第10話

「ダンボールに白い麻布に包まれたものが入ってて、真ん中に和紙の帯が巻かれてたの。和歌の上の句が変体仮名で書かれてて、反射的に下の句を呟いたら耳元で鈴の音がした。和紙の帯が解けて布が開いていって、赤ちゃんが出てきたの。あ、あと、ダンボールを開けた瞬間、アンモニアみたいな臭いがした」

「どんな和歌だ」

 千聡も何度か読んだことはあるはずだが、覚えているだろうか。

「中納言行平の、『立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰りこむ』。下の句、おまじないに使われてるよね。下の句を書いた紙を貼っておくと、迷い猫や人が帰ってくるって」

 短冊に書いたのを柱に貼るとか食器の下に置くとか、人によって方法は違うらしいが目的は同じだ。

 千聡は頷き、考え込むように口元をさする。こんなに間近で見るのは、それこそ十数年ぶりだ。剃髪した頭や法衣の袖はすっかり熟れているのに、私には新鮮だった。それでも、柔和で物腰の柔らかい僧侶にはならなかったのだろう。昔の面影はそこかしこに、かつての野性味は精悍さに形を変えて備わっていた。骨太で、土の匂いがしそうな僧侶だ。

「それが多分、今回のスイッチだ。まだ断言はできないが、暁に対して抱いた恨みや憎しみが本人に帰着するよう仕組まれてるんだろう。加東や澤田がそれに取り込まれて変化したと考えると、おそらく時間軸は関係ない。暁にある程度の恨みを抱いている、もしくは抱いていた、物理的に近くにいる人物が犠牲になるんだろうな」

 千聡の仮説に頷きつつ前を向くと、中室が櫛田を見つめていた。

「お前、大丈夫だろうな」

「大丈夫ですよ!」

「これから恨んでもアウトだぞ」

「大丈夫ですって! つか、俺の心配より日羽先輩を助ける策を考えてくださいよ」

 千聡の突っ込みにも負けずに言い返し、櫛田は苦笑を浮かべる。上にかわいがられるタイプなのだろう。

「呪詛の根を断たないと無理だ。加東や澤田は発現した呪詛の効果に過ぎない。目を封じたのはどんな奴だ」

 隣で見下ろす千聡に視線を合わす。射るような鋭さに、一瞬たじろぐ。子供の頃から見るだけで人を黙らせるような力を持っていたが、相変わらずだ。

「目を瞑ってたから感覚での判断だけど、多分赤ちゃんだと思う。肩に乗るくらいの大きさだったし、手がすごく小さかったから。最初は、教えてもらったお経を唱えてる最中に口を塞がれたの。その時聞こえた声は男女の区別がつかない、混じり合ったような声だった。『恨めしい』って言ったかな。でも次に『いやな女』って言ったのは、女性の声だったよ。そのあと両目を突かれて後ろに吹っ飛んで、気づいたら病院で目が見えなくなってた」

「それが百合原の念だろうな」

 納得した様子で頷いた千聡に、はい、と櫛田がペンを持った手を挙げる。

「素朴な質問なんですけど、人を呪うってそんな簡単にできるもんなんですか」

「呪詛は作法を知らなければ無理だけど、呪うだけなら誰にでもできる。怒りや悲しみを軽んじれば、恨みに変わって呪いに行き着くからな。強い念は思うより簡単に飛ぶぞ」

 それは、先代にも何度となく説かれた。

――つらい時はわしや千聡か、胸の中にいる仏様に話すんだ。一人で我慢したら、暗い考えは腐ってろくなことにならん。腐って旨いのは、納豆くらいなもんだ。

 そう言ってからからと笑う姿は、今も鮮明に思い出せる。肌がぴりつくほど厳しく叱られた日もあったが、温かで懐の深い人だった。どうにか歪まずグレず今日まで生きてこられたのは、先代のおかげでもある。

「ただ、呪いには代償が伴う。人を呪わば穴二つというのは本当で、相手だけじゃなく我が身も蝕むんだよ。加東と澤田は、別に俺が痛めつけたわけじゃない。呪詛に取り込まれてしまった不幸はあるが、あれは本人の放った呪いを本人に返しただけだ。呪いも呪詛も、基本的には放った者に返せば解かれる。シンプルな仕組みだ」

「でも今回の場合、大本の百合原璃子は死んでますよね。こういう場合は、どうなるんですか。返す場所がないですよね」

 確かにそうだ。まさか遺骨や墓に返すわけにはいかないだろう。先代は、私に掛けられた呪詛をどう解いたのか。

「命を代償にして掛ける呪詛の強さは、生きている人間のそれとは比較にならない。目的が暁の命なら、何もしなければ暁が死ぬまで持続する。基本的な対処は、御仏に百合原への執り成しを願いつつ暁を守る術を施し続ける感じになるな」

「マジっすか」

「特に今回は二人分、しかも嬰児の命も代償になってる。生まれいづる命は死にゆく命よりも力が強い。ただ、嬰児が呪詛の依代として存在しているのは幸いだ。何も残されていないよりは、解く足掛かりはある」

 少しは早く解決できそうな予感に、思わず胸を撫で下ろす。死ぬまで世話になるなんて、もうすぐ死ぬなら別だが、さすがに申し訳ない。少しでも早く解決しなければ。

「さっき呪詛をするには作法が必要だと仰いましたが、百合原は作法を知っていた、ということですか」

 今度は中室が手を挙げて質問を投げる。なんだか、呪い教室になっている。

「そうですね。今回の場合、考えられるのは『百合原自身が詳しかった』か『作法を知っている人間に依頼した』か、です。ただどちらにしろ、これほどの呪詛を組めるのだから相当詳しいのは確かです」

「ちなみに、あなたなら可能ですか」

 重ねられた問いに驚く。そんなこと。

「可能です。呪詛を知らなければ解く術も見つけられませんから。ただ私には、暁を傷つける呪詛を解く理由はあっても、加担する理由はありません」

 あっさりと認めて私を見下ろす笑みは、穏やかだった。呪詛を解く理由、か。でも私にはもう、それを頼める義理はないのだ。

――困ったら、千聡を頼ればいい。そのかわり支えてやってくれ。この道は、一人で歩くにはつらいものだから。

 下山して数年、まだ結婚したともするとも聞かない。早く傍で支える人ができればいいと、ずっと願っている。傍にいても誰にも後ろ指をさされない、祝福で受け入れられる人と一緒に歩んでくれることを祈っている。

「今後、こちらは自殺他殺の両面で捜査を続けていく予定です」

 話題の向きを変えた櫛田に、ふと気づいて今度は私が手を挙げる。

「呪詛で人を殺すのは、殺人罪になるんですか」

 素朴な問いに、中室は鋭い視線で櫛田を見た。ええと、と一瞬櫛田の表情が強ばる。

「殺人罪には、なりません。今は昔のように、呪いによる危害の恐怖が社会に浸透していません。刑法が求めるレベルに達していないので、対象にならないんです。ただ状況によっては脅迫罪は適応されるでしょうし、敷地に入れば不法侵入なんかでの逮捕は考えられますね」

 説明を終えて中室を確かめる櫛田は、評価を待つ学生のようだった。頷く中室に、どことなく安堵した表情を浮かべる。良かった、合格か。

「でもそれなら……言葉は悪いですが、殺し放題ですよね。私の両親の場合は呪った本人が犯行に及んだから、ちゃんとその人のせいになりましたけど」

 本来、呪詛は自分が直接手を出して捕まりたくないから使うものだろう。

 望んだわけではないが、私は呪詛が人を殺せることを知っている。殺し放題が可能だと、分かっている立場だ。ええ、と今度は中室が口を開く。

「そうですね。確かに呪いでの殺害は法で裁けませんから、そうなります。それでも犯人がいるのなら、私は身辺を全部洗ってどんな理由をつけてでも、必ず引きずり出しますけどね」

 不意に鋭さを増した眼光に、冷水を浴びせられた心地になる。共に襲撃をくぐり抜けたせいで勝手に連帯感を持っていたが、別に、仲間ではないのだ。格好や表情はそれなりに疲れて見えても、視線だけは違う。これが、刑事なのだろう。

「では、今日はもうよろしいでしょうか。暁を休ませたいので」

「ああ、そうですね。すみません、入院されてたのに」

 切り出した千聡に、櫛田は気づいて腰を上げる。私達もばらばらと、まとまりなく続いてドアへ向かった。

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