『こいこい』

「あれ……ここ何処だ?」


 気がつくと、見知らぬ教室にいた。誰もいない部屋の真ん中で、小夜子はふと顔を上げた。


 どうしてこんなところにいるのだろう? 確か……。


 確か、さっきまで何となしに、廊下をブラついていたはずだ。裏庭で煙草を吸っているところを、湯上谷先生にしこたま怒られて、仕方なく隠れる場所を探している途中だった。


 とにかくこの学校、魔法の抜け道や秘密の通路が多すぎて……鏡が入り口になっていたり、絵画がぱっくりと開いて突然道が現れたりする……校舎全体がまるで迷路のような造りになっていた。


 小夜子は苦笑いを浮かべた。まさか真昼間から、自分の通う学校で迷子になるなんて。

 ポケットから潰れた箱を取り出し、2本目に火を点ける。煙草を咥えたまま、狭く、薄暗い教室の中を見回した。


 床から天井、壁まで全部木造の、今まで見たことない古い教室だった。室内はシン……と静まり返っている。さっきまで、廊下でごった返していた生徒たちの喧騒は、まるで聞こえない。電気は消えていて、日差しもない。巨大な窓を覆う白いカーテンが、風も無いのにひらひらと揺れている。机や椅子の類もひとつもなかった。代わりに、教室には、前の黒板も見えなくなるくらいにごちゃごちゃと荷物が積み上げられていた。


「何だここ……物置か?」


 どうも、頻繁に授業で使われているような形跡はない。小夜子は手元にあった木箱を取り上げた。見るからに年季の入った、古い木箱だ。すると……


「ああ〜ッ!?」


 突然室内に大声が響き渡り、小夜子はビクッと体を跳ね上げた。慌てて振り返ると、いつの間にか、見知らぬ女の子が小夜子のすぐ後ろに立っていた。


「な……!? 誰だお前!?」

「お姉ちゃん、そのゲーム好きなの?」

「は?」


 まるで日本人形のような……小柄で、おかっぱ頭の、あどけない童女だった。見たところ、莉里よりも年齢は下かもしれない。浴衣姿の女の子が、小夜子の持っていた木箱を指差した。


「それ!」

「あ? ……あ」


 小夜子が目を移すと、いつの間にか、彼女の手の中で木箱が花札の束になっていた。


「何だこりゃ……?」

「花札よ。お姉ちゃん、花札好きなの?」

「いや、ルールすら知らねえ」

「やろうよ!」

 童女がその場でぴょんと跳ねた。

「知らねえって言ってんだろ」

「いいから! いいから!」

「何なんだよお前……ここ、おもちゃ箱か?」


 よくよく見ると、積み上げられた箱の中身は羽子板だったり、ベーゴマ、かるた、将棋……など、様々な遊具が入っていた。ぽかんと口を開ける小夜子を尻目に、童女は嬉しそうに畳の上で札をかき混ぜ始めた。小夜子が再び振り向くと、教室は和室になり、二人とも畳の上にいたのだった。


「……魔法かよ!」

「魔法学校です」

「てことは、お前、ここの生徒か?」


 この学校に年齢制限はないが……恐らくこの空間自体が、何らかの、この童女の魔法なのだろう。蜘蛛の巣に絡み取られる獲物のように、小夜子は知らず識らずのうちに巻き込まれてしまったのだ。後悔したが、もう遅い。散々調べて回ったが、現れた和室に出口はなかった。


「ねえ! 花札しよ!」

「ハナフダァ?」


 相手を自分の空間に閉じ込める魔法。どうやら此処から出るには、ゲームをする他ないようだ。小夜子は仕方なく、畳の上に胡座をかいた。正座して待っていた童女が、嬉しそうに、にっこりとほほ笑んだ。


「お姉ちゃんが親ね」

「だからルール知らねえって……」

「一枚一枚、めくっていくのよ」


 それぞれ目の前に並べられた、裏向きの、八枚の札。

 中央の場の八枚と、役を揃えてポイントを争うらしい。良く分からないが、ポーカーや麻雀のように、如何にして強い役を揃えるか……というゲームのようだ。


「そういや、名前なんてんだ?」

「あたし? あたしはハルミ」

 おかっぱ少女がぱあっと顔を輝かせた。

「……ね? どの札にする?」

「…………」


 何処からか睡蓮の香りがする。ハルミと名乗った童女の、艶やかな黒の瞳にじっと見つめられ、小夜子は一瞬息が詰まった。小夜子は小さくため息をつき、とりあえず右端の一枚を捲った。


 現れたのは、『猪』の絵が描かれた札だった。


「わぁ、お姉ちゃんっぽい!」

「……バカにしてんのか?」


 中央の場に『猪』の札はなかった。同じ札が揃うと合札になり、その札を取れる。その後ハルミが捲ったのは、『鶴』の札だった。合札。そして札を捲り続けて、訳の分からないまま、一回戦はハルミの勝ちとなった。浴衣姿の童女が、まん丸の目をさらに丸くした。


「お姉ちゃん弱〜い!」

「バカにしてんのか!」


 勝負事となると血が騒ぐのが小夜子の悪い癖だった。そのままあれよあれよと10連敗し、小夜子はイライラと髪を掻き毟った。


「何だよこのゲーム! つまんねえ!」

「勝てないからって、当たっちゃダメだよぉ」

「あーもう! もう一回だ!」

「お姉ちゃん、ギャンブルとかで破滅するタイプだね」


 童女が小夜子をじっと見上げて小首を傾げた。


「たばこ、吸わないの?」

「あ? ……いや」


 さっきから負けっぱなしで、膝をゆすりにゆすりまくっているというのに、次の一本には手を出していない。さすがに目の前に幼子がいるので、小夜子も遠慮していたのだった。ハルミが嬉しそうに目を細めた。


「優しいんだね」

「……次言ったらはっ倒すぞ」


 クスクスと笑うおかっぱ少女を睨んで、小夜子が乱暴に次の札を捲った。


 現れたのは、何も書かれていない、紅い『短冊』の札。


 晴海がその札をじっと見つめ、声を落とした。


「ね? お姉ちゃんの『願い事』ってなに?」

「は? 『願い事』?」

「どうしてそんなに魔法少女になりたいの? お姉ちゃんは魔法少女になって、?」

って?」


 小夜子は『短冊』の札を取りながら首を捻った。


「さぁ……あんま考えたこともなかったな。でも、なりたいからこの学校にいるんだろ? お前だって」

「お姉ちゃんにとって、魔法少女って、なに?」

「なに??」


 いつの間にか、ハルミの人形のような顔が小夜子の目と鼻の先にあった。小夜子は思わず身を引こうとして、その黒の瞳に視線を吸い込まれ、動けないでいた。


「なに? 魔法少女ってなに??」

「なに、って……」

「なに? お金? 血筋? 数字? 魔法少女に大事なものって何なの?」


 ハルミがまた一歩近づいてきた。吐息が肌にかかる。もう、鼻と鼻の先がくっつきそうだった。


「容姿? 人柄? 才能? 何が魔法少女を魔法少女たらしめるの??」

「いや……だから考えたことねえって!」

「考えた方が良いよ。そのうち聞かれるから」

「誰に?」

「自分に」

 自分自身に。ハルミがにっこりとほほ笑んで、小夜子の胸の真ん中をトンと指で小突いた。

「…………」


 ……何かの謎かけ、これも何かの魔法だろうか? 


 小夜子が口を開こうとした、その瞬間、

「はい! あたしの勝ち〜!!」

「え? ……あ!」

 突然ハルミの大声が耳元で轟き、小夜子は我に返った。

 幼子の満面の笑みが目の前で花開く。彼女の手元に並べられた、『芒に雁』、『桐に鳳凰』、『牡丹に蝶』、鮮やかな花札の数々……。


「ね。これ、あげる」

「あ??」


 ハルミが一枚を拾い上げた。彼女が小さな手のひらで差し出したのは、先ほどの、『短冊』の札だった。

 

 まだ何も『願い事』が書かれていない、紅い、『藤に短冊』の札……。


「なあ、おい……」


 小夜子が顔を上げると、目の前から童女の姿は消えていた。和室も、ない。古びた教室ですらなく、気がつくと小夜子は校庭の片隅の、白いベンチに座っていた。


「……魔法かよ!!」


 手に残された『短冊』の札を見つめて、小夜子は目をひん剥いた。ベンチの横を、風に乗って、睡蓮の香りが通り過ぎて行った。

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