第2話 氷獄の魔剣使い

 これまで住んでいたディアトリス家を追放された俺は見知らぬ貴族の令嬢に助けられていた。



 初めて―いや、久しぶりに感じる安息。

 これはまだ両親に売られてディアトリス家へと行く前だろうか、その頃の感覚だ。



 だが平穏を享受していたのも束の間、急に聞き覚えのある、あのけたたましい鳴き声が耳を貫いた。



「グアァオオオォォォ!!!」



「!?」



 どうやらその声の主は外らしい、身体を引きずるようにして窓を覗き込むと中庭には―



(あれは……林であったフェンリル!? まさか俺を追いかけてきたのか?)







「お、お嬢様! 危険です。我々に任せて避難を!」



「いいや、怪我をした客人もいる。フェンリル一匹追い払えずして私はセルシウス家の名を名乗れない!」



 階下では果敢にも弓を取りヴェルエリーゼが戦おうとしていた。

 護衛の兵士たちが数人で抑えようとしているが、通常のフェンリルの体躯の数倍を誇るあの個体を前にしては苦戦しているようだ。



「さぁ来い、私が相手だ!」



 矢を引き絞り狙いを定めるヴェルエリーゼ、それを見るとフェンリルは鋭い爪で引き裂こうと突進する。



「お嬢様!」



 フェンリルの爪が届く前に矢を放つ。

 だが勢いよく放たれたそれは獣とは思えない恣意的な回避に見舞われた。



(……!!! 軌道を読まれた!?)



 そのまま突進してきたフェンリルは爪を振り上げ、彼女を引き裂こうとする。

 まさに絶体絶命。



「くっ……!」



 もう見ていられない、ユーズはまだ治りきっていない身体を奮い立たせた。



 窓を開けてから、脚に魔力を纏わせる。

 頭で考えるより先に身体が動き、気づけばユーズは中庭へと飛び降りていた。



「!? ユーズ!」



「やめろ!」



 ユーズは咄嗟に足元に落ちていた石を投げつける。

 それは偶然フェンリルの右眼に直撃した。



「グゥオオオ!!」



 怯んでもがくフェンリル。

 しかし自分の定めた獲物が来たとあってその鋭い眼をさらに研ぎ澄まし態勢を直ぐに整えた。



「お前の目当ては俺だろ、来いよ」



「グオオオォォォォ!!!」



 咆哮をあげて襲いかかるフェンリル。

 それを対してユーズは脚力を瞬間的に強化して攻撃を避ける。



「お嬢様! 今のうちです!」



 好機と見たか、護衛がヴェルエリーゼを避難させようと試みる。



「ま、待て! これを!」



 しかしその前に彼女は腰に差してあった使っていない方の―あの魔剣を投げた。



「!!!」



 その投擲された魔剣を掴み取る。

 だがそれに気を取られた一瞬、フェンリルの牙がユーズの背中を捕らえた。



「くっ……! 危ねぇな」



 間一髪で倒れ込んだお陰か、喰い付いた牙は空を切った。

 何故手渡されたのか、もう訳が分からないがこれに賭けるしかない。

 今の自分の魔法ではフェンリルに攻撃出来ないのだから。



 何故か冷気を帯びている黒い鞘から剣を引き抜く。



「な、何だ……?」



 思わず硬直する、引き抜いたその刀身は青白く光る氷で出来た刃だったからだ。



「やっぱり……!」



 それを見ていたヴェルエリーゼが納得、驚嘆したような声を上げる。



 手に持っている自分自身ですら寒く感じる、強烈な冷気。

 その冷気はどんどんと強くなっているように感じるが、近くのフェンリルはたまらず後ろへと飛び退いた。



「くそっ、どうにでもなれ!」



 本能的だった、剣を握って思い切り振り抜く。

 すると刀身はさらに輝きを増し、剣から放たれるようにして氷が駆けた。

 まるで氷河、いや氷牙と言うべき尖った巨大な氷はフェンリルを四方八方から容赦なく刺し貫く。



「……!!」



 その光景に誰もが言葉を失った、しかし無理もない。

 見たこともない強力過ぎる力だったからだ。



 息を切らしながらも何とか脅威を退け胸をなで下ろすユーズ。

 だが彼は傷口がいつの間にか開いていたことに気づかないでいた。



「あれ……?」



「ユーズ!」



 走り寄ってくる声を聞きながら、また俺は意識を手放した。






________







「……う」



 月明かり、屋敷の窓から差すそれを照らされて目を覚ました。

 目をやると傍らにはヴェルエリーゼが寝息をたてていた。



(介抱してくれてたのか……)



 そして昼に起きたことを思い出す、あまりに想像を超えた出来事だった。

 あの魔剣も部屋には置かれている、今までは自分が使っていた魔法とは次元の違う力を発揮した。



「ん……」



 目線を動かした時に身体が動いたのだろうか、ヴェルエリーゼが起きてしまった。



「…………! す、すまない。寝てしまったようだ」



 慌てたように身体を起こした彼女の頬は心なしか少し赤みが差していた。



「いえ、ありがとうございます。二度も介抱してもらって」



「君は随分と無茶をする。……しかし君があの魔剣の力を引き出さなければ私たちは危なかった。礼を言うのはこっちのほうだ」



 呆れた声のトーンだが感謝を述べるヴェルエリーゼ。



「あれは一体何なんです?」



「あの剣は……我がセルシウス家に代々伝わる零華という古代の宝刀なんだ」



「零華……」



 聞いたことがない。

 今まで読んだどの本にも書かれていない名だ。



「持ち主の魔力―適性たる属性を吸収し、それが刀身として現れ絶大な力をもたらすと言い伝えられている。単に魔法を放つより遥かに強力だと……。だが誰もこの剣を操れた者はいなかった。君が初めてだ」



「……? 適性って言ったって俺は―」



「?」



 俺が途中で口をつぐんだのを訝しんだ様子の彼女。



「言いにくいことならいいさ。無理に問う気はない」



「いえ……その……」



 何だか不思議な気分だった、彼女になら俺に起きたことを全部話してもいいかと思った。

 俺は堰を切ったように洗いざらい身の上話を始めてしまった。



 10歳の時に貧しい平民の両親が自分を売ったこと、貴族カロン・ディアトリスに買われ過酷な実験と訓練を受け続けていたこと、つい今朝に属性魔法の適性を測れず屋敷を追い出されたこと。



 彼女はそれを何か言うでもなく黙って聞き続けてくれていた。

 そして話が全て終わった後―



「君は……辛かったんだな。けれど私は君が居なければどうなっていたか分からない。感謝してもしきれないことだ……ありがとう、ユーズ」



 俺の両手を握り、感謝を述べてくれた。

 その感謝があまりに優しすぎて―俺は。



「あ……」



 涙が零れた、それも今まで流したことのない大粒の―温かい涙が―



「だ、大丈夫か? どこか痛むのか?」



 俺のそんな姿を見て途端にオロオロと狼狽え出す彼女の様子が可笑しい。

 さっきまではまるで母親のように慰めてくれていたのに。



「ははッ…………ありがとうございます。……元気が出てきました」



 世の中には彼女のように優しい人間だっている、そう思えばこれからの人生に希望を持って歩んでいけるような気がした。



「どこか痛いんじゃないのか? 大丈夫か?」



「大丈夫ですよ。あなたのお陰で、新しい何処か別の場所で暮らしていく勇気が出てきました」



「…………その、あの」



「?」



 また急にしどろもどろし始めた。

 直ぐに態度が変わるのは見ていて面白いが、どんな話をしようとしているのだろう。



「どうしたんですか?」



「あ……いや……その、何ていうか」



 月明かりに照らされた彼女の顔は紅嘲していた。

 見てるとこっちまでこっ恥ずかしい。



「き、君さえ良ければ……これから私の家ここに住まないか?」



「え?」



 思わず反射的に聞き返してしまう、ここに住むとは……。



「だ、だからこれからはこの屋敷に住むという意味だ。わ、私はまだ零華について気になることがあるし、君が居なければ意味がない。……い、嫌か?」



「い、嫌だなんてそんな……」



 嫌な訳がない、むしろ願ってもないあまりある幸福と言えよう。

 しかし……いいのだろうか?



「俺のような平民を屋敷に置くなんて許されないのでは?」



「反対する者は私が責任を持って説得する」



「それなら……置いてもらっても……いいでしょうか」



「頼んでるのは私だ。こちらこそいいだろうか」



「ええ……もちろんです」



 俺が答えるとにわかにヴェルエリーゼは嬉しそうに微笑んだ。



「えっと、その……ヴェルエリーゼ様?」



 彼女をどう呼べばいいのか、とりあえず敬称をつけて呼んだが明らかに不満そうだった。



「す、すみません。お気に障りましたか?」



「あぁ。君の態度は改めさせなければな」



 低いトーンの声、身体に刻み込まれた貴族への恐怖が急に己を苛んだ。

 自分よりも身分の高い貴族に逆らってはならない、生き残るためのルールだ。



「まず一つ、私と話す時に敬語は禁止だ」



「は、はい…………え?」



「もう一つ、私を呼ぶ時はヴェルでいい。以上がここで暮らすためのルールだ」



 そんなことをしてもいいのか? 気になったが。



「えっと……じゃあヴェル、これから……よろしく」



「ああ、こちらこそ。よろしくユーズ」



 嬉しそうな彼女の様子を見るとそれが間違いじゃなかったことを知る。



 ふと彼女は何かに気づいたような顔をして、ある問いを俺に投げかけた。



「そういえばユーズは何歳なんだ?」



「16だな……多分」



「それなら同い年だな。私も16だ」



 美しい月夜、だが月よりも美しい彼女の笑顔はいつまでも俺の心に残り続けていた。

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