第4話 教師とて倫理を逸脱する

 どうしても納得がいかない。

 なぜこの俺が、あんな貧乏くじ引かされなきゃならん。


 たいして仲良くもない女子と、しかも古賀たちのような修学旅行ガチ勢と一緒に行動しなきゃならないとか、俺みたいな日陰者からしたらとんだ罰ゲームだ。


「ぜってぇ説得する」


 そう意気込んで、俺は職員室の扉を開けた。

 しかしいつもの席に、あの身勝手ババアの姿はない。


「あの、小田原先生」


「ん、なんだ、どした、”いぐち”」


 たまたま通りかかった小田原を呼び止める。

 俺の名前がどうこうは……今はいい。


「ババ……立花先生ってどちらに」


「ああ、立花先生なら」


 小田原が示した先は、職員室隣の印刷室。

 あの野郎……中々帰ってこないと思ったら。

 生徒に掃除押し付けてプリント刷ってやがったのか。


「どうもっす」


 俺は軽く会釈して印刷室へ急いだ。


 おそらくあの野郎は今一人だろう。

 となれば周りに気を遣う必要もない。

 こっちの要件を飲むまで思う存分議論してやる。


「対戦よろしくお願いします」


 軽くノックをして、印刷室の扉を開ける。

 そして不自然に垂れ下がった黒幕をよけて中へ入った。


 のだが……


「……えっ」


 俺が抱えていた怒りや焦燥は、部屋に入るなり即鎮静化された。いや、正しくは目の前で起こっていることの理解に、意識を持っていかれた、というべきか。


「ん」


 と、俺の存在に気づいたその人物。

 艶のある短い黒髪に、薄いメイクでも十分なほど、整然たる鼻立に切れ長の目。大人の女性らしいそのスタイルは、上品なシャツとスカートにより一層誇張されている。


「なんだ、君か」


 窓際の壁に寄りかかりポツリ。

 妙な色気さえ感じる彼女は、俺を前にしても極めて平静だった。


「まあ、来るだろうとは思ってたよ」


 ……い、いやいや。

 来るだろうと思ってたじゃなくてさ。

 少しは焦るとかさ、あるじゃん普通。


「……何してんすか」


「何って、見ればわかるだろ」


 そう言うと彼女――立花たちばな菊代きくよは手に持っていたモノを掲げた。


「一服だ、一服」


「一服って……」


 そして見せつけるようにそれを咥えては。


「ふぅぅ」


 開いた窓から大きく息を吐いた。

 細長い白煙が、緑ばかりの中庭へと消えていく。


「タバコ……ここで吸っていいんすか」


「ダメに決まってるだろ。うちは原則構内全ての場所で禁煙だ」


「じゃあさっさと火消せよ……」


 悪びれないその態度に思わず突っ込んでしまう。

 てか、すぐ隣が職員室なのによく一服できるな。


「バレたらやばいでしょ、それ」


「まあ、ヤバいだろうな」


 一応は電子タバコみたいだけど。

 それでも勤務中に一服ってどうかしてる。


「でも吸いたくなったものは仕方ない」


「仕方なくねぇよ……それもう中毒だよ……」


「それに」


 するとヤニカスババアは人差し指を立てた。

 まるで名言でも産み落とすかのような顔で。


「ルールは破るためにある。それが私のルールだ」


「なーに言ってんだあんた……」


 教師としてあるまじき爆弾発言を投下。

 これにより俺の現状把握処理は完全に停止した。


 てか誰だよ、こんなヤバい人教師にしたの。

 教育委員会さんしっかり精査してくださいよ。


「それで、私に何か用か」


 突っ込みどころは山ほどあった。

 が、これ以上考えてもこちらに利がない。

 この人がぶっ飛んでるのは置いといて、本題に入ろう。


「修学旅行のことで話があります」


 そう前置きして、俺は単刀直入に尋ねる。


「なんで俺をあいつらの班に入れたんですか」


「なんで、とは何だね」


「揉めるのくらいわかってたでしょ。なんで俺なんです」


 俺の質問に対し、淡々とした口調で先生は言う。


「さっきも伝えた通り、古賀の班は人数が一人足りていなかった。だからあの時どの班にも所属していなかった君を彼女たちの班に加えた。ただそれだけのことだ」


「それだけのことって……」


 そのせいでこっちは尊い犠牲になってるんだが。いくら人数が足りなくて丁度俺が余ってたからって、「じゃあ仕方ないか」ってなるわけねぇだろ。


「もっとこう、他にもやりようあったでしょうよ」


「仮に交渉相手が違ったところで、どの道結果は同じだったと私は思うが」


「それでも、あいつらよりかは幾分かマシでしたよ」


 文化部の班ならまだ救いはあった。

 アニメとかゲームとか、その手の話題で合わせられるし。

 最低限邪魔にならないような工夫はできたさ。


 でも、古賀たちの班は無理だ。

 俺とあいつらではそもそもの価値観が違いすぎる。


「頼むから班を変えてください。じゃなきゃ——」


 じゃなきゃ修学旅行は欠席します。

 そう言いかけた俺に、先生は涼し気な顔で言った。


「恨むなら私ではなく、LHR中に居眠りしていた君自身を恨め」


「……っっ!!」


 そのたった一言で見事屈服する俺であった。

 それを言われちゃうとぐうの音も出ません。


「グースカいびきまでかきやがって」


「そんなにぐっすりだったんすか⁉︎」


 紳士の俺としたことが……恥ずかしい。


「凄かったぞ、君の寝顔は」


「聞きたくない聞きたくない聞きたくなーい!」


 起きた時周りがやけに騒ついていたのはそれか。

 ったく、俺の寝顔は見せもんじゃねぇってんだ。


(動物園のパンダ扱いしやがって!)


 なんて、心の叫びをかましたはいいものの。

 よく考えたらパンダは、俺と違って人気者だった。


 笹食って寝てるだけで可愛いと言われる。

 俺も生まれ変わったらそんな人生を歩んでみたい。


「とにかく。あいつらと組むくらいなら俺、修学旅行いきませんから」


 これ以上の羞恥は死にたくなる。

 故に俺は言うだけ言って、速攻踵を返したのだった。

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