第4話 城内

 ユグムは王城へ向かって森の中を走っていた。

 ユグムの服は体の変化に耐えきれずに壊れてしまっていたので、マエラに服を一式揃えてもらった。更にまだ月光が残っているので、全身を覆えるローブを借りた。

王子が消えたことに、城は気がついただろうか。なるべく騒ぎになっていないといいが。

 新しい朝が来る直前、空が白銀に輝いている。星々が薄く姿をひそめていき、ひやりとした空気が辺りを包む。全力で駆けるユグムの熱くなった体は、外気との気温差に湯気が立ち登るようであった。

 とうとう本格的に空が白んできた頃、ユグムは城下町の平民街にたどり着いた。まだ誰も外に出ていない。昨日の風景と変わらず、建物の窓ごとに長い垂れ幕が下がっている。

 本格的に明るくなる前に城内に入る必要がある。王城に侵入するには、囲むように城壁が聳え立っているので、まずそれを越えなくてはならない。

 城壁には城門が計三つ、大門が一つ正面に、小門がそれぞれ西と東に存在する。しかし夜間は閉ざされていて、開門は朝の八時からだ。そもそも王子が夜の間に外出していたことが明るみになるのは都合が悪いので、堂々と玄関から帰るわけにもいかない。

 ユグムは幼い頃に隠れて街に降りる時によく利用した、北にある塵を運搬するために設けられた廃棄物排出口の存在を思い出した。

 そんな場所にも、施設を管理するための細い通路が備えられている。点検の予定は大分後なので、誰も使用していないだろう。

 排出口の市街地側には、廃棄物仕分け場が備えられている。焼却場へ運ばれる前の塵が集められ山になっているから、作業員以外誰も訪れることはないし、塵を排出する時間は決まっている。現在の時刻なら、塵を捨てに来る、また塵を仕分けに来る作業員とかち合うこともないだろう。

 ナゾルの国の国民性が表れているとユグムは思う。ナゾルの国民をはじめとする水の民は綺麗好きの気性があるらしく、汚い場所には近づこうとしない。古い人間の中には、廃棄物処理は身分の低い者の仕事だとする偏見もあったりする。

 街に行こうとしてアリーシアと一緒に排出口備え付けの通路を使用すれば、彼女は必ず嫌な表情を浮かべていた。その度に、神聖なる血を持つユグムが訪れるべき場所ではないと小言を言われた。

 思いつきとしてはいいだろう。何かあったら塵山に身を潜められる。とりあえず向かうべきは、そこだ。

 第一の目的地を定めたユグムは、目立たないように狭い路地を選んで走る。生活音はまだ聞こえていない。しかし、そろそろ誰かが起き出しても不思議じゃない時間だ。急ぎながらもフードが捲れないように手で押さえる。


 排出口のある場所は、大きな煙突でも備え付けてあるかのように出っ張っているから、遠くからでも目的地がわかる。

 いよいよ廃棄物仕分け場に近づいてきた。大きな台形の不思議な施設だ。詳しいことはわからないのだが、塵を落下させる際に両側から磁波を発して、金属とそうでないものをある程度仕分けする仕組みになっているのだそうだ。

 ユグムは排出口の真下にたどり着いた。

 悪戯に進入されると行けないので、目当ての点検用の通路は高い場所にある。

 昔はこっそり梯子を用意して目のつかない場所に隠していたものだが、いつの間にか撤去されてしまっていた。

 成長と共に忙しくなってから街に繰り出すことも無くなってしまったために、新しい梯子は用意していない。

 ここでユグムが力一杯跳躍しても、到底通路までは届きそうには無い。

 ーー呪いが発現していた際は、恐ろしい程の身体能力で跳び回っていたが、外見が元に戻ってからはそれほどの力しか発揮できないようだ。

 それでも以前よりも、格段に動き回れるようになっているのだが、ユグムはまだ気が付いていない。

 できないことを考えても仕方がない。ユグムは塵山を漁り出した。この光景を見たら、アリーシアは悲鳴をあげるだろう。しかし、ユグムは塵山に躊躇なく手を突っ込む。小さい子供だった頃の話だが、ユグムにとって珍しいと感じるものが沢山捨てられていて、よく掘り出し物を探しにきたものだった。

 生塵は各家で乾燥させる装置で粉末状にされ畑の肥やし等に利用されるので、農家がそれを収集する。生塵の再利用は国によって厳密に定められた規則になっている。よって、この塵山に生塵の類はない。不衛生には変わらないが、そのために当時は疑問を抱かずに塵山を漁っていた。

 ユグムは役に立ちそうな物を探した。梯子といった贅沢なものは期待していないので、足場になりそうなものや、登攀に役立ちそうな備品を探した。

 ユグムは見つけた物である道具を作った。何着か衣類と、そして痛んでいるがまだ使えそうな縄、それを結んで繋げるとかなりの長さになった。そして、先端が欠けてしまったツルハシの持ち手を縄でつなげる。即席だが登攀道具が完成した。

 ツルハシを投げて点検用の通路の手すりに引っかけ、縄状の箇所を手に持って体を支えることで、壁伝いに登ることができる。上手くいけばの話だが。

 ユグムは投擲に二、三度失敗し、四度目でようやくツルハシを引っ掛けることに成功する。後は登っていく間に、途中で千切れることがなければいい。

 ツルハシが十分に引っかかっていることを確認してから、一気に壁を駆け上った。普段から一通りの訓練をこなしているユグムにとって、動作もないことだった。


・    ・    ・


 時は遡る。ユグムが飛び出して、半刻ほど過ぎた頃。

 就寝していたモゾマの元に、慌ただしく騒ぐ何者かがやってきた。

「モゾマ様、夜分遅くに失礼致します。自分は、夜警の任を仕りましたペリルと申します!」

 高官とされる地位にある人物には、王城内に住むことを許されている。位の高い者は貴族街に住居を構えるのが大半であるが、臣宅といって、個人用に部屋が用意されるのだ。モゾマは元々外からこの国に越してきた人間なので、この部屋が彼の家代わりになっている。

 モゾマの警護を務めている部下と、ペリルと名乗る見回り兵が揉める声がしている。

「何事だ」

 モゾマは着の身着のまま扉を開けた。モゾマの部下二人に抑えられていた興奮状態にあるペリルはハッとしてその場で膝をついた。ペリルが落ち着いたのを確認して、片方の部下がモゾマに耳打ちする。

「殿下がお部屋にいらっしゃらないようです」

「何だって?」

 モゾマは眉を顰めた。

「彼から直接伺おう。何があった」

 顔を青白くしたペリルは、口内に溜まった唾を飲み込んで説明し出した。

「私は、今晩の城内の見回りをしていたのですが、地を穿つような大きな音が致しまして、不安になって殿下がご無事でいらっしゃるか、殿下のお部屋まで取り次ぎをお願いしたのです。それで、殿下の近衛師団長であられるサリマン様が自ら殿下のお部屋に参られまして、そうしたら……」

 とうとう酸素が足りなくなって、ペリルは苦しそうに咳き込んだ。

「どのような状態だったのだ」

「私は殿下のお部屋に入れるような身分ではないので、実際に中の様子を伺ったわけではないのですが、サリマン様がおっしゃるには、荒れた室内に壊れた殿下の履き物が床に転がっており、窓が開け放たれて、殿下の姿が見受けられなかったようです」

 モゾマは目を鋭くさせる。部下の二人も騒がしくはしないが、顔を見合わせている。

「わかった、私も現場に向かおう」

 そのままの姿で移動するわけにはいかないので、モゾマはローブをその上に羽織った。自室の見張りのために部下を一人残し、ペリルともう一人の部下を伴ってユグムの部屋に向かった。

 ユグムの部屋には、ユグムを護衛する皇太子付き近衛師団長のサリマンが部下と共に部屋内にて現場検証していた。青い顔をして部屋の隅で作業をしている二人は、王子の部屋の前で門番を務めていた顔ぶれだ、とモゾマは王子と対談した際のことを思い出していた。 

 モゾマの到着に気がついて、サリマンたちは膝をついた。

「畏まるな、早急に状況を把握したい。どうなっている。殿下は見つかったのか」

 モゾマの言葉に答えるのはサリマンだった。モゾマの指示に従い、サリマンらは再び立ち上がる。

「結論から申し上げますと、殿下は見つかっておりません。ペリルの報告を聞いて、殿下のお部屋まで直接尋ねましたところお返事がなく、昨夜の一件があったこともあり無礼を承知で部屋に入りました。そこに殿下のお姿はなく、部屋内は多少乱れた様子で、窓が開いており、壊れた殿下の履き物が床に落ちていました。それがこちらです」

 サリマンの部下が、布に包まれたユグムの壊れた靴をモゾマに見せる。

「何かあったに違いありません。昨今の混乱に乗じて賊が入った可能性もあります。全力をあげて殿下を捜索いたします」

「バイソン殿にはもう伝えたのか」

 バイソンとは、兵部を取りまとめる将軍の名前だ。文官以外で唯一議会での発言権を有する、ナゾル国一の武人である。

「今遣いをやっております。いずれこちらにいらっしゃることでしょう」

 モゾマは難しい顔をして、指で顎をなぞった。

「では、バイソン殿が合流してくるのを待つとしよう。正式に指示を下すまで、全員待機しろ」

 モゾマの言葉に一同は驚き、発言者に視線が集まる。

 「御言葉ですが」と、サリマンは驚愕の表情のままモゾマに喰ってかかった。

「殿下のお姿が見えないのです、悠長にしている場合ではないと思われます」

 辺りに集まった兵士たちの間にも、戸惑いと混乱が見受けられる。

 サリマンは若くして皇太子付きの近衛師団長を任される身であり、即ち歳の割に高い地位を築いている人物ではあるが、決して宰相に物を申せる身分ではない。失礼無礼を厭わずに、モゾマに口答えするその胆力に、モゾマは誰にも悟らせずに笑みを浮かべる。

「殿下が拐かされたとして、城内が明らかに騒ぎ始めれば、我々が殿下の不在に気が付いたことを悟らせることになる。敵にこちらの状態をひけらかせる程、我々には余裕がない」

 モゾマはそれまで言うと、黙々とユグムの部屋内部の状況を整理する作業に戻ってしまった。

 その様子を見て、再び物申したい衝動を抑えてサリマンは押し黙る。

 モゾマが有能で、それ故か説明を省いて周囲を振り回すような指示を出すことがあるというのは有名な話だった。部下を疲弊させるような乱暴な指示であっても、結果が出てから全て正しい判断であったと分かる。サリマンはそういった話をよく聞いていた。故に、モゾマが何を考えているのか推察するしか無かった。

「殿下の御身に何が起こったのかはわからないが、殿下が手をこまねいているだけだとは思えぬ。とにかく、統率も取れないまま闇雲に事を進めるのは悪手である」

 サリマンの心情を見透かしているように、わかるな、とモゾマが念を押して凄むと、サリマンは目をぐっと瞑って異論はないことを示した。

「殿下がお休みになられる時を前後して、異変はあったのだろうか」

 モゾマはサリマンの隣に控える兵士に尋ねた。モゾマの知った顔では無かったが、彼が常にサリマンに追従するように移動していたので、おそらくサリマンに近しい部下だと察しがつく。

 モゾマに話を振られて、多少うわずった声で「はい」と返事をすると、兵士は特出した異変は起こっていない事を説明した。

「既に耳にされていると思いますが、ペリル殿が聞いたという大きな音以外、特別な事は起こっていないのです」

 モゾマが後ろに控えているペリルに目をやると、彼はびくりと体を震わせて泣きそうな顔になった。モゾマの部下が「聞き間違いということはないだろうな」と低く唸ると、ペリルは甲高い声で「間違いではございません」と喚き、首を横にぶんぶん振った。

「確認を取ったところ、彼以外にも何名か大きな音を聞いたと申す者がおりました。報告を照らし合わせると、時刻や音のした場所など大体一致していることを確認しております」

 サリマンがモゾマに説明を付け加える。

「私が大きな異音を聞いてから、すぐにその方向に確認しに行ったのですが、大した異変は無かったのです」

 ペリルは縮こまりながら、なんとか声を出している。

「場所は?」

 モゾマは相変わらず顎に指を這わせている。

「中庭でございます。ちょうど殿下のお部屋が見える位置でしたので、何かあってはならないと思いまして、サリマン様の元に馳せ参じたのでございます」

 終始自信のなさそうなペリルを見て、サリマンはため息をこらえ眉間に皺を寄せる。

「つまり、誰もいなかったのだな?」

 ペリルはしどろもどろながらもモゾマの質問に頷く。時折モゾマの部下に背中を叩かれて小さな悲鳴をあげている。

「私が中庭を見渡したときには、人っ子ひとりいませんでした」

「貴殿が音を聞いてから駆けつけるまでどの位時間がかかった?」

「えっと、小走りで向かったので、それほどかかっていません。私が中庭に行くまで五分もなかったのではないでしょうか」

 ペリルは場違いな場所にいる自覚があるのか、周囲の圧に押し潰されそうになっている。

「中庭に誰か隠れていたりしてたのではないか?」

 口を出したのはモゾマの部下だ。明らかに落ち着きのないペリルが、皇太子の自室にて余計な事をしないように隣で張り付いている。体格も良く厳しい顔付きをしているからか、ペリルは一層怯えた。

 青くなって固まっているペリルを見て、サリマンは埒が空かないと口を挟んだ。

「中庭に誰か隠れていた様子はあったか?」

 サリマンの声で我に帰ったのか、ペリルは正気を取り戻す。

「持ち場から離れてしまったことも相まって、ざっと見渡して何もなかったので、中庭内を熱心に見回るようなことはしませんでした、申し訳ありません!」

 まさか本当に殿下の身に何かあっただなんて!とペリルは今にも泣き出しそうに悲鳴を上げた。周りの兵士は困ったように顔を見回した。

「つまり、殿下を拐かした賊が中庭に身を隠していたかもしれないということですよね」

 兵士の言葉に、サリマンが頭を抱えた。

 するとしばらく黙っていたモゾマが「そうであろうか」と異を唱えた。

「確かにその可能性が全くないとは言い切れないだろう。しかし、殿下が黙って拐かされるようなお方であろうか?」

 モゾマの言葉には、王子の近衛師団長を務めるサリマンも思っていたことだった。ユグム王子は文武どちらにも長けておられる方だ。その実力は、武芸の相手役としてユグム王子と相対する機会があるサリマンが感心を寄せるほどだ。

「殿下の身に何かあったことは確実である。おそらく今回の件に中庭の異音は関係していることも確かだ。しかしそれならば、殿下の姿はもちろん、殿下を襲ったとされる賊共はどこへ行ったのだ。殿下を無力化できたとして、殿下を担いで窓から飛び降りることは可能だろうか。そしていくら中庭の庭園に死角があったとしても、無力化された殿下と賊共がいる中で、異変がなさそうなどと思うものだろうか」

 モゾマの部下は、じろりとペリルを見た。ペリルが震えているので、サリマンはペリルの横、モゾマの部下がいない方に立って、「しゃんとしろ」という意味を込めて彼の腕を掴んだ。強く握られて痛いはずなのだが、ペリルにとってそれは安心をもたらすものであったらしい。サリマンの支えもあって、ペリルは少しづつ落ち着いて話し始めた。

「確かに、暗がりでしたし、音の方向をなんとなく見た程度です。しかし、その後は変な音はしませんでしたし、庭園も荒れている様子はございませんでした。何かが起こった直後なのでしたら、庭園の花が折れていたり、土が異様に盛り上がったりするものではないでしょうか。それ以上の異変を感じなかったのは、いつも見ている風景となんら変わりがないように思ったからだと思います。ただ、私は普段庭園の世話している者ではありませんので、気がつかなかっただけ可能性はありますが……」

「……そもそも、賊などいない可能性がある……」

 モゾマは呟いた。それに意を唱えたのは、厳しい顔のモゾマの部下だ。

「しかし、殿下は実際にいなくなられております。お召し物が壊れていることからも、外的な要因があったからなのでは?」

「繰り返すが、誰にも悟られずに殿下を無力化するには、それなりに人数が必要だろう。サリマン殿はそれをよくわかっていると思う」

 一同がサリマンを見る。サリマンはこの発言には頷くしかない。

「確かに、殿下を確実に、そして早急にねじ伏せようとするならば、三人四人は欲しいと思います」

「その人数で、加えて殿下を無力化したまま抱え、中庭に隠れペリル殿をやり過ごすことはできるだろうか」

 モゾマの言葉に、全員が首を捻った。比較的視界が開けているあの場所で、確かに複数人が隠れることができるのだろうか。しかし、中庭に駆けつけたのがこの頼りなさそうな男だという。ペリルが見落としただけという線を捨てきれない。

「不意をつかれた場合はどうでしょうか?それならば二人以下の人数でも可能かもしれません。このお部屋では、殿下がお倒れになってから多くの人の出入りがありましたよね?医官や魔導師に紛れた輩がその際に侵入して、どこかに隠れ潜んだのやも」

 周囲の兵士たちは、あれやこれやと考えうる様々な可能性を提示した。しかし議論は混迷を極めるばかりで、正しい答えは見つかりそうになかった。

 その様子をモゾマはただ眺める。これ以上自分が何を言っても混乱を招くだけだとわかっているからだ。

 すると、廊下の方が小さくざわつき始める。モゾマはやっと来たな、と扉を開ける。廊下には複数の兵士を引き連れて、顔の真一文字の傷跡が目立つ褐色の肌の大男がいた。彼こそが将軍バイソンである。

「宰相殿、どうなっている」

 明らかに苛ついた声だ。対するモゾマは淡々と対応する。

「正直、我々も混乱しているところです。確かなことは、殿下のお姿が見あたらないということです」

 バイソンが王子の自室に入ると、明らかに空気がひりついた。ペリルはもちろんのこと、サリマンの顔にも緊張が走る。

「お前たち、何をしていた!サリマン!何のための近衛師団なのだ!」

 部屋中にバイソンの怒号が響く。兵士たちは萎縮する。

「お叱りは後に。とにかく、殿下を見つけるのが先決でございます」

 サリマンはバイソンに部屋の中の状況を説明した。モゾマはサリマンの説明が終わるのを見計らう。一通りの説明がなされたところで、モゾマはバイソンに掛け合った。 

「将軍殿、なるべく事を荒立てないで捜索にあたってもらえないでしょうか?」

 モゾマの言葉を聞いて、バイソンは目尻をひくつかせる。

「どういう意味だ?」

「そのままの意味です」

「貴様、今の状況をわかって言ってるのか?」

「そうです」

「事を荒立てず、具体的にはどのように殿下をお探ししろと?城内、国内、もしくは国外、情報がこれほどに少ない状況で、我々は何としても殿下をお見つけせねばならんのだ。全兵士を捜索に当てても、確実に足りてない。これで目立つなというのは不可能な話だ。何を考えているのだ」

 サリマンをはじめとする兵士たちは二人のやりとりを見守る。サリマンですら臆するような気迫のやり取りに、誰も口を出せないでいる。

「情報が足りていないからこそ、我々も下手に動くべきではないと考えるからです」

 モゾマの説明は明らかに足りていない。納得がいかない様子のバイソンを見て、モゾマは初めて続きを口にする。

「私は、殿下自身の身に何かが起こったのだと考えております」

「何が言いたい?」

「殿下に何らかの事情があって、我々の前に姿を見せられない状態にあるのではないかと」

 バイソンは口を閉じてモゾマの言い分を聞く。目は鋭くモゾマを捉えているが、決して口を挟もうとはしない。

「まず、賊が入り込んだという話の現実味がない。殿下のお部屋は、確かにいつもに比べて出入りが多かった。しかし、だからこそ殿下の警備は厳重だった。殿下の部屋に魔導士が呼ばれたのも、殿下のお体の状態を調べるのはもちろんのことだが、まやかしの呪文などで変装した不届きものがいないかどうか確認するため。殿下の部屋に不審な人物が留まるのは不可能のように思う。そして、常に扉には門番が見張っていた」

 モゾマは淡々と自分の推察を話す。抑揚がないが、よく通る声だ。

「……ならば、殿下自身に問題が起こったのではないかと考えます」

「つまりどういうことでしょう」

 自分で考えが完結してしまい周囲を置いていくモゾマに、サリマンが更なる説明を求めた。

「殿下は障界症を患っていた。また発作が起こってしまったのかもしれない」

 ううんと低く唸る声が部屋に響いた。

「なるほど」

 モゾマの言葉にバイソンは難しい顔をした。

 何となくモゾマの言いたいことの察しがついたのか、バイソンの猛々しさが薄らぐ。

「しかし、殿下はご就寝前にも主治医の診察を受けられた」

「今回、障界症を引き起こす原因となったのは、陛下です。この国で最も影響力があり、そして最も殿下と結びつきの強い方でした。さらに、陛下と殿下との間にはゾルノムとの絆があります。我々が想像するよりも、陛下の死は殿下に大きな衝撃を引き起こしてるのかもしれません」

 周囲もようやくモゾマの話が飲み込めてきたようで、部屋にいる全員が彼の話に耳を傾ける。

「障界症は、ここではない世界に引っ張られるという現象です。人が死ぬ瞬間、世界の境目が曖昧になり、波状系の揺らぎが発生すると言われています。たまたま主治医が殿下の部屋を後にしてから、再び大きな波が来たのかもしれません。具体的にどのような症状が出たのかはわかりませんが、様々な症例が確認されています。もしや、部屋の中で暴れてしまった殿下が、誤って外に飛び出てしまった可能性は考えられませんか?」

 その話を聞いて、サリマンはさっと顔色を悪くした。

「そ、それではお怪我をなさってるかもしれません」

「確かに、あの高さから落ちて無事で済むとは思えない。しかし、ペリル殿は血痕の一滴も見つけていない。それならば、殿下のお体はご無事だろうと思う。そのままその場から逃走して、症状に苦しんでおられるのではないか。そうなると、あまり殿下を刺激したくない。幻覚を見ている可能性もあるし、正気を失っていることも十分にあり得る」

 バイソンは淡々と返す。

「正気を失った人間ほど、恐ろしい力を発揮するものだ。もしかすると、痛みすら感じていない可能性もある。ならば、殿下は訳もわからずに動き回っているということになる」

 バイソンの言葉に、モゾマは大きく頷いた。

「城内が騒げば、かえって遠くに行ってしまわれるかもしれない。だからこそ内密に事を進めてほしいのです」

 モゾマがバイソンを見やる。バイソンは相変わらず腕を組んでいるが、表情は真剣そのものだ。

「しかし、それも可能性の話だ。殿下が襲われている可能性も否定はできん」

「賊が入り込んでいるならば、既に何らかの報告がなされているはずです。それとも、我が国の警備はそれほどまでに軟弱なものなのでしょうか」

 相変わらず淡々と話すモゾマだが、挑発的な言い様に周囲は緊張する。

 対するバイソンはふんと鼻を鳴らすものの、肩を怒らせることはなく、腕を組んだままモゾマを見据える。

「わかった。宰相殿の見立てが当たっていることを祈る」

「将軍殿の信頼できる者たちで殿下の捜索隊を組んで下さい。城内が騒がしくなってしまっては元も子もないので、殿下の不在を知る人間もなるべく少数でお願いします」

「しかし、いつまでも周りに内密にできるとは思えん。もちろん、すぐに見つけられれば問題ないのだが」

「もちろん、ずっと黙っていられるとは思いません。まずは神官長殿を通して水仙の君に協力を仰ぎます。とにかく、城内のことは私たちに任せて、将軍殿は殿下の捜索をお急ぎください」

 モゾマとバイソンはお互いに頷き合って、それぞれの持ち場に移動した。


・    ・    ・


 ユグムが城内の敷地に足を踏み入れた頃には、すっかり朝日が上ってしまっていた。城壁を越えることに成功したユグムは、廃棄物排出口から移動して、城内で働く臣宅を持たない下官らが寝起きする城壁内の居住、官舎地区と呼ばれる区画の倉庫の一つに身を潜めていた。

 ユグムにとってこの場所は馴染みがない所だった。城壁内でもここは特殊な場所で、官舎に住む人向けに店が構えられているなど、一つの街のような様相を呈している。年に数回、各国を巡る商隊がやってきて、許可を取ってこの場所に出店を展開することもある。商隊がやってきた数日は、まるで祭りのように賑わっているらしい。

 さて、ここからどうするべきか。

 ユグムのするべきことは二つ。ユグムの身分を証明する契の筆の回収、そして国庫の封印だ。

 ナゾル王国の国庫には、不思議な力を持った様々な遺物が収められている。その中でも特出しているのが、神器『水龍の角笛』、『水龍の左腕』である。

 これら二つの神器は、建国の父アモラが大精霊から賜った、ゾルノムの体の一部だと伝えられている。アモラはこの二つの神器を駆使して国を築いたとされる。

 『水龍の角笛』は、無から水を興す神器だ。年に一度、建国記念日に国庫から出され、式典にて国王が吹くので、角笛自体はユグムは近くで目にしたことがある。しかし、本当に水が生成されたところは見たことがない。以前そのことについて父に質問したところ、本当に水を興すためにはゾルノムの力を引き出さなければならないらしい。その方法は、ユグムが成長したら自然とわかるのだそうだ。

 『水龍の左腕』は、大きな白金色の玉が握られている白い鱗が生えた生き物の手で、重要なのはその玉なのだという。この玉は文字通りこの国の核であり、この玉の存在によって遠く離れた霊峰にいるゾルノムからの恩恵を受けることができるのだそうだ。直接霊山に赴かなくてもゾルノムとの『交信の儀』が行えるのは、この神器のおかげなのだという。『交信の儀』に用いられるが、それ以外は人目に触れることのないように封印されている。この神具に何かあった場合、国そのものがどうなってしまうかわからないためだ。ユグムも実際には見たことがない。

 これらがユグム不在の間、資格のないものが触れることのないようにしなければならない。

 国庫の封印には、『沈黙の錠』に王族の血印を書き込んで鍵をかける必要がある。『沈黙の錠』とは、契の筆と同じような魔具の一つで、血によって封じる錠前のことだ。血印によって、鍵を開ける資格のあるものを設定することができる。

 国庫には元々沈黙の錠にて封じられているが、この錠を解錠できる人間が王族の他に複数存在する。国庫の管理を任されている国庫司書官である。

 一般人が国庫を利用するためには、国庫司書官の許諾を得る必要がある。そしてさらに、国庫司書官の許諾を得るためには国王の特許状が必要なのだが、誰かが何らかの方法で国庫司書官の力を借りて国庫に侵入してしまうかもしれない。

 だから、正式に交信の儀を迎えた国主にしか開けられないように新たに錠を施す。

 錠に血印を施すためにも、ユグムはまず自室から契の筆を回収しなければならない。

(しかし、奇妙だ)

 ユグムは倉庫から、窓を少し開けて周囲の様子を伺っていた。

 朝を迎えて、人が活動をし始めた。ここは洗濯場が近いので、洗濯物をタライいっぱいに抱える女官が往来している。浄に大量の布を使用したためか、おそらく普段より忙しいのだろう。指揮を取っている女官の表情に余裕がない。

 だが、その程度でしかない。ユグムの感じた違和感はそこにある。上司の目を盗んで、洗濯をしながら話をする女官らの、なんと呑気なことか。

 もちろん、王が亡くなったということで、緩慢とした暗さ、不安な様子は伺えるのだが。つまり何が言いたいかというと、彼女たちの表情は深刻さに欠けているのである。とてもじゃないが、王子が行方不明であることを知っている様子ではない。

(流石に、誰も知らないなんてことはありえないはずだ)

 ユグムが障界症を患ったために、ユグムの起床に合わせて主治医が訪ねて来ることになっていた。現在の正確な時刻は分からないが、もう主治医が部屋を訪ねてきてもいい頃である。

 だが、城内がいつも通りであるならば、ユグムが動きやすいことも確かだ。

(考えても仕方がない)

 ユグムは人がいなくなったほんの一瞬を定めて、倉庫を後にした。とにかく自室へ向かわなければ。

 ユグムに許された時間は少ないのだから。

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