エピローグ

 月が沈みゆく毎に僕らの進路は西へ西へと遡行そこうし、視線は平行線としてフロンティアを臨み、月の位置からこの旅の終わりが始まっていることは分かり、スマホで時刻を確認してみて、月は朝が来る前に沈むのかと、感心して納得しかけるも、愚鈍な頭であっても朝から昇り始める月もあるだろうとそれを拒絶し、単に今朝の月は朝が来る前に沈むのかと妙な決定をして、それが妙な得心であることにもまま気が付かぬまま、緩やかな蛇行描いて下る山岳道路は幹線道路なのか整備が行き届き車道も広く安心してハンドルを任せられるが、時間帯のせいだろう、他の車は一台も見かけず、右は山肌として鬱蒼と繁り、左は開けて黒い空に風に煽られ瞬く満天の星々があるが一晩も見れば感動する気力もなく、観察する期待も湧かず、手持ち無沙汰にカーナビをズームアウトさせ、この道の先には名も知らぬ港町があると分かって、海のあたりがおそらく終点となるのだろうかと、合点いると瞼がぐっと重たくなり、確かに疲れているが語られないこの旅の訳は聞かず、その決意に気付いていながら莉茉も何も言わず、言わないことを根拠として推理してみるにこれは何かの逃避行であろうかと了解し、謂れとして想起されることに、莉茉は卒業以降会うたびに学生時分の輝きは萎み、手足は痩せ細り皺が増え、いつもひまわりのようであった笑顔も、いつのまにか晩夏の陰りを帯びるようになり、院に進学してモラトリアムを継続させている僕の目に、社会とは人を縛り人から何かを奪うところなのだろうと認識させる力を持ち、未だ学生である負い目から莉茉や他の同期の者たちに自分から声を掛けることを躊躇うようになり、それでこの一年近く莉茉とも顔を合わせなかった訳だが、もう昨晩になるのか、連絡を受け久しぶりに会った莉茉はいつかの輝きを幾らか取り戻しており、むしろ今の方が輝き以上の迫力を伴っているように思え、しかし莉茉は核心に至るような近況を話さず避けているようで、またそれも尋ねることはせず、いよいよ車は山を下りきり、月はそこらの民家でさえその下部を遮られるほどに低くやや黄赤色にほとばしり、きっと眠りはしまいと両の太腿を抓って堪え、町には一足はやく朝の気配が届いており薄明の時間がすでに始まり、色彩らが夜闇からやや戻りすべてはグレー調に色づき、絵に描かれているような不自然さと親しみ深い景色となって、車は迷い無く町を突き進み間も無く海岸まで突き当たると駐車し、僕らは車をあとに堤防を降りて砂浜から、うすやみの海から白玉が浜辺に打ち上がってたゆたい消えの音に耳すまし、莉茉が半歩先を歩いて波打ち際まで歩み寄ると、月は水平線にて留まり、澄んだ海は光の道を浮かべていた。

「きれいだね」

「うん。ほんと」

 黙って立って見ていると、月は輪郭を和らげ歪み、みるみると水平線に吸い込まれてゆく。光の道も朧となって掻き消えた。ランプが消されたかのように辺りは俄かに暗くなり、また心持も静かになった。朝の気配はまだ弱く、夜に掲げられた月が退場したこの合間が、一等寂しい時間なのではないだろうか。莉茉の顔を覗こうかと思ったが、先に莉茉の声が掛かった。

「私ね。結婚するの」

 定かでない。言葉とすることは到底できない。できるとするならばそれは、僕と莉茉の出会ってからのこの六年近い月日の物語を語り尽くすことでようやくだろう。衝撃は僕をしゃがみ込ませた。見えるものは一瞬で乳白色の砂で一面となった。続く言葉は精一杯のプライドが支えて出たものだった。

「おめでとう」

 声となっていたかは分からないが莉茉は聞き取ったのだろう、「ありがとう」と答えていた。あっけらかんとした答えだった。不思議ではあるが、それで何だかどうでもよくなった。十分にも思えた。僕はしゃがみ込んだまま尻餅をつき、砂浜に大の字になって仰向けに転がり、遠くに向けて、

「あーあっ。馬鹿だなあ。好きだったのに。もっと早く言えばよかった」

「ほんとだよ。もっと早く言ってれば変わったかもよ」

 けたけたと笑う莉茉に釣られて僕も笑った。仰向けになっていたからか、息が吸いづらく、それでも笑った。

 莉茉はそこに立ったまま、姿は視界に入らず声だけが上から届き、また大学時代の思い出話となった。いつ僕が莉茉を好きになって、莉茉に彼氏ができたと聞いたときの気持ちなんかも自然と言えた。莉茉は笑って聞いていた。僕が好きでいるのかもしれないと感じたことはあったけど、そんなに早くからだとは知らなかったと驚いてもいた。莉茉が彼氏と別れた理由が僕だったと初めて聞けた。僕のことを楽しそうに語るのが彼氏にしてみれば面白くなかったそうだ。そうじゃないかな、そうだといいなという期待はあったけど、口にしたことはなかった。

「そろそろ帰ろっか」

「うん」

 莉茉が一人先に車に向かって歩いて行くのが分かった。真上の空はちょうど朝と夜の狭間、混ざり合わずに隣あい滑らかにほどけあって、朝とも夜とも呼べない空模様は朝と夜で、きっと莉茉の歩いた先には朝が見えていて、立ち上がって海を見ればまだ夜が残っているのだろうと思ったけど、僕はすぐに立ち上がることはできなかった。

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ゴールデンムーン 杜松の実 @s-m-sakana

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