34.「フロントライン-2」

 雨は殆ど止みつつあった。しかし今度は湿気が肌に纏わりついて気分が悪い。まだ夏前の寒冷な土地と言えども、あなたが来た頃に比べて随分と暑くなった。夏本番ともなれば、流石にロングコートは厳しいかもしれない。


 あなたは黙々とカレンの後を歩く。未だレニーは見つからない。カレンには痕跡が追えているらしいが。


「……そこ、罠です」


 カレンは前方の少し離れた地面を指差すが、あなたの目には何の変哲もない地面にしか映らない。一体どのような訓練を積めば分かるようになるのだろう。


「まあ慣れですよ。後は勘ですかね」


 あなたも戦場で勘に助けられたことはあるが、それと同じようなものだろうか。


 カレンは拳大の石を拾うと、先程指差した地面目がけて放り投げた。石は地面を叩き、バウンドすることなくするりと落ち込んだ。落とし穴だ。


 腰の高さまでありそうな穴を覗き込むと、案の定尖った木の棒が先端を天に向け整列していた。


「触らないで下さいね。毒が塗ってあるかもしれません」


 毒を持つ生物の中には、触れるだけで致命傷となるものもある。それを直接体の中に入れるとどうなるか、考えるまでもない。


 これまで遭遇した罠の数を数えて、あなたはげんなりとした。まだレニーを追い始めてそれ程時間は経っていないのに、既に両手の指では足りない程の罠が仕掛けられていた。連中は随分と頑張ったらしいが、あの襲撃の後に取り掛かったとは考えにくかった。


「初めから全て読んでいたか、魔術を使ったか……魔術に関しては全くの素人ですので、正確な事は言えませんが」


 魔術とはかくも便利なものか。


 どうもこの世界の人々は魔術士を“何でもできるびっくり人間”と考えているフシがあると、あなたは思った。


 メイベルを見る限りでは戦う為だけの手段ではなさそうだし、穴を掘るような魔術があっても良さそうだが……分からない。


 もっと魔術を学んだ方が良さそうだ。あなたは魔術師にはなれないだろうが、魔術を知れば敵として対峙した時に大きな助けになるに違いない。本屋で子供向けの初期魔術書でもあれば買ってみるかと、あなたは王都に戻ってやることリストに追加した。


「ふむ……」


 あなたがあれこれ考えている間、カレンは少し離れた場所にしゃがみ込み、顎に手を当てて難しい顔をしていた。どうしたのかと、あなたは尋ねる。


「痕跡が厄介でしてね。追跡方法を変えるかどうか考えていました」


 確かに、あなた達はあちこち歩き回っている。


 しかし、あなたはただカレンの背を追っているだけなのだが、彼女は全神経を研ぎ澄ませて偽装された痕跡を辿っているのだ。この罠だらけの森を。


 疲労の度合いから判断するに、少し休憩するかペースを落とすべきだとあなたは思ったが、それでレニーを取り逃がすリスクを考慮するとカレンは首を縦に振らないだろうとも思った。


 それで、結論は出たのだろうか。


「はい。時間が掛かり過ぎなので、多少のリスクを考慮しても――」


 カレンは言葉を止め、振り向いた。見つめるのは森の奥。彼女の肩越しに、あなたも同じ場所を見た。


 視線を感じていた。どこかおかしい、非生物的な視線を。


「……何かいますね。構えて下さい」


 カレンは長剣を、あなたはブラスターガンを向けた。

 ゆっくり、ゆっくりと気配が近づいてくる。


 やがてそれは姿を現したが、緑と茶が大半を占めるこの環境ではあまりに浮いていた。それは完全な赤で構成されていたからだ。


 例えるなら、真っ赤なゼリーで形作られた毛の無い犬。時々ふるふると震え、あなた達をしっかりと――眼球などついていないが――見据えていた。


 赤い犬は襲い掛かる訳でもなく、その場でじっとあなた達を見つめている。唐突かつ異様な光景に、流石のあなたも思わずたじろいだ。


「――撃って!」


 現場指揮官たるカレンの命を受け、あなたは引き金を絞った。


 弾丸は赤い犬の頭部を撃ち抜き、身体全体を粉々に吹き飛ばした。ぼたぼたと音を立ててゼリーの破片が周囲に降る。


「あれ、魔物じゃないですよね」


 あなたが遭遇した魔物などたかが知れているが、恐らく違うと思った。


 あなたの知る限りでは魔物も生物だ。ちゃんと内臓や筋肉を持っていて、あくまで生物学的範疇を逸脱はしないように思える。あんなレッドゼリー野郎は見たことがない。


 あれが一体何なのか、手早く確かめられそうな方法が一つある。

 あなたはカレンに少しの間だけ後ろを向いてもらった。


「はぁ、後ろを……?」


 カレンは釈然としない様子だったが、見ていても気持ちの良いものではなかろうとの判断だ。あなたにだってそれぐらいの配慮は出来る。


 いそいそとあなたは破片の元へと向かい、手ごろな一かけらを手に取った。

 口に含む――うまい! この芳醇な香りと濃厚な甘みは紛れもなく人血だ!


 ……まあつまり、こいつは魔物じゃなかろうとあなたは二つ目の破片を食べながら考える。じゃあこいつはなんだという話だが。


「もういいですかね?」


 そうだ、味わっている暇などない。


 正体はともかく、こいつが少なくとも人血で構成されていることは分かった。そう言おうとして――笛の音が長音で二度響き渡る。


 それは凶兆だった。次にどう動くべきか、あなた達は既に学んでいた。考えるより早く、着地点に何がるかも確かめず地面に飛び込んだ。


 そして雪崩を打って押し寄せる魔術弾。最早見慣れた真っ赤な弾丸が、木々を捉えて爆ぜる音が幾重にも重なって聞こえる。


「二時方向、反撃を!」


 そう言われてブラスターガンを構えてはみるものの、分かっているのは方向だけでレニーの正確な位置は分からないのだ。


 巧妙に姿を隠した敵の対処は砲兵隊や空軍の得意技であって、歩兵一人の仕事ではないのだ。例えブラスターガンを持っていたとしても。戦争に置いて重要なのは短い棒を何人に配れるかであって、長い棒を一人に持たせたることではない。


 何発か大体の方向へ発射するが、効果はいまいちだ。一本、二本の木は撃ち抜けるが、流石にそれ以上は厳しい。恐らくレニーが潜んでいるであろう奥地には減衰してしまって届かない。


 条件は双方ともに変わらないだろうが、向こうは手数で圧倒している。銃撃戦では、単純に沢山撃てる方が強いのだ。


「囲まれた……!」


 気配を感じ、あなたは咄嗟に右手側に銃を撃った。弾丸は今まさに飛びかかろうとしていた赤い犬の胴を捉え、撃ち抜く。


 あなたは銃なのでまだ良い。しかしカレンはどうだ。伏せたままでは剣を振るえない。つまり、あなたがどうにかするしかない。


 あなたは仰向けの状態から上体を起こして状況把握、カレンは三体の赤い犬に捕捉されている。当然、差し迫った危機から撃つべきだ。


 今にも飛びかからんとしていた赤い犬に発砲、水気を多分に含んだ破裂音を聞き流し二体目を射殺――そこでグリップの上、西洋兜のスリットのようなインジケータに黄色の光が灯る。それは残弾が少ないことを示していた。


 三体目を撃とうとするが、間に合わない。赤い犬がカレンに襲い掛かる……が、カレンは見事な身のこなしで寝技に持ち込み、短剣で赤い犬の首を抉った。


「どうなってるんです!」


 飛び交う魔術弾の下、返り血に濡れたカレンが叫ぶ。


 あなたが思うに、あれは恐らくレニーの魔術によって産み出された何かだ。メイベルが病室に残した手紙が蝶になったように、魔術的に生物を造ることも可能なのではないか? そして破壊と共にその所在地を知らせるような、そんなプログラムが仕組まれているのではなかろうか。


「……私が回り込みます。援護を頼めますか?」


 可能は可能だろう。しかし、幾ら何でも危険すぎる。ブラスターガンのストックを展開してライフルモードにすれば、木々を撃ち抜いてより強力な攻撃を行える。弾薬の消費は早くなるが、まあよかろう。


 問題はカレンだ。このハードな状況下で、カレンの命に責任は持てない。


「みっつ数えたら迂回して突撃します、いいですね!」


 取り付く島もない、といった様子だ。カレンに強情な所があるのは知っていたが、何もここで発揮しなくともよかろうに。あなたはそう独りごちるが、カレンの耳には届かない。


 仕方なく、あなたも覚悟を決めた。ブラスターガンのストックを伸ばしライフルモードへ。リアとフロントを結ぶ仮想スコープが立ち上がる――

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