小人の国

えのき

1


 僕は最近、崩れていく心をなんとかテープで繋ぎ止めていた。


 父さんと母さんが亡くなって以来、心の中から寂しさが消えたことはない。両親のかわりに親戚が面倒を見てくれているが、そんなものはなんの慰めにもならなかった。


「どこに行くの?」


 玄関で靴を履いている僕を、おばさんが後ろから心配そうに見ていた。


「……ちょっと散歩に行くだけだよ。夕方までには帰るから」


 靴を履き終えて扉に手をかける僕に、彼女は一言「気をつけてね」と声をかける。


「うん」


 僕は振り返ったりすることなく、ただそこから逃げるように出た。


 いつも両親と遊んでいた公園に、何かを求めるように座っている。最近はこうしているのが日課だった。


「……?」


 たばこの煙のような雲に阻まれた頼りない日光を見ながらぼんやりしていると、見覚えのない道がそこにあった。草陰に隠れるようにある一本道が、どこかに伸びている。


「こんなとこに、こんな道あったっけ?」


 僕は純粋な興味で、その道へと足を踏み入れた。木のアーチに囲まれた一本道は、だんだんと細くなっていく。


「……木が大きくなってる?」


 道を進んでいくほどに、両端の木が大きくなっていく。初めは森の奥だからだと思っていたが、今ではそれだけで説明がつかない程に巨大だった。


――早いとこ戻ろう


 そう思ったときには、もう手遅れだった。


「なっ!」


 後ろを振り返ると、そこは真っ白な壁だったのだ。それ以上先には何も無かった。


 恐る恐る道を進んでいくと、木々で隠れていた日がだんだんと照ってきた。だが、そこで違和感に気づく。


「さっきまで曇ってたのに……」


 雲に隠れて弱かった光が、今や快晴の日差しだった。明らかにおかしい場所に恐怖を覚えていると、


「ようこそ、小人の国へ」


 と声をかけられた。


 目の前には、緑のナイトキャップをかぶった、僕と同じ8歳くらいの男の子がいた。彼は僕に慣れたようにお辞儀をする。


「小人の国?」

「ええ。ここは小さな人間たちが暮らす国です。ここに来る人たちは、何かしら現世から逃げたいと思っている人です。とはいえ、暗い場所ではなく、皆様明るく暮らしています」


 彼が説明をしてくれているが、全く理解できない。そもそも、僕と同じ身長の彼が小人だと言われても、理解できなかった。


 困惑している僕を見て、彼はああと頷く。


「小人という実感がないのですか? でも、それなら心当たりがあるはずですよ。ここに来る道を囲む木、大きく感じませんでしたか?」

「なったけど……」

「それは木が大きくなったのではなく、あなたが小さくなったからですよ」


 そう言われると納得してしまった。ようやく落ち着いた僕は彼に、まず疑問に覚えたことを聞く。


「ここは何をするところなの?」

「ここは現実と違って、何の苦痛もない楽しいところです。辛いことを忘れて楽しく生きることが、この場所においての1つのコンセプトですから」

「……そんな簡単に忘れられるものじゃないよ」


 僕の口からそんな言葉が漏れる。彼はそんな僕を優しい目で見つめて、「大丈夫ですよ」と語りかけた。


「ここは、そんな人達が楽しめる場所です。辛い経験をなさった皆様は、だんだんと現世のことを忘れていきます。勿論、私たちが暗示をかけている訳ではなく、単にここでの生活に馴染むにつれて勝手に忘れていくのです」


 彼はそう言いながら、僕の肩にそっと手を置いた。


「とにかく、暮らしてみればわかります。ではこれから、この国でのルールを説明しますね」


 彼が指を鳴らすと、地面からニョキニョキと芽が生えて、それがボードになった。これには僕も「うわっ」と声を上げる。


「では、説明しますね」


 彼はボードの裏から取り出した杖でボードを叩くと、そこに文字が勝手に刻まれていった。それを杖で差しながら、僕に説明していく。


「ルールはたったの1つです。強奪、暴力、殺人、喧嘩などの"負の感情"を荒げる行為を禁じます。もしこのルールを破った場合は、この国から退場していただきます。逆に、これさえ守っていただければ、好きに暮らしていただいて構いません」

「それだけ?」

「はい。皆様しっかりと守ってくれています。とりあえず、これで説明を終了としますね。早速ですが、あなたの家へ案内します」


 彼がボードに杖をしまうと、その変な植物は再び地面へと帰っていった。


             *****


 そこからは、僕の家へと案内された。そこは綺麗な木製の一軒家だった。僕が「うわー」と感嘆の声を漏らしていると、隣にいた彼が「1つお尋ねしてもいいですか?」と聞いてきた。


「なに?」

「今日から住む家は、実はシェアルームになっていまして、あなたと同じくらいの男の子と暮らしていただきたいのですが」

「大丈夫だよ」

「ありがとうございます。詳しいことは彼に聞いてください。私に用がありましたら、先程の場所まで来てくださいね。では、新しい生活をお楽しみください」


 僕が「ありがとう」と告げると、彼はまたお辞儀をして立ち去った。


「僕の、新しい生活……」


 少しだけ期待を胸に、真新しい扉をそっと開く。中は、外観から想像できるような暖かい雰囲気だった。


「お前が俺のルームメイト?」


 突然、後ろから声をかけられる。そこには、僕より少しだけ背丈の高い少年が立っていた。


「……うん。僕は伸一」

「俺は健太。今日からよろしくな」


 彼は明るい笑みで僕に握手してきた。僕も「よろしく」と言いながら彼の手を握り返す。久々の同世代の友達との会話に、少しだけ心躍っていた。


              *****


 その日から、僕はこの国についての様々なことを知った。


 まず,この国では自給自足だ。といっても,そんなに大変なものではなく,食べたいと思ったものを植えれば,五日くらいでもう実っている。


 なにより僕が驚いたのは,


「水道からジュースが出る!」

「好きな飲み物を思い浮かべたら,その通りのものが出てくんだよ。すげーだろ」

 好きな飲み物が飲めるということである。さらに,牛やぶたなどは大切に育てて杖で叩けば,勝手に肉の塊になる。魚も同じだった。


「すごく楽だね」

「まぁでも,料理とかは全部自分でしないといけない。でも,三日に一回だけ,あの塔に行けば好きなものが食べられるんだよ」


 あの塔というのは,この国の中心に建つ高い建物のことだ。そこには服だったり,材木だったりが置いてある。


 ある程度,衣食住に関してはわかったところで,健太が「とりあえず,遊びに行こうぜ」と僕を引っ張っていった。


 少し森の奥に来た場所には,とても大きなアスレチックがあった。


「すごい! こんなの,現実じゃ見たこと無いよ」

「だろ。しかもここはタイムアタックとかできたり,むこうでは木のレース場があるんだ。しかも,一ヶ月に一回くらいでこの場所がリニューアルされて,全く別の遊び場になる。だから,全然飽きることもないんだよ」


 植物が創り出すアスレチックはどこか幻想的で,しかもそこにゲーム性が取り込まれているからか,飽きることがないらしい。


「早速遊ぼうぜ!」

「うん!」


 そうして,その日は最後まで遊び尽くした。


              *****


 ここに来てから半年が過ぎた。


 あれから僕らは食べ物を育てて,遊んで,図書館では本を読んだりと,この生活にのめり込んでいた。


 さらに,近所の子たちとも遊び,忙しい日々のおかげで僕は,両親の死から少しずつ解放されていた。


「なあ,伸一。俺さ,緑ちゃんのこと好きなんだ」


 健太の口からは,いかにも小学生らしい話が飛んできた。緑ちゃんとは,二つ隣の家に住む同級生だ。ここに来てから,あの子ともよく遊んでいた。


 僕が「へぇ」と相槌を打つと,彼は決意したような顔を見せる。


「俺,明日あの子に告白するよ」

「急だね」

「決めたらすぐ動けって,死んだ兄貴に言われてたからな」


 僕たちは,現世のことについて聞き合うことはない。だから,彼の兄が亡くなっていたことも今初めて聞いた。彼にも,何かしらつらいことがあったのだろう。


 そして,翌日。


 朝早く出かけていった健太が,うつむきながら帰ってきた。何となく結果が予想できたので,僕は彼に「大丈夫」と声をかけて,肩をさわろうとした。


 パンッ!


 乾ききった音とともに,のばした手がはじかれる。


「‥‥どうしたの?」


 僕はそう聞くことしか出来なかった。彼はゆっくりと顔を上げる。彼の目には,大きな水滴がたまっていた。


「‥‥何で,お前なんだよ。俺の方が,背も高いし,運動だって出来るのに」

「何言ってるの?」

「あの子が好きなのは,お前なんだとよ。‥‥何で,俺じゃないんだ!」


 それは,いかにも小学生にありそうなささいな喧嘩だった。だが,僕は彼が怒っていることよりも,もっと別のことに焦っていた。


「待って健太。落ち着かないと,この国のルールが――」

「うるせぇ!」


 彼は叫びながら,僕の肩を思いっきり突き飛ばした。


「健太!」


 僕の叫びは無駄となった。


 僕がバランスを崩して倒れる最中,彼の体が光の粒子となって消えた。


「嘘だ‥‥。健太が,消えた」

「彼が,この国のルールに反したからです」


 呆然としている僕の後ろに,いつの間にか緑のナイトキャップを被った男の子が立っていた。この国に来たときの案内の人だ。


「‥‥どうして,健太を消したの?」

「先程申したとおりです」

「こんなの,どこにでもある子供同士の喧嘩だよ。‥‥それなのに,どうして?」

「何度も申していますが,“負の感情”を荒げる行為は禁止です。彼にも,最初にそう言ってあったはずです」


 淡々とした彼の口調は崩れることが無く,僕の視界はゆっくりと曲がっていく。


「この程度で,そこまですること無いじゃないか‥‥。話し合えば,きっと何とかなったのに」

「ここの国が平和であるのは,このルールがあるからです。程度の違いはあれど,彼が暴力をふるったことにかわりありません」


 彼は普段通りの表情のまま「さようなら」と告げて,家から出て行った。


「ごめん,健太。止めてあげられなくて」


 彼の消えてしまった虚空に,僕はただただ懺悔した。僕は,その場にへたり込むしか出来なかった。


              *****


「どうしたのですか? こんな夜中に」


 僕は,この国の一番初めの場所に来ていた。箒で掃除をしている彼は,僕の方を振り向く。彼のナイトキャップの先が,ぽんとはねた。


「僕はこの国から出るよ」


 僕が早速本題を切り出すと,彼はただ「どうしてですか?」と尋ねる。


「ここは凄くいいところだよ。毎日がとっても楽しかった。ここのおかげで,僕は父さんと母さんがいない寂しさを紛らわすことが出来たんだ。でも,‥‥でも僕は」

「‥‥」


 言葉が少し詰まってしまう。黙って彼は僕の話を聞いてくれていた。


「好きな人に振られて悲しむ感情は,“負の感情”なんかじゃないんだよ。‥‥君は,そう判断するのかもしれないけど。でも,僕たちにとって,怒りって感情も,きっと大切な感情なんだ」


 この国に来たから,僕は両親のいない寂しさを忘れることが出来た。でも,それはきっと,僕が思っていた“負の感情”なんかじゃないんだ。


「きっと“怒り”も“寂しさ”も“苦しみ”も全部ひっくるめて,僕たちは人なんだよ。それは“負の感情”なんかじゃなくて,きっと尊い何かなんだ」


 自分で言っていて,本当に子供じみた考え方だと思う。だから,多分,これは僕らにしか考えられない答えなんだろう。


「ここは,そうやって続いてきたのかもしれない。それに,ここのおかげで,僕は大切なことに気づかされた。‥‥少し寂しいけど,僕はここから卒業する」


 自分でも凄く複雑な表情をしているんだと思う。そんな僕を見て,彼は優しい笑みを灯した。


「おめでとうございます。あなたが初めての達成者です」

「達成者?」

「ここは,ただ苦しみを忘れるための場所ではありません。もう一度,立ち上がろうとする決意をもつ人を支える場所です。そして,あなたが初めて,そういった考えをもってくれた」


 僕の体が,少しずつ光の粒となって消えていく。目の前にいる彼の声が,どんどん遠ざかる。


「この場所で,勇気と優しさをもったあなたなら,きっと素晴らしいことを成し遂げられる」


 あんな大口を叩いた後なのに,僕は急に寂しくなって,消えかかる手を伸ばす。


「あなたに,栄光あれ」


 意識が途切れていく僕が最後にかろうじて聞いた言葉だった。


              *****


 目を覚ますと,少し久しぶりの白い天井。


「今のは,‥‥いや,夢なんかじゃないよ」

 

 こんな長い夢,あるはずがない。僕はそう思いながら立ち上がる。すると,何かが床に落ちた。


「これは‥‥」


 枕元に置いてあったのであろうそれは,あの国で,僕が健太と最後に育てた“アニモ”という果実だった。


「ありがとう」


 僕はその果実を優しく握りしめる。


 あの国が最後にくれたのは,一粒の勇気だった。

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小人の国 えのき @enokinok0

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