第46話 最後の戦い

 振り返ると、街を侵食したリグル草が巨大な竜のように横たわっていた。


 ネイピアは、油の噴き出しているホースをリグル草に向け、まんべんなくかけていった。しかし、横幅にして百メートル、高さは十メートル以上はあろうかという、花の壁だ。時間はかかる。そして、いつ油が尽きてもおかしくはない。


「頼む! もってくれ!」



 船着場では自警団が必死でポンプを漕いでいた。ちょうどポンプが一つの大きな瓶の油を吸い上げ尽くしたところだった。


「交換だ! 次の瓶を持って来い!」自警団の一人が叫んだ。


「これで最後だ!」もう一人が答える。


 高さ五メートルにも及ぶ巨大な瓶を滑車に乗せて十人がかりで運んでくる。



「急げ、急げ‼︎」


 前からロープで引っ張る者、後ろから押す者、みんな必死だ。少しずつ少しずつポンプが設置されている場所へと近づいてくる。しかし──


バキッ


 突如として滑車の一部が割れた。瓶が傾く。


「支えろ!」一人が叫んだ。


 ポンプのところにいた者も瓶の方へ駆けつける。二十人がかりで瓶を支えたが……



ガガガガガジャジャーン



「おい、マジか……」


 奮闘も虚しく瓶は倒れ、派手に割れてしまった。1トン以上の油が一瞬の内に失われてしまったのだ。全員油まみれのまま立ち尽くしている。絶望感が漂っていた。



>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>



ホースから油が出なくなって大分時間が経っていた。ネイピアは焦っていた。


「おい、早くしろよ! 交換にしちゃ時間かかり過ぎだろ?」


 そう言いながらも頭をよぎっていたのは最悪の事態だ。もう全ての油が尽きてしまったのではないか。まだ広場に巣食う巨大な魔物の一部にしか油をまけていないのだ。今、火を放っても到底焼き尽くすことはできないだろう。東の空がどんどん白み始めている。もうタイムリミットが間近なのをネイピアは悟った。



>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>



「少しでもいい。かき集めろ!」


 船着場では自警団の男たちが地面にこぼれた油を必死で集めていた。スコップを使ったり、布に染み込ませてしぼったり、何も道具がなく手で掬い上げている者もいた。


 しかし、ほとんど流れてしまっている。それでも、男たちは手を止めなかった。彼らは信じていた。諦めなければあの男がなんとかしてくれる。どんな闇でもあの男が必ず光を見つけてくれる。それが自分たちのリーダーなのだ。


 そして、ついにその男がもどってきた。


「追加分、到着だ‼︎」


 船着場の静寂を破ったのはジューゴの雄叫びだった。


 ジューゴは自分の体よりも大きな瓶を一人で抱えてやってきた。そして、その後ろには何百人、いや何千人もの人間がそれぞれ鍋やバケツなどに油を入れて持ってきていた。地上人もいればドレア人もいる。


「よっしゃあああ!」自警団の男たちは歓声を上げた。


「さあ、油を集めろ!」ジューゴの言葉をきっかけに、その場にいる全員が動き始めた。瞬く間に瓶の中に油が集められていった。



>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>



 ホースの中から音が聞こえてきた。間違いない。油が吸い上げられてくる音だ。


「おお! やっぱ、おっさん頼りになるぜ!」ネイピアは再びホースをリグル草のジャングルに向けた。


 さっきまでとは勢いが全然違う。腰を入れて踏ん張らないと噴射の反動でネイピアの体が吹き飛ばされそうだった。


「すげえ! すげえぜ‼︎」


──これなら化け物の花を焼き尽くせる。


 ネイピアはバズーカのようになった油の噴射を慎重にコントロールし、見事、全体にまき終えた。あとは、火をつけるだけだ。


──これで、街を守れる!


 ネイピアはポケットからマッチを取り出した。その瞬間──


 バン。


──突然、銃声が鳴り響いた。


 ネイピアは左太腿に激痛を感じ、ホースを手放した。弾丸は貫通していた。


「ちぃ!」


リグル草のジャングルを背にしてタッカーが銃口を向けて立っていた。


「巡察隊の方、火をつけてもらっては困るんですよ」


「タッカー。もう諦めろ」


 地面に転がったホースから出る油の勢いは衰えず、いつしかネイピアの足元にも油が水たまりのようになっていた。


「撃つと引火するぞ」


「たしかにそうかもしれませんね。でも、あなたもマッチを投げることはできません。あなた自身が焼け死んでしまうから」


 タッカーの言う通りだった。この場所でマッチに火をつけると自分も火ダルマだ。


「もうすぐ、夜が明けます。そうなればもっとこの黄色い花は成長します。もうベルメルンは終わりですよ。どれだけこの瞬間を待ち侘びたか。この時のためにどれだけのものを犠牲にしてきたか。あなたには分からないでしょう? まあ、分かってもらう必要もない。これは報いなんですよ。人間は罪を犯せば罰があります。国家だって罰を受けるべきでしょう?」


「これが正義だとでも言うつもりか?」


「正義? そんなものどうだっていい。悪魔と呼ばれようが知ったことか。これは私の生きてきた意味なんだ」


「なるほど。じゃ、アンタを止めるのが俺の生きてきた意味なんだろうな」


 東の空が白み始めていた。まもなく夜が明けるのだ。時間がない。ネイピアの頭はすぐに弾き出していた。このまま、双方動かないのならタッカーの勝ちだ。ネイピアが勝つには一つしかない。火を放つのだ。この身もろともこの黄色いモンスターを焼き尽くすしかない。


 戦場ではいつも死を覚悟していた。そして、戦場を離れてからは死に場所を探していたのかもしれない。部下を仲間たちを救えなかった自分をいつも責めていた。自分などがおめおめと生き恥を晒していていいのか。いっそ死んでしまった方が楽なのかもしれないという考えだってよぎったこともある。それなのに──


 克服したと思っていた死への恐怖心がこみあげてくるのをネイピアは感じた。自分もやはり生きていたいのだ。どれだけみじめでも本能は生を求めている。それが分かっただけで十分だ。この世は生きる価値がある。


 ざわついていた心がサーっと穏やかになっていく。さあ、あとは勢いだけだ。


「ロクな死に方をしねえだろうとは思ってたんだが、火ダルマとはな。一番イヤなパターンだぜ」


 ネイピアは懐からマッチを取り出した。


「まさか、お前‼︎」


 タッカーがネイピアに向かって走り始める。


 ネイピアがマッチを擦る。火が付く。タッカーは飛びかかるが、一瞬早く、ネイピアの手から火のついたマッチは投げ放たれた。一気に火は燃え広がり、ネイピアとタッカーも炎に包まれた。そして、瞬く間に黄色い花の壁は炎の壁となり、広場全体へと広がって行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る