第3話 胡蝶の夢

 んんん さっきから、目は覚めている。怖くてまぶたを開けられずにいるのだ。


 これから見るものは夢の中の夢なのか?

 それともまだ夢の中なのか?

 いや現実が一番考えられる。現実がいい。

 現実が一番安心する。


 しかし、開いたまぶたに拡がった世界には、天蓋てんがいに天使達が戯れていた。


「つづく だったんだぁ」


 客間で朝食を取り、綺麗なメイド達に身支度を整えられた頃には、ロイドさんがやって来てかしずかれた。


「雨巫女様には、ご機嫌麗しくお目覚めでしょうか。

 お迎えにあがりました。

 陛下が、お待ちです。

 お支度は整いましたでしょうか。」


「おはようございます。ロイドさん。

 昨夜は快適に過ごさせて頂きました。ありがとございます。

 朝食も美味しく頂きました。

 今日は、宜しくお願い致します。」


 朝見るロイドさんは、ことさら美しく、ことさらはかなげだ。心なしか、透けてさえ見える。


 わたしは、にっこり微笑み、ペコリと頭を下げた。


「雨巫女様 なんと麗しい漆黒の長髪をお持ちなのでしょう。

 その漆黒の瞳、その漆黒の長髪、そんな方に私は初めてお目にかかりました。

 陛下もさぞかし、驚かれることでしょう。」


 そうだよなぁ。

 昨日は泣き過ぎて、目はぷっくり腫れ上がってたもんなぁ。

 おまけに自慢の長髪は、頭の上にオバサンお団子ヘアーだったもの。

 昔から、ストレートヘアーだけは皆に誉められていた。おばあちゃんも、髪を解かしながら、素直でキレイねといつも誉めてくれた。この黒髪だけが唯一、わたしを励ましてくれていた。


 につけても、黒い瞳に黒髪の腰まで来るロングヘアー、とどめの喪服姿ときている。

 色薄めの陛下様の目には、なんと写るんだろうか。


 ロイドさんの後を付いていきながら、まだ観ぬ街並みを想像し、わくわくしてきた。

 いったいわたしは、どんな世界に召喚されたのだろうかと。


「陛下、雨巫女様をお連れしました。」


 ジャックと豆の木に出てきそうな程の大きな扉。

 開けられた奥の玉座に、陛下様は鎮座されていた。


 が、わたしを見るなり玉座から立ち上がると、例の大股で一気に階段をかけ降りて来た。

 両脇を固めている騎士達は、微動だにしない。ただ、陛下様の時間だけが動いているかに見えた。


「そなた、リンであるのか。」

 と言うのが早いか、いきなり私の髪を手にし、躊躇なく口づけた。


 わたしは、成す術もなく目を見開いたままフリーズした。


「陛下、雨巫女様が困ってらっしゃいます。」


「ロイドよ。初めて目にする、美しい漆黒の長髪を前に、手に取らぬ者がいようか。」


 あぁ くらくらして来たよぅー。

 ストレートな表現は嫌いじゃないけど、こちとら生粋の日本人なんよ、慣れてないんよ。


「リン、その漆黒の瞳、美しいものには口づけするのが、こちらの慣わしぞ。理解してくれ。」


 陛下様のくっくちびるが、くちびるがくるぅー。


「こっ国王陛下様ぁ。いっけません。

 雨が降らなくなりますぅ。」


「そうであるのか。」

 陛下様はギクリと動きを止めた。

 そして手にしていた一房の黒髪を、名残惜しそうに手放すと両手を挙げて降参ポーズを取った。


 わたしは、寸でのところで回避策をひねり出したのだ。以後、困ったことは、これで乗り切れると、安堵した瞬間でもあった。


「国王陛下様、雨を降らせるにあたって、ひとつ提案があります。」

 間髪入れずに提案した事項は通った。


 雨を降らせる現場には、ロイドさんと二人だけで向かうこと。

 雨降らしの一切の情報を誰にも、漏らさないこと。

 全ては、隠密に行うこと。

 大掛かりに成ると、なにかと面倒になるからだ。だって、派手なパフォーマンスは一切ない、地味に散歩するだけなんだから。


 いろいろと、めんどくさい陛下様は、この際 置いて行く作戦だ。ごねられるだろうと構えていたのに、案外あっさり承諾してくれた。


 雨を降らせるのは繊細な作業だからロイドさんの祭司の力もお借りしたいと言ったのが、決め手だったかも知れない。

 本当は、ただ散歩するだけで雨は降るんだけどね。


 ロイドさんとデート設定にしたら、どしゃぶるだろうなぁ。

 うわぁ、おたのしみ、おたのしみ。


 わたしの中でロイドさんは、美しくはかなげな憧れの存在であり、男でも女でも、もはやどちらでもよかった。


 軽く拗ねている陛下様を尻目に、二人で馬に股がった。

 わたしが乗馬経験があると言ったら、馬車ではなく馬にしようと云うことに成ったのだ。


 わたしが、ロイドさんのしなやかな肢体にへばり付くと、馬のお腹が軽く蹴られた。それが合図だ。

 わたしは、振り落とされないよう、ロイドさんの腰に回した腕に、いっそうの力を入れた。


 城下町は、テレビで観たことのある中世ヨーロッパの街並みだ。デュマの三銃士の世界が広がっていた。


 馬をゆっくり歩かせ、ロイドさんはいろいろ説明してくれた。

 ロイドさんの優しい笑い方が、なんとなくおばあちゃんと重なった。


 街の道路はきちんと整備されていたが、やっぱり雨が降っていないらしく、土ぼこりが舞っていた。

 例年ならば、いろいろな草花が市街を彩り、甘い香りに包まれるらしい。


「雨巫女様、これから郊外に向かいます。

 我が国は、農産でなりたっています。

 農地に雨が必要なのです。」


「はい。わかりました。

 その前に、ロイドさんに話して置きたい事があります。

 わたしは雨巫女ではありません。

 ただの雨女なんです。

 どう違うかって云うと、わたしは、祈ったり、歌ったり、占ったり、その他もろもろ儀式的な事は出来ません。

 ただ、うろうろ歩くだけなんです。

 楽しく歩けば歩くほど雨が降るんです。

 黙っていて、ご免なさい。」


「雨巫女様。

 雨巫女と雨女と、何が違うのですか。

 どちらも、雨は降りますよ。

 必要なのは、雨です。

 お祈りでも占いでもありません。

 私は、雨巫女様と馬に乗った時、風が変ったのを感じました。

 この季節になると、いつも吹く風です。

 この風は雨を連れてきます。

 しかし、今年はこの風が吹かなかったのです。

 リン様、

 あっ、リン様とお呼びしても、かまいませんか?」


 わたしの脈拍がドクンッと跳ねた。

 ロイドさんの声音には、独特の音楽があって、耳に心地いい。

 普通のリンが極上のリンになる。

 そう、鈴の音に近い。わたしは、コクリと頷いた。


「リン様、急ぎますよ。

 私は先ほどから、雨がそこまで来ている様に思うのです。

 気持ちがくのです。」


 ロイドさんが馬のお腹に合図をすると、天を翔ぶように走り出した。


 少しすると突然視界が開けて、見渡す限りの麦畑が広がった。

 その光景に圧倒されていると、それは、突然やって来た。


 そうなのだ。それは、いつも突然にやって来てはわたしの人生を、かき乱していた。


「ああっ、ロイドさん、あれ見えますか?」

 わたしは、天を指差した。


「はい。あれは何でしょう?

 雲?

 でしょうか。」


「やっぱり、ロイドさんには、見えるんだぁ。

 わたしは、あれを龍と呼んでます。

 誰にも、見えないんです。あれが来ると、もう、どしゃ降りです。

 うふふふ。

 やっぱり、ロイドさんには、見えるんだぁ。」


 すると、麦畑の向こうからバタバタと麦を倒しながら、雨がやって来た。

 雨はわたし達を通り越し、今 来た方へ、一直線に城を目指して行った。

 雨足はどんどん強くなり、このあたり一帯がざわめき出している。


 ロイドさんとわたしは、お互いずぶ濡れの姿を見て笑った。

 いままで、こんなに心通わせた人は、いなかった。

 雨に打たれて嬉しいと思った事もなかった。雨空に向かい両手を挙げくるくる回って、踊った事もなかった。


「リン、でかしたぞ。

 でかしたぞ。」


 その声と同時にわたしは後ろから、がっしりと羽交い締めにされた。


「こっ国王陛下様っ。

 どうしてぇ」


「悔しいゆえ、そなた達の跡を付けて来たのだ。

 リンの姿は遠くからでもよく分かるゆえ、容易いこと。

 否、大丈夫だ。余、ひとりぞ。」


 陛下様ぁ、

 悔しいって、何?

 悔しいって、なんなのぉぉぉ


 その時のロイドさんの苦笑いをわたしは、忘れない。


「国王陛下様 濡れています。」


「雨は好きなのだ。

 濡れるのは、もっと。

 雨に優しく、包まれて要るようで安堵する。

 リンと共にこの幸せを喜びたいのだ。

 リンよ。感謝する。」

 どしゃ降りの中、手を取られ、その甲に口づけされた。


「凛ちゃん、やっぱり雨、降って来ちゃったよ。

 ああ、今日のデート、台無し。

 俺、濡れるの嫌いなんだよね。

 ああ、気持ちわりぃ。

 最悪。俺達、運 悪すぎねぇ。」


 昔、ほんのり恋心を寄せた彼の何の気なしの言葉が頭の中に甦った。

 もう、ずっと忘れていた事なのに…

 一瞬でフラッシュバックしていた。

 そして、自己完結したわたしの可哀想な初恋に沈んで行った。


「リン様、リン様、どうかなさいましたか?」


「おお、ロイドが召喚した者を、名で呼んだか。

 初めて聞いたぞ。」


「陛下、リン様は特別ですので。

 以後、リン様を名で呼ぶことを、お許し頂けますか。

 リン様には、了承済みでございます。」


「あい分かった。

 許す。

 ロイドよ。

 リンは特別なのだ。

 遅いのだよ。

 気付くのが。」


「不徳の致すところです。」


 ロイドさんと陛下様が、そんなやりとりをしていたと云うのに。

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