第6話側用人・木下義郎5

 駒若に言われたものの、御公儀は意見が分かれて収集がつかない有り様だ。

 主君に対する忠義を奨励する者、逆に法を犯したので厳罰を求める者、様々だ。武人を誇る者に限って浅野家を贔屓する傾向だ。一年前の御裁きがそもそも不公平であったと囁く者までいる。声高に言わないだけ分別はあるようだ。これが聞きとがめられたら間違いなく刑罰に処される。浅野内匠頭の即日切腹を申し付けたのは公方様本人なのだ。一年前の判決に不服を申すという事は「公方様に反意あり」とみなされてしまう。それ以外の大名たちは殿に同情する者が多い。


 吉良殿は「黄金堤こがねづつみ」という治水事業や新田開発、果ては、塩田開発などを行って国を豊かにして民百姓の暮らしをより良いものにしようと考えるお方だ。独自の流派まで開いている「茶人」でもある。風流人の吉良殿は武断派ぶだんはの受けが悪い代わりに文治派ぶんちはの受けが頗る良いのも判決に影響を与えていた。武力を誇示する時代は終わり学問が秀でる者が出世している中で、武断派は巻き返しを図ろうとしているのだろう。いや、それが無理である事は百も承知の上で言っているのかもしれない。文治派に打撃を与えたいだけかもしれないし、公方様に再度「武士」という在り方を見直して欲しいという考えなのかもしれん。江戸の民衆が挙って赤穂浪人を褒め称えているのに便乗しているのは明白だ。

 彼らも面白くないのだろう。当の公方様が大の学問好き。そのせいで「武断派は出世できない」と思い込んでいる者が多い。柳沢様も今回の件では頭を抱えていらっしゃる。一体どうなる事やら。


 つらつらと考え事をしながら廊下を歩いていると見覚えのある後ろ姿が見えた。


多門おかど殿」


 私が呼びかけると思っていた通りの方が振り返った。


「これは木下殿、お久しぶりですな」


 こちらを見てにこりと微笑む多門殿の顔色は少し悪い。


「多門殿も御老中方に呼ばれたのですか?」


「当時の浅野内匠頭について聞かれましてな」


「今更ですか?」


「はは。今更と思われる事ですが老中の中には、当時の判決に対して含みがあったのではないか、という者もでて来ておりましてな。再調査をするべきだと……」


「!? 再調査も何も当事者のお二人は亡くなっているのですよ?」


 全く、老中たちは何を考えているんだ!取り調べをする存在が居ないというのに再調査など意味がないではないか。

 

「この件を持ち出して公方様に抗議する腹なのでしょう」


「多門殿?」


「公方様が五代将軍となられて以降、老中の地位の低下は著しいですからな。今や、あってないような存在です。本来、老中方に御相談する案件も今では側用人に相談して決裁なさっている状態。それを何としたいのでしょう。これが形式化してしまえば老中の面目は立ちませんからな、必死なのでしょう」


 多門殿の言葉は正しい。

 公方様は老中たちを毛嫌いしているのは誰の目から見ても明らかだ。大事な仕事も側用人の意見を尊重している。まぁ、側用人といってもではあるが。


 巻き込まれる多門殿も気の毒に。「松の廊下事件」において浅野内匠頭の取り調べを行ったのは多門殿だ。しかも、切腹の副検死役にもあたったと聞く。短い時間では大した取り調べは出来なかったようだが、浅野内匠頭が吉良殿にがあって刃傷に及んだことを述べたため即日切腹が決まったとも噂されている。御公儀の大事な儀式の中で個人的遺恨で殺生に及ぼうとしたことは重大な問題だが、同時に吉良への刃傷に至るはっきりとした動機や経緯は聞き出せていない。

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