40.「私達は世界になる」

 王都の西区。煉瓦造りの大時計台から北へ半放射状に伸びる五本の大通り、その中で“魔術大路”と呼ばれる場所が今回の目的地だ。


 なんでもこの国における魔術研究の最先端らしく、《天文台》や《魔女連合》を始めとした魔術結社が軒を連ねている……とメイベルが言っていた。


「魔術結社つっても、魔術と関わりのない人間からすればただの犯罪組織と変わらないわ。ねぇ、カレン?」

「まぁ、切った刺したの話は良く聞きますね」


 二人からは魔術師の良い話を聞かない。あなたの言えたことではないが、マトモな奴はいないものかと思った。


「本気で魔術やろうと思ったらお金がかかるのよ。大金が絡む所に犯罪があるのは道理でしょう」

「穏健派の方々もいるようですが、目立たないので」

「そういうこと。厄介な連中が悪目立ちしてるのね」


 あなた達一行は灰色の石畳を進む。


 ローブのフードを目深に被った魔術師、革鎧の賞金稼ぎ、黒いコートの大男。この奇妙な組み合わせは王都でそこそこの目線を浴びるものだが、この通りに来てからはそれが殆ど無かった。ここの連中は他人に興味がないのか、所謂変な奴らは特段珍しくないのか。多分両方だろうとあなたは考える。


 魔術師が多く拠点を置く場所と聞いてあなたはそれなりの準備をしてきたのだが、街並みは至って普通で他の場所とそう変わらない上、人通りは王都のどこよりも少なくてむしろ過ごしやすい。


 スリにも会わなければ喧嘩をふっかけられることもなく、あなたはどこか拍子抜けした気分だった。良いことではあるのだが。


 歩いていると、道の真ん中に人の背丈ほどある梟の銅像があなたを睥睨していた。台形の土台には一枚のプレートが掛かり、『知恵、慈悲、良心』と刻まれていた。地区のモットーか何かかと、あなたは推察してみる。


「魔術師のモットーよ。私含めて守ってるのは殆どいないけど」

「メイベルさん、優しい人だと思いますよ?」

「はいはいどーも」


 カレンの言っていることは、まあ正しかろうとあなたも思う。


 魔術――身に余るほどの強大な力を持っているが、彼女がそれを振るって人道に反する行いをするところは見たことがないし、想像もできない。一人殺めたことがないような完全な潔白とは言わないし、本人も言わないだろうが、所謂悪い人間ではない。きっと。


「着いたわ」


 いつの間にか目的地に到着していたようで、メイベルが足を止めた。


 あなたの眼前には、灰色の煉瓦造りのどこか歴史漂う五階建てアパートメント。木の扉がはめ込まれた玄関に幾つかの名義が記されたプレートが飾られているのを見るに、中に入っているのは一つだけではなさそうだ。


 《算術同好会》は三階にあるようだ。扉を潜り、日に照らされた階段を上る。


 三階に上がってすぐの扉に《算術同好会》のプレート。メイベルがノックした。コンコン、木の軽い音が壁に反響する。


「はい」

「私はメイベル。本の取り立てで来たんだけど、何か聞いてる?」

「ええ、勿論。中へどうぞ」


 応対したのは若い女性だった。彼女の案内で中へ進む。


 花畑の絵画が飾られた短い廊下を抜けると、大きな室内へと出た。ここが本拠なのだろう。


 部屋の中心には作業机が四つ長方形に並び、通りに面した窓際には低いテーブルにソファが向かい合っていた。


 一瞬、日光が銀に輝いた。右手側のソファに座っている女性の、長い銀髪が光を返したのだ。目鼻立ちの整った、人形のような女性。座っているだけで絵になって、あなたは思わず見惚れそうになった。


「ボス、メイベルさん御一行です」

「……あら、早かったですね。どうぞお掛けになって」


 勧められるがままにあなた達はソファに座った。メイベルを中心に、左右をあなたとカレンだ。


「お飲み物は?」

「何でもいいわ……二人はなんかある?」

「いえ、私も大丈夫です」

「そうですか。では南から面白い飲み物が入りましたので、それにしましょう」


 彼女は最初に会った女性を呼ぶと、耳元で囁いた。女性が奥に設けられた小部屋に消える。


「申し遅れました。私はルフィナ、この結社を率いていますわ」

「私はメイベルよ」

「存じております」

「私はあんたを知らないけどね」


 メイベルの冷ややかな声に、ルフィナは柔らかく微笑んだ。


「で、本の件だけど。そもそも返却期限いつなのよ」

「確か二年前と半年でしたか、定かではありませんが」

「に、二年前……」


 隣でカレンの小さな絶句を聞いた。あなたも同じ気持ちだ。あなたでさえ二年間も遅延しないだろう。


「借りた物は返しなさい。人間として当然よ」

「人間である以前に我々は魔術師でしょう」

「あー……典型的なタイプか」


 メイベルが小さく呻く。


 奥の小部屋から女性がトレーを手に再び現れて、机に四つのカップをそれぞれ置いた。深く、香ばしい。あなたにとっては嗅ぎ慣れた香りだった。


「香りはいいけど、見た目はインクみたいね」

「コーヒーと言うそうですよ」

「ふーん、いただきます」


 メイベルとカレンがゆっくりとコーヒーを嚥下した。そして、二人同時に顔を顰める。


「にっが」

「苦いですね……」

「慣れれば味わい深いのですよ。それに体にも良い」


 二人には不評らしかったが、あなたには至福の味わいだった。


 ウェイストランドではコーヒーは希少品で、殆どが戦前に作られた風味の抜けきった味気のないものだ。あなたは過去にとある縁で状態の良いコーヒーを口にしたのだが、それ以来戦前品は泥水にしか思えなくなった。それならいっそ知らないままが良かったと思っていたのだが……僥倖だった。


「これを飲めばずっと起きていられるし、頭も冴えます」

「こんだけ苦けりゃ頭も冴えるわ。なんか……薄めたりできない?」

「砂糖とミルクがそこに」


 机にはカップと共に小さなポッドが二つ用意されていた。一つはミルクで、もう一つは角砂糖。


 カレンはミルクだけ、メイベルはミルクと角砂糖三つを投入した。あなたとルフィナはブラックのままだ。


 ミルクと砂糖で幾らか和らいだらしく、二人の表情が緩んだ。


 あなたはふと窓の外を眺める。鳥のさえずりと、青空を重たげにゆったりと流れる厚い雲。信じられないくらい穏やかで、長閑な光景だった。取り立てに来たなんて信じられない。


「それで、そろそろ本題に入りたいんだけど」


 先陣を切ったのはメイベルだった。


「魔法陣の演算速度だっけ? 詳しく聞かせて」

「喜んで。しかし、どこから話しましょうかね」

「悪いけど私の専門外だから。ある程度詳しく話してくれると助かるわ」


 ルフィナはカップを机に置き、しばし考え込んだ。


「当然ご存知でしょうけど、魔術には演算アルゴリズムが必要です。魔力が幾ら必要なのか、どのような形でどの座標に展開するのか等々、それらを複数同時に。あまりに複雑で人の身に余りますから、魔法陣に埋め込んだ専用の術式で並列処理していますね」


 魔法陣というのは、くるくる回るあれだろうとあなたは当たりをつけた。メイベルやレニーなんかが使っていたのを覚えている。


「演算は階段ステップに似ています。一段目から一番上へ一歩ずつ昇って解を求める。つまり演算速度を上げるには、段と段の距離を縮めるのが一番手っ取り早い」

「一個飛ばしはできないんですか? それこそ階段みたいに」


 以外にも質問を飛ばしたのはカレンだった。丁度あなたも気になっているところだった。


 あなたは数学に全く明るくなどないが、階段は一段飛ばしで昇る……なんだか、凄く馬鹿馬鹿しい質問をしている気がしないでもないが。


「残念ですが、今のところ計算過程のない計算は存在しません」

「存在しないんじゃないの、そんなの」

「さあどうでしょう。案外近くに転がっているのかも」


 咳払い一つ、ルフィナが話を戻す。


「究極的に言えば、最速の演算とは一番最初のステップと最後が完全に平面に位置するものです。しかし段取りが追えないなら演算とは呼べない。演算が計算である以上、そこには必ず零よりは大きい時間がかかる」

「だから並列処理で速度を上げてるわけね。そこらへんは分かるわ」


 あなたは良く分からない。多分カレンもそうだろう。諦めて二人で空を眺めた。


「行き詰った我々は未知ではなく既知、足元を探しました。そして発見したのです、世界最速の演算がなんなのか」


 少し話が変わったようなので、あなたも注意をそちらへ向けた。


 ルフィナは角砂糖を一つ摘まむと、殆ど口を付けていないコーヒーへ落とした。黒い水面の中央が円錐状にへこんで、僅かな飛沫が上がり、波紋が広がった。


「数学を使えばコーヒーの水面に起きた現象を数字にできます。角砂糖の重さ、落とした高さからの加速度、波紋の広がりから減衰――複雑ですが、しかし一瞬で行われた。これは一体何者が演算しているのでしょう」

「自然現象みたいなもんよ。そうだからそうなんでしょ」

「そう、自然現象です」


 ルフィナの人形じみた表情に、これまでで最大の喜びが広がった。まるで、やっと言いたいことが伝わったかのように。 


「世界最速の演算速度を誇るのはこの世界自体です。即ち世界は演算装置。遠く海の波が風となって私の髪を揺らす。雨が降って水たまりになり、やがて蒸発して空へ帰る。そんな計算が限りなく零に近い時間で行われている」


 熱の籠った言葉が一度切られた。


「私達は世界になろうと考えています。世界と同一化した人間の魔術こそが世界最速となるでしょう。何せ魔法陣に頼らずとも自分の脳でやればよいのですから」


 それを聞いたメイベルの表情はなんとも言えず、茫然としているようで呆れているようでもあった。真面目な話を聞いていたつもりが、最後にとんでもない出鱈目で結論付けられたような。


「……仮に出来るとして、世界の計算式は目に見えないわ」

「それが記されているのが、我々の借りた本なのですよ」


 どこからともなくルフィナは一冊の本を取り出した。茶色い表紙で閉じられた、手のひら程の薄い本だ。タイトルは『魔法陣演算理論の展望と可能性、第三巻』と記されている。


「これ自体は珍しくもなんともない、書店で買えるような本です。しかしこの一冊には、どういう訳か世界を示す数式が記されています」

「そんなの聞かされてないわ」

「言わなかったのでしょう。あなた方は知って良いことしか知らないでしょうし」

「……本の返却条件はあんた達に意見することだったわね。具体的にどうすれば良いの」

「我々の論文を読んでいただきたい」


 ルフィナは再びもう一人の女性を呼び、二冊の本を持って来させた。書類に二つの穴を開けて紐で結んだ手作りらしく、今度は両方ともかなりの厚みだ。


「残念ながら、我々には記されている世界を示す数式は解読できていません。それそのものが破綻はしていないでしょうが、数式は全く滅茶苦茶な文字の羅列にしか見えない。用いられている数学記号は初めて目にする物ばかりです」

「ぜひ見たいわね」

「我々の論文の後に、どうぞ」


 本を背中に隠すルフィナ。

 メイベルの前に二冊の膨大な論文が置かれた。


「あなたの目線から見てどうなのか、意見が必要です」

「……この量を読むの? 今から?」

「それがあなた達の仕事でしょう」


 にっこりと、柔和な笑みを浮かべるルフィナ。

 長い一日になりそうだと、圧倒的存在感の二冊を前にしてあなたは思った。

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