイドではない」

「そうでしょうよ」

「でも、赤ちゃんはできないんだ。原発が爆発したせいだと思ってるんだけど、おれには生殖能力がないんだ。同じなんだよ」

「そう。それは気の毒だけれど。

 でも、同じじゃない。レイは人間。わたしはアンドロイド。

 それに、わたしはレイを男として好きだと思ってないの。いままで男の人に恋愛感情をもったことがない。友達として好きなだけ」

「そうか。それはわかる気がする。そんなのは、アンドロイドだからってわけじゃない。おれも同じだったから。ただ、おれは動物ばっかり追いかけてきたから女性と知り合う機会がなかっただけかもしれない。

 アンドロイドだから男を好きにならないっていうなら、きみのお母さんの仕事を否定することになる。そうだろ?きみは気づいていないだけじゃないのか、恋愛感情がどういうものか。

 こんなことをいうのは、自分がそうだったからだけど。ドラマや映画で見る恋愛は想像の産物だと思ってた。本当は、みんな好きになんてなってないけど、そこそこ条件のいい相手を選んで結婚してるんだと思っていたよ。

 きみに対して抱いてるのは、はじめての気持ちだ。ちょっと気持ちに余裕ができるときみのことを考える。そうすると胸があったかくなる。きみと話してると、顔が笑わずにはいられない。話が終わったあと顔がこわばるんだ。普段しないような表情をしていたからだ。

 こういうのを恋愛感情というんじゃないかと思う。ずっとこんな気持ちでいたい。きみとずっと一緒にいたい。これが、きっとドラマや映画で見ていた好きってやつだと思う。

 きみは、そんなふうには思っていないってことはわかった。でも、それは今までの話だ。これからのことはわからないじゃないか」

「そうね、それが科学的な態度というもの」

 お母さんは、わたしが男の人を好きになるはずだと言った。きっとそうなのだろう。もしかしたら、中学時代のレイプ未遂事件がわたしの心に影響しているのかもしれない。でも、レイにそのことを話すつもりはない。

「きみの心は人間と同じなんだろ?おれもそう思う。きみの内面はまったくの人間だ。人間はたいてい異性を好きなる。だから、きみも男を好きになる」

「三段論法ね」

「ん?あ、そうだな。こんなことに役に立つとは、三段論法」

「でも、その男がレイとはかぎらないんじゃない?」

「まあ、それもそうだけど。でも一番ちかいだろ?」

「さあ、どうかな。わたしの人間関係をすべて把握してるわけじゃないでしょう?」

「なに?じゃあ、ストーカーする」

「やめて、ウソだから。レイ本当にやりそうだから怖い。海外でサルのストーカーやってた人だもんね」

「なあ。とりあえず、付きあうというか、デートしようじゃないか。男とデートしたことないんだろ?デートしたらまた違うかもしれない」

「違うかもしれないし、レイの人生を浪費するかもしれない」

「おれにとってはムダにはならないよ。だって、おれがデートしたいと思ってるんだし、きっとおれは楽しくて幸せになるんだから」

「そう。そこまでいうなら、わかった。こんどお茶会に連れてってあげる」

「アフタヌーンティーのこと?」

「いいえ、茶道のお茶会」

「げっ」

「いやならいいけど」

「行きます行きます。ぜひ連れて行ってください」

「なら誘ってあげる。お茶会に行ってまで仕事してる気分になりそうだけど」

「そんなぁ。楽しもうぜ」

「お茶会には連れて行くけど、わたしがレイのことを男として好きになるなんてことは期待しないで。わたしにとっては、三番目に大切な友達」

「三番目?一番は?」

「愛音ちゃん。生まれたときからの友達」

「そうか、女か。二番目も?」

「二番目は香澄ちゃん。香澄ちゃんは中一で知り合って仲よくなった」

「よし。いいよ、それで。きみは友達として接してくれ。おれは、きみのことが好きでデートするから」

「なんだかおかしなことになってしまった。すごくめでたい日のはずなのに。複雑な気分」

「ただの複雑な気分の日よりマシだったと思ってくれ。きみがプロポーズをオッケーしてくれたら、おれには最高の一日になるはずだったんだ」

「そうね、そういうことにしておく」

 こうしてわたしはレイにプロポーズされ、交際を申し込まれ、デートに誘われた。普通と逆の流れだ。でも、アンドロイドのわたしにはあっているのかもしれない。

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