五、地上へ②―ミナカタの相談にスサノオは何を語るのか?―

「…はあ、はあ、はあ、はあ…」


 ミナカタは立ち止まり、両手を膝につく。ここまで止まらずに、走ってきたため、ずいぶん息が乱れてしまった。

 こんなに疲れるほど全力で走ってしまったのは、ひとえにスサノオと二人きりになることの緊張状態から逃れたかったがゆえである。


 スサノオとは出会ってから今までにずいぶんと長い時間を共に過ごしているのだが、いまだに話すときには緊張してしまう。

 スサノオには普段から気軽に話すのは難しい雰囲気というものがあると、ミナカタには感じられるのである。


 ようやく息が整ってきたミナカタは顔を上げる。


 ここはスサノオがよく一人で考えごとをしに来る高天原の外縁部である。

 ミナカタも以前に何度か、スサノオがここで一人遠くを眺めながら、考えごとをしていたのを見かけたことがある。

 遠くには地上の山並みも、森も、海も見渡すことができる。

 その景色はスサノオが気に入るのも納得のすばらしいものである。

 ミナカタもこの絶景にしばらく見入る。


 おそらくスサノオがここにやってくるまでにはしばらく時間がかかるだろう。

 何しろ自分はここまで全力で走ってやってきたのだ。

 それに比べてスサノオはおそらく走ってやってきたりしないだろうし、ひょっとしたら一度家に帰ってから来るかもしれない。


(…まあ、もうしばらくこうしていよう…)


 そう思いつつ、ミナカタはじっと遠景を見る。


 晴れ渡った空に、この雄大な眺め。

 この景色を見ていると、下手をすれば今ニギハヤヒによって高天原が混乱させられていることすら忘れてしまいそうになるほどである。

 それはミナカタの乱れた気持ちをも自然と落ち着かせていく。


「なかなかいい眺めだろう?」


 ミナカタは背後からよく知っている声が聞こえたため、慌てて振り向く。


「待たせたな」


 そう言って、全身の毛が白く染まっている男はミナカタの肩を右手で叩きながら、にやっ、と笑う。


 どうやらミナカタがぼんやりと景色を眺めている間に、かなりの時間がたっていたらしい。


「とりあえず座ろうではないか」


 そう言うと、スサノオは地面の草地に腰を下ろす。


 それに従い、ミナカタも地面に腰を下ろす。


 そして二人とも座って、遠景を眺める形になる。


「ところでお前の“話”というのはなんだ?」


「…えっ、あっ、ああ…」


 突然スサノオが現れたために、ミナカタはすっかり気が動転してしまう。そして元々は自分が話があると言ってスサノオを呼び出したことを思い出し、慌てる。


「…話っていうのは、…ニギハヤヒのことなんだ…」


「ニギハヤヒ、…そういえば貴様はニギハヤヒと仲がよかったようだな」


「うん、そうなんだ。それで…」


 ミナカタは自分の知るニギハヤヒに関する全てのことを話した。


 ニギハヤヒとの出会い、それからお互いに話したこと、そしてニギハヤヒが高天原からいなくなる前日に自分に話したこと、それら全てである。


 そうしてそれら全てを、今日の会議で話す勇気が出なかったことも正直に打ち明けた。


 ミナカタが話をしている間、スサノオは一切口を挟むことなく、じっと話を聞いていた。


 そしてミナカタが話を終わったあと、少し間を置いてからスサノオは口を開く。


「…ふうむ、まあ貴様がニギハヤヒのことを皆の前で話さなかったことを気に病む必要はないな」


「…そうかな…」


 スサノオの言葉を聞いてもまだ不安そうなミナカタにスサノオは続ける。


「残念ながらお前の話を聞いても、タカギやオモイカネが考えを変えることはないだろうからな。もはやニギハヤヒが高天原の宝を外に持ち出したという事実は揺るがない。それはニギハヤヒにどのような事情があったか、などといったこととは一切関係ない“許されざる罪”だ。それゆえにこのあとニギハヤヒの行方がわかり次第、あの男を討伐する命令が下されるのは確実だ」


「…そうか…」


 スサノオの言葉にミナカタは改めて重い現実を突きつけられる。


 やはりスサノオに頼っても、ニギハヤヒを助ける手段は見つからないのだろうか?

 もうニギハヤヒを救うことはあきらめるしかないのか?


「…貴様、ニギハヤヒを助けたいのか?」


 ミナカタの考えていることを見透かすようにスサノオが言う。


「…あ、ああ、確かにあいつはとんでもないことをやったけど、悪いやつじゃないんだ」


「…ふむ…」


 ミナカタの言葉を聞くと、スサノオはしばらくの間考えたあと、再び話し始める。


「おそらくこのスサノオと貴様はこのあとニギハヤヒを討伐するために、地上に降ることになるだろう。その時にあの男と戦うことになる可能性は否定できん。そしてその過程でニギハヤヒが命を落とすこともな。いわゆる“不可抗力”というやつだ。貴様も一度地上で経験したことがあるから多少はわかるだろう。戦場では何が起こるかわからない。そこで起こることを全て予測することはこのスサノオにも不可能だ」


「…確かに、…そうだよね…」


 ミナカタはスサノオの言葉を聞いてさらに気持ちが沈む。


「ふん、何を落ち込んでいるんだ!」


「えっ!」


 突然スサノオはミナカタの背中をばん、と叩く。


「確かにニギハヤヒの命を救うのは容易なことではないやもしれぬ。だが絶望的というわけでもあるまい」


「…え、…ま、まあ…」


「貴様にはあの男を助ける機会が必ずあるはずだ」


「…え、どうやって…?」


「どうやっても、こうやってもない!その機会は他でもない貴様自身が作り出すんだよ!そしてそのためには貴様自身が必ずニギハヤヒを救えると信じることだ!そこから全てが始まるんだよ!」


「…そ、…そうか…」


 確かにスサノオの言う通りだ。肝心の自分がニギハヤヒを救えると信じれないようでは、救えるものも救えなくなる。

 とにかく今は、ニギハヤヒは必ず助けることができると信じるしかない。


「…う、うん、スサノオ様、ありがとう…」


 ミナカタはスサノオに礼を言う。そんな言葉にスサノオはフン、とだけ答える。


「…ところでミナカタよ、話は変わるが…」


「えっ、…な、何?」


 突然話題を変えようとするスサノオに、ミナカタは戸惑い気味に答える。


「ニギハヤヒは高天原が退屈だと思っていたらしいが、お前の方はどう思う?」


「えっ、…俺は…」


 いきなりのスサノオからの質問にミナカタは困惑しながらも答える。


「…俺は、…正直高天原は退屈だと思う。ここじゃあ本当に面白いことが何もないよ。だからニギハヤヒが地上に行きたがった気持ちもよくわかるんだ。もちろんだからといってあんなことをしようとは思わないけどね…」


「…フン、このスサノオも昔はそう思っていたよ」


「えっ、そうなの?」


 スサノオの言葉にミナカタは驚き、思わずスサノオの顔を見てしまう。


「そうさ。貴様もいくらか話を聞いたことがあるかもしれんが、このスサノオがまだ若いころに、この高天原で大暴れしたことがある」


「うん、その話なら少し聞いたことがある」


「ふむ、その時はまさに貴様やニギハヤヒと似たような心境だった。高天原は本当に下らない世界でぶっ壊してやりたいと思ったものだ」


「…そうなんだ…」


「ただ、あれから長いときを地上で過ごした後に改めてもう一度ここに来て、かなり心情が変わったのだ」


「えっ、…どういう風に…?」


「ふむ、この高天原の“退屈”、つまり一切変わることがない世界というのも、それはそれでいいものなのではないか、ということだ」


「…何も変わらないことがいいこと…?」


 スサノオの言うことはこれまでミナカタが考えてもみなかったことである。


「そうだ。今日という日と全く同じ日が明日も明後日も、そして一年後も続く。だからこそ己のやるべきこと、やりたいことに周囲の環境に惑わされることなく集中できるというわけだ。地上ではそうも行くまい。時が流れればいずれ年を取り、周囲が己に求める役割も変わっていく。それに己がやりたいことをしたいと思っても、環境がそれを許さぬときもある。例えば食料がなくなれば地上ではそれを確保することが何より優先されるし、突然自然災害が起これば、当然己の身を守り、さらに周囲の者たちを助けることが最優先だ」


「…そうか…」


「ふん、今はわからないかも知れぬが、いずれ貴様にもわかる時が来るさ」


「…そうかな…?」


「ああ、いずれわかるようになる。…さてと、貴様の方はもうこれ以上話はないか?」


「うん、もうないよ」


「そうか、とりあえず貴様がやるべきことはニギハヤヒをどうやって助けるのかでも考えておくことだ」


「…えっ、でもニギハヤヒと俺が出会うのはまだまだ先の話じゃ…」


「たわけが!時間がある今のうちに考えておかないと、いざという時に何もできんぞ!どうせ貴様は退屈なんだろう?」


「…う、うん、…まあ…」


 ミナカタは突然スサノオに怒られ、驚き、戸惑う。


「だったらせいぜい中身のない頭でも使って考えろ!貴様はニギハヤヒがどんな価値観を持っている男か熟知しているはずじゃ!そこに手がかりが必ずある!必ずな!」


「わ、わかったよ!」


「ふん、わかったのならもういい。では先に帰るぞ」


「う、うん。ありがとう、スサノオ様」


「…そうだ、最後に一つ貴様に言っておきたいことがある」


 スサノオはいったん家に帰ろうとしてミナカタに背を向けかけて、再びミナカタの方に向き直る。


「なっ、何?」


 ミナカタはついさっき怒られたばかりということもあり、思わずビクッ、とする。


「ニギハヤヒに地上に降りることを持ちかけたやつ、確かナナシヒコとか言ったか?」


「うん、そうだよ」


「そやつは間違いなくただ者ではない。ニギハヤヒなんぞよりはるかにやっかいだぞ」


「…う、うん、確かに怪しいやつだよね」


「怪しいやつ、程度の話ではない!」


 スサノオはその表情に険しさを増しながら、きっぱり言う。


「やつはたった一人で高天原に潜り込み、その姿を誰にもさらすことなく、巨大な岩とニギハヤヒたちもいっしょに連れて脱出した。こんな芸当ができるやつなどそうそういるものではない!」


「そ、そうか…」


 ミナカタはスサノオのあまりの迫力に圧倒される。


「とにかく今回の地上での戦いは前回以上に危険なものになるのは間違いない。そのことは頭に入れておけ」


「わ、わかったよ…」


 それだけ言うと、スサノオはミナカタを残し、その場を去るのだった。

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