56.遺物と帰還と、もう一つの決着~その後
革袋の中身である聖浄殻の粉末を浴びた蜘蛛――の頭は、灰が風で散るように一気に消えた。
眼の中にいた女性の頭部も直ぐに灰となり空に吹き散っていったのが見えた。
そんな中、ひとつだけ物が残っている。
「キアオラさんの……本?」
翁が常に抱え、小屋では大事そうに手入れをしていた本が、蜘蛛糸の交差部分で微妙なバランスで落ちずに残っていた。
どうしてこれが? ……でも、キアオラさんが大切にしていた本。帰ったら一緒に弔ってあげよう。
巣を揺らさないように慎重に近付き、手に取る。
ガチッ――
ん?
わたしが本を持ち上げた途端、金属の部品が動くような重い音が……
なんだろう?
わたしが目を遣ると、鍵穴の無かった金具と本を固く閉じていたベルトが蜘蛛と同じようにサラサラと消え、手元には深緑色の“普通に見える”本が残った。
くすみのない綺麗な深緑色の本。
なんだろう、どうしようと戸惑っていると――
「お~い! オリヴィアぁー」
頭の上から声が掛かった。
フララ様!
動けるようになったんだ? と振り返ると、フララ様が飛んで下りてくるところだった。
「嘘でしょ? ちょっ、待っ――」
わたしが言葉を発するより早く、ミッシィという音を立てて巣が大きく沈み込んだ。
「あっ! あ~! フララ様ぁー!」
落ちちゃわないように、両手を忙しなく動かしてバランスを保つ……けど――
沈み込んだという事は……反動で戻るので、わたしとフララ様は大きく跳ね上げられる。
「きゃぁ~! 落ちるぅ~」
「慌てんな。ほれ、アタイの毛を掴んでアタイの背に乗りな」
跳ね上げられた頂点付近で隣にきたフララ様に、本を抱えたまま片手で掴まり、背に乗せてもらう。
何度か跳ねながら崖まで行くと、フララ様はひょいひょいと小さな足場を踏み台にして跳ねて元いた崖上に戻ることが出来た。
フララ様の背から下りて、ガクガクと震える足が落ち着くのを待つ。
「オリヴィー!」
「――っ!? エ、エドぉ~」
(オリヴィアぁー)
エドとシドも駆け付けてくれて、どっと気が抜ける。
何故かアンと遠くに下がっているはずのブッチまでもが来て、尻尾をブンブン振り回している。
エドやシドにも、ひと通りどういう戦いだったかを伝える。
「――一瞬で消えてしまったけれど、あの手足や顔って、デュルケーム一家の……キアオラ翁のご家族じゃ……?」
『その時の現場は、床に奇妙な紋様が描かれていて、その紋様の内側に、一様に“身体の一部が無い”子爵一家の遺体が残されていたそうだ』
四肢の無い男性、頭部の無い女性の遺体……
「亡くなって六十年以上も蜘蛛に囚われていたんだわ……」
「オリヴィーと銀狼様のおかげで解放されたんだよ。きっとそうさ。ところで……」
エドがわたしの手元を見ながら、「それって?」と聞いてくる。
「そうだ! フラ――銀狼様、これはどういうことでしょう?」
エドとはいえ、シドもいるし一応他者の前ということで、銀狼様とお呼びする。
―――別にこの時代になってまで名前を隠さんでもいいぞ? それで……
「それは、蜘蛛野郎が呪術について纏めていたモンだな」
遥か昔の『呪魔法が上手な“神獣”の蜘蛛』は、その見た目や呪魔法というおどろおどろしい力を持つということで、当時の人間社会に溶け込めなかったらしい。
けれど人間を愛し、人間が創り出した文字や文化に興味を持っていたそうで、蜘蛛を恐れずに接する数少ない人間の伝手で多くの書物に触れ、文字も覚えたそう。
「――で、アタイらが人間と編み出した『魔術』、野郎にとっては呪術か。それを本にしていたんだろうな。んで、神の都合で人間も知恵を減らされたんで、その本すら理解も必要ともされずに野郎はその本の中で燻ぶっていたんだろうさ」
ここからは推論だけれど、長い年月を経て知恵を身につけた人間の中から、朧気ながらもその本の価値を――力を見出した者が出て、所有・研究し、また年月を経て行使まで漕ぎ着けて天文現象も重なって起きたのが六十数年前のデュルケーム家の事件。
蜘蛛がいつから魔物へ堕ちていたかは解らないけれど、その時の呪術の行使で表に出て、一家を食べて、一番幼かったキアオラ翁に寄生か潜伏でもして、更なる力を得る日を待ったのだろうと考えられる。
その結果が今回の……
「でも、どうして本だけ残って……金具まで外れたのでしょう?」
「まっ、その辺はいくら考えても、はっきりした答えは出ねえだろ。それより……開いてみな?」
フララ様が顎でしゃくって、わたしに促してくる。
「ええっ!? わたしがですか?」
「そうだろ? アンタが手に取ったからその本が開くようになったんだろ?」
試しにエドやシドに持ってもらおうと渡しても、槍以上に重いのか、持つことも開くことも出来なかった。
嘘ぉ……わたし、片手で抱えてるんですけど……
「さっ、開いてみな」
フララ様に促されるまま、本の表紙に手を掛け、開く。開いた……
その瞬間に、頁が勝手にパラパラパラとめくられ、それと同時にわたしの頭の中にその内容が流れ込んできた!
簡単な呪術から、フララ様が閉じ込められ時間が封じられたような大きな呪術の掛け方まで、全て。
「フ、フララ様!?」
「ほぉう? オリヴィア……アンタ、呪術を使えるようになったね?」
「み、みたい……です……。なんで?」
銀狼様の片割れ――人間以上の存在になったことで呪術を扱う素地があったから、本の封が解けたり開くことが出来たのだろう、ということみたい……
「いっ! 要らないんですけどっ?! 使えなくていい、いいえ、あんな怖いものを使いたくないですぅ~っ!」
結局エドに泣きついて、この件は王家で秘匿してもらい、せめてキアオラ翁のお弟子さん達による簡単で軽い呪術研究のお手伝い程度――助言をするという方向に動いてもらうようにお願いした。
お願いエド! なんとか陛下を説得して下さい!
その後、わたし達はお兄様に伝令を出したり、目に付く範囲の蜘蛛の巣を焼き払ったりの後始末をして王都への帰路に着き、道中一泊の末に王都へ帰還した。
王都内を王城へ向かっている最中から、民衆が何やら騒がしい。
異変対応の所為かとも思ったけれど、わたし達が出る時よりも“変”な騒がしさだ。
何か酷いことが起きたのかと、王城へ向かう足を速め、王城の正門をくぐると――
「宰相……バクスター卿……」
なんとバクスター侯爵が、夫人やリーシア達子息・一族共々後ろ手に縛られ、連行されているところだった!
陛下がお調べになっていた“宰相の線”で、小屋の見張りを受け持っていた悪党から地道で綿密な捜査の結果、見事に真実に辿り着き、逃れようのない証拠まで手に入れたそうです。
更に宰相から“上”の点にまで線が繋がり、低位ながら王位継承権を有する公爵にまで累が及び、彼らも拘束されたそう……
取り調べの結果、この件は王位へ執着があった公爵が、これまた王家との縁組で権力の拡大を目論んだバクスター侯爵と手を組み、現王族を亡き者とし王位を簒奪しようとした長期に及ぶ策謀と判明した。
キアオラ翁の呪術はその一環で、その他にも多くの陰謀が巡らされていたけれど、今回で一掃されたそうです。
この事件は王都のみならず、王国全土を揺るがしたけれど、陛下とエドの両輪の活躍で解決を迎えたことで、王家への支持は盤石なものになった。
◆◆◆二か月後
我が家の庭園にエドを迎えてのティータイム。
先に小屋があった場所に建てた祠で、キアオラ翁やそのご家族、犠牲にされたブッチのお母さんや兄弟に祈りを捧げた。
「ようやく落ち着いて二人の時間を持てるわね? エド」
「うん。王国を揺るがした事件も、やっと落ち着いたよ」
騒動も終息して新宰相も決まり、弟のバートン殿下が陛下から公爵位を賜って王位継承について明確化して、これからも一丸となって国を治める体制が整って、ようやくわたしはエドとの時間を得ることが出来た。
あと槍。谷底に落ちてしまった槍。
フララ様はあの時、「別に要らねえだろ? 仮に誰かに見つけられても、誰にも扱えねえって。帰ろ帰ろ」と仰っていたけれど、やっぱりカークランド家にとって大切な物なので、数週間掛けて発見・回収しておいたの。お父様が。
「この半年は大変だったね」
「ええ。でも、以前のわたしのままエドに嫁ぐよりも、ずっとずっと晴れ晴れした気持ち、深い想いで貴方のお嫁さんになれると思う!」
「そうだね。オリヴィーがオリヴィーらしくいられるのが一番だよ。この前も伝えたけれど、公務はアン
そうなの! アンがシドと結ばれるの!
シドは子爵家の二男だったのだけど、蜘蛛討伐やそれ以前の諸々の功は公表できないので……バクスター侯爵反逆事件解決の功により、男爵位を叙爵。
我が家に近しい男爵家の長女であったアンを妻に迎えることになったの。アンも喜んでわたしを補佐してくれると言うので、本当に嬉しい!
結婚後に王太子宮殿に飾るエドとわたしの姿絵の準備も順調。
ソファに並んで座る彼とわたしの足元には、ブッチが凛々しくお座り。その隣には恥ずかしいからって後ろ向きにお座りしている銀狼フララ様。
完成が待ち遠しいわぁ~。
半年後には結婚かぁ。
その後は……新しい家族が出来たりなんかしちゃって?
あの時のマリッジブルーはなんだったのかしら?
あ~ん、こんなに幸せでいいの?
「エド? 幸せな家庭を築きましょうね!」
◆◆◆
オリヴィアがエドワードとの結婚を半年後に控え、将来に夢を広げていたその頃。
プレアデン王国のはるか東方、極東の島国からは怪鳥が飛び立ち、大海原を西へ進路をとっていた。
そして、プレアデン王国の南方には、隣接するロカバール帝国を北上する一団がいた。
帝国の更に南方に位置する砂漠の国、アカナ首長国の太子一行である。
身体の殆どを布で覆い、褐色の肌に黒くて整えられた髭と黒い瞳だけを現し、北方の国では見かけない背にコブを持つ動物に乗り、カークランド王国を目指す若き太子は、悲壮感を漂わせて呟く。
「急がねば……わが父の領土が、民が怪物に蹂躙されてしまう……。帝国にはにべも無く断られてしまったが……怪物を討ち滅ぼしたと噂のプレアデンには、なんとしても加勢を頼まねば……」
同じ頃プレアデン王国西方、大山脈の向こう側の国。
深い樹海で、多くの木々が薙ぎ倒され焼け焦げ、数百の盗賊の無残な遺体が転がる中心部。
それらを束ねていた若き長が、山のように巨大な熊の死体の頭に腰を下ろし、自らの掌を見詰めていた。
その掌からは、宙に向かって人間の子供ほどの火柱が轟々と出たり消えたりしている。
「バケモンの素材目当てに手下どもを犠牲にして、ぶっ殺してみりゃあ……なんだこの力は? 素材どころじゃねえぞ! この力があれば、団の再興なんぞチンケな些事だ。国……いや大陸ごと俺のモンにできるぞ」
長は赤い長髪を風に
他にもいくつか不穏な気配も……。果たしてオリヴィアは、半年後にエドワードとの結婚式を迎えることが出来るのだろうか?
【完】
結婚を控えた公爵令嬢は、お伽噺の“救世の神獣”と一心同体!? ~王太子殿下、わたしが人間じゃなくても婚約を続けてくださいますか?~ 柳生潤兵衛 @yagyuujunbee
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