二日目、昼


「突然ですが、クイズです」

「本当に突然だな」

 昨日より強さを増した太陽にうんざりしながら帰宅した直後にニコは言った。

「本日の天気は快晴ですが、最高気温は何度でしょう」

「……え、32度くらい?」

「いえ、本日の最高気温は38度。酷暑と呼ばれるそうです。ちなみに現在34度」

「どうして今の僕にあえて暑い話をするんだ」

「本日は外出を控えるようマスターに注意喚起をと」

「遅すぎるんだよ」

 いやむしろ出かける前にやられていた方が最悪か、と僕は大きなビニール袋をテーブルに置く。

「材料を買ってきた。これでアップルパイを作ってほしい」

「かしこまりました。キッチン設備の配置を登録頂けますか」

 調理器具や設備の配置を教えると、ニコは早速動き出した。

 包丁とまな板を取り出し、リンゴの皮を均一に剥く。今まで立っているか寝ている姿ばかり見ていたためスムーズに調理を進める姿は新鮮だ。

 そして、D.D.社がロボットの『人間らしい外見』にこだわった理由がわかった。

 誰かが自分のために料理をしてくれている光景は、とても温かい気持ちにさせてくれるからだ。

「お待たせしました」

 表面に焼き色の付いた円形のアップルパイがテーブルに置かれる。甘い香りが鼻腔をくすぐり、胃袋が朝から何も食べていないことを思い出す。

「いただきます」

 僕はパイに齧りついた。

 歯を立てると、何層にも重なる薄い生地がサクサクと弾ける。バターとシナモンの香り、そしてとろりとした甘さが口いっぱいに広がった。

「……おいしい」

「光栄です」

 本音が口から漏れた。

 僕のような素人のものでも、店に売っているような完成されたものでもない。誰かが誰かを想いながら丁寧に丁寧に作ったような、そんな温かさがこのパイにはあった。

「マスター」

 ニコの声が聞こえる。

「泣いています」

 そう言われてはじめて自分の頬に涙が流れていることに気付く。

 甘くて、美味しくて、温かい。

 それは人間関係を諦めた僕にとって、これ以上ない劇薬だった。


***


 人との関係は距離と時間で決まる。僕がそれを小学生の頃から知っていた。

 両親は僕が生まれてすぐに離婚し、物心ついた時には父親しかいなかった。父の仕事は転勤が多く、僕は頻繁に引っ越しを繰り返していた。

 引っ越し先でも友達はできた。しかし、次の引っ越しでしばらく会わなくなると連絡が取れなくなった。

 恋をして付き合った女性もいた。けれど「会えなくなるなら別れよう」なんて最初から分かっていたことで幕を閉じた。

 もう嫌だ。こんな辛い思いをするくらいなら一人のほうが気楽でいい。

 そう考え始めた頃に、唯一の繋がりだった父がこの世を去った。

 すでに諦観していた僕は悲しみに暮れることはなかったが、父の葬儀に集まった人が多いことには驚いた。どうやら友達がいないのは僕だけだったらしい。

 だけど、それで構わなかった。

「僕は一人でいい」

 口の端から呪詛のような呟きがこぼれる。

「一人でいいと、思ってたのに」

 アップルパイを頬張る。

 その甘さと温かかさは眩しく煌めいて僕の両目を覆った。白い光に包まれて何も見えなくなっていく。


「マスター」


 感情のない声が真っ白な視界に響いた。

 ロボットは無表情のまま、こちらを見ている。

「あまり頬張ると、喉を詰まらせてしまいます」

 それは単に、契約者への危険予測のアラートだったのかもしれないけれど。

「……ああ」

 今、そう言ってくれる存在が目の前にいてくれることが僕には救いだった。

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