57.「業務改善はご自由に」

「あぁもう、最悪……!」


 メイベルが苛立ち気な声を漏らした。


 環境は最悪だが、中でも血液が一番の問題だ。あなたたちはこの一帯を掘り返して本を探さなければならないが、肉は切れば切るほど血が溢れ出てくる。それは文字通り血の海となって足元を掬い、刃物のグリップを滑らせ、切れ味を鈍らせる。


 深く切り開くためにはしっかりと両足を地に付けなければならないが、力を込めれば込めるほど足が滑る。しかし立ち止まって作業に集中すれば蔦が絡みつき、侵食を避ける為定期的に解かなければならない。


 暑さも敵だった。北に向かうとのことでそれなりに着込んできたのだが、この暑さには全く似つかわしくない格好だ。あなたはシャツ一枚のラフな格好で作業しているが、残りの二人はそうもいかない。白いワイシャツが透けるのを嫌がったメイベルはローブを上から羽織り、明らかに不機嫌な雰囲気を漂わせている。


 作業開始から三時間、進捗は芳しくない。


「なんか不毛に思えて仕方がないわ」

「作戦を練る時間がなかったですからね、行き当たりばったりですよ……」


 あなたは腰に手を当て、農地を見渡すように肉の花畑を眺めた。


 地図上では海に面した一区画、その中でも本が埋まっていると考えられているのは赤い線で囲まれたごく一部だが、実際に立ってみれば広大な範囲だ。


 無計画で手当たり次第に掘り返しても埒が明かないが、一ヵ所に決めるとなればどこまで掘ればいいか分からない。


 あなたのコンパクトな脳みそでは解決できそうになかった。この世界に重機でもあればよかったのだが。


「魔術でここら一帯ふっ飛ばしてみる? どうなっても知らないけど」

「本がバラバラになっちゃいますよ」


 それだけで済めばいいのだが、あなたもバラバラになりそうだ。全力運転で放つメイベルの魔術の凄まじさは、前回塔の一件で身を持って味わっている。


 今にも撃ちかねないほどイライラしているメイベル。さてどう諫めたものかと考えていると、背後の空から間抜けな風切り音が響き、その後破裂音が轟いた。


「あっ、信号弾ですよ信号弾! 良かったですねメイベルさん」

「……命拾いしたわね」


 舌打ち一つ、メイベルが言った。一体誰に向けての言葉なのだろうか。


 空に赤い閃光が瞬き、ゆっくりと高度を落としてゆく。四騎の騎兵が向かってきているのが見えた。ここに来る時は三騎だったが、何故一人多いのかと訝しむ。


「お疲れ様です、初回なので早めに迎えに上がりました。確認しますが、もう酸は撒きました?」

「いいえ、これからよ」

「私が来たのは間違いではなかったようですね。早い所撒いてしまいましょう、もうじき日が暮れます」

「あんた、さっきの出して」


 あなたは懐から瓶を取り出し、メイベルに手渡した。掌サイズの透明なガラス製で、黄色くどろりとした酸性の液体が八割ほどまで入れられている。


 酸を持ち歩くのは楽しくなかったが、万が一漏れても何とか無事に済みそうなのはあなたしかいないので仕方がない。口から酸を吐いた経験もあるし、触れてもなんとかなるだろう、多分。


「で、これを流したらいいの?」

「ええ、そうです。沢山持ってきましたので、皆さん遠慮せずにどうぞ」

「遠慮してるわけではないですけど……」


 各々瓶を持ち、栓をしているコルクを抜く。


 三人がかりでどうにか切り開いた人一人がすっぽり収まりそうな深さの傷に酸を流し入れると、たちまち黒い煙が立ち上り蛋白質の焦げる臭いが鼻腔を突いた。


 様子を見る限り、確かに効いている気はする。しかし、これから深く掘っていくにつれ必要な酸の量が増えてくると、このやり方は非効率的ではないだろうか。


「もっと効率の良い装置とかないの」

「業務改善は大いに歓迎しますよ」

「自分でやれってことね、結構」


 既存の物を改良、改造するのはウェイストランダーの嗜みだ。ここはあなたの出番かもしれない。


 あなたはブーツに絡まった肉の蔦を振りほどき、煙草に火を付けた。


 もうすぐ日が暮れそうだ。


 砦に戻ったあなたたちを迎えたのは、労いの言葉ではなく大量の水だった。あちこちに付着した血液や肉の破片を内部に持ち込まないための防疫措置なのだが、メイベルを諫めるのには苦労した。


 あなたとしては暑気払いに丁度良いと思ったのだが、頭から水を被り盛大に青筋を立てるメイベルには口が裂けても言えなかった。


 その後用意された風呂に入り――当然あなたは最後――食堂で夕食を食べ、与えられた三人部屋に向かった。現在カレンは椅子に座って備え付けの本を読んでいるが、メイベルは荷物を持って何処かへ出て行った。あなたはベッドに寝ころび、今日一日酷使した短剣に問題がないか確認している。


 切った肉は筋もなく――食用と仮定すれば最高の部類だったが、それでも何かを切る以上刃は鈍る。


 あなたは上体を起こし、短剣に目を凝らして刃の角度を確かめた。目測だがおおよそ二十五度、最も切れ味が持続する角度だ。続けて人差し指を刃の向きに対して直角に這わせると、僅かな引っかかりを感じた。カエリ――金属の端にできる、薄いそり返りが生じているらしい。どう研いだって完全に無くすのは難しいが、これ以上悪化するなら研ぐ必要がありそうだ。


「研ぎ石、貸しましょうか」


 カレンが本を畳み、あなたを見ていた。それには及ばない、と答える。


 彼女の見事な長剣は頻繁に目にするが、ナイフはあまり知らない。持っていないはずはないので、どんなナイフを使っているのかとあなたは尋ねた。


「狩猟用ですよ、古いですけど」


 カレンが鞘に収まったナイフをあなたに渡した。許可を取って抜く。


 木製のグリップ、堅牢な固定刃の重厚な使い込まれた一品だった。三十度に保たれた刃は良く研がれ、普段から丁寧に手入れしているのだろうと推測できる。


「中々の代物でしょう?」


 掛け値なしに良いナイフで、命を預けるに十分値するだろう。


 こうなるとメイベルの短剣も気になってきた。魔術師の用いる刃物は、やはりあなたやカレンのものとは違う特別な何かがあるのだろうか。


 その時だった。扉が激しい音を立てて開け放たれる。何事かと振り返ると、丁度メイベルが立っていた――『上着着てついてきなさい』と書かれた紙を持って。


 色々と不可解な状況ではあったが、あなたとカレンは言われた通りにした。有事の際すぐに飛び出せるよう常と変わらない服装でいたことも功を奏し、準備に時間は掛からなかった。


「どうしたんです、メイベルさん」

「外にちょっと飲めそうな店出てたから。一人で行ってもあれでしょ」

「部屋じゃ駄目なんですか? 確か荷物にお酒もあったと思いますが」

「あの部屋盗聴されてるから私は嫌。寝る時以外は使わないわ」


 あなたとカレンには分からずメイベルだけが察知できたのなら、恐らく盗聴とは王国書庫での“聴音”の魔術と同じようなものだろうとあなたは思った。別に反乱分子的な思想は持ち合わせていないし不穏な発言もするつもりはないが、盗み聞きされるのは良い気分ではない。


「外寒いから、寒暖差で風邪ひかないように」

「お母さんみたいですね」

「そんな歳じゃないんだけど」


 カレンとメイベル、大分打ち解けてきたようでなによりだとあなたは内心で微笑んだ。適切にジョークを取り扱える関係性はチームの能力を向上させる、そうあなたは考えていた。


「今まで何処に行ってたんですか?」

「厨房借りて酸にあれこれ手を加えてたの。業務改善ってやつ」

「……人の厨房で危険物を?」

「許可は得てるもの」


 メイベルがあなたに目をやった。


「幽霊屋敷で噴霧器使ったの覚えてる? あれで酸が撒けるようにしたわ」


 懐かしい記憶だ。そんなに前のことではないはずだが、ずっと昔に感じられる。


 噴霧器は良いアイデアだとあなたは思った。液体を一々流すより、霧状にして噴霧した方が早いしより深くに到達するだろう。


「酸の粘度を下げなきゃいけないのが面倒だけど」

「それを人の厨房でしてたわけですね」

「家庭料理みたいなもんよ」


 家庭料理で強酸など使うだろうか。


 そうこうしている内に外へ出た。身を切るような寒さで頬が引きつる。よく髪を乾かさなければ凍ってしまうのではないかと思えるほど寒い。


 駐留所には多くの兵士がたむろしていた。なんとなく、昼間より表情筋が強張っているように見える。


「寒いですね……」

「肉が暑すぎるのよね。ああも暑いとイライラしちゃって」


 どうやら目的地はあなたの目線の先、ジョッキを模った看板を掲げる店のようだった。軍隊らしくなく、委託された民間の雰囲気を感じさせる。


 足早にその方向へ向かいつつも、メイベルは襟を立てるカレンの耳元で囁いた。


「位置関係をよく覚えなさい。厩舎があそこで、私たちの馬もそこに繋がれてる。門はあっちとあっちの二か所」

「……どういうことですか?」

「何か不味いことになったら逃げるのよ。私とこいつで兵士の相手するから、その隙に馬を準備して逃げる用意をして欲しい。一番馬の扱いが上手いのはカレン、あなたなんだから」


 神妙な面持ちでカレンは頷いた。あまり想像したくない状況だが、場合によっては起こりうる話だ。一瞬とて政府機関を信用してはならないと、あなたは常々自分に言い聞かせている。


 メイベルが寒い中あなたたちを連れ出したのは、こういうことだったらしい。


 店で瓶ビールを三本買い、あなたは口に煙草を咥えて周囲を見渡した。駐留所は砦の内部にあり、当然高い壁に囲まれている。至近距離での接近戦も厄介だが、上からの銃撃が最も怖い。銃撃戦ではより高い位置に陣取った者が有利だ。


 ふと、風に乗ってばたばたと音がした。焚き火が強風に煽られたような、布が風で靡いているような音だ。何か聞こえないかとメイベルに言いかけた時、彼女の方が先に小さく呟いた。


「招かれざる客が来たわ」


 あなたは振り返り、メイベルの目線を追った。事務屋が近づいてきている。


「こんばんは、寒いですね」

「夜は働かないわよ」

「まさか! そんな話じゃありません」


 事務屋が同席する雰囲気を見せたので、カレンが横にずれて人一人分の隙間を開けた。が、メイベルがすかさず塞ぐ。今にも刺し合いが始まりそうな雰囲気だ。


「自己紹介が遅れに遅れましたのでね。どうです、ここは私の奢りで」


 そう言って事務屋は笑った。事務的な笑みに見えた。

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