第6話 葉月結愛は憑いている

 帰りのHRを経て、俺は自宅までの帰路についた。


 クソが付くほど暑かった本日だが、午後4時を過ぎたこともあって、随分と過ごしやすい気温になった気がする。まあそれでも6月にしては十分暑いのだが。


 結局のところ、あれから保護者宛のプリントが配られることはなく、結果として立花先生のうっかりで、我ら2年1組の下校時刻が大幅に押しただけとなった。


 運動部やらバイト戦士やらが時間を気にする最中、ようやく教室に戻った先生の言い訳がこちら。


「すまない、急な用事で遅れた」


 あの時の精密に繕われた真顔を、俺はハッキリと覚えている。


(本当は死ぬほど焦ってたくせに)


 真実を外面で誤魔化すその姿勢から、社会の闇を感じた気がした。


 とはいえ。

 思わぬ収穫もあった。


「カップケーキ、ね」


 まさか先生がお菓子作りに興味があったとは。

 おまけに印刷ミスとかいうポンコツも炸裂してたし。


「しばらくはこれをネタにあのババアをいじめてやろう」


 なんてゲスい考えに至る俺は、おそらく人間の底辺なのだろうな。






「セーンパイ」


 やがて背後から溌溂とした声が飛んできた。

 直後、俺の視界の右端に奴がフェードインしてくる。


「セーンパイ。一緒に帰りましょ」


 無駄にハイテンションな葉月は、俺の肩をポンと叩いた。


「遠慮する」


「なんでですかー。帰る方向一緒なんですし、一緒に帰りましょうよ」


「だってお前と帰ると何か奢る羽目になるんだもん」


 淡々と言えば、葉月は「えぇー?」と不満そうな声を漏らす。


「どんなイメージですか、もうっ」


「いや、事実なんだけどな」


「わたしは純粋にセンパイと一緒に帰りたいだけですよ?」


 わざとらしく小首を傾げる葉月。

 その瞳はまるで散歩を求める子犬のよう。

 なんなんだ。このあざとウザい生き物は。


「はぁ、好きにしろ」


「はーい、好きにしまーす」


 ため息と共に言えば、葉月はにひひっと笑った。


「そういやお前、部活は」


「今日は休みです。市民ホール空いてないっぽいんで」


「ほーん」


 となると、3日連ちゃんで休みかよ。

 大丈夫かうちの演劇部は。


「気になるってことは、やっぱりセンパイも演劇やりたいんじゃないですか?」


「んなわけあるか。演劇なんざ今となっては微塵も興味ないわ」


 これは紛れもない本音である。

 

「そんなこと言って。実はお家でこっそり練習してたり?」


「してねぇ、するわけがねぇ」


 中学でやった最後の舞台以来。

 俺は演技というものに一切触れていない。


 前にも言ったが、俺は中学時代演劇部に所属していた。

 ちなみに葉月とは、演劇部時代の先輩後輩という仲だ。


 高校に進学し、俺は帰宅部コンビニバイト。

 葉月は引き続き演劇を続けている。


 だから、というわけでもないだろうが。俺は度々葉月から『演劇部に入らないか』と勧誘を受ける。当然その全てを断っているわけだが。


「何というか、もったいないですよ」


 その度に葉月は、神妙な面持ちでそう言うのだ。


「センパイ、せっかく演技上手なのに」


「本当に演技が上手い奴はあんな失敗はしない」


 哀れみさえも感じるその言葉に、俺はいつも決まってこう返す。すると葉月の表情が一瞬だけ曇るのは、もはや見慣れた光景だった。


「そ、そういえば」


 僅かな沈黙の末。

 葉月は露骨に話題をシフトする。


「センパイ、今日のテニスでこけましたよね?」


 って……。

 変更先の話題がそれかよ……。


「バッチリ見てましたからね。センパイの手抜きプレー」


「手抜きも何も、たかが体育のテニスごときに全力を出すわけがないだろ」


「そういう屁理屈言ってるから、鬼塚先輩にいびられるんですよ?」


「うっせ」


 余計なとこばっか突っ込んできやがって。


 お前あれか。

 さてはお笑い第13世代のツッコミ担当か。

 相方をモヤモヤさせる新世代型ツッコミってか。


「センパイのそのテンションは、鬼塚先輩が原因ですか?」


「テンション?」


「はい、いつもよりも元気なさげなんで」


「お前が元気すぎるだけだろ」


「いやいや、めっちゃ眉間にしわ寄ってますけど」


 そう言われて、スマホを鏡代わりに自分の顔を確認してみる。すると、確かに普段よりもくたびれた面をしている気がした。


「センパイの眉間、おばあちゃんの肘みたい」


「その例えやめて。せめて梅干しにして」


 急激な老化は許さない俺である。


「まあ、今日は色々ありすぎたしな」


「いろいろって?」


「修学旅行の班決めとか、修学旅行の班決めとか」


 あとは、修学旅行の班決めとか……

 ……って、くたびれてる原因、多分それだわ。


「班決めしたんですか?」


「ああ、大修羅場だったけど」


「修羅場?」


 俺は今日あったことをザックリと葉月に話した。


 古賀の班に無理くり入れられたこと。

 修学旅行欠席の申し出が断られたこと。


 話しているうちに思う。

 なんて理不尽な一日だったのだろうと。


「あの人の言うことって、妙に説得力あるんだよな」


「先生ですし、説得力ないと困るでしょ」


「やっぱそれなりに歳行ってると、ああいう風になるのか」


 皮肉っぽくぼやけば、葉月は怪訝な顔を浮かべた。


「それ、本人の前で言ったらぶっ殺されますよ」


「言わねぇよ。そこまで命知らずのバカじゃねぇ」


 あの立花先生のことだ。

 おそらく生徒相手でも平気で殴る蹴るしてくるだろう。


 バレなきゃセーフ。

 とか、本気で言っちゃうあたり。

 マジであの人、早めにどうにかした方がいい。


「センパイは相変わらずですね」


「急に何」


「相変わらずの屁理屈大魔神です」


「なんだよ、その凄そうで凄くないただの悪口」


 これほど不名誉な称号があるだろうか。

 どうせならもっとカッチョイイ称号にしてくれ。


「高校の修学旅行は一生に一度きりですし、担任の先生なら無理にでも行かせようとしますよ。行くかどうかを悩むくらいなら、修学旅行を充実させるための努力をすればいいんじゃないですかね」


 こいつ……珍しく理屈っぽいこと言いやがって。


「センパイ、昔からそういう努力は得意だったでしょ?」


「いつの話だよ、それ」


「それは――」


 ここで、目の前の歩行者用信号が点滅した。

 急ぐのは嫌なので、ここは素直に止まることにする。


「と、とにかく!」


 すると葉月はグイっと身を寄せてくる。


「わたしも協力しますから。行かない選択肢は今すぐ捨ててください」


「協力って、なんの」


「そんなの決まってるじゃないですか」


 やがて人差し指を突き立てたかと思えば。


「修学旅行をいい思い出にするためのですよ!」


 と、頭が痛くなるようなことを。

 ポジティブ全開なその態度、正直言って暑苦しい。


「いや、別に俺は――」


「そうですね。まずは持ち物を完璧にするところから始めましょうか」


「聞けよ、話……」


 そもそも論。

 俺は修学旅行に乗り気じゃない。

 米粒程度も乗り気じゃない。


 故にいい思い出にしようとも思ってないし、そのための協力なんて一切求めてない。なんならどうにかして、当日バックレようと思っているくらいだ。


「センパイが一人じゃ何もできないダメ男くんなのは、目に見えているので」


「お前に俺の何がわかる……」


「中学からのよしみで、このわたしが特別に買い物に付き合ってあげましょう」


「全然、これっぽっちも頼んでないんだけど」


 にもかかわらずこの後輩は、平穏を求める俺の住処に、平気でハシゴを掛けてきやがる。まだ寝足りない俺を叩き起こして、強引に外へと連れ出そうとする。


「センパイには、修学旅行に行ってもらわないと困りますから」


「なんで親でも兄妹でもない、ただの後輩のお前が困るんだよ」


「だって」


 なぜそんなにも俺に構う必要がある。

 そんな意味も込めた問いに、葉月は躊躇なく言った。


「センパイが修学旅行に行かないと、わたしお土産貰えないじゃないですか」


「……」


 これには流石の俺も絶句である。

 なるほど、どうりで……。


「さてはお前、最初からそれが目的か?」


 にししっと悪戯な笑みを浮かべた葉月は、信号が青に変わったことをいいことに、パタパタと軽快な足取りで先を行った。


 逃げるようなその背中に、俺は細い視線をぶつけてやる。


「とにかくです」


 と、横断歩道の真ん中で振り返った葉月。


「せっかくの修学旅行なんですから楽しまないと」


「それができたらこんな苦労してねぇっての」


 会話の温度差に俺は嘆息し、葉月に少し遅れる形で横断歩道を渡り始めた。


 等間隔に置かれた白線を見下ろしながら進む。

 やがて白線は途絶え、俺の視界には茶色のローファーが飛び込んできた。


「大丈夫ですよ」


 その声で地面を這わせていた視線を上げる。

 すると視界の中の葉月は、満面の笑みで言った。


「センパイにはいつだってわたしがついてますから」


 風に髪を揺らめかせ、まっすぐに俺を見つめてくる。その瞳は脇役モブでしかない俺にはあまりにも煌びやかで、ついつい目を逸らしたくなるほどに純粋だった。


「だからもう大丈夫です」


 ほんの一瞬、時が止まったような気がした。

 それくらい葉月の笑顔は眩しく映って、でもやはり暑苦しくて。そんな彼女が口にした『大丈夫』という言葉に疑念こそ無かったものの。


「不安しかねぇよ……」


 ため息が漏れるのは至極当然のことだった。

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