七柱記―それは神々と鬼たちとの戦い。書物では決して語られることのなかった日本の神話の裏面史である―【カクヨムコン8版】

七柱雄一@今までありがとうございました!

オープニング

プロローグ①―“前進勝利”との遭遇!そのときコトシロヌシは何を目撃したのか!!―

「うわああああーッ!」


 コトシロヌシは真っ暗な洞窟の坂をただひたすら転げ落ちる。

 まさか海上にぽっかりと開いた穴の中に落ちたとたん、このようなことになるとは!

 コトシロヌシにとって完全に想定外の状況である。


(…いったいいつになったら止まるんだ…!)


 コトシロヌシは全身に痛みを感じながら思う。

 無論この状態では確認することなどできないが、もうすでに全身傷だらけでもおかしくないと思われるほど体が痛い!

 坂の傾斜は思いのほかきつく、その上に長い。

 そのためいつまでたっても止まる気配が全くない。

 さらに周囲は暗闇に包まれているために、どこが洞窟の底なのかを確認することも叶わない。


(…ああああ…)


 コトシロヌシは次第に意識が薄れていくのを感じる。

 もはや本来体にあるはずの痛みという感覚すら消失しつつある。


(……)


 ついには、コトシロヌシは意識を失うのだった。



(…ゼンシン…)


(…ゼンシン…?)


(…ショウリ…)


(…ショウリ…?)


 ぼんやりとした意識の頭の中で不思議な声が響き渡る。


(…ゼンシン、…ショウリ…)


 それはコトシロヌシの頭の中で何度も何度も、繰り返し繰り返し響き渡るのである。


(…ゼンシン、…ショウリ、…ゼンシン、…ショウリ…)


 その声は永遠に続くかと思われるほど何度でも何度でも響き続ける。

 それはまるで何かの呪文のようにコトシロヌシの頭の中で鳴り響き続けるのだった。


「…ハッ!」


 コトシロヌシは意識を取り戻すと同時にガバッ、と上体を起こす。


「…ここは…?」


 コトシロヌシは周囲を見回してみる。暗闇にそれなりの時間いたために、目はある程度慣れている。


「…岩ばかりだな。まあ、洞窟の中だから当たり前か…?」


 コトシロヌシは辺りを見渡しながらつぶやく。


「それにしてもここに来てからどれくらいの時間が経っているんだろうな…?」


 それは長かったようにも思えるし、短かったようにも思える。

 いずれにせよ、今のコトシロヌシは客観的な時間の感覚などすでに消失してしまっている。


「…それにしてもここはどこなんだろうな?」


 ここに来る直前、オモイカネとミナカタに追いつめられたコトシロヌシはかつてワタツミにより教わった“呪法”を使った。

 すると不思議なことに海上に青柴垣で囲まれた黒い穴が生じた。

 その穴は底がまったく見えない、本当に不気味にぽっかりと口を開けた代物だった。

 しかしそのときオモイカネたちによって追いつめられていたコトシロヌシには選択の余地などありはしなかった。

 コトシロヌシは思い切ってその穴の中に飛び込み、ここまで来たというわけである。


(…ゼンシン、…ショウリ…)


「…まただ!」


 意識を失っている間に聞こえた例の不思議な“呪文”がまたも聞こえてくる。


「…いったい何なんだ?…それにしても…」


 以前にこの声が聞こえてきたときは気を失った直後だったのでひょっとしたら幻聴か何かなのかとも考えられた。

 だが―。


「…これは空耳などではない。確かに聞こえている…」


 そんなことを考えながらふと穴の奥の方を見てみると、何かがぼんやりと淡い光を放っているのが見える。


「…なんだ、あれは…?」


 その光は生き物の気配すら感じられないこの洞窟にはおおよそ似つかわしくないものである。


「…こんな洞窟に光るものが…?」


 光が見えるのはコトシロヌシがここまで転がってきた坂とはちょうど真反対の方向に当たる。


「…そう言えば…!」


 コトシロヌシはしばらくの間、自分の頭の中で相変わらず響き渡っている声にじっと耳を澄ましてみる。


「…ひょっとしてあちらのほうから聞こえてきているのか…?」


 冷静に考えれば頭の中で響いているはずの声があちらの方から聞こえてくることなどありえない。

 それでもコトシロヌシにはなぜかそう感じられるのである。

 あちらの光から“ゼンシンショウリ”という言葉に込められた強い意志、信念のようなものが。


「…よし、とにかく行ってみるか…」


 しばらくの間光の方を見つめたあと、意を決してコトシロヌシは光のある方向へと歩き始めるのだった。



「…なんだ、これは…?」


 “光”のすぐそばにたどり着いたコトシロヌシは思わずつぶやく。


「…こんなものが光る…?」


 そう言いながらコトシロヌシは“光の源”をまじまじと見つめる。

 それは肉の塊。

 球体状で背丈はコトシロヌシの腰の高さほど。

 赤黒い色をしており、それが淡い光を放っているのである。

 こんな不気味極まりないものが“光源”の正体なのである。


(…ゼンシンショウリ!)


 ここに来るまでにもずっと聞こえてきていた声が突然今までで一番強烈な響きで、コトシロヌシの頭の中で響き渡る。


「…なっ!」


 そのあまりにも強烈な響きに、思わずコトシロヌシは後ずさってしまう。


「…確かに…」


 確かにその声はこの目の前の“光源”から発せられた。

 あり得ない、絶対にあり得ないはずなのだが、なぜかコトシロヌシにはそうとしか思えないのである。


(…ダレダ…?)

「えっ?」


 突然聞こえた何者かの声にコトシロヌシは思わず周囲を見回してみる。


「…誰もいない…」


 しかしコトシロヌシがいくら周囲を見回そうとも、近くに喋ることができそうな存在を確認することができない。


(…オマエハダレダ…?)

「まただっ!」


 コトシロヌシは、今度は辺りを歩き回って必死に声の主を“捜索”する。


「…やっぱり誰もいない…」


 しかしいくら探そうとも辺りには人っ子一人見当たらない。


(…ワタシハココダッ!)

「えっ!」


 次に声が聞こえたとき、コトシロヌシは思わず“あれ”の方を見る。


「…ひょっとして…」


 いくら探しても周りに何もいない以上、もはや目の前の“肉の塊”が自分に話しかけている以外の可能性は考えられない。


(…ソウダヨ、コノワタシガオマエニハナシカケテイルノダヨ)

「そんな!どうやって!」


 コトシロヌシは当然の疑問を口にする。

 目の前の肉の塊は人間で言うところの“口”に当たるものが存在せず、音声を発せられるとはとうてい思えない。


(…クックックッ…、ソレハナ、オマエノココロニチョクセツカタリカケテイルカラダ!)

「心に直接語りかける!…そんなことが…?」


 “肉の塊”の言葉にコトシロヌシは驚愕きょうがくする。


(フッハッハッハッ!ナンダ、ソンナニオドロイテイルノカ?)


 コトシロヌシがびっくりしていることを知ると、“肉の塊”は愉快そうに笑う。


「…あ、…あなたはいったい何者なんだ…?」

(ハハッ、ワタシガナニモノカダッテ!)


 いぶかしげに尋ねるコトシロヌシに“肉の塊”は相変わらず楽しそうに言う。


(ワタシノナハ“ヒルコ”!)

「ヒルコ!あなたがワタツミ殿が言っていた…」

(ワタツミダト!)


 ワタツミの名を聞いたとたん、ヒルコの口調が厳しいものになる。


(アヤツメッ!コノヒルコヲコンナトコロニトジコメオッテ!)


 さらにヒルコはワタツミをののしり始める。


(リョウシンニモステラレ、ソシテサラニハワタツミニマデ!アアッ!コノヒルコノイッショウハナニヒトツオモイドオリニハナラヌッ!コレトイウノモコノヒルコノアシガタタヌカラッ!ソシテチカラガナイカラダッ!)


 ヒルコは自らの運命を呪う言葉を並べる。


(アアッ!チカラガホシイッ!チカラガアレバッ!ナニユエコノヒルコハコンナニモムリョクナノダッ!)


 ヒルコはなおも己の境遇を嘆き続ける。


(チカラヲテイニイレルタメニハナントシテデモ“ゼンシンショウリ”ヲナシトゲネバナラヌ。ゼンシンショウリ、ゼンシンショウリコソガスベテナノダ!)


「…前進、勝利…」


 それはコトシロヌシの頭の中で嫌になるほど響き続けていた言葉である。

 やはりヒルコこそがこの言葉を発した主なのだろうか?


「…ヒ、…ヒルコ殿…?」


 そんなヒルコにコトシロヌシは恐る恐る話しかける。


(…ソウイエバオマエハナニモノダ…?)


 話しかけられたヒルコは再びコトシロヌシに興味を移す。


「…私の名はコトシロヌシです」

(…コトシロヌシ、フウム…。オマエハドウヤッテココマデキタ?ココニクルノハケッシテヨウイデハナイハズダ。ゲンニココニトジコメラレテカラココマデコレタノハオマエガハジメテダ)

「はい、ワタツミ殿より教わった“呪法”を使って…」

(ナントッ!アヤツノチカラヲカリテココマデ!)

「ええ、ワタツミ殿は私にあなたの封印を解く呪法を授けて下されたのです。おかげで今私はここに…」

(…フム、ソウイウコトカ…)


 コトシロヌシの言葉を聞いたあと、ヒルコは沈黙する。どうやら何事かを考え込んでいるらしい。


(…ソレニシテモナニユエコノヒルコニアイニ、コノヨウナトコロニマデワザワザキタノダ?コンナトコロニマデハルバルクルカラニハナンラカノモクテキガアルハズダ)

「はい、そのことですが…」


 コトシロヌシはここに来るに至った経緯をヒルコに説明する。

 ワタツミの宮に行ったこと。

 ワタツミからヒルコの封印を解く呪法を授けられたこと。

 出雲が高天原の者たちに“国譲り”を迫られ、彼らから逃れてここまで来たこと。

 そして最後に訴える。


「私はあの者たちから、高天原の手の者たちから出雲を取り戻したいのです!あの者たちはある日突然我々の前に現れ、全てを奪っていきました!これは許しがたい暴挙です!」


 さらにコトシロヌシは強くヒルコに訴えかける。


「私はなんとしても出雲を取り戻したい!この中津国において最も栄えた国“出雲”を!」


 そして最後に懇願する。


「ヒルコ殿!私の願いをかなえて欲しい!そのために私はここにわらにもすがる思いで来たのです!あなたこそがこのコトシロヌシに残された最後の希望だ!」

(……)


 コトシロヌシが話し終えると、ヒルコはしばらくの間沈黙する。そして―


(…クックックックッ…)


 なぜか唐突にヒルコは笑い始める。


(…ハーッハッハッハッ…!)

「…なっ…?」


 ヒルコが突然大笑いをし始めたことは、先ほどまで真剣に話をしていたコトシロヌシをも大いに戸惑わせる。


(…ハッハッハッハッ…。キニイッタゾ、コトシロヌシヨ)

「…えっ…?」


 なぜいきなりヒルコがこんなことを言い始めたのか理由がわからず、コトシロヌシは困惑する。


(…クックックッ、ツマリオマエハイズモヲウバッタタカマガハラノモノドモニフクシュウシタイノダロウ?)

「…復讐…?…まあ…」


 いきなり復讐という物騒な言葉を使われたことにコトシロヌシは当惑気味に言葉を濁す。


(…ハハッ、コノヒルコ、ソノカンガエカタハスキダ。ダレカニフクシュウシテヤリタイ。スベテヲウバッテヤリタイ。リフジンナシウチヲスルモノタチニタイスルイカリ。ワリニアワナイアツカイヲスルモノタチヘノニクシミ。ソレコソガツヨイチカラヲウミダス。ツヨイチカラノミナモトニナリウル。“ゼンシンショウリ”ノタメニハソウイッタモノモヒツヨウダ!)


 ヒルコは突然じょう舌になり、まくし立てる。


「…そう言えば一つ聞きたいことがあるのですが…」


 “前進勝利”という言葉が出てきたところでコトシロヌシは思い切ってヒルコに聞いてみる。


(…ナンダ?)

「ここに来てからずっと“前進勝利”という言葉が私の頭の中で響いているのですが、もしやあなたが…」

(ソウダ!)


 ヒルコはコトシロヌシの質問に間髪入れずに即答する。


(コノヒルコハ“ゼンシンショウリ”スルタメニコノヨニウマレテキタ!“ゼンシンショウリ”コソガコノヒルコノコンポンリネン!)


 ヒルコは再びじょう舌になる。

 その響きはもはや“絶叫”と言ってもよいものである。


(…オオッ、ソウイエバ…)


 ヒルコはふと我に返ってつぶやくように言う。


(…ツイコウフンシテオマエニタノミノコトヲワスレテイタ…)


 そう言うと、ヒルコはクククッ、と笑う。


(…ククッ、イイダロウ…)

「えっ、それでは…」

(ソウダ、オマエノネガイヲカナエテヤル)


 ヒルコはコトシロヌシの“頼み”を了承したとはっきり言う。


(…タダシジョウケンガアル…)

「じょ、…条件、…それはいったい…?」


 ヒルコの突然の言葉にまたもコトシロヌシは困惑する。


(オマエニハコノヒルコニスベテヲササゲテモラウ)

「…全てをささげる…?」

(ソウダ。オマエノミモココロモ、オマエノモッテイルモノスベテヲコノヒルコニササゲルコト。ソレガオマエノネガイヲカナエルジョウケンダ)

「……」


 コトシロヌシは完全に押し黙る。そして考える。


 もし仮にヒルコに本当に自分の“全て”をささげてしまったら自分はいったいどうなってしまうのか?

 それは完全に予測不能だ。

 ヒルコは今のところ自分を敵とはみなしていないらしい。

 しかしコトシロヌシはヒルコと最初に遭遇してから、ヒルコに対して友好的な感情を抱くことができない。

 ヒルコは、外見は醜悪というほかない肉の塊。

 内面も両親の、もっと言うならこの世界そのものに対する怒りと憎しみに満ちあふれていると言っていい。


 ヒルコは信用するにはあまりにも危険すぎる相手だ。

 コトシロヌシの直感はヒルコに対する強い警告を発している。

 今すぐここから逃げ出せ!

 ヒルコに全てをささげるのはあまりにも危険すぎる、と。


 しかし一方でコトシロヌシの理性はここにとどまるべきだと主張する。

 自分がこんなこの世の最果てとも思える洞窟まで来たのはいったいなんのためだったか?

 出雲を救うためではなかったのか?

 そしてそのためだったら自らの命をも投げ打つ覚悟で来たのではなかったのか?

 それを今、ただ単に恐ろしいという理由だけでここから逃げ出してしまっていいのか?


「…逃げてはいけない…」


 コトシロヌシは小さな声で自らに言い聞かせるようにつぶやく。


「…逃げてはいけないッ!」


 今度は自らを奮い立たせるように大きな声で叫ぶ。

 そして“肉の塊”をまっすぐに見すえる。


「…わかりました。あなたに全てをささげます…」


 理性は恐怖を乗り越えたのである。

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