第30話

 私に呪詛を送りつけたあと、純香は発現を待たず東京へ引っ越す。発現を確認した清良は百合原家や警察の動向を見つつ、捜査の中止を夫に頼むよう純香に依頼。純香は夫の力を使い、事件の捜査を終わらせた。

 璃子と関係の合った清良は疑われたが、逆藤の部屋に残った指紋とは一致しなかった。たとえ純香に捜査が及び指紋を取られても、術のせいで純香が逆藤になりすましていたと証言できる人間は清良だけ。

 ただ衣笠が何らかの理由で純香を疑っていると気づいた清良は、「かひ」の力を借りて衣笠を殺しメモ帳を奪った。しかし私の介入により、最終的に呪詛に呑まれ憑き物と化し千聡に処理される。清良死亡の連絡を受け葬儀のために帰省した純香は、清良の家へ向かい笛を持ち帰って荷物に隠した。

 その笛が、今ここに。

 旅行を終えた翌日の夜、千聡は笛を手に姿を現した。

 ようやく戻って来た笛は、古びているものの保存状態は問題なさそうに見えた。しかしながら私が吹いても千聡が吹いても、全く鳴らない。龍笛は鳴らすだけならそれほど難しくないとネットに書いてあったのは、嘘だったのか。

「これ、装飾品なんじゃないの?」

 ダイニングテーブルに突っ伏し、酸欠気味の体を癒やす。

「可能性はなきにしもあらずだけど、じゃあどうやって使うんだ。和歌にヒントはないのか」

 斜向かいから窺う千聡にのそりと体を起こし、傍らのノートを開いた。

 たゆらなるよにひかりあれとこしへによりてよりゐよたまはうつくし。

 気になる箇所がないわけではない。

「『よりてよりゐよ』が気になってるんだよね。『寄り居よ』をそのまま訳すと『寄り掛かって座れ』『寄り添って座れ』なの。『よりて』が近寄るの『寄りて』なら、『笛に寄って寄り掛かって座れ』『笛に寄って寄り添って座れ』って指示とも取れる」

「押し潰せってことか」

 ただ寄り添って座っただけでは何も起きないだろうから、おそらくはそういう意味だろう。

「そんな感じ。でも間違ってたら即アウトだから、試せないでしょ」

「どうだろうな。これまで故意に壊そうとした奴はいただろうから、間違ってないとは言い切れない。壊すべき人間が壊そうとした時だけ守護の術が解けるとしたら、『当たり』だ」

 ああ、なるほど。そういう考え方もあるわけか。守護の術は、単純に盗難や故意の破損から守るためのものではなかったのかもしれない。

「今、壊してもいいと思う?」

「いや、やめた方がいいな。壊した時に発動する術が一時的なものである可能性はある。仕方ないけど、ぶっつけ本番だ」

 本番、か。

 斜向かいで茶を啜る千聡は、今日から修行の一環として断食に入った。一週間掛けて不要なものを削ぎ落とし、次の土曜日に呪詛と対峙するつもりらしい。修行について詳しく聞いたことはないが、先代も修行のために一年くらい山に籠もって下りてこないことがあった。今考えると住職が一年も山に籠もるなんてとんでもないことだが、先代は多分「住職」に向かない人だったのだろう。うまく檀家を転がし寺を運営し金勘定をするそれも修行の一つであるはずだが、あまりに清すぎて疎まれたのだ。だからといって、現世の欲にどっぷり浸かった住職が正しいわけでもない。千聡はどの辺りに着地するのか、きっと中庸が一番難しい。

「一週間も食べなくて大丈夫?」

「ああ。感覚を研ぎ澄ますために断つだけだからな。毎年、冬山で修行する時は二週間何も食べない」

 やっぱり先代似か。確かに千聡は、ほぼ先代に育てられたような。

 ふと湧いた疑問に、千聡を見る。

「千聡くん、もしかして昔から住職さんとあんまり仲良くなかった?」

「今気づいたのか」

「いや、だって」

 親は子供を大切にするものだと、幼い頃の私は当たり前のように信じ込んでいた。愛されない子供がいるなんて、まるで察知できなかったのだ。

「俺は先代が術で孕ませた子って噂、知らなかったのか」

「そんなことできるの?」

「できるわけないだろ、生命創造だぞ。御仏に殴られるどころの話じゃない」

 苦笑交じりの即答に、納得する。先代にしろ千聡にしろ、能力の源は御仏だ。天の領域に足を踏み入れるような真似は、決して許されないのだろう。

「でも住職は、その馬鹿な噂を信じたんだよ。あの人には術を扱う能力がないのに、子供の中で俺だけが持って生まれたからな。女には発現しない因子を母親が継いでたとは考えられない、その程度の人だ。子供の頃は『お前は私の子じゃない』『私には娘しかない』って散々言われた。勝手に調べたDNA鑑定の結果では、間違いなく父親だったけどな」

 それでも、調べたのか。自嘲気味に笑む口の端に、なんとも言えないものが湧く。愛されるはずの相手に愛されないとは、どれほどの悲しみなのだろう。恋人や配偶者とは違う。親は、決して選べない存在なのに。

「有前の血を引き継いで術を扱える俺が、妬ましくて憎くてたまらないんだよ。でも檀家の手前、面と向かっては足蹴にできないだろ。だから、俺の一番大切なものを壊そうとしたんだ」

 引っ掛かる表現に視線を上げると、茫洋と漂っていた千聡の視線が焦点を合わす。少し、慌てたようにも見えた。

「千聡くん」

「笛は、土曜まで壊さないように保管しててくれ」

 掛けた声に構わず、千聡は腰を上げる。思わず法衣の袖を掴んだ私に足を止め、じっと見下ろす。射るような視線に怯んで、法衣の胸に逃した。

「手を出してもいいなら泊めてくれ」

 そう言えば、私が手を離すと分かっているのだろう。荒んだ口に、溜め息をつく。

「ずっと、幸せになって欲しいと思ってる」

「『自分以外の相手』とだろ? そんな幸せなら、ない方がマシだ」

 綺麗ごとを投げた私に、千聡は現実を投げ返す。

 棚上げしたばかりの痛みが蘇り、視線を落とした。法衣の袖を離せず、力を込める。

「今日、家に帰ったら、あの人が遺した手紙が届いてたの。正直読みたくなかったけど、このまま捨てたら一生後悔する気がして」

 しばらく迷って読んで、吐きそうなほど後悔した。それでも、読まない後悔よりはマシだったのだろうか。今はまだ、判断できない。

「一言、『君と出会ったのが間違いだった』って書いてあった。あの人の中では私と出会ったことが、私に好かれたことが人生最大の後悔だったみたい。でも考えてみれば、そのとおりじゃない? 私と出会わなければ呪詛に巻き込まれることも、人生を歪められることもなかったのに。千聡くんも」

「俺をあんなクズと一緒にするな。それ以上言ったらキレるぞ」

 久しぶりに聞く怒りを含んだ声に頷き、長い息を吐く。こんな時にこそ璃子が出てきて罰してくれればいいのに、本当に成仏してしまったのか。それなら死にたいほど惨めなこれを、どうすればいいのだろう。

「御仏より私が大事なら泊まってって」

 罰当たりな二者択一を投げた私に、千聡は笑った。



 翌日出勤すると、職場が低くざわめいた。挨拶をすれば返してもらえるが、いつもと違うのは明らかだ。この感じには、覚えがある。中学に入学して、私の情報が流れたあとのクラスの雰囲気に似ていた。いやな予感がする。

「剣上先生、ちょっと」

 早速上座から手招きする仕事の早い教頭に応え、腰を上げた。

 教頭は私を連れて面談室へ入ると、小さく咳をして老眼鏡越しの視線を向ける。

「実はご主人……元ご主人か、亡くなられたと聞いたんですが、本当ですか」

「ええ、金曜の夜に」

「そうですか、それはご愁傷さまでした」

 認めた私に、教頭は律儀に手を合わせて頭を下げた。思わず応えて頭を下げたが、もう私は殊勝に受け止める立場にない。しかしやはり、いやな予感は当たった。問題はこの次だ。

「実は、彼に関するあまり良くない噂が流れてるんです。離婚の原因とか、異動に問題があったとか」

 教頭は言葉を濁しつつ切り出して、私を窺う。内容はぼかされたが、真実のような気がする。多分、葬式に参列したどこかの教員から流れた情報だろう。このように、教員の世界は大変に狭い。

「しばらくは職員の間で噂が回って煩わしいかもしれないけど、あまり相手にしないようにしてください。あと、生徒達に何か尋ねられても話さないようにお願いしますね」

「はい、承知しました。……あの、別件なんですが」

 本当は来月、来年度のヒアリングが始まったら話すつもりだった。でも、いい機会だろう。今なら引き止められることもないはずだ。

「実は今年度いっぱい、来年の三月で退職させていただこうかと」

 退職の希望を伝えた私に、教頭は驚いた表情を浮かべる。見開かれた目に、目元の皺が深く流れた。

「もしかして、『これ』が原因ですか?」

「これだけではありませんですが、少し息苦しくなりまして。ここを離れようかと思っています」

 抽象的なまま口にしたが、教頭は納得した様子で頷く。噂の中身を知っていれば、止めはしないだろう。

「残念ですが、仕方ありません。ただ」

 予想どおりすんなりと受け入れたあと、短く繋げて少し眦を緩める。

「どこへ行かれても教職でいてくださることを、願っています」

 穏やかな声にふとこみ上げるものがあって、唇を噛む。認められていたのだろう。言葉にできないものを胸に頭を下げ、後戻りできない道へと歩を進めた。

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