第10話側用人・柳沢吉保1

 木下殿から内密の話があると言われた。聞けば、これから上様と話し合う予定の赤穂の浪人たちの事であった。


 木下殿曰く「浄瑠璃坂や亀山の仇討ちを参考にしたではないか」というもの。武士として「まさか」や「幾ら何でも」と思うところが無かったといえば嘘になるだろう。

 だが、木下殿の話は筋が通っている。

 大方、浅野家以上の士官先を求めて躍起したのだろう。武断派が聞けば「武士にあるまじきことだ」と激昂するだろうが、武士とはいえ誇りだけで生きていく事は不可能だ。浪人者になり身を持ち崩した例は数多ある。身を持ち崩した挙句に「ヤクザ者」に成られても困るがな。

 あのような主君を持った事が浅野家の悲劇だろう。

 

 浅野内匠頭の乱心は血筋だ。


 過去に浅野内匠頭の叔父、内藤忠勝ないとうただかつも同じような事件を起こしている。

 今から遡ること二十年ほど前、四代将軍徳川家綱とくがわいえつな様の法要の際に、芝増上寺しばぞうじょうじの警備を命ぜられていた内藤忠勝が不仲の永井尚長ながいなおながにいきなり斬りかかって刺し殺している。斬りかかった理由も些細なものであった。役目柄、内藤忠勝よりも上役であった永井尚長が警備の指示書を内藤忠勝に見せなかった事が発端だというのだ。それ位のことで?と思われるが、二人は普段から不仲であったらしく、永井尚長が上役である事をいい事に内藤忠勝に対して無視をしたり要求に応えなかったりしていたそうだ。我慢の緒が切れた内藤忠勝が激昂して殺した。何とも言い難い事件である。当然、この件で内藤忠勝は切腹、お家は断絶となった。


 浅野内匠頭はこの叔父に似たのだろう。

 内藤忠勝も浅野内匠頭同様に癇癪持ちであったらしい。内藤忠勝の兄も自身の性質を理由に家督を継ぐのを辞退したと言われている。

 元々、浅野内匠頭は「つかえ」という持病持ち。早々に弟殿に家督を譲っておれば良かったものを。



 これから上様綱吉公と会うというのに……。

 どうしたものか。

 赤穂の浪人たちの処罰。

 どう転んでも天下を騒がせる事になるだろう。

 

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