第35話

 ユウは続ける。


「でもね、いじめは無くなっても、トラウマは消えないっていうでしょ? 駿平もそうで、奴に『なんでお前生きてんの』って言われた日のことが、ずーっと頭から離れないって言ってた。『俺なんで生きてんのかな』って急に電話が来たことは何回もあって、その度に『俺がお前に生きてほしいと思ってるから』って返してた。それで同じ大学に行こうって言って、あの大学に入ったんだ」


「そんな大変な思い、してたんですね」


「大変だったよ。大学入っても奴みたいな人間がいないかって、見るからに怯えてたし。このままじゃあいつに友達一人もできないと思って、俺が強引にサークルに誘ってさ。あと、あいつは女の子に人気あったけど、自信がないのか蛙化現象起こしまくってね。でも蛙化現象ってね、本当に好きな人に会うと克服するらしいんだ。そうやって克服できた相手こそが凛果ちゃんで、凛果ちゃんに出会ってから、駿平はものすごく変わった。自分に自信を持ち始めたし、俺に電話することもめっきり減ったし、多分、何よりも生きたいって思えてたと思うよ、あいつ」


 凛果はもう一度、手紙に視線を落とした。

 この時の駿平の字体は微かに震えていて、文字自体も小さい。トメハネがしっかりして、枠いっぱいに書く文字が特徴の大学時代の駿平とは、人が違うようにすら感じられた。


「だから死後に駿平の声を聴けてた時の曲名が『日陰の星』だったのは、死者の世界に繋がることを強調してたんじゃない? あとは、凛果ちゃんになら自分がいじめられてた過去を伝えてもいいと思ってたか。多分、答えはそんな所だと思うよ」


「シュン、思ったよりもっと強い人だった。全然、幻滅なんてしない……」


「うーん、駿平は強くはないと思うよ? 喧嘩は俺より弱いし、自分一人じゃ抱え切れないって分かってるのに苦しみを隠すし」


「え?」


「だけどあいつは、あのことがあってから、人に頼るのがうまくなったな。俺に電話してくる回数は凛果ちゃんと出会ってから減ったけど、でも相談はよくしてたよ。『照れちゃってリンにうまく好きって言えない』とか『提出前日に5000字のレポート書き上げるコツを教えて欲しい』とか」


「そんなことまで……」


「だから、あいつは俺と凛果ちゃんと一緒に強くなったのかもなぁ。人と一緒に強くなるってのも、悪くないよねぇ」


 ユウは頬杖をついて凛果を見る。


「まぁ、だからさ、凛果ちゃんもこれから強くなればいいんだと思うよ。会社で仲良しの同期の子と一緒でもいいし、何やら脈ありそうな人とでもいいし」


「ど、どういうことですか」


「これ。きっと誰かとお揃いなんじゃない? っていう、俺の勘。凛果ちゃんはモテるからねぇー」


 鞄の上の方に入れられていた、メイクポーチ。そのファスナー部分に小さなペンギンのストラップがついている。

 以前水族館に行った時、坂井とお揃いで買ったものだった。ユウはそれを指差して、一人でニヤニヤしている。


「ほんっと、ユウさん……変な所で鋭いんだから」


「当たりか。じゃあ、俺の出番はなしだな」


「えっ?」


「いいからいいから。彼も近くにいるんじゃないの? こんな所で油売ってないで、早く会ってあげなよ」


 凛果に「さぁ立って立って」と促し、玄関まで誘導していく。

 靴を履き終わって、凛果は振り返った。


「ユウさん。あの手紙……見せてくれて、ありがとうございました」


「うん。凛果ちゃんに幻滅されることなくて、多分あいつも喜んでるでしょ。あの手紙は俺が死ぬまで持ち続けるし、俺が死にたくなってきちゃったらあれを読んで生き続けるし、俺が死んだら棺桶に入れてもらって、手紙と一緒に天国あっちに行って、駿平に返すんだ。『この手紙、もうこんなに劣化しちゃったよ』って」


「うん。私もずっと心に留めておきます」


「そうしてやって。多分それが、今は一番の供養かもしれないからね」


 ドアを開け、エレベーターが到着するまでユウに手を振り続ける。


「困ったらいつでも連絡してね」とユウは言って、凛果よりさらに大きく手を振った。




 ◇




「お待たせ」


「おかえり。うまく区切りをつけられたんだね」


「え?」


「何か、清々しい顔してる」


「そ、そう?」


 所々黄色く色づいている銀杏の木の下を歩く坂井に声をかけたら、そんな返事が返ってきた。「いい顔、だね」と慌てて付け足す坂井を見たら、何だか心があったかくなってきた。凛果は小走りで坂井の左隣に寄っていく。


「本当、キャンパス広いね。入れる建物の中まで見てたら、キリがないくらい」


「あ、ここ。この右手の建物。私の学部が入ってるの」


「へぇ。ここに18歳の凛果さんがいたと思うと、何か不思議だね」


「そうだね。時が経つのはあっという間」


 土曜の夕方ということもあって、周りには誰もいない。あらかたの授業は終わったのかもしれない。

 すると坂井は急に立ち止まって、くるりと凛果の方を向いた。


「坂井くん?」


「好きです。付き合ってください」


 この前のようにお辞儀はせず、ただ凛果を見つめている。

 もう全ては終わったのだから、新しく始めるだけだ。

 坂井のメッセンジャーバッグに付けられた、小さなペンギンと目が合う。


「私も……好きです。圭太くん」


 凛果は駆け寄り、坂井を抱き締めた。

 凛果の背中に、大きな手の温かな感触が伝わった。

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